37-(5) 父、或いは刑事(デカ)
冴島にその名を呼ばれた瞬間、この女性──郁代は一層眉間に皺を寄せた。最初は辛うじ
て余所行きだった言葉遣いが、地のそれに変わる。
「……何なんだい、あんた達? 取材ならもうお断りだよ」
予想はしていたが、やはり塩対応だった。
他でもない。彼女こそが筧の元妻・郁代その人だった。司令室の職員達による情報収集の
中、縁者の一人である彼女に手掛かりを求め、訪ねてみたのだが……反応は案の定。その
うんざりした様子からして、どうやら彼女の下にも、既にマスコミの取材攻勢が及んでいるら
しい。
「あ、いえ。僕達は記者ではありません」
「その。僕達、以前筧刑事にお世話になって……。でも今回、あんな事になったから……」
そこで二人は、事前の打ち合わせ通り、先ずは警戒を解くことに専念してみる。マスコミ
関係者ではなく、あくまで筧個人の知り合いだと名乗って協力を仰ぐことにしたのだ。
少なくとも嘘は言っていない。実際睦月個人は、H&D社潜入作戦の際、彼に命を救われ
ている。睦月は口篭りながらも必死になって、何とか彼女から話を聞けないかと試みた。
「……ふーん? あの人がねえ。まぁ無駄に人脈はあったから。職業柄、当たり前っちゃ当
たり前かもしれないけど」
すると功を奏したのか、相変わらず愛想は悪いが、郁代は若干警戒の度を緩めてくれたよ
うだった。面倒臭そうに嘆息をつきながら、それでもちょいちょいと軽く手招きをし、二人
を扉の内側に促してくる。
玄関先で話し込んでは隣人らに見られる──迷惑になると考えたのだろう。
睦月と冴島は後ろ手に扉を閉めつつ、手狭な三和土に突っ立つ格好となった。コンクリ敷
きからフローリングの、平凡な内装のアパートだ。昼間なのにカーテンが引かれて薄暗くな
っているのは、連日の取材攻勢をシャットアウトしたかったからか。
「用があるなら手短にね。あと一時間くらいしたら、パートに出ないといけないから」
どうやら夜勤だかららしい。部屋着のまま廊下に上がり、彼女はついっと肩越しに二人に
言った。冴島がコクリと頷き、睦月がハッと緊張した顔になって、早速本題に入る。
「えっと。筧刑事が今どこにいるかは……?」
「さあねえ。あの人とはもう随分と前に別れたから。連絡なんて取ってないし、知ってたら
とっくに向こうさんに話してるよ。記者達にわんさか来られるのは迷惑だからねえ」
「……では、彼の現状は全く分からないんですね?」
「ああ。まさか同僚殺しの容疑者にされるなんて思いもしなかったけど……。あの人は、夫
や父親として落第点だったけど、仕事人としては優秀だったからねえ。今時珍しいくらいに
一徹な人だったよ」
いわゆる刑事の誇りって奴?
