35-(1) 捕らわれた二人
(……んぅ?)
痛みによる覚醒が先だったか、それとも自然なそれが先だったか。
筧ははたっと、無遠慮に全身を引き揚げられるかのように意識を取り戻した。身体のあち
こちから訴えかけてくる鈍痛の一方で、目覚めかけの思考は、此処は何処だろう? 何があ
ったのだろう? と“確認”を急ごうとする。
目覚めた場所は、コンクリ敷きの殺風景でだだっ広いフロアだった。
何かの施設、工場だろうか? しかし目立って稼動している機材の類はなく、おそらくは
倉庫の類だろうと筧は見当をつけた。幾つか等間隔に建っている円柱。その一つに、自分は
鎖を後ろ手に巻き付けられて縛られているようだ。
(……そうか。俺は……)
そうして数拍遅れて、彼は直前までの記憶を思い出す。
自分は新しい手掛かりを、糸口を求めて再び情報屋を訪ね、そして──。
「よかった。目が覚めたみたいですね」
すると、そんなこちらの様子に気付いたのか、隣から声を掛けてくる者達がいる。
冴島だった。先刻まで、実質護衛として自分を尾けていた冴島以下対策チームの面々が、
自分と同じように鎖でぐるぐる巻きにされて捕らわれている。
「大丈夫ですか?」
「傷は、痛みませんか?」
真っ直ぐにこちらを、心配そうに見つめてくる冴島達。でも、だからこそ筧は思わず無言
のまま眉間に皺を寄せ、きゅっと唇を結んだ。衝いて出るのは、どうしても憎まれ口だ。
「……先ずは、手前の心配をしろ。あっさり捕まってんじゃねえよ」
「あはは。面目ない」
苦笑いを零す冴島。だがおそらくその本心は、寧ろ逆の激情だろう。
どうやら自分達は、お互い敵にやられたらしい。力を込めてみるが、しっかりと巻かれた
鎖の長さと重さは、そう簡単に解けそうになかった。
あり得ると何処かで想像していたシチュエーションとはいえ、さて一体どうやって逃げれ
ばいいだろうか……?
「あら? 起きてたのね」
「無駄ですよお。外は兵隊達が常時巡回してますし、逃げられやしませんって」
そんな時である。正面向こうの扉が開いたかと思うと、ゴスロリ服の少女──スロースと
サーヴァント達、にたにたと影を差して嗤う人間態のライアーこと杉浦、更にじっと黙して
彼女らに同行する老紳士姿のトーテムが近付いて来た。
「……っ! 杉浦、てめえ……!」
体勢的に、心理的にも見下ろされる格好。
杉浦の、自らを嵌めた張本人の姿を再び目の当たりにして、筧の表情が怒りに歪む。
裏切られた。筧の本心はそこに在った。奴は唇の怪人、アウターだったのだ。敵は自分の
すぐ近くに潜んでいたのだ。
「ひひっ」
「……いつからだ? 一体いつから、お前は……」
「うん? ああ。こいつのオリジナルの話ッスか? 出所してすぐッスよ。あんたも馬鹿な
人だ。刑事だってんなら、もっと他人を疑うべきなんです」
「……」
こちらの感情に、問いに答えつつも、そう鼻で笑うライアー。
筧はようやく理解していた。由良が残したあの血文字は“ASL”じゃない。“ASU”
と書こうとして、力尽きたのだ。ASU、明日──あの夜、翌日自分と一緒に会いに行く筈
だったこいつに殺られたのだと、伝える為に。
「お前が……由良を……ッ!!」
「ええ。色々嗅ぎ回ってたんでね」
「一応言っておくけど……。捜そうとしても無駄よ? 今頃はグラトニーの腹の中だから」
『っ──?!』
故に、ライアーの言葉を継いだスロースの発言に、筧や冴島達の表情は引き攣って。
目の下がヒクついて、青褪める。行方が知れなくなった時点で、あの血文字が残されてい
た時点で、予想はしていた。だがこうして実際に、本当にもう取り返せないのだと知らしめ
られてしまっては……。
「大体、元を正せば、あんたがきちんと二人を始末し損ねたからこんな面倒な事になってる
んでしょう? ヘラヘラ笑ってるんじゃないわよ」
「うっ。それは、そうッスけど……」
しかし当の本人達は、そんな筧らの気持ちなど微塵も気に留めてはいない。
スロースは筧達が捕らわれたその目の前で、そうジト目を遣ってライアーを詰っている。
