4-(5) たとえ哂われても
「──むー君が、感情に……乏しい?」
宙が発したその一言に、一瞬海沙は呼吸が止まったかのような錯覚に襲われた。
弁当箱を持つ手が独りでに震える。だが相対する親友の眼は珍しく真面目だった。
「で、でも、むー君はいつもニコニコしているじゃない」
「だからだよ。あたし達ってさ……あいつが“笑っている所しか”見た事なくない?」
続けさまに問い掛ける。指摘だった。
その言葉に、海沙はようやくハッと彼女に言わんとする事に気付いて、絶句する。
「ナックル!」
『WEAPON CHANGE』
故に二人は知る由もなかった。
彼が密かに電脳の怪人達と戦う、正義のヒーローになろうとしている事を。
球状の力場でもって鉤爪を、鎖を弾き返し、今まさにその戦いの最中にあるという事を。
「……あいつはさ、押し隠している気がする。自分のホントの感情って奴を」
まだ残る弁当に一度ちらりと視線を移し、宙は気持ち俯き加減になった。
フッと。だけども笑おうとする。声色は沈み込んでいるが、口元にいつもの陽気を縫いつ
けようとしている。
「これは推測だけどね。睦月はおばさんとずっと母一人子一人で頑張ってきたんだ。だから
いつの間にか“笑顔”でいる事が当たり前になっちゃったのかもね。周りに迷惑を掛けたく
ない、てさ?」
「……」
そんな。自ら念じた訳でもないのに、苦しくて哀しくて、海沙はじわりと涙が溢れそうに
なっていた。
迷惑? そんな事なんてない。
私達はいつも一緒だったじゃない。今も昔も一緒に遊んで、笑って、ソラちゃんも含めて
家族同然に暮らしてきたじゃない。
哀しかった。悔しかった。困った事があればお父さんとお母さんにも頼んでできる限りの
力を貸してきたつもりだ。ソラちゃんだってそう。とりわけおじさんは愛弟子が出来たみた
いにすごく嬉しそうに料理を教えていたじゃない。
足りなかったのかな? 私達がどれだけ大切に想っていても、当のむー君は後から来た子
だからって、ずっと心の中で遠慮していたのかな……?
「まぁ、言ってあたしももしかしてって気付いたのは割と最近なんだけど。一応これでも申
し訳ないなぁって思ってるんだよ? 海沙共々ご飯作って貰ってばかりだしねえ。ただ一緒
に遊ぶだけじゃなくて、もっときちんと形のあるようなお返しができればなあってさ?」
「……」
だけども同時に解ってもいる。今噴き出した感情は、自分本位だって。
海沙は語る親友を見つめながらきゅっと唇を結んでいた。
ショックだった。そして今自分はジェラシーを感じている。
むー君の事をよく見ていたのは、ソラちゃんの方だったんだ。自分はもう毎日の動きに馴
染むくらい彼と一緒の時間を過ごしているけれど、その内に抱えている苦しみなんて全然解
ってあげられていなかった。
「あいつは──壊れてる」
中庭にスゥッと風が吹く。より逸らし気味になった視線のまま、宙は言った。
言わんとする事は解ってきたような気がする。
つまり彼女曰く、押し込めて繕い続けた彼の微笑みが、他ならぬ彼自身を縛り続けてきた
のではないかということ。
「でもあたしはあいつを助けたい。思うがままに生かしてやりたい。どうせ笑うんなら、心
の底から笑っていて欲しい。海沙も……そう思うでしょ?」
「……うん。勿論」
同じく唇を結んだ後、宙がすくっと視線をこちらに向け直した。その言葉に、海沙の返事
には澱みが無い。
「憶えてる? 昔あたし達、裏山で遊んでた時に野犬に襲われたじゃん? でもあの時、睦
月は自分の身を顧みずに野犬とやり合ったでしょ?」
「……。そんな事もあったね。やり過ぎというか、血塗れになってたけど……」
「そだね。でも多分、あれがあいつの本質なのかなぁって。自分にとって大切な──母一人
子一人の自分を埋めてくれる“家族”を守る為なら、あいつは無茶苦茶な力を出せるんじゃ
ないかって気がする」
「家族……」
ぽつり。海沙はそっとそのフレーズを反復していた。
そうなのかもしれない。あの時のように、彼は誰かを──大切なものを守りたいと思う気
持ちに関しては、それこそ尋常ではないのかもしれない。
ふふ。そんな親友の表情を見て宙は笑っていた。よじよじと広げていた芝生とランチマッ
トの上で、彼女に近寄ると、不意にいつものお気楽な調子で言う。
「まぁあたしが言っても、結局不安なのは変わらないんだろうけどさ? あんたは大切にさ
れてるよ。間違いなく。そもそもどうでも良かったら、律儀に風邪ひいたからってメールな
