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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-38.Fakes/想い、交錯する先に
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38-(4) 気弱な誠意

「かっ!?」

 進もうとした意思と真逆からの力に引き摺り込まれ、七波は荒っぽく路地裏の壁に叩き付

けられた。瞬間的な衝撃と痛み、感情の浮き沈みに自分でも意識したことのない程の形相を

浮かべたが、それも束の間、自身の前に現れた人物を目の当たりにして萎む。

「……余計な真似を」

 目深にフードを被った、年上の少年だった。季節は夏真っ盛りだというのに、そんな顔を

隠すような恰好をしていること自体、そもそもおかしい。

 ひっ──! 七波は思わず、逃げようとした。すぐ間近まで迫ってくる彼を必死になって

振り払い、再び路地裏の向こう側、あの刑事達がいた区画へ逃れようとする。

「大人しくしろ。てめぇの家族親戚から全部、消すぞ?」

 だが彼は、そんな標的ターゲットをみすみす逃がす筈もなく。

 少年はすぐに行く手を遮るにように回り込むと、再び七波をより路地裏の奥へと押し遣っ

て壁に叩き付けた。ダンッと、自身も片手を突いて肉薄し、只ならぬ憎悪に満ちた眼でこち

らを睨み見下ろしてくる。

「ひいっ!?」

「……七波由香、だな?」

 だから次の瞬間、思わず七波は「えっ──」と言葉を詰まらせた。相変わらず向けてくる

眼光は獣のように鋭くて恐ろしいが、そう暫くフードの下から覗く顔を見ていると、ふと妙

にノイズが入ったかのような既視感に襲われる。

「瀬古……先輩?」

 恐る恐る。でも優君はあの時に死んでいるから……。壁際に追い詰められて逃げようにも

逃げられない状況にも拘わらず、七波はそう一生懸命に思考を回転させながら、呟くように

問い返していた。

「……」

 目の前の少年、勇は答えない。

 だがそれは首肯はしないが、隠しもしないといった態度だった。七波の全身に、じわじわ

と震えが駆け巡っていって止まらない。疑問は確信へ。一番会ってはいけない──でもいつ

かは会わなければならなかった相手が、よりにもよって今この時に現れたのだと。

「まさか……本当に……」

 故に次の瞬間、思わず呟いてしまった一言が、彼女の運命を大きく変えた。

 半ば無意識に紡がれたその言葉に、勇がそっと怪訝と不快を織り交ぜて眉を顰める。壁に

叩き付けた左手をゆっくりと拳にしてずらし、震える彼女に確認するように問う。

「……その口振り。やはり筧兵悟から何か聞いたか」

 どうしてそれを? 先輩は筧さんを知っているの──!?

 だが七波は口を衝いて出ようとしたその言葉を、すんでの所で慌てて止めた。明らかに勇

の眼差しは“危険”そのもので、下手に応えてしまっては拙いと直感したからだ。

「……」

 しかしそんな寸前の戸惑い、慌てて口を押さえた動作が、結局勇にとっては明白な答えに

なってしまった。眼差しは先程よりも一層鋭く、されど何処か面倒臭そうなそれを湛えてこ

ちらを見据えている。七波は彼に射竦められてしまったまま、更なる質問を浴びせられた。

「お前が筧兵悟や由良信介と連絡を取り合っていたことは判っている。お前は一体、何を知

っている? 奴らはどれだけ喋った?」

 答えろ。有無を言わせぬ静かな迫力に、七波は早々に心が折れてしまっていた。

 これは──罰なのだと。部内で優が苛められていることを知りながら、結局何一つ手を差

し伸べることが出来なかった自分への、巡り回ってきた報いなのだと。

「……ごめんなさい。私、少しでも優君の無念を晴らしたくて……」

 故に七波は、全てを白状することにした。苛めを見て見ぬふりをしてきたことも、その後

校内で緘口令が敷かれ、それでも自分に出来ることはないかと、悩んだ末玄武台ブダイに来ていた

筧達に内部告発リークをしたこと。

「二人と連絡を取り合うようになったのは、その頃からです。事件がテレビで取り上げられ

なくなっていった後も、筧さんと由良さんだけはずっと先輩の行方を追ってたんです。何か

背後に、得体の知れないものがあるとかないとかで……」

「……」

 七波は必死に喋る。だが一方でこうして口を割っても、内心では自分の汚さを再認識する

だけだった。要するに自分は、優の為と言って何か行動を起こしたことで、勝手に救われた

気になっていたからだ。当の本人はもっと前に誰も助けてはくれないのだと──きっと自分

達を恨んで、絶望して、自ら命を絶ってしまったのに。

「ごめんなさい。許して貰えるとは、思わないけれど……」

 ずっと騙し騙し向き合うことから逃げてきた、自分の中の罪悪感が、時間差と途方もなく

膨れ上がった重量と共に襲い掛かってくる。

「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん

なさい、ごめんなさい……!!」

 七波はもうただ泣きじゃくっていた。抵抗するような気概もすっかり折れてしまい、只管

謝り続ける。自分達が見殺しにした同級生の兄を前に、延々と謝り続ける。

「……今更言っても、あいつは帰ってなんか来ない」

 しかしようやく、たっぷりと間を空けて絞り出したような勇の声に、七波はハッと反射的

に我に返った。目の前で、当事者の兄がギリッと歯を噛み締め、フードの下に静かな怒りを

隠して揺らめいている。

(どうやら“蝕卓ファミリー”のことまでは……知らないらしいな)

 そして内心、そう辛うじて引き剥がされずに押し留めた理性・思考の片隅で一応の判断を

つけながら、勇は懐からゆっくりと黒いリアナイザを取り出した。「え……?」身長差的に

ちょうど真ん前に見えたそれを見て、七波がついてゆかない思考に硬直している。壁に打ち

付けていた左手を戻し、掌で銃底のボタンパーツをツーノック。近接格闘用に切り替える。

『DUSTER MODE』

 黒いリアナイザ、その銃口から迫り出した鋭い棘を見て、七波はようやく彼が何をしよう

としているのか理解したようだ。瞬く間に顔は青褪めて、震えが止まらない。もう逃げ場の

ない背後の壁にザリザリ、ザリザリッと必死にもがいて身体を擦り付けながら、今度はもっ

と物理的な恐怖で泣きじゃくり始める。

「……知らなきゃ、良かったのにな」

 直前、勇は自分でも不思議に思うほど、そうポツリと最後に彼女に呟いて。

 ひぃっ!? 上擦る七波の声。そんな彼女に向け、彼は拳鍔型に替えたその不気味に黒光

りする質量かたまりを大きく振り被り──。

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