そんな態度を批判されこそしたが、それでも尚ライアーは苦笑って誤魔化そうとしていた。
何せ相手は“蝕卓”七席の一角だ。その気になれば、自分一人くらい始末するなど造作もない。
「……ま、いいけど。モタついてる間に邪魔者は増えたにせよ、一応こうして実りはあった
訳だしね?」
言って、彼女は見下ろすように冴島達を睥睨する。
彼ら対策チームが敵であるのは、彼女達の側からしても同じこと。その情報を現物で確保
できたというのは大きいのだ。
だがそんな彼女に、それまで黙していたトーテムが、やや怒気を内包しつつ訊ねた。
「……スロース殿。何故彼らを始末しなかったのですか? 捕らえたのですか」
ピリピリッと、静かに震える場の空気。
彼からすれば、冴島達──厳密には睦月こと守護騎士だが──は、盟友バイオとヘッジホ
ックの仇でもある。自らの力が及ばなかったと言ってしまえばそれまでではあるが、彼女ら
蝕卓上層部が捕獲の方針を採った事に、彼は内心ずっと不満だったのである。
「勘違いしないでちょうだい。私達は“尻拭い”まではしないわよ? それにライアー達は
あくまでプライドの部下だしね。文句ならあいつに言ってよ。そこの刑事はともかくとして
も、こいつらの持つリアナイザは一度ちゃんと調べる必要があるわ。本人共々、分析に掛け
たいってシンが、ね……」
まあ、だからと言って直接本拠に連れて行ってバレたら面倒だから、こうして私が厄介事
を引き受けざるを得なくなったんだけど。
はあ、とあからさまにそう嘆息をついてみせながら、スロースは言った。トーテムもこう
整然と説明され、突き放されてしまうと、ムキになって二の句を継ぐ愚は採れなかった。眉
間に皺を寄せたまま、気持ち引き下がって再び押し黙る。そんな彼女達のやり取りを見てい
た冴島も、じっと目を細めてこの状況を理解していた。
(……なるほど。やはりそうなるか)
ライノセスとムーンに敗れた後、こうして五体満足に無事なのは、自分達から搾れるだけ
情報を搾り取る為。プライドというのは、確か同じ幹部の一人だった筈だ。彼もまた、今回
の一連の事件に関わっているらしい。となると、自分達はまだもう少し生かされる可能性は
あるが、一方このままでは筧刑事の身が危ない。
(どうにかして、脱出しないとな……)
あの時、咄嗟に逃した部下は、自分の目論見通りメッセンジャーとしての役割を果たして
くれただろうか? 助けは来るだろうか? 風の中に巻き込んだから、一人だけなら見つか
らずに済んだと信じたいが……。
少なくとも自分達が戻らない以上、司令達はもう捜索に乗り出しているだろう。各員や調
律リアナイザの反応を辿ってくると考えられるが、それらも含めて今自分達は、敵に所持品
の殆どを奪われてしまっている。状況は、かなり厳しい。
「ところで」
ちょうどその時だった。ふとスロースが、トーテムに向かって問う。ざっと人間態の彼の
全身を確認するように眺めてから、その瞳にダウナーながらの警戒色が混じる。
「あなた、此処に来るまでに尾けられてないでしょうね? シンからの指示とはいえ、此処
は大事な研究所よ。あんたの部下達も、いつまでも置いてはおけないからね?」
「分かっています。それは大丈夫でしょう。もう、発信機が仕込まれていた粘々は吹き飛び
ましたから」
自らの身体を、二の腕を撫で、静かに唇を結ぶトーテム。
廃工場での戦いで、暴走態と化したヘッジホックを粉砕した一撃。その衝撃の余波は、彼
に纏わり付いていた発信機入りの粘着弾をも吹き飛ばしていた。
一人また一人、盟友の死が脳裏に蘇る。
だがこれでもう、奴らが自分達を追跡する手段は無くなった筈だ。
「……そう」
されど対するスロースは、その名の通り気だるげにすぐに興味を失って。
身を包むゴスロリ服と、胸元に抱える継ぎ接ぎだらけのテディベアを翻し、彼女は一同に
背を向けて歩き始めた。でも……。そして肩越しに、ついっと首を傾げるようにして、去り
際に指示を出す。
「全員、警備の強化を──迎え撃つ準備をしておきなさい。連中がいつ嗅ぎ付けて来るか、
分かったモンじゃないでしょう?」




