39-(5) ふたり
勇が蝕卓の地下アジトに戻って来た時、中に居たのはラースとスロース、ラストの三人だ
けだった。円卓に着いていた彼らの視線が、一斉にこちらを向く。
「あら、おかえり。今日も何処かに行ってたの?」
「……」
こちらの存在に気付いて、そう気だるく声を向けてくる彼女に、勇は終始むすっと眉間に
皺を寄せた不機嫌っ面だった。尤もそんな反応自体は、元より彼自身、七席同士でも珍しく
はないため、相手もそう突っ掛かってくることはなかったが。
「……」
半ば無自覚に、必死に感情を殺す。普段以上に苦虫を噛み締めたような表情のまま、勇は
円卓の傍まで歩いて行った。ラース達も姿を認める代わりの視線をさっさと戻し、再びめい
めいにこの暗がりの中で時間を過ごし始める。
(やはりあれは、失敗だったな……)
中央署近くの路地裏で、七波由香を仕留め損ねてからというもの、彼女は自分の部屋に閉
じ籠ってしまった。今日も今日とて勇は自宅を張っていたのだが、やはり彼女が出て来る気
配はない。
心の中で思わず歯噛みをする。あの時始末できなかったことで、すっかり彼女に警戒され
てしまったらしい。もう暫く粘ってみるつもりではいるが、向こうもそう簡単には姿を現さ
ないだろう。早く始末をしなければ。我ながら、何故あの時躊躇ってしまったのか。
「……プライドさんは?」
「彼なら、来ていませんよ」
「まぁ忙しいでしょうからねえ。例の刑事殺しのあれこれで」
円卓の置かれたフロアをざっと見渡しつつ、勇は訊ねる。プライドこと白鳥が筧・由良の
両名を“抹殺”すべく、裏で手を引いている最中であることは他の面々にも周知の事実だ。
多忙なのは別に今に始まったことではないが、勇は内心少し安堵していた。七波抹殺を急か
され、責められるのが少なくとも今ではなくなった訳だが、それもいつまでも続く訳ではな
かろう。先日ライアーが倒され、奴らとの決戦も近いというのに、一体自分は何をやってい
るのだろう……。
「で? シンはさっきから、何をやってる?」
そうして半ば、自身の中の悶々を誤魔化すように、勇は次の瞬間ついっとこの暗がりの中
空──フロアの中二階を見上げて問うた。点々と巨大サーバー群の電源ランプが明滅してい
るその中で、先ほどからシンが妙に嬉々としてPC画面に向かっている。随分と一人で盛り
上がっているようだ。
「ああ……あれね。この前、第五研究所で捕まえてた、連中のリアナイザを分析してるのよ。
敵を知るには絶好の機会だからって。まぁ見ての通り、本音はただバラしてみたかっただ
けなんでしょうけど」
答えたスロースがそう、普段よりも割り増しの気だるさでごちた。面倒臭い……。実際に
生け捕りにしろとの指示を受け、一手間も二手間も掛けさせられた身としては、堪ったもの
ではなかったのだろう。
H&D社・旧第五研究所──他でもない冴島とその隊士達から奪った調律リアナイザとコ
ンシェル達だ。「ほう! ほほう!」と当のシンは嬉しそうにキーボードを叩き、手元の照
明の下で幾つものの配線に繋がれた調律リアナイザから、大量のデータがその画面に表示さ
れている。
「なるほどなるほど……私の造った回路を、逆に利用したのか。こことここ、それにここに
も新しくプログラムを組み込んで、単独行動をコントロール……素晴らしい! 敵ながら見
事なチューニングではないか!」
はははははははは! 中二階のその席で大きく両手を広げ、やたら喧しく叫ぶ。
そんな一部始終を見ていた勇やスロースが、流石にげんなりした様子で目を細めていた。
ラースは視線すら寄越さずに眼鏡のブリッジを軽く弄り、ラストも肩越しに一瞬鬱陶しそう
に見上げこそしたものの、特に何か口にする訳でもなく再び寡黙の中に沈む。
「……本当、気楽でいいわよねえ」
「……同感だ。まぁいつものことだが」
放っておこう。
勇達四人は、満場一致で、そう誰からともなく盛大な嘆息をついた。
勇との出会い──襲撃以降、七波はまるで反動のように自宅の自室に閉じ籠るようになっ
てしまった。こちらの制止も聞かずに飛び出して行ったと思えば、今度は……。心配した両
親が何度となく部屋の外からノックをし、呼び掛けてくるが、正直に話せる筈もなかった。
もし彼の言葉通りならば、今度は二人があんな目に遭う危険に晒される。先日の自らに起き
たあの恐怖が頭から離れず、七波は只々部屋の中で震え続けていた──後悔していた。
(ううっ……)
ちらりと、閉め切ったカーテンの隙間から眼下の道を覗く。
すると其処には、物陰に隠れてはいながら、じっと自宅を見上げて佇んでいる勇の姿が視
えたのだ。あの時と同じくフードを被って人相を隠しているが、間違いない。自分を仕留め
損なったからと、家までやって来て張り込みをしているのだ。
(どうしよう? どうしよう? どうしよう……!?)
