37-(1) 束の間の暇
旧第五研究所での戦いから数日後。睦月達は再び三条邸で、夏休みの宿題を早々に片付け
る為の勉強会を開いていた。
『……ヴぁ~』
冷房の効いた、高級感漂う客間の一つ。
季節は夏の最中で、強い外の日差しが嘘のように室内は快適に保たれてはいたが、そんな
環境においても仁や宙──とかく勉強というものが苦手な面子は、早々にグロッキーになっ
ていた。問題集を開いてシャープペンを握ってはいるものの、既にその表情は集中力の限界
を迎えて、揃って馬鹿みたいに蕩けている。
(あはは……)
そんな二人の友を、睦月は横目に苦笑いをしながら見遣っていた。今日は満波の代わりに
冴島が加わり、香月と共に睦月と、理数系に苦戦する海沙を付きっ切りで教えている。
暫くそうしてカリカリと、それぞれがペンを走らせる音と空調の静かな駆動音ばかりが辺
りを包んでいたが、遂に宙がびたんと机に突っ伏した。火照ったほっぺたを程よく冷えた机
の木材に押し付けて、半眼になりながら弱音を上げる。
「あ~……、駄目だあ~。頭回んない~……。ねぇ皆っち、休憩しようよ~」
「まだ一時間も経っていないぞ? そう言ってもう何回休んだ?」
「回数の問題じゃねえよ。お前は地頭がいいから苦にはならねぇんだろうが……俺達みたい
な人間は、こうして机に向かってること自体が性に合わないんだって」
宙ほどではないが、そう仁も援護射撃よろしく嘆息を向ける。
ふむ? 言うほど嫌味で言っているのではないとも分かっているからか、皆人は少し二人
を見遣りながら小さく眉間に皺を寄せた。黙々と頁を解き進めていた國子や、香月や冴島に
助けて貰っていた海沙・睦月も、同じくこの一旦向けられた会話の雰囲気に意識を遣る。
「……それは知っている。だが、先日のような一件もある。こういう学業の──細々とした
雑事は早々に片付けておかないと、後でどんどん面倒になるぞ? ただでさえヘッジホック
とトーテムの所為で、当初の予定は大幅に遅れているんだ」
「ぬう。それは、そうだけどよお……」
「……三条君。結局あれから筧刑事の行方って、判らないままなの?」
だからこそ、と言うべきか。皆人はあくまで淡々といつもの仏頂面で応えていた。
するとそこへ海沙が、耳に聞きながら「ぐへぇ」と突っ伏したままの宙をフォローするか
のように、違った話題を問い返す。
他でもないそれは、一同があの一件以来気になっていた話でもあった。“合成”を受けて
強化されたトーテムを何とか倒し、冴島ら隊士達は救出できたものの、睦月達が駆け付けた
時にはもう、筧の姿はなかったからだ。
「ああ。司令室も各方面から情報を収集して、行方を追っているんだが……」
「此処だっていう明確な場所は、掴めていない訳ね……」
本を正せば──由良との接触と情報流出という“前科”がある海沙と宙は、内心特にその
ことを気に病んでいるらしかった。
むくりと突っ伏していた顔を挙げて、宙が改めて真っ直ぐに皆人を見る。一方で宿題攻略
などという、気の進まない課題から話が逸れたのを好都合と考えたのかもしれないが……実
際に筧刑事の身の安全に関わる話だ。雑に扱うべくもない。
「つーか、この前第五研究所を突き止めたみたく、赤いクルーエルの力を使って何とかでき
ねえモンなのか?」
「激情の紅か。あれはトーテムを追うのに使ったからな……。向こうもこちらにそんな術が
あると判った以上、二度も同じ手は食わないだろう。そもそも筧刑事に対して使っていない
んだ。辿りようがない」
むう……。試しにと問うてみた仁が呟き、ガシガシと一人後ろ髪を掻いていた。
こんな事になるのなら、確かに彼にも一発入れておけばよかったか──勿論それは結果論
でしかないのだろうが、かと言って生身の人間にクルーエルの一撃を打つというのもきっと