んて寄越さないっしょ? それだけ、あいつの中で大きな存在って事じゃん?」
「……。~~ッ?!」
ボフン。言われて海沙は時間差を置き一気に顔が赤くなった。
にやにや。宙がそんな親友の反応を楽しむように呵々と笑い、ずいと肩を抱き寄せて慰め
てくれる。
「そ、そう……なのかな?」
「そうだよ~。もっと自信を持て~、清楚系美少女~?」
だから気付かない。
大切にされてるよ──。
その言葉へ掛かる相手に、当の宙自身が含まれていない事に。
「うぉぉぉぉッ!!」
「ぬんッ!」
激しく打ち合う。
ハウンドと睦月は、日の当たらない路地裏で互いの拳をぶつけ合っていた。
大きく鋭い右手の鉤爪。球形のエネルギーに包まれたリアナイザ。
バリバリッ! もう何度目かも分からない互いの一撃が、ぶつかり合って碧く激しい火花
を撒き散らす。
『Aを守る為にBと戦うという事は、Bと敵対するだけでなく、Bにとって大切なCを損わ
せる事でもあります。その事実に対して臆さないこと。戦いに身を投じる以上、そこで彼ら
の存在に躊躇えば結果的にAすら失う事になる』
『少なくともアウター達は、自分の欲求に忠実でしょうね』
國子曰く“強さ”とはそのような覚悟だという。それでも最初は戸惑いがあった。
だが、ハウンド達に裏路地の住人達が殺され、木場までもが葬られた今、睦月の中ではあ
る感情が現れ──優勢になっていた。
このアウターを逃せば、倒し損ねれば、また人が死ぬかもしれない。
穏健な戸惑いなど打ち克ってしまうほどの……恐怖であった。切迫した恐れだった。
頭の中でイメージが繰り返される。
母や海沙、宙、おじさん・おばさん達、皆人や陰山さん、自分の周りにいてくれる人達が
突然ひび割れて崩れ去っていく。
(……嫌だ)
確かに始めはなりゆきでこの役目を引き受けた。自分にしか出来ない事だと頼まれて。
でも……そもそも自分は何の為に戦っている?
正義の味方に憧れて? 自分の中の“空っぽ”を埋められるかもしれないと打算したので
はないのか?
アウターが人々を惨殺した時。木場が殺されたと知った時、怖かった。
自分に沸いたのはそんな正義感……だけじゃない。恐怖だったのだ。
もしあの力が彼女達に向けられたら? そして失う事で今よりももっと自分の“空っぽ”
が暗く深くなると想像したら?
(……嫌だ!)
酷く怖かった。
哂われてもいい。子供じみた理由だと哂われてもいい。
守れないで、身近な人達すら守れないで、何が正義の味方だ──。
「おォォォォォッ!!」
「ぐぅっ?!」
そして殴り続けた幾度目かのナックルが、遂にハウンドの鉤爪をひしゃげ壊した。
一撃の重さに思わず弾き飛ばされ、驚きに顔を引き攣らせる。
見ればその右手の鉤爪は刃の根本からごっそりと折れ、ジュウジュウと熱を帯びたように
湯気を上げていた。
「……馬鹿な」
これと睦月を、二度見する。
もうこれで最大の武器は使えなくなった。
『ふふん。当然です。レッドカテゴリは肉体強化に特化した子達ですからね』
リアナイザのホログラム越しにパンドラがえへんと胸を張っていた。
レッド、カテゴリ……? 確かに昨日とは違い、今回の奴は赤い装甲を纏っている。
「もう逃がさないぞ。覚悟しろ!」
「……。っ!」
だがナックルを握ったままにじり寄る睦月に、ハウンドはあくまで抵抗の意思を示した。
逃げたのである。ちらと周囲の壁を確認するように見遣り、距離を掴むと、一瞬の隙を突
いて跳び上がって繰り返しの壁蹴り。あっという間に雑多なビル群の頭上へと消えていって
しまう。
『ああ、もう! また逃げるしっ!』
「逃がさないって……言ったろ」
『ARMS』
『SPRINT THE CHEETAH』
パンドラがぬぬと腕を振り上げて憤っている。
だが睦月は寧ろ落ち着いていた。即座にホログラム画面から走力の武装を選択し、銃口か
ら吐き出された赤い光球が再びあの時のように彼の両脚に装着される。
一度目の交戦の時と同じく、ハウンドは一時撤退を選んでいた。
壁蹴りと飛び上がった高度と勢いのまま、ビルからビルへと次々に飛び移っていく。
『──?』
だがそんな電脳の怪物を、睦月は追う。
横縞の排気口から噴き出す蒸気。されど駆け抜け横切っていったことに通りの歩行者や運
転手が気付かないほど、やはりそのスピードは尋常ではなく速い。
(あの妙な走りか。だが……)
それをちらと肩越しに見遣り、ハウンドはほくそ笑んだ。
もうそいつの弱点は知っている。速過ぎて、急なカーブでは曲がれない……。
(何っ?!)
