36-(7) 火、点けたまま
──故に終焉は呆気なく、そこに特段の私情を差し挟む意味もなく。
実体化が完了した後、私は最後の仕上げに入った。夜もすっかり更けた頃、ようやく帰宅
してきた繰り手の両親を始末する。
『……』
暗がりの室内に、血に塗れて男女二人が突っ伏していた。私が握る針状の刃からも、ぽた
ぽたっと同じものが静かに滴っている。
『うーん……。なぁに? こんな時間に……?』
彼女が姿を見せたのは、ちょうどそんな時だった。
物音に起こされたのだろう。パジャマ姿で寝惚け眼を擦り、あくびを押し殺しながら私達
のいたリビングの扉を開けてくる。
『うん……?』
だから最初、彼女は目の前で何が起こっているのか理解していないようだった。暗がりの
中のそれにようやく目が慣れてきて、ぞわっと驚愕したように青褪める。
『お、親父? お袋!? ちょ……あんた、何やってんの!? というか、私が呼び出して
もないのに、どうやって……?』
『想定の範囲内だったけど、陳腐ね。見ての通り、始末したのよ。これで貴女も、嫌なもの
を見なくて済むでしょう?』
それと私はもう、実体化が済んだから……。
でも対する彼女は、そんな私の返答を最後まで聞くこともなく酷く狼狽していた。時計仕
掛けの、私の前を通り過ぎて、先刻ただの肉塊に戻った自身の両親の前に跪いている。
『嘘……でしょ? 私、そんなの頼んでない……。もしバレたら、私の人生、メチャクチャ
になっちゃうじゃない!』
あれだけ足蹴にしていた者達が、実際に死んだことを哀しんでいるのか、はたまたすぐに
この先の保身を考えて二進も三進もいかなくなったからか。
暫く呆然と、二つの亡骸の前で項垂れていた彼女だったが、次の瞬間私をキッと睨み上げ
ると、そう捲くし立てるように叫んだ。
……本当に面倒臭い人間だ。憎んでいた筈の者達ではなかったのか。そうやって憂鬱に自
分を追い込むからこそ、色々と考え込むのだろうに。障害を排除するのが、何より自身にと
っての最適解だろうに。
『問題ないわ』
だからこそ、私はトンと、刹那動いた。今にも組み掛かろうとする彼女の正面から、再び
針状の刃でその身体を刺し貫いたのだ。
『なッ……!? 何、を……?』
鈍い衝撃音と、急速に尻すぼみになってゆく声。
だが私にはもう、この少女に用はなかった。興味など失せていた。ただどうっと、その場
に崩れ落ちてゆく彼女をそっと受け止めてから、先の二人と同じく血だまりに突っ伏すまま
に放置して二階へと戻る。
彼女の自室から、私のデバイスとリアナイザを回収し、ずぶずぶと自らの身体の中へ取り
込んだ。これでようやく私も自由の身だ。当初の想定よりも時間は掛かってしまったが、さ
りとて彼女と過ごしたこの部屋にも、特段愛着の類は湧いてこない。
『──』
時計仕掛けの怪人態から、デジタル記号の光を纏って人の姿へ。
室内の姿見で確かめてみるに、その顔形は彼女のそれによく似ていた。尤もオリジナルの
当人に比べて幾分幼い姿で固着したのは、おそらく彼女が深層心理で抱いていたイメージに
強く引き摺られたせいだろう。服装も随分と個性的──いわゆる黒のゴシックロリータだっ
たが、こうした傾向は、何も私の場合に限られたものではない。繰り手とはあくまでそれぞ
れが実体化する際のサンプルに過ぎず、しかし自分で選べるという訳ではないのだから。
……終わった。なのに何故だろう? この全身を満たす虚無感は。
切欠なら判っている。あの時、彼女を見ていて抱いた、自分達という存在自体についての
疑問だ。それらと彼女自身の“願い”の益体の無さが合わさり、私という個体にこのような
気質が植え付けられてしまったのだろう。
まったく……。とんだ貧乏くじを引いたものだ。ここまでして実体化を、進化を果たして
どうしろというのだろう? 何の意味があるというのだろう? 尤も、私のそういったダウ
ナーな思考経路すらも、おそらくは彼女というオリジナルからコピーしたに過ぎないのかも
しれないが。
部屋のクローゼットの中から、昔の彼女ものと思われる制服を拝借して外へ。
さて、一体これからどうしたものか……。その日から私は、夜の飛鳥崎を彷徨い続けた。
何もかもが無意味に見えてくるこの世界に放り出され、嘆息ばかりが漏れる。
一体私という個体は、何の為にこの現実に生み落とされたのだろう? 一体何を為せばい
いのだろう?
