37-(4) 埋もれる声
中央署幹部達による会見を受けて、案の定巷はある種の集団ヒステリーに陥っていた。
ある者は当局の不始末をここぞと言わんばかりに叩いては義憤り、またある者は未だ見ぬ
同僚殺し・筧の影に怯えていた。
「──由良さん、由良さん!」
「何か一言……一言お願いします!」
或いは記者達が、連日とある民家へと押し掛けて。
そこは飛鳥崎の一角に在る、由良の実家だった。今回の被害者家族とみなされ、且つ未だ
容疑者たる筧も見つかっていないということもあり、警護の為に当局の警察官らが交替で番
をしていたのだが……記者達はしつこく取材と称し、殺到してくる。
「……」
両手に袋を提げている所を見るに、買物に行って来たのだろう。外出からこの家に戻って
来た壮年の女性は、連日の取材攻勢も影響してか、大分疲れているようだった。
由良の母親である。出先から戻って来て、警護の警察官らがサッと自らを守るように近寄
ってくる中で、彼女はふいっとその草臥れた眼をこちらに遣ってきた。ここぞとばかりに、
記者達がカメラを向けている。
「由良さん。由良刑事──最近の息子さんに、何かおかしな点はありませんでしたか?」
「筧刑事とのトラブルではとのことですが、心当たりなどは?」
門の前で立ち止まったのを好都合に、わらわらと記者達が殺到してくる。警察官らがこれ
を制そうとするが、彼女は嘆息をつきながらも応じる構えだった。あまりにしつこいものだ
から、いい加減に折れたのか。或いは何か話しておけば、帰ってくれるとでも思ったのか。
「いえ……。あの子も立派な大人ですし、私達とも普段それほど連絡を取り合っていた訳で
もありませんでしたから……。ただこんな事になって、無事に帰って来てくれさえすれば充
分です。もし危険な事件に当たっているのなら、無茶だけはしないで、と……」
時折パシャパシャとカメラのフラッシュが焚かれ、ふむふむと記者達が少々大仰なくらい
に相槌を打ちつつ、メモを取っている。
尤も、そんな彼女の心中を真っ直ぐに受け止めている者はどれだけいたか。傍からこの一
部始終を観ている限り、あくまで記者達は、如何に彼女から“新しい発言”を引き出すかに
ばかり執心しているように思えた。
「今回の事件には、筧刑事が関与していると言われていますが?」
「……分かりません。私達も、全部会見で知ったので」
なのでより直接、踏み込んだ質問をぶつけられた時、彼女はやはり困惑の度を深めている
様子だった。ハの字に眉を伏せ、気弱に口篭る。この記者達をどう排除しようか周りでタイ
ミングを窺っている警護の警察官らを──当局側を、彼女は次の瞬間、さも不満げに睨むよ
うにして一瞥すると呟いた。
「それに筧さんを、息子はとても尊敬していましたし……」
ようやく退院を果たして、自宅に戻って来ていた七波は、リビングのテレビが映し出して
いたその記者会見を観て思わず硬直していた。
ぱさっと、読もうとしていた雑誌が手元から落ちる。画面の向こうのワイドショーでは、
繰り返し繰り返しこの会見の映像が再生され、右上のテロップにも『同僚刑事殺害』の見出
しが大きく表示されている。
(……筧さんが、由良さんを?)
七波は文字通りに、ショックだった。
だが彼女自身の受け止め方は、報道されているような内容を鵜呑みにするそれではない。
ただ先ずもって由良が殺されたかもしれないということ、加えてその容疑者として筧が疑わ
れていることへのショックと言うべきだった。
(そんな……。由良さんが……)
思えば確かに、ここ暫く彼の姿は見ていなかった。その時はただ何となく忙しいんだろう
と、刑事さんなんだから無理もないだろうと勝手に思い込んで納得していた。筧さんも担当
している事件が難しい所に来ていると言っていたし、その言葉に疑いなんて抱きすらしてい
なかったのだから。
なのに……気付けばテレビでは、さもその当人が犯人のように扱われている。
筧さんが、由良さんを殺した? 七波にはにわかには信じられなかった。強い違和感を覚
えていた。確かに大分歳の差はあったけれど、そんなことは……。
だからこそ、七波は今になって疑心が膨らみ出す。もしかして自分は、あの二人のことを
ほんの一部しか知らなかったのではないか? 実際筧の方は、いわゆる「昔気質」な刑事と
表現してしまっていい。何かしらトラブルは……あったのかもしれない。
「? 由香?」
ぐるぐると、頭の中で幾つもの記憶の断片が攪拌される。
そんな娘の様子に、台所にいた母親がついっと覗き込んで来ていた。しかし当の七波はそ
の時、以前筧と交わしたあるやり取りを脳裏に蘇らせていた。
『それって……。やっぱり、瀬古先輩の件ですか?』
『……ああ。ちょっと、ヤマが難しい所でな……』
まさか、こんな事になるなんて。
もしかして二人が巻き込まれたのは、玄武台の真相を追っていたから? 瀬古先輩のこと
を調べていたから?
むくむくと、罪悪感が大きく重く増していく心地がした。
それって、私のせい……? 硬直していた身体が、ガクガクと寒気を催したように震え始
めていた。母親がいよいよおかしいと台所から慌てて飛んで来て、呼び掛ける。
「由香! 由香、どうしたの!?」
「……止めなきゃ。こんなの、止めなきゃ」
だが次の瞬間、七波は衝き動かされたように走り出していた。テレビから流れ続けている
報道。その最初の会見で、世の中の人達はすっかり筧イコール同僚殺しという印象を植え付
けられてしまっているだろう。
このままでは、彼が殺人犯になってしまう。二人が、無実の罪を被せられてしまう。
「ちょっ……。ゆ、由香? 何処行くの!?」
居ても立っても居られなかった。
突然のことに戸惑う母の制止も聞かずに、七波は一人自宅を飛び出してゆく。
「──皆人から聞いた話じゃあ、この辺りの筈なんだけど……」
ちょうどその頃、睦月と冴島は、二人して飛鳥崎郊外のとある住宅地の中を歩いていた。
デバイスにメモした住所を見ながら、睦月がきょろきょろと辺りを見渡している。画面の
中で、このウィンドウの裏からこちらを覗いているパンドラも、何処かそわそわと落ち着か
ない様子だ。
「司令室で調べてくれた情報だ。間違いはない筈だよ?」
一方で冴島は、いつものスーツ姿を着こなしてゆったりとその横を歩いていた。華やかさ
といった機能美は殆ど見当たらない。代わりに黙々と林立するのは、中小似たり寄ったりの
戸建ての借家やアパートだ。
「あ、ここですね。ここの二〇三号室……」
そして二人(と一体)は、その一角にある二階建ての古いアパートを訪れていた。相応の
歳月が経って久しいのか、錆の目立つ金属の階段を登り、目的の一室の呼び鈴を鳴らす。
「はーい。どちら様~?」
出て来たのは、一人の中年女性。着古した薄手の服を纏い、その表情も何処かやつれた感
じがする。突然訪ねてきた睦月と冴島に、当然ながら彼女は玄関扉を半分開けたまま、警戒
の眼差しを向けてきた。
そんな剣呑さを和らげんとするように、フッと冴島が柔らかな微笑を浮かべながら言う。
「突然すみません。松下郁代さん、ですよね?」
「いえ──筧郁代さん」




