32-(4) 点と面
立ち読みにゲーセン、カラオケなど。
馨はおっかなびっくりながらも、この日も「同じ」道草を食っていた。放課後の学業から
解放された一時を“遊び”に費やしていた。
だが……彼はもう、最初の頃のようにその“自由”を楽しめないでいた。もう今となって
は、自ら望んだ「同じ」ではなくなってしまったのだから。
それは変わり始めた周囲──増してきた不安からか、或いはこの世界を知っているのが、
結局自分一人だからなのか。
『──なっ、何なんだ? お前達、何で僕の名前を……?』
猥雑な繁華街の音が不意に遠退き、脳裏に蘇ったのは、まだ日暮れ前、先刻の下校途中の
出来事。突如として自分の前に現れたゴスロリ服の少女と死んだ目の少年に、馨は往来の眼
を気にしながらも酷く狼狽していた。
『一々驚くな。捜していたと言っただろ』
『貴方、グリード──柄の悪そうな男から受け取ったんでしょう? 安心しなさい。私達は
彼の仲間よ』
ぴしゃりと制される声と、そっと背中の鞄を指差してくる少女。
馨はそこでようやく状況が飲み込めてきた。この鞄の中には、あの時のチンピラ男が渡し
てきたリアナイザが入っている。あの男の関係者だというか? ならば少なくとも、自分に
とっては敵ではないのだろうか? 砂時計顔の相棒について、何か知っているかもしれない。
『そうだけど……。なあ、こいつは何なんだ? 確かに僕の“願い”は叶ったけど、こんな
こと、普通じゃない。一体、あんた達は──』
『その質問については、今後の貴方の振る舞い次第ね。とにかく今回私達は、貴方に協力す
る為に来たの。イエスタデイ──貴方の生み出した個体は特異だから、私達としても保護し
たいのよ』
こちらの問いに、ゴスロリ服の彼女は明確には答えてくれなかった。ただ一方でそう自ら
の目的を告げ、くいっと横柄に小首を傾げておどけてみせる。
協力……? どうやら敵でないのは間違いなさそうだ。二人が周りの眼を気にして、つい
っと近くの路地裏に誘ってきたので、馨はそのままなし崩し的に彼らに従った。物陰に身を
潜めて、往来の視線が切れたのを確認してから、彼女は続ける。
『その……。特異ってのは、やっぱりあいつが今日をループさせてるってことだよな?』
『ええ。それがイエスタデイが獲得した能力よ。貴方が呼び出し、命じれば、あの個体は今
日という一日を何度でも巻き戻す。貴方には引き続き、その能力を使わせ続けて欲しいの。
そうしていればイエスタデイも、いずれ“進化”を完了させるわ』
『し、進化?』
彼女曰く、自分達は繰り手と呼ばれる人間達によって召喚され、その願いを叶える代わり
にこの世界に定着──進化体となる事を第一の目的としているのだという。その為には繰り
返し、自身の能力でこの世界に“影響”を与える必要があるのだそうだ。
『なあ、スロース。そもそも何でこいつらは未だなんだ? お前と同じ時間を操る系統の能
力だっていうんなら、もう実体を得ていてもおかしくはないだろ』
『そうね……。これは私の推測だけど、時を“止める”と時を“戻す”では、些かそのメカ
ニズムに違いがあるからなんじゃないかしら』
ピッと人差し指を立て、彼女は更に説明を──この死んだ目の少年からの問い掛けに答え
始めた。目の前の宙に、図を描くような仕草をする。
『時間を止めるのは、点的だと考えられるわ。特定の時間の一点に“留まる”能力。留まっ
ている間は、周りの他人に干渉できる。厳密には干渉を蓄積するのだけど。それが結果的に
彼らに──世界に影響を与える力を大きくしている。これに対して、時間を巻き戻すのは面
的なの。時間の一点に“移動する”能力ね。これは移動することに重きを置くのであって、
直接他人にどうこうする能力という訳ではないわ。だから私のそれ以上に周りには気付かれ
ないし、結果世界に与える影響力も小さくなってしまう。その辺りの差なんでしょうね』
『……うーむ』
分かったような、分からないような。
馨は、彼女の空中に描いた図を頭の中にイメージし、思わずその場で唸っていた。どうや
ら彼女は時間を“止める”能力を持つらしい。自分の、砂時計顔の相棒とは大分見た目が違
うのだが、やはりこの二人も怪物の類なのだろうか?