相変わらずどうにもダウナーで、筧当人を信用していると言うには怪しい口振りだった。
しかし元妻として、色々と思う所はあったのか、そうして睦月達には存外多くのことを喋
ってくれた。
曰く、家庭を顧みないほどの仕事の虫──正義感の塊であったが故に、結婚生活はそう長
くは続かなかったこと。自身は当時まだ幼かった娘を引き取って、今日までこうして細々と
暮らしてきたこと。
「ま、その誇りとか拘りが結果として私達家族を破綻させたんだから、そんな良いものだと
は思わないんだけどねえ。私も……とんだハズレくじを引いたもんさ」
故に、筧の行方は全く知らなかった。相変わらず刑事を続けていることは風の噂で聞き及
んでいたが、今回の中央署の会見はまさに寝耳に水だったという。睦月や冴島が、彼の冤罪
を晴らしたい──無罪を証明したいと協力を頼んでも、彼女は終始無関心を貫いた。どうで
もいいと。もう別れたのだから。確かに、こちらに飛び火してくるのは厭だけど……。
「さっきも言ったけど、昔気質の人だからねえ……。今の人達とは合わないと思うよ? 仮
にそれでトラブルになってたとしても、おかしくはないんじゃないかい?」
加えて、由良を殺害したのではないかという容疑自体にも、そんな返答を。
だがそんな彼女は一旦大きく息を吸うと、アンニュイに目を細めた。一抹の悔しさに唇を
結ぶ睦月を視界の端に、ぽつりと呟く。
「でも、あれだけ刑事に誇りを持ってた人が、自ら殺しに手を染めるなんて思えないんだけ
どねえ……」
もうこれ以上情報は引き出せなさそうだった。食らい付かれ、徐々に警戒心と面倒臭さが
燻ってきた郁代を見て、睦月と冴島は話を打ち切ることにした。玄関先で一礼をし、今日の
所は一旦帰ることにする。
「……うーん。どうしたものかなあ? 多少、筧刑事の人となりは判ったけど……」
『奥さん、知らぬ存ぜずって感じでしたもんね。昔の男のことだから関わりたくないっての
もあるでしょうけど。もしかしたら、あれで実は何か隠してたりするかもですが』
「どうかなあ。僕には嘘をついてるようには見えなかったけど……」
来た道を戻って再び郊外の住宅街へ。昼下がりでも人気のないその一角を進みながら、睦
月は芳しくなかった成果に思わず唸っていた。デバイスの中のパンドラも、彼女のダウナー
が伝染ったのか、画面の中でそう気だるげにふよふよと浮かんでいる。
「やっぱり、元奥さんっていう人選がマズかったのかなあ」
「……そうかな? 僕は結構、色々話してくれたと思うけど」
にも拘らず、一方で冴島はあまり落胆している様子はなかった。えっ? 寧ろフッとその
微笑みを維持しつつ、次の関係者を探そうかとしていた睦月を優しく見守っている。
「そりゃあ、まあ。でも事件についてはからっきしでしたよ?」
「そうだね。だけど、一度家族になった人間同士の絆ってものは……そう簡単にゼロになる
とは、僕には思えないんだよね」
「……」
微笑う。そんな彼の横顔を、睦月は複雑な気持ちで見上げていた。何だか胸の奥がモヤモ
ヤするというか、同じ面会をしてもこうも捉え方が、深みが違うというか……。
『かもしれないな。態度はあんなだったが、証言自体は筧刑事を完全に疑うというものでは
なかったろう? 少なくとも例の公表を疑っている人間が──縁者がいると分かったのは、
一先ず進展と考えていいだろう。場合によってはそこが、彼の冤罪を、蝕卓が入り込んでい
る当局を崩すポイントになるかもしれん』
加えて、この聞き取りからの一部始終を視ていた、司令室の皆人がそう通信越しに援護射
撃をしてきたものだから、睦月は益々気持ちが萎んだ。「皆人まで……」何だか自分だけが
あの二人を、元夫婦──家族というものを視れていないような気がして、意識はどんどんと
彼女ではなく、自身の過去へと向かっていくように感じる……。
「──よう。兄ちゃんたち」
ちょうど、そんな時だったのである。
ふと睦月と冴島の進む先を、一人の男が塞ぐようにして現れた。
ニヤニヤと他人を小馬鹿にしたような胡散臭い笑み。着崩したスーツと帽子、サングラス
姿。元詐欺師の私立探偵・杉浦だ。
誰だ……? 睦月が少し距離を置いて相対するまま、ぼうっとこれを見ている。
だがその一方で、冴島は彼の姿に、パンドラは自身の感知機能が報せるままに、ハッと警
戒の色を露わにしたのだった。
「マスター、気を付けてください! あの男……アウターです!」
「えっ?」
「ああ……間違いない。僕も以前に戦った。この前の第五研究所で、僕達や筧刑事を捕まえ
た、連中の一人だ」