──そんな彼は、今は姿が見えない。彼女は幻視さえする。
あれ以来ここ数日、ずっとこんな調子だ。殆ど毎日彼はそうやってこちらを監視しつつ、
痺れを切らして出てくるのを待っている。流石に向こうも骨が折れるのか、いつも気が付け
ば居なくなってはいるが……決して諦めた訳ではないだろう。
じわじわと、七波はその精神を削られていた。軽率に飛び出してしまった自分の行動と、
その悪運を幾度となく呪う。
『もう、喋るな』
『これ以上誰かに話してみろ……。本当に死ぬぞ』
絞り出したような、あの濃密な憎悪と怒りの籠った彼の言葉が、忘れられない。
自分は甘かった。肉親を、この世で唯一の弟を殺された彼の絶望を、自分はまるで解って
はいなかったのだから。謝っても許してくれなかった。寧ろ面と向かって謝ることで、彼の
心の傷に塩を塗り込んだようなものだ。復讐されたって、仕方がない。
(……でも)
同時にあの時、彼が放ったあの台詞は、何だったのだろう?
少なくとも自分には、あれが警告のように聞こえた。何というか、当人の怒り云々という
よりは、ちょっと引いて見てから投げ掛けられた言葉のような……?
もしかすると彼もまた、別の何かと闘っているのだろうか? 警察? 筧さんや由良さん
だった? だからこそ由良さんは、先輩に殺された? 分からない。現状は全て、とりとめ
のない自分の推測でしかない。ただ事実があるとすれば、自分は未だこうして生き長らえて
いるということ。あの時振り上げられた黒い棘々の武器が、頭の上に逸れたこと。
まさか、見逃してくれた? それともただ単純に外れただけ?
でも直前までの様子からして、先輩は間違いなく自分を殺すつもりだった。筧さんや由良
さんと繋がりがあると知って、明らかに“口封じ”をしようとしていた。
……一体、何なのだろう? それにしたってあの外れ方はない。大体、壁際に追い詰めた
至近距離だったというのに。
彼の身に何があったのだろうか? 確かめようにも、普段何処にいるのか分からないし、
何より不用意に出て行こうものなら、今度こそ確実に殺される。大体さっきから全身が震え
っ放しで、ろくに歩き回ることすら出来そうにない。
そうなると持久戦? このまま夏休み明け──復学予定の日まで待って、他の復帰する生
徒達に紛れてしまおうか? 大人数の中にいれば、或いは……? いや、でもそうして皆が
集まる校舎を、丸ごとグシャグシャにしてしまったのは他ならぬ彼自身で……。
(駄目、駄目駄目駄目! 新学期になる前に、私の方が先に参っちゃう! そもそも私が、
先輩に目を付けられちゃった以上、予定通り復学することだって……!)
限界だった。誰か、助けを呼ばなければ──。
もう自分一人では二進も三進もいかないと、また半錯乱状態になり、七波はどうっとベッ
ドの上に倒れ込んだ。身体を滑り込ませて、放り出してあったデバイスに手を伸ばした。
でも、誰に?
もしバレれば瀬古先輩に殺されるし、そもそも話した所で信じて貰えない可能性が高い。
「……」
閉め切って日中の明かりが絞り込まれた部屋の中、七波は寝そべっていたベッドから身体
を起こした。片手には自身のデバイス。この状況下で、これまでの経緯からして、信頼でき
る人は数えるほどしかいない。
(あの会見がニュースになってから、怖くて掛けられなかったけど……)
おずおずと、微かな望みに縋るように。
薄暗い自室の中、七波は意を決して、とある番号へとコールし──。




