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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-31.Tomorrow/最も長い前日譚
239/526

31-(5) 昨日という怪物

(……やっぱり同じだ。繰り返してる)

 切欠は成績が落ちて悩んでいた頃、家に帰り辛くて道草を食っていたあの時だ。

 分かってる。そうやって遠回りをしてみた所で、結局は時間の無駄遣いでしかない。本来

ならば真っ直ぐ家に帰るべきだった。帰って、勉強するべきだったんだけど……。

「──よう。随分と辛気臭い顔してるじゃねえか」

 そんな時だ。偶然通り掛かった路地の裏手から、あいつが声を掛けてきたのは。

 逆立てた髪にいわゆるパンクファッションの、チンピラ風の男。少なくとも僕の記憶には

ない人物だ。関わっちゃいけない。そう反射的に思って、急いでその場から立ち去ろうとし

たのだけど……。

「まぁそう構えるなって。お前みたいな奴ほど、叶え甲斐があるってモンだ」

 何を……? 僕が怪訝に眉を顰めた間に、奴はこちらへ歩いて来た。距離を詰めて来た。

 逃げられない。助けを呼ぶか? いや、この暮れなずみでも雑多な人通りの中で、見ず知

らずの僕を助けてくれる人間なんているのか? 何より下手に抵抗して大事になったら、父

さんや母さんの耳に入るかもしれない──そんな思考がぐるぐると僕の中で駆け巡る。

 すると男は、ポンと僕の手の中に何かを掴ませてきた。

 おずおずと見てみると、それは堅い金属で出来た短銃……のようなものだった。目を瞬き

ながら記憶を引っ張り出す。

 これは……リアナイザか。確かTAテイムアタックというゲームに使われる、持ち運びのできるハード機

だったと記憶している。僕に遊べ、とでもいうのだろうか?

「困ったら引き金をひいてみるといい。お前の望みを叶えてくれる」

「えっ?」

 だから結局、僕は最初何も分からないままで。

 混乱している間に、男は僕にこのリアナイザを押し付けたまま、くるっと踵を返して帰っ

て行ってしまった。追おうにも行き交う人の波と薄暗い路地裏の陰に隠れて、男の姿はすぐ

に見えなくなってしまう。

(……どうすんだよ、これ)

 手の中には、さっきのリアナイザが残っていた。文字通り無理やり押し付けられた形にな

ってしまったんだ。

 だから最初は、下手にその辺に捨てるのも後ろめたくて、何となく気味が悪くてとりあえ

ず部屋の引き出しの中にしまい込んでいたのだけど……。

「──駄目だ」

 試験の直前、というより当日の深夜、僕は追い詰められていた。あの時男に会ったことも

あの妙なリアナイザを押し付けられたことも忘れて、只々手応えを感じられない試験勉強に

集中しようとしていたんだ。

 でも……何処かで解ってはいたのかもしれない。もう昔みたいな成績は取れないんじゃな

いかって。学年も進んで、もうそのレベルに段々ついてゆけなくなっていたんだって。

 それでも、縋ろうとした。焦っていた。

 次こそ結果を出せなければ、僕は“落ちる”──これまで維持してきた高さを失い、描い

ていた将来は手に届かなくなるだろう。いや、それは本当に僕の望んだ未来だったのか?

 ……だからそんな時、ふとあの日出会った男の言葉を思い出した。

 引き金をひけば、願いが叶う。まさかという頭はあったが、それだけ追い詰められていた

のだろうと思う。僕は机の引き出しから、あの時押し付けられたままのリアナイザを取り出

して、部屋の空きに向かって引き金をひいて……。

『──』

「ひっ?!」

 現れたのは、デジタルの光から弾け出てきた怪物だった。鉄仮面と蛇腹の配管が繋がった

化け物が僕の目の前に現れ、じっとこちらを見てくる。思わず腰を抜かして椅子から転がり

落ちた僕に、そいつは尋ねてきたんだ。

『願イヲ言エ。ドンナ願イデモ叶エヨウ』

「えっ……?」

 引き金をひけば、願いが叶う。

 正直訳が分からなかったけど、どうやらあの男の言葉は嘘ではなかったらしい。僕は目の

前の怪物の姿に怯えつつも、一方で思考がぐるぐると回っているのを自覚していた。

 僕の願い。今、僕が一番望んでいるもの……。

「じ、時間が欲しい。もう一日、時間が欲しい」

 するとどうだろう。この鉄仮面の怪物は少し考えるようにしてから僕の額に指先を当てる

と、みるみる内に全く別の姿に変化してゆくではないか。

 砂時計顔──端的に表現するならそれが相応しいように思えた。フォルムがすっかり変わ

ってしまったその全身で、一際目立つのがその顔面と同化した大きな砂時計だったから。

 ……以来、僕の不思議な日常が始まった。

 この砂時計の怪物は、時間を一日だけ巻き戻す能力を持っていた。本人曰く「契約」に基

づいて得た力なのだそうだけど、僕にはよく分からない。とにかく僕は、期末試験の前日を

何度もやり直せるようになったんだ。

 そりゃあ、最初の内は随分と戸惑った。何せ僕の目の前で、こいつがぐるんと砂時計ごと

頭を一八〇度回転させたのだから。

 だけどそれが、能力発動の動作だった。僕の周りの世界は巻き戻され、七月三日が再び繰

り返される。他の皆は全くそのことに気付いていないようだった。僕だけがこの一日を有効

活用し、試験当日に充分に備えられる。最初はおっかなびっくりでひいた引き金も、今では

自分で率先してひくようになった。日付を跨ぐ頃にこの相棒は僕によって呼び出され、再び

一日を巻き戻してくれる。僕だけの世界を創ってくれる。

 ……流石に、ちょっとずるいかな? いや、でも使える物は何でも使えばいい。いつも勝

者とは、他人ができなかった事をやってのけ、それ故に皆の先頭に立つ。そこで怯えてしま

えば、そいつはまた凡百の中に戻ってゆかざるを得ない。

 ……嗚呼、そうだ。

 きっと僕は、選ばれたんだ──。

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