31-(1) 皆人、詰る
半ば叩き付けるように、黒板にチョークの数列が書き込まれてゆく。
飛鳥崎学園高等部。睦月達のクラスはちょうど、数学の授業中だった。如何にも生真面目
そうな眼光の数学教師が、黒板に記したそれらを前に、熱の篭もった解説を展開している。
「このように、先ほどの数式を当て嵌めれば、ここまで式を分解することができる。後は各
項毎に解を出して証明完了だ。……ここ、今回の範囲だぞ? 重要単元の一つだから、落と
すと痛いからな?」
少なからぬクラスの面々が、弾かれたようにノートを取っている。その表情は真剣で、尚
且つ苦しそうだ。十中八九、期末試験が近いせいだろう。それ故に生徒達もだが、彼ら教師
側も、良くも悪くも熱が入っている。生徒達の結果如何は、自身の査定にも大きく関わって
くるからだ。
(……期末テストかあ)
ぼうっと睦月は、後方の席の一角でそんなさまを眺めていた。ノートこそ広げているが、
握ったペンは指先でくるくると回し、いまいち身が入らない。勉強自体はそこまで苦という
訳ではないのだが、毎度こういった時期の皆を見ていると、どうにも心苦しくなる。
自分達などは「近いから」通っているが、本来ここは国立校──飛鳥崎を始めとした集積
都市や、国の未来を担う人材育成に力を入れている進学校だ。故に、採用されている教職員
達も、そういった意識が総じて高い。尤もそれが現在、この国の当たり前であり、推奨され
ている姿勢でもあるのだが。
『……』
しかし。そっと横目で海沙や宙、仁といった仲間達の様子を見てみると、少なくとも彼女
らの内心は自分と同じくそれ所ではないような気がする。
この試験が終われば、夏休みだ。一転解放される。
だが自分達──アウター対策チーム一同にとっては、そんな学生生活よりももっと大変な
状況が、今も現在進行形で続いている訳で……。
『失敗? それってどういう……』
それは数日前の事。ライアーから筧を守った冴島から通信があり、司令室の皆人らと共に、
バイオを倒した後の睦月達は、そのやり取りの一部始終に加わっていた。変身を解いた右
耳のインカム越しから、開口一番不穏なフレーズが飛び出す。
『新しいアウターが現れたんだ。奴は間違いなく筧刑事を狙っていた。それに……由良刑事
のことも』
現場に居合わせた冴島隊から受けた報告は、睦月達を思わず深刻な面持ちにさせた。
曰く、由良のアパートを訪ねた筧を襲ったアウターは、自分達に「こいつ“も”消した方
が都合がいいだろうが!」と叫んだそうだ。彼の行方が掴めない状況を踏まえるに、この発
言から既に、彼はもう殺害されてしまった可能性が高いのではないかと。
『……遅かったか』
皆人が、そう静かに呟いて唇を噛む。しかし何故? 二人が自分達やアウターの存在につ
いて嗅ぎ回っていたのは前々からなのに、何故今になって?
しかし筧にその辺りを訊こうにも、睦月達は逆に彼から質問されてしまったのだった。
『それより答えろ。お前達が……知られちゃあ“都合の悪い誰か”なのか?』
通信の向こうで沈黙する司令室と、冴島隊に睦月ら、二つの現場の面々。
苦渋の決断ではあったが、皆人は仕方なく、彼に大よその事情を話すと決めた。飛鳥崎に
潜む電脳の怪人・越境種と改造リアナイザ、蝕卓、それら悪しき勢力と戦う自分達対策チーム
の存在と、睦月こと守護騎士の正体……。
最大の理由は、もう彼の記憶への干渉に限界が来ていたことだった。何より由良が殺害さ
れてしまったのなら、死という現実までは覆せない。彼にとって近しい人間がいなくなった
以上、このまま隠し通すのは無理だと判断したためだ。
『……舐め腐りやがって。刑事を何だと思ってる』
皆人の口から──実質改めて告げられた真実。
だが当の筧は、突拍子のない驚きよりも、静かな怒りを覚えていたようだった。一度記憶
を奪われたらしいことも含め、彼にしてみれば睦月達“素人”の存在と、その秘密裏の活動
に後れを取ってきた当局という構図が腹持ちならなかったらしい。
『……ですが、貴方のそのプライドが、彼を殺したんですよ』
にも拘わらず、次の瞬間、皆人は通信越しに言い放ったのだ。「ちょっ、皆人!?」睦月
らはその明らかに挑発的な言葉に戸惑ったが、彼の──司令室司令官の口撃は止まらない。
『何を……!』
『あの時、一度目の接触で貴方達と協力関係を結べていれば、そもそも由良刑事がアウター
に深入りすることはなかった。殺されるなどという最悪の結果は防げた筈です。その刑事の
誇りとやらよりも実利で動き、決断していれば、守りえた命ではないのですか?』
場は、一瞬にして険悪なものになっていた。通信越しとはいえ、筧の噴火寸前の怒気さえ
もが伝わってくるようだった。パンドラや、海沙がビクビクと震えてこの両者を何度も見比
べていた。筧と一緒の現場にいた冴島達も、皆人のその真意を量り切れずに困惑している。
『それはお前らが、俺達の記憶を消したからだろうが!』
『必要な処置です。仮に野放しにしたとして、私達に何かメリットがあったとでも? 組織