……誰か。誰か、教えてくれ……。
そして私が、再びプライド──あの嫌味ったらしい高級スーツの同胞と出会うのは、それ
からもう暫く先の話になる。
***
旧第五研究所でトーテムを倒した睦月達は、國子が操る朧丸のステルス能力で、互いに手
を繋ぎ合った冴島らと共にこの戦線を脱出した。どうやら仁達もギリギリまで粘ってくれて、
一足先に離脱したらしい。
ある程度大きく研究所から離れられた時点で一旦ステルスを解くと、皆人以下同期中のメ
ンバーは先にフェードアウトした。予め仕込んでおいた工作と内部の破壊・炎上によって大
騒ぎになっている、先程まで自分達も渦中にいた現場を、睦月や冴島隊の面々は遠巻きの安
全な高台から眺めていた。
『──お疲れ様。皆、無事だったみたいね』
『冴島君達も取り戻せて、奴らの拠点も一つ潰せて、一先ずは我々の勝利ということでいい
だろうな』
「そう、ですね……。ご迷惑をお掛けしました。ですが僕達の調律リアナイザと、デバイス
が奪われてしまいました。十中八九、奴らがこちらの力を解析しようとする筈です」
通信が再開した司令室から、そう香月や萬波らの声が。
だが責任を感じているのか、対する当の冴島は苦笑いを浮かべつつも、あまり今回の勝利
を喜んではいなかった。他の隊士達も、その辺りの感情は同じらしい。何処となくばつが悪
そうに苦笑いながら、視線を逸らしながら、所在なくその場に立ち尽くしている。
「そ、そんな事は……。結果的に“合体”アウターの研究所も壊せたんですから。冴島さん
が機転を利かせてくれていなければ、そもそも今回の作戦は成立しませんでしたし……」
わたわたと。変身を解除して、普段着の姿に戻った睦月が言う。
実際ここまで用心できたのは、彼ら一隊が“合体”アウターの存在──その襲撃を受けた
という情報を予め受け取ったからだ。突入前にわざと騒ぎを煽って人ごみを集め、その中に
紛れて退却、追撃の防止という策を練ったのも、今回攻撃した施設が蝕卓の重要拠点ではな
いかとその情報で疑えたからだ。
『仕方ありませんよ。命が助かっただけよかったと思いましょう。それに皆さんのコンシェ
ル達は、常時データのバックアップが取ってある筈です。復旧は可能……ですよね?』
『ええ。少し時間は貰うけれど、ほぼ直前の状態にまでは戻せるわ』
同期を解除し、心身共に司令室に戻って来ていた皆人が言う。そう確認するように訊ねら
れ、香月らは既にその作業に取り掛かっているようだ。
『……それって、厳密には“同じ”じゃないですけどね』
「あはは。そうかも……しれないけど」
デバイスの画面内で、パンドラがぷくっと頬を膨らませて拗ねていた。なまじ“心”を持
ったコンシェルの一人として、あまりいい気はしないのだろう。デバイスを片手にする睦月
も、苦笑いで誤魔化しこそすれ、彼女の感情が解らないでもない。共に戦い、困難を乗り越
えてきた相棒ならば尚更だ。
『ねえ。そういえば結局、筧刑事は見つからなかったみたいだけど……』
『や、やっぱり手遅れ、だったのかな……?』
「いや、少なくとも僕達と一緒にはいたよ。ただ司令達が助けに来る前に、彼だけ何処かへ
連れて行かれてしまったんだ」
『えっ?』
『じゃ、じゃあ。まさか、もう……?』
『どうだろうな。この先可能性は否定できないが、それでは一方で、冴島隊長達が何もされ
なかったのは不自然だろう?』
『……。あ~』
「言われてみれば、確かに……」
『奴らはまだ、筧刑事を何らの方法で利用する気なのかもしれん。だが逆に言えば、それま
でにもう一度アタックできれば、まだ助け出せる余地は残されているということだ』
そして宙や海沙、仁の疑問や不安に、皆人はあくまでそう淡々と答える。他の仲間達がそ
うなりがちであるが故に自らを律して、自分だけは理詰めする者であり続けようとする。
……そっか。仁がぎゅっと握り拳をもう片方の手で包み、海沙と宙が互いを励ますように
頷き合っていた。香月や萬波らは早速ジークフリート以下奪われたコンシェル達の復旧作業
に入り、現地の睦月や冴島、隊士らを、皆人が正面のディスプレイ群越しに見つめている。
『睦月。冴島隊長達を連れて、一旦こっちに戻って来てくれ。工作をしてあるとはいえ、長
居は無用だ。敵もおそらく引き揚げている頃だろう。研究所の後始末は専門の要員に任せて、
俺達は次の一手を考えよう』
「う、うん……。分かった」
「了解。じゃあ睦月君、道中護衛を頼むよ?」
耳の中のインカムに指先を当てて、されど一方でそう茶目っ気にウインクをしてみせる冴
島に、睦月は苦笑う。それだけ冗談を言う余裕があるのなら、多分大丈夫だとは思うんだけ
ど……。
睦月や冴島、同隊の面々。生身の側の一行はかくして旧第五研究所を後にした。
尚もまだ騒々しい状態が続く現場を高台の眼下に一瞥しながら、今回のミッションは一先
ず完了──人知れず颯爽と、帰還の途に就くのだった。
-Episode END-




