33-(1) 思わぬ使者
随分長かったような期末試験も終わり、学園は夏休みに入った。学生としてはこの上なく
解放された一時になる筈である。
だが睦月達は、必ずしもそうではなかった。アウター対策チームの一員として、目下の懸
案が未だ横たわっている。即ち由良の行方と、バイオ残党の動きだ。
悠長にしている暇はなかった。戦いに専念できるようにする為、その他の用事はさっさと
片付けてしまう必要がある。
『……』
あんぐりと、口を大きく開けて。
その日睦月達は使いの者に送迎され、皆人の自宅──三条邸にやって来ていた。以前から
交友関係のある睦月は初めてではないが、仁や海沙、宙などはその豪邸ぶりに思わず呆気に
取られている。随分と戸口まで長い道のりを先頭に行きながら、皆人がそんな友人達に肩越
しの怪訝を向ける。
「どうした? さっさと入れ」
「あ、ああ。でもよう……」
「三条君のお家、おっきいんだなあって」
「知ってた筈なんだけどねえ。流石は天下の三条電機……」
「……気にするな。これを維持しているのは親父や祖父さんだ。今更畏まられても困る」
「あはは……」
皆の困惑ぶりに、当の本人はあまりいい気分ではなかったようだ。
尤も、一見すれば相変わらずの淡々とした表情だったが。それなりに長く、濃い付き合い
をしてきた睦月だからこそ分かる。「ほら、行こう?」皆を促して、玄関の前で待ってくれ
ている執事に挨拶をすると、その床の木目からして高級そうな室内へと上がってゆく。
屋敷の中は、隅々まで掃除が行き届いていた。日頃から専門の使用人が配置されているお
陰だろう。和風とモダンが混じった廊下を行き、アクセントに点々と飾られている絵画や壷
にその都度目を遣りながら、一行は客間の一つへと通される。
「やあ。待ってたよ」
「どうせなら私達が拾って来た方がよかった気もするけど……。宿題、持って来た?」
そこで待っていたのは、萬波と香月だった。本来なら普段司令室に詰めている筈の、対策
チームの頭脳である。彼女達への応対は、先に國子が担っていた。
「うん……」
鞄の中から、睦月達はそれぞれに各教科の問題集やプリントなどを取り出す。
他でもない。今日は夏休みの宿題を、早々に片付ける為にこうして集まったのだ。
加えてここには、香月と萬波という理系のプロがいる。というよりも、その為にわざわざ
参加して貰ったというのが正しいのだが。
では、早速始めようか──。思い思いにテーブルに座り、睦月達は広げたそれぞれの宿題
に向かい始めた。暫くの間、カリカリとペンを走らせる音だけが室内に響く。萬波と香月は
理系を、仁は歴史を。海沙は国語と英語、國子は古典を。それぞれの得意分野で互いを補い
合いながら、数日の間に集中して終わらせてしまおうというのが今回の作戦だった。
『ひーん……!』
尤も、元から座学の苦手な宙や仁は、それでも苦戦していたようだったが。
睦月も最初は、黙々と空欄だった回答を埋め続けていた。分からない所は母や、得意な仲
間に訊く。訊いて、一生懸命頭の中で咀嚼──理解しようとするが、それでも一方でこうし
て「日常」を送る自分に違和感を抱いている自分も、また存在しているように思う。
「……いいのかなあ? 僕達が抜けてて」
「心配ない。それは出発前にも言っただろう」
ぽつりと呟いた睦月に、皆人がちらっとこちらを見て言った。されどその視線はすぐに手
元の頁に戻り、ペンを走らせながら続けられる。
「由良刑事の──筧刑事の件は、冴島隊長が引き続き護衛してくれている。例の残党につい
ても、出現反応があればすぐに司令室から連絡を寄越すよう指示してある。負担を掛けたく
ないというのなら、一日でも早く終わらせろ」
「……うん。そう、だね」
苦笑い。あまりの正論に、睦月は何も言えずにただ気持口を噤む。カリカリと、皆のペン
が走る音とお互いにあーだこーだと教え合うやり取り、或いは時折出されていた飲み物を口
にする氷の音がするくらいだ。この屋敷が街の喧騒から切り離された環境にある、というの
も要因の一つなのだろうが、未だもってアウター達との戦いが現在進行中とは思えないよう
な静けさだ。
『ひーん……』
尤もこの初日の数時間で、宙と仁は既に根を上げ始めていたが。
事件は、その帰りに起こった。この日の勉強会が終了し、三条家の者の案内で帰りの車に
向かおうと外に出た時、屋敷の外壁に背を預けて彼が待ち構えていたのだった。
「……よう」
勇だった。相変わらず死んだような瞳をし、じっと腕組みをしたまま正門を潜ろうとした
一行を睥睨する。
「くっ!?」
「お前──ッ!」
突然の事に、睦月達は咄嗟に身構えていた。國子や仁、宙などは懐からリアナイザを取り
出し、今にも戦おうとする。
ここには対策チームではない、屋敷の使用人達もいるのだ。とうに身元が割れているのは
解っているにしても、彼らに手を出させる訳にはいかない。
「止めとけ。今日は戦いに来た訳じゃない」
だが当の勇は、そんな風に言い放ってきたのである。事実こちらの動きにも応じず、両腕
を組んだまま、例の黒いリアナイザを取り出してすらいない。
そんな表の騒ぎに、巡回中の警備員達が一斉に駆けつけて来た。腰の警棒や拳銃を取り出
して構えようとするが、他でもない國子がザッとこれを手で制する。
「……彼は、案件Xです」
その一言に、警備員達が目に見えてたじろいだ。詳しくは分からないが、三条家に出入り
する者達の符牒なのだろう。対策チーム、越境種──具体的な固有名詞までは知らされずと
も、関与を禁止する対象といった所か。
ゆっくりと後退してゆく彼らを見て、勇は少し向けていた眼光を緩めたようだ。というよ
りも、元から見ているのは一同──睦月のみのようにも見える。
「蝕卓が、お前にヘッジホックを宛がった。そいつがケリを着けるまで、俺達も動くことを
禁止された」
「えっ……?」
何処か吐き捨てるような、不機嫌な声色だった。真っ直ぐに睨まれて、睦月は思わず声を
漏らしてしまう。思わぬ所からの情報提供に、見開いた目が丸くなった。
ヘッジホック──確か、灰色フードの。バイオ残党の片割れか。
「さっさと奴を倒せ。負けたら……承知しねぇぞ?」
ギロリ。まるでやる方ない怒りを綯い交ぜにして内に秘め、ぶつけてくるように。
唖然とする睦月達、場に駆けつけた警備員達。
そんな面々の様子を、ふんと不機嫌に鼻で哂って踵を返すと、彼はそのまま一人、ズボン
のポケットに両手を突っ込みながら歩き去ってゆく……。