の磐石さは、貴方達当局の方がずっと上だ。私達のそれは貴方の言う通り、非公式な有志の
集まりに過ぎない。もし蝕卓にこちらの詳細が明らかになれば、間違いなく仲間達は狙われ
るでしょう。最悪、命を落とすかもしれない。それとも貴方の部下一人の命は、私達何十人
のそれよりも勝るとでも仰るのですか?』
『……っ』
ギチギチ。筧はぐうの音も出ずにその場に立ち尽くし、激しく歯噛みをしていた。通信の
向こう、司令室で皆人がじっと冷淡な眼でこれを見つめている。テーブルの上で両手を組ん
で、反撃がないかを待っている。
筧からの返答はなかった。思惑通り、彼の“正義感”が彼自身にこれ以上の感情的な反論
を否定させたのだ。マウンィングに他ならなかったからだ。当局、公権力に属する刑事とし
てこちら側を肯定し、睦月らを否定し続ければ、一体何が正しいのか正しかったのかも分か
らなくなる……。
『ふざけんな。てめぇらを追って由良が死んだのは、変わらねえじゃねえか……』
故に、やがて筧は先についっと視線を逸らして踵を返した。それでも口から衝いて出るの
は、皆人及び対策チームという存在に向けた恨みだ。冴島らが止める間も──確保すべきと
動くまでもなく、彼は一人倉庫群を後にしてゆく。
『……その最初の時に、お前らを拒んでいたのは正解だったよ』
それははたして負け惜しみのようにも聞こえた。相棒を、刑事としての誇りを侮辱された
ことへの怒りでもあったし、何より守護騎士──人知れず飛鳥崎の街を守ってきたという都
市伝説への失望であり、不信の表れでもあった。
『やっと一連の不可解の正体が判った、その点だけは礼を言っておく。だがそれとこれとは
話は別だ。けじめは……自分でつける』
言い捨てて、立ち去ってしまった筧。
冴島や睦月達は、暫くその場で通信越しで、その後ろ姿を見送る事しかできなくて……。
「──ねぇ皆人。やっぱりあの時、あんな言い方しなくても良かったんじゃない?」
授業の終了を告げるチャイムが鳴り、数学教師が手早く足早に、試験の準備を怠るなと念
を押してから教室を後にする。
「あんなの、売り言葉に買い言葉じゃない。僕らの秘密、知ったままなんだよ?」
にわかに、クラス内は弛緩した空気になった。ざわめいて束の間の休息に入る。
だがそんな中で睦月は、ちょちょいっと前の席に座る皆人に呼び掛けていた。一瞬、要領
を得ない友の切り出しに小さく眉を寄せた皆人だったが、すぐに先日の一件のことだと理解
してくれたらしい。肩越しに振り向くと言う。
「その点なら大丈夫だ。誰かに話した所で、あんな荒唐無稽、信じては貰えないさ」
「それは……。そうかもしれないけど……」
睦月は思わず不安そうに顔を顰めた。皆人曰く、当局内部に敵が潜り込んでいると思われ
る現状でもし筧が何かしらのアクションを起こしても、揉み消されるのがオチだろうと。何
より由良が殺された──口封じに消されたらしい事実が、彼に安易に口を割らせなくする筈
だとも。
「……まさか、筧刑事を怒らせたのって、わざと?」
「ああ」
つまりは自分達対策チームにとって不利な状況を、逆にあの場で利用したのだ。ようやく
そのことに気付いて、睦月は思わず目を瞬く。この目の前の友は何でもないという風に答え
るだけだったが、やはりとんでもない奴だなと思う。
「掻い摘んでとはいえ、彼に大よその事実を話したのは俺だ。どのみち知られるのは避けら
れなかったろうさ。それに、彼だってプロだ。何もあの時のままほど情動の人じゃない」
「? それって……?」
教室内のクラスメート達の視線がこちらに向いていない、てんでばらばらであるのを確認
しながら、皆人は言った。例外なのは海沙や宙、仁に、そっとこちらを窺って近付いて来よ
うとしていた國子──対策チームの仲間達だけである。
「本人も言っていただろう? 由良信介の行方を追うのなら、相棒だった彼が最も適任だ。
暫くは彼を泳がせてみる。勿論監視はつけるつもりだが……その過程できっと真相も、背後
に潜む者達を炙り出すことだってできる」
それが、皆人の方針らしかった。事実ここ暫くは、次から次へと新たなアウターが現れて
自分達対策チームを悩ませている以上、間接的にでも手伝ってくれる者がいるならそれに越
した事はない。
「……やり手だなあ、相変わらず」
頼もしいやら哀しいやら。
そう思わず苦笑いを零して、睦月は笑う。当の本人は笑い返すでもなく、複雑な横顔をち
らつかせながら再び前に向き直り、國子はそのままスッと自分の席に戻った。海沙や宙、仁
達もそれぞれの席で、話しかけてくるクラスメート達に応じる形で、聞き耳からの了解を送
りながら周りに気取られぬよう努める他ない。
『……』
そんな、皆のやり取りが交わされていた最中だった。
机の上に置かれた睦月のデバイス、画面の中にふよふよと浮かんでいたパンドラが、何処
か難しい表情をしてこの主達を見上げていたのだった。
内心の──違和感。
一言で表すのならば、そうどうにもままならぬ感覚が、この機械仕掛けの彼女の心には渦
巻き始めていて……。