しかしその目論見はすぐさま破られたのである。またあの時と同じように撒いてやろうと
考え、大きく左に方向転換した直後、ハウンドはそれでも加速したまま追いついてくる睦月
の姿を捉えていたのだった。
『コーナリング……オッケー!』
事前に虎のコンシェルを装着していたのはこの為であった。睦月は折り畳み式のこの両手
の鉤爪をアンカーとして利用し、方向転換が効き難いこの脚部武装の弱点を補っていたのだ。
「佐原睦月から司令室へ。ハウンドの移動ルートを教えてください」
『了解。そのまま真っ直ぐ、突き当たりのビルを迂回してください。こちらから観るに、何
とか睦月さんを引き離そうとしているようです』
なるほど。インカム越しに司令室の職員に教えられ、しかし睦月はこの突き当たりのビル
を迂回する事なく真っ直ぐに進んでいた。
え? 睦月さん……? 職員が戸惑ったような声をする。だが睦月はそのまま速度を落と
さずに疾走し、ダンッ踏み込み、何とそのままビルの壁を駆け上がり始めたのだ。
「ぬおおおおおおーッ!!」
職員達が、昏倒した不良達を逃がしていた皆人達が、そして当のハウンドが驚愕で目を見
開いてこの姿を映していた。中空。ハウンドのすぐ側面へと、彼は大きく跳び上がっていた
のだから。
「ぎゃはッ?!」
そして高熱を孕んだ睦月の蹴りが、ハウンドの横っ面を捉えた。空中ではかわす事もまま
ならず、ハウンドはそのままきりもみしながら落ちていく。
「……っ、畜生……!」
落ちた先はまた別の路地裏だった。
ビルとビルの間に挟まれた日の当たらない場所。そこに積まれていた雑多なゴミの山から
勢いよく這い出し、されど睨む眼以外はふらつく身体で、ハウンドは直後同じく着地してき
た睦月と向き合おうとする。
「……」
腰の金属ホルダーから再びリアナイザを抜き取り、そっと睦月が追撃を行おうとする。
それにハウンドはあくまで抵抗した。鉤爪がもう使い物にならないため、距離も取れてい
る状況も踏まえて左手の鎖分銅を投げつけてくる。
だが睦月はその一撃を冷静に見極め、軽く横に飛びながらかわした。
温い。國子との模擬戦に比べれば、奴の攻撃には前兆がちゃんとある。
『ARMS』
『EDGE THE LIZARD』
そして自分のすぐ前を飛んでいく鎖分銅を見ながら、睦月は武装を呼び出した。リアナイ
ザの銃口から飛び出た紫の光球がすぐさまデジタル状のモザイクに変わり、その手に一本の
曲刀を握らせる。
「……せいっ!」
それを、睦月は逆手にすると勢いよく分銅の鎖部分へと突き刺した。
ぬっ!? ハウンドが慌てる。ちょうどコンクリの地面に、この曲刀で鎖が打ち付けられ
た格好になるのだ。引っ張るが、深く刺さったそれは一向に外れない。
「……。チャージ」
『PUT ON THE HOLDER』
睦月はスッと向き直り、そう頬傍でリアナイザに命じた。
腰のホルダーに戻し、パワードスーツの胸の核からエネルギーの奔流が走る。そのまま
ベルト部分を経由してリアナイザにそれらは伝わり、キィン……! と充填完了の時が来る。
正拳突きのように抜き放ち、同時に銃口から大きなエネルギー球が真っ直ぐハウンドの下
へと飛んでいった。
逃げようとするハウンド。だが鎖を通して繋ぎ止められた間合いを変える事は出来ず、直
後彼の目の前には球体からまるで的のように広く円形に広がった“網”が迫っていた。
「っ、せいやーッ!!」
そしてこれと同時に、睦月も地面を蹴った。軸足を一旦円を描くように後ろに回してから
一気に助走をつけ、パワードスーツに残留するエネルギーを纏いながら大きく跳び蹴りを的
の中心に向かって放つ。
「ギャバッ──?!」
強烈な一発だった。蹴り脚一点に注ぎ込まれた破壊力はハウンドを、彼を繋ぎ止めていた
鎖すらもその勢いのままに千切り捨て、この電脳の怪人の身体を中空でびび割れからの木っ
端微塵にしてしまう。
断末魔の叫びが響き渡った。
だがそれは結局ほんの十数秒の事。四散した越境種の身体はそのまま跡形もなく消え去り、
場には再び街に置き去りにされたかのような静寂が戻る。
「……。リセット」
着地し、数十拍肩で息をしていた睦月は、そう頬傍で変身を解除した。
「──」
デジタル記号の群れから解放され、元の人間に戻った睦月。
そして彼は独り、暫くその場で立ちぼうけになって……。




