32-(7) 枷を砕く
飛鳥崎の街にようやく翌日が──七月四日がやって来た。一見すれば、それまでと大して
変わらず朝日が昇り、暮れてゆくが、そもそも時とはそんな淡々連綿とした瞬間瞬間の積み
重ねでもある。
尤も殆どの人間は、その前日が何度も繰り返されていたという事実を知らない。仮に馨に
よってその巻き戻しの現場に巻き込まれていても、知覚すらできなかった筈だ。
かくして時は、再び前へと向かって動き出す。刻々と、明日へと向かって動いてゆく。
『……』
同日、飛鳥崎学園高等部では、予定通り期末試験が始まっていた。教室内にずらりと生徒
達が席に着き、限られた時間の中、黙々と問題と格闘している。
そんな中で、こと睦月達は、これまでのループと戦ってきた疲れもあってか、その多くが
苦戦を強いられていた。ずっと戦っていて、準備不足だったと主張するには、些か言い訳に
過ぎない気もするが。例に漏れてスムーズなのは、皆人と國子、ないし海沙くらい──元々
勉強が苦にならない側の面子のみである。
「……」
ちらりと、睦月がそんなクラスメート達を不意に眺めた。仁と宙が、他の皆と同じかそれ
以上に苦戦し、ひいい~っ! と声ならぬ悲鳴を上げている。そんな様子が何だか可笑しく
って、睦月は自分のそれを棚に上げながら密かに苦笑った。
そうして、次いでそっと見遣ったのは、馨の方だ。
こちらはまだ比較的落ち着いた様子で問題を解いている。流石は優等生だ。そこにはつい
先日まで、ループする七月三日の中にいたような気色はない。やはりリアナイザを壊された
影響で、あの間の記憶を失くしてしまっているのか。確かめる術はないが、少なくとも今は
ただ真剣に問題と格闘しているように見える。
……だが却って、それで良かったのではないかと睦月は思った。なまじ普段の彼を、いち
同級生として見聞きしていたからこそ、彼には平穏無事に過ごして欲しかった。巻き戻され
た時間達がその後、どう収拾をつけたのかは分からないが、アウターによって壊された日常
が何であれ元に戻るのなら、それに越した事はない。……ふっと、そう睦月も密かに小さく
微笑って、自身の答案に向き直る。
七月某日。筧は知人の鑑識官から結果が出たとの連絡を受け、鑑識課を訪れていた。忙し
ない人々の合間を縫って物陰で二人きりになり、ひそひそ声で囁いて書類を受け渡しする。
「あの。私が調べたってことは、上には内緒にしておいてくださいよ?」
「分かってるよ。俺個人の頼みだからな。それで? 結果はどうだったんだ?」
あくまで個人的な捜査であることと、筧自身の現在置かれている立ち位置もあって。
筧は手早く書類を受け取って折り畳み、懐に忍ばせると、一先ず端的な情報だけをこの知
人に訊ねることにする。
「ええ……。一致しました。兵さんが持ち込んできた由良君の私物が、確実に彼の物である
のなら、あの血はほぼ間違いなく同一のDNA型です」
「……そうか」
ちらっと折り畳んだ先の書類を見る。
やはりそうなのか。じゃあ由良は、あの日あの場所で、奴に──。
七月某日。ようやく“明日”が続いてゆく。
何時限分かの試験が終わり、クラスでは生徒たちがめいめいにぐったりと突っ伏し、或い
は互いに「どうだったー?」と苦笑い合って束の間の休憩を取っていた。一息をつく者がい
るかと思えば、引き続き黙々と直前までノートと睨めっこしている者もいる。睦月はそんな
教室の片隅で、皆人ら仲間達とのんびり次の時間を待っていた。
(……ふう)
これで今回の事件は一件落着、一安心? まだ由良の安否やバイオ残党など、懸案は残っ
てはいるけれど。それでも一つは片付いた。今はそれでいい。つい自分達は己の無力さに打
ちひしがれてしまうけれど、こうして一つずつ脅威を除いてゆくことによって、いつの日に
か皆が安心して暮らせる時が来ると信じたいから。自分の手が届く、目に入る人達には、笑
っていて欲しいから。
「──」
ちらっと、横目に馨を見る。やはりと言うべきか、真面目そうに自分の席で、大量の付箋
がついた参考書をじっと捲っている。眼鏡越しの瞳は、静謐のような緊迫のような、どちら
とも判じ切れない不思議な強さを湛えていた。
元イエスタデイの召喚主、二宮馨。
彼がある日突然吹っ切れて、両親の反対を押し切り、此処とは違うもっと自由で緩やかな
気風の学校に転校していった──それまでのプレッシャーから解放されるのは、もう少し先
のお話。
-Episode END-




