41-(6) 脅威論
私の問いに、繰り手・白鳥涼一郎は答え始めた。何故彼がそこまで「悪」に対して強い
敵愾心を抱くようになったのかは、その幼少期に理由があるのだという。
曰く彼の父親は、彼と同じく刑事だった。それもいわゆる人情派──今では絶滅危惧種と
まで揶揄される、昔気質の刑事であったらしい。
それでも当の白鳥少年は、そんな父に憧れ、ずっとその背中を追い続けていたそうだ。
時代の変化に中々ついてゆけない不器用な人物だったもにの、それ以上に多くの実績を重
ねてきた名刑事。事実組織内でも彼を慕う者達は多く、彼もまた次代の為に少なからぬ部下
達の面倒を見、育てようとしていたらしい。
だが……悲劇はそんな最中に起きた。かつて彼が捕らえ、投獄されていた犯罪者の一人が
出所後、前科者故に上手くいかない社会復帰に絶望し、遂には彼を復讐の為に殺害してしま
ったのである。
それは当時の白鳥少年にとって、後の人生を大きく変えてしまう切欠となった。幸いにも
現場から逃走した犯人は程なくして捕まったが、その最期はそれから何十年も後──高齢に
よる病を患った上での、獄中での病死だった。
『……そうさ。奴は結局、残った人生を全うしたんだ。温々と、私達の税金で生かされなが
らな!』
故に白鳥はそれ以来、世の「悪人」達に対して強い敵意を持つようになった。
彼曰く、奴らに温情など必要ない。罪を犯した者達は、例外なく罰せられるべきだと。
いや──それですら、現在の法ですら生温い。そう彼は語気を荒げて熱弁する。
世に潜む「悪」は、その根本から絶たなければ。さもなくば、また何人もの犠牲者達が生
まれてしまうだろうと。かつての自分のように、大切な人を奪われてしまうだろうと。
白鳥が私にこの契約内容を望んだのも、ひとえにそれ故だった。成長し、刑事として父の
跡を継いだものの、それだけでは「悪」は滅ぼせなかった。
世の中にはまだ「悪」を為し得るクズどもがゴロゴロいるのに、学者や運動家連中はやれ
人権だの尊厳だのと安全な外野から綺麗事ばかり吐き、何ら人々の安寧に貢献していない。
そんなものは全くの空論だ。役に立たない所か、害にさえなっている、と。
故に「悪」とは、その可能性から根絶やしにしなければならない。彼らを未然に摘むこと
で、より多くの人々を救うことができるのだと。
彼は言った。善良なる多くの命を台無しにしてしまう前に、その元凶となる者達を、芽の
段階からでも潰すべきなのだと……。
『──だからこそ“十を守る為に一を殺す”訳か』
『ああ。そうだ』
一仕事を終えて、私達は雑居ビルの屋上に立つ。
今日も夜闇の中に埋もれた街は、点々と広がるネオンの明かりを除いてすっかり沈黙して
しまっているように見えた。だがこんな時刻、時間帯にこそ、悪は動き出す。まるで自身に
馴染むかのように、その暗躍ぶりを活発化させる。
白鳥は短くそう答えて、じっと私の隣に立っていた。彼もまた、この夜闇に埋もれた街に
対して思うことがあるのだろうか。或いはもう既に、次のターゲットはいないか、その心と
やらに棲みついた執着心でもって探しているのだろうか。
『……だがそうなると、お前はまだ肝心の「悪」を摘んでいないことになるな』
『? それは一体──』
まぁ、実際の所どうでもいい。
次の瞬間、私はそっと彼の背面に回り、そう呼び掛けて振り向いたその身体を真っ直ぐに
刺し貫いていた。ぶしゃっと、大量の血飛沫が飛び散る。散々奴らが生温い生温いと言って
いたが、お前だって随分と温かいものを持っているじゃあないか。……本当に、愚かだ。
『なっ……!? 何、を……!?』
ずずっと手前に手刀を引き抜くのと同時に、彼の身体をこちら側に引き寄せた。まだ下に
落ちてしまって貰っては困る。お前にはもう少し、私の“血肉”になって貰わなければなら
ないのだから。
『だってそうだろう? その理論で一を殺し続けるお前は、殺され得る無数の一、いつそこ
へ押し込まれるとも知らぬ十達にとって、脅威となる存在なのだから』
だから、死ね。
契約は十二分に履行された。お前はもう、用済みになった。
私達という存在に予めそうプログラムされていた通り、私は繰り手である彼を殺害する。
彼だったものは早速物言わぬ肉塊になったようだ。ぼたぼたと滴り、広がって溜まってゆ
くそれさえも吸収しながら、私は彼の肉体とその真造リアナイザ──かつて私の本体だった
デバイスを自身の中に取り込む。
彼、白鳥涼一郎のデータとこれまでの全てを回収し、進化完了。
ようやく私は、実体ある確かな個体となれた。少し前からその兆候自体は感知していたの
だが、あちらもあちらで根回しというか、都合があったらしい。ただ私は機を待っていた、
それだけのことだ。
『やあやあ。回収、終わったみたいだね』
するとちょうどその時、まるで私達の行動を把握していたかのように、白衣を引っ掛けた
薄い金髪の西洋人が、ひょっこりと背後の物陰から現れた。ニコニコと笑い、ゆっくりとこ
ちらに近付いてくる。
彼の名はシン。我々を生み出した張本人にして、究極の進化を求める者だ。
その周りには随伴だろうか。鉄仮面の量産型達と、私よりも先に彼に見出されたという、
通称・グリードとグラトニーの二人組がいた。ざっくりと形容するならばチンピラ風の男と、
酷い肥満の大男だ。但し、共に只者ではないことぐらいは私にも解る。
『ああ。待たせてすまなかったな』
『いやいや、何の何の。ちょっと待っててくれと言ったのはこっちだからねえ。流石に上級
市民一人の籍を弄るのは骨が折れるよ』
ははははは。彼は、一見そう我々の長とは思えない飄々とした言動で乾いた笑いを放ち、
わざとらしく肩を竦めてみせた。
特に、私もグリードやグラトニー達もこれといった反応はしない。やはり彼はそういう人
物だと認識されているのだろう。そして彼は次の瞬間、やや大仰に両手を広げてみせると、
心許ない月明かりの下で言うのだった。
『──僕らの新しい子よ、よく育ってくれた』
『僕らは君を、歓迎するよ?』