『まあ、こうして私達が接触している時点で、最初の七月三日とは違っているのだけど』
そんな彼の疑問と消化不良を余所に、彼女は次いで小さく肩を竦めた。ちらっとこちらを
見て、改めて上から命じるように言ってくる。
『とにかくそういう訳だから、貴方達の場合は、質より数をこなして積み上げてゆくしかな
いのよ。私達もサポートするから、どんどん繰り返しなさい。いいわね?』
そう念を押すように、ゴスロリ服の彼女は、こちらにびしっと指を差した。横でじっと睨
みを利かせている少年の眼光もあって、コクコクと頷いた馨に、二人は一応満足したかのよ
うにやがてその場から立ち去って行ってしまう。
「──はあ」
自宅に戻って来た後は、延々と一人自室でゲームをして時間を潰す。例の如く多忙な両親
は帰って来る様子がない。今回の“今日”も、戻って来るのはすっかり寝静まった頃か。
クリア画面のままのゲームを、コントローラーを放り出す。最初は積んでいたゲームも、
同じ繰り返しを続けていればすぐに飽きなどくるものだ。かといって新しいソフトを買いに
外出を、最初とは「違う」行動を取ってしまえば、それだけでこのループする世界にどんな
悪影響が出るかも分からない。
「……」
正直言って、退屈だった。何より窮屈だった。
束の間でもいいと“自由”を求めたのに、繰り返す“今日”はどんどん自分を縛り上げて
いくような気がする。加えて今回はあの時のチンピラ男の仲間だと名乗る者達が現れ、現在
の状態を維持するよう念を押してきた。また一つ“自由”に干渉された。
何でこうなってしまったんだろう? 邪魔する者ばかり現れるのだろう?
これじゃあ願いが叶ったなんて言えない。詐欺じゃないか。
(そろそろ、か……)
ちらっと壁の時計を見て、馨は床に放り出していた鞄を引き寄せると改造リアナイザを取
り出し、スッと引き金をひいた。現れたのは砂時計顔の怪人──イエスタデイ・アウター。
召喚された彼は、例の如くその奇妙な姿を微動だにさせず、じっとその時を待つようにして
佇んでいる。馨は正直、もうこの一連の流れさえ憂鬱だった。
あの二人には、これからもこいつを使い続けろと言われたが……。いっそもう止めてしま
ったらいいんじゃないか?
だが繰り返された“今日”に慣れ切った身体は、意に反してそれを許してくれない。
第一、本当に今日が終わってしまえば、明日は期末テスト本番だ。正直試験勉強の内容な
ど、もうすっかり頭から抜け落ちてしまっている。
(……うん?)
ちょうど、そんな時だった。ふと玄関の方から、呼び鈴の鳴る音が聞こえたのだ。
こんな時間に誰が? 父さんか母さんが帰って来たのか? でも二人は普段、帰って来て
も呼び鈴を鳴らすことはないし、宅配か何かだろうか。
リアナイザを握った右手を背中に隠し、馨はそっと自室を出て階段を降りた。
玄関は夜の更けと共にしんとしている。或いは暫く反応を待っているのか。ゆっくりと扉
の覗き窓に目を当てて確かめてみるが──人の姿は映っていない。気のせいか? それとも
こんな時間に悪戯か?
念の為、馨は少しドアを開けて外を確かめてみることにした。何も無いなら無いでいい。
だが、もし今このタイミングで誰か入って来ようものなら、相棒ことイエスタデイの存在が
バレてしまうかもしれな──。
「っ?!」
ガンッ。次の瞬間、何者かの足がドアの隙間に挿し込まれた。それまでやけに静かだった
場がにわかに緊張する。しまった、死角に隠れていたのか……。ハッとなって振り向いた馨
の視線の先には、見知った二人──同じクラスの佐原と大江、すなわち睦月と仁が立ち塞が
っていたのである。
「見つけたっ!」
「まさかお前だったとはな……。もう逃がさねえぜ? 二宮ァ!」