発想としては難しかった筈だと睦月は思う。
「……ねえ、皆人」
「うん?」
「その、あの時、僕達がトーテムと戦っていた時の話なんだけど……」
だから、睦月は少し躊躇いながらも、今度は自分が問うた。
あの旧第五研究所の地下室で、新たな力と姿になり、自分達への“敵討ち”に燃えていた
トーテムに向かって、皆人が朗々淡々と述べた説。
あれがあの場において、時間稼ぎの為にひけらかしたものだとは解っている。
だが睦月は、一度きちんと確認しておかなくては気が済まなかった。アウター達自身が、
何者か──“蝕卓”もといシンと呼ばれているその男の願いの為に利用されている。創り出
された“駒”でしかないのではないか? そんな仮説の真偽に。
「……ああ、あの話か。確かに半分は時間稼ぎだが、もう半分は俺の推測だ。嘘じゃない」
暫しじっとこちらを見つめて、皆人は言った。当時あの場に居なかった仁や宙、海沙らは
頭に疑問符を浮かべるが、彼が改めて順番に掻い摘みながら説明したお陰で、すぐに事情は
飲み込んでくれたようだ。そこに思う所は似通ったのか、三人の表情も睦月と同じく何処か
複雑というか、哀しげなそれになる。
「……少なくとも、あれだけの組織を作って暗躍しているのに、ただ混沌を撒き散らして楽
しむだけというのは不自然だろう? アウター達の持つ性質も考えれば、彼らを梃子にもっ
と別の何かを企んでいると考えた方が説明がつくし、合理的だ」
自身の思考を整理するように、皆人は改めて言う。
だが正直な所、睦月自身はその“真実”とやらの如何は二の次だった。それよりも先ず、
まだ相見えたことのない彼らの親玉の野望の為に、彼らが只々“駒”として使われていると
いう運命を思っていた。哀しかった。
「ともかく、冴島隊長達を救出できただけでも、先ずは御の字だろう。コンシェルやリアナ
イザは奪われてしまったが、データの復旧は一両日中にも終わる」
元々改造リアナイザは、向こうの産物だしな──。
そして皆人も、睦月ら仲間達が感傷的になっているさまは理解しているのか、そう敢えて
淡々と諭すように言う。
「筧刑事については……仮に余所に移された時点では生きていても、その後に殺された可能
性は充分にある。こちらの捜索が間に合うに越したことはないし、敵にやらせてしまうのは
癪だが、結果的に“口封じ”になるのならそれはそれで仕方ないと俺は考えている」
『っ──!?』
「そ、そんな……!」
だから、皆人の口にするある種の切り捨て発言に、睦月は思わず喉の奥から反発の声を漏
らしかけた。由良の件で後ろめたさがある海沙や宙も、唇を結びこそすれど、やはり納得は
できないという風に見える。
「そんな言い方、しなくても……」
「ああ。佐原の言う通りだぜ。そりゃああの二人は対策チームのメンバーでもねぇし、一度
はこっちの誘いも蹴ったって聞いてるけどさあ……」
対策チームの、いち組織を任されている者の判断としては、限りなく“合理的”なのかも
しれない。実際こちらの存在を嗅ぎ回った末に知りながら、且つ協力的ではない──いつ外
部に情報を漏らすとも知れない筧は、皆人からすれば厄介な存在なのだろう。
だからと言って、流石にその死を間接的に許容するなんてことは……。
「……しかし分からない。何故奴らは、彼を生かし続けた? 中々吐かないからか? それ
ともまだ、他にも目論見が……?」
ぶつぶつ。されど睦月達の“情”に敢えて聞く耳を持たず、皆人が一人目を細めて思案顔
に呟き始めていた、その時だった。
「皆人様! 大変です! テレビを──すぐにテレビをご覧になってください!」
一同の集まっていた客間に、執事と思しき黒スーツ姿の壮年男性が、血相を変えて駆け込
んで来る。




