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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-31.Tomorrow/最も長い前日譚
235/526

31-(1) 皆人、詰る

 半ば叩き付けるように、黒板にチョークの数列が書き込まれてゆく。

 飛鳥崎学園高等部。睦月達のクラスはちょうど、数学の授業中だった。如何にも生真面目

そうな眼光の数学教師が、黒板に記したそれらを前に、熱の篭もった解説を展開している。

「このように、先ほどの数式を当て嵌めれば、ここまで式を分解することができる。後は各

項毎に解を出して証明完了だ。……ここ、今回の範囲だぞ? 重要単元の一つだから、落と

すと痛いからな?」

 少なからぬクラスの面々が、弾かれたようにノートを取っている。その表情は真剣で、尚

且つ苦しそうだ。十中八九、期末試験が近いせいだろう。それ故に生徒達もだが、彼ら教師

側も、良くも悪くも熱が入っている。生徒達の結果如何は、自身の査定にも大きく関わって

くるからだ。

(……期末テストかあ)

 ぼうっと睦月は、後方の席の一角でそんなさまを眺めていた。ノートこそ広げているが、

握ったペンは指先でくるくると回し、いまいち身が入らない。勉強自体はそこまで苦という

訳ではないのだが、毎度こういった時期の皆を見ていると、どうにも心苦しくなる。

 自分達などは「近いから」通っているが、本来ここは国立校──飛鳥崎を始めとした集積

都市や、国の未来を担う人材育成に力を入れている進学校だ。故に、採用されている教職員

達も、そういった意識が総じて高い。尤もそれが現在、この国の当たり前であり、推奨され

ている姿勢でもあるのだが。

『……』

 しかし。そっと横目で海沙や宙、仁といった仲間達の様子を見てみると、少なくとも彼女

らの内心は自分と同じくそれ所ではないような気がする。

 この試験が終われば、夏休みだ。一転解放される。

 だが自分達──アウター対策チーム一同にとっては、そんな学生生活よりももっと大変な

状況が、今も現在進行形で続いている訳で……。


『失敗? それってどういう……』

 それは数日前の事。ライアーから筧を守った冴島から通信があり、司令室コンソールの皆人らと共に、

バイオを倒した後の睦月達は、そのやり取りの一部始終に加わっていた。変身を解いた右

耳のインカム越しから、開口一番不穏なフレーズが飛び出す。

『新しいアウターが現れたんだ。奴は間違いなく筧刑事を狙っていた。それに……由良刑事

のことも』

 現場に居合わせた冴島隊から受けた報告は、睦月達を思わず深刻な面持ちにさせた。

 曰く、由良のアパートを訪ねた筧を襲ったアウターは、自分達に「こいつ“も”消した方

が都合がいいだろうが!」と叫んだそうだ。彼の行方が掴めない状況を踏まえるに、この発

言から既に、彼はもう殺害されてしまった可能性が高いのではないかと。

『……遅かったか』

 皆人が、そう静かに呟いて唇を噛む。しかし何故? 二人が自分達やアウターの存在につ

いて嗅ぎ回っていたのは前々からなのに、何故今になって?

 しかし筧にその辺りを訊こうにも、睦月達は逆に彼から質問されてしまったのだった。

『それより答えろ。お前達が……知られちゃあ“都合の悪い誰か”なのか?』

 通信の向こうで沈黙する司令室コンソールと、冴島隊に睦月ら、二つの現場の面々。

 苦渋の決断ではあったが、皆人は仕方なく、彼に大よその事情を話すと決めた。飛鳥崎に

潜む電脳の怪人・越境種アウターと改造リアナイザ、蝕卓ファミリー、それら悪しき勢力と戦う自分達対策チーム

の存在と、睦月こと守護騎士ヴァンガードの正体……。

 最大の理由は、もう彼の記憶への干渉に限界が来ていたことだった。何より由良が殺害さ

れてしまったのなら、死という現実までは覆せない。彼にとって近しい人間がいなくなった

以上、このまま隠し通すのは無理だと判断したためだ。

『……舐め腐りやがって。刑事デカを何だと思ってる』

 皆人の口から──実質改めて告げられた真実。

 だが当の筧は、突拍子のない驚きよりも、静かな怒りを覚えていたようだった。一度記憶

を奪われたらしいことも含め、彼にしてみれば睦月達“素人”の存在と、その秘密裏の活動

に後れを取ってきた当局という構図が腹持ちならなかったらしい。

『……ですが、貴方のそのプライドが、彼を殺したんですよ』

 にも拘わらず、次の瞬間、皆人は通信越しに言い放ったのだ。「ちょっ、皆人!?」睦月

らはその明らかに挑発的な言葉に戸惑ったが、彼の──司令室コンソール司令官の口撃は止まらない。

『何を……!』

『あの時、一度目の接触で貴方達と協力関係を結べていれば、そもそも由良刑事がアウター

に深入りすることはなかった。殺されるなどという最悪の結果は防げた筈です。その刑事の

誇りとやらよりも実利で動き、決断していれば、守りえた命ではないのですか?』

 場は、一瞬にして険悪なものになっていた。通信越しとはいえ、筧の噴火寸前の怒気さえ

もが伝わってくるようだった。パンドラや、海沙がビクビクと震えてこの両者を何度も見比

べていた。筧と一緒の現場にいた冴島達も、皆人のその真意を量り切れずに困惑している。

『それはお前らが、俺達の記憶を消したからだろうが!』

『必要な処置です。仮に野放しにしたとして、私達に何かメリットがあったとでも? 組織

の磐石さは、貴方達当局の方がずっと上だ。私達のそれは貴方の言う通り、非公式な有志の

集まりに過ぎない。もし蝕卓ファミリーにこちらの詳細が明らかになれば、間違いなく仲間達は狙われ

るでしょう。最悪、命を落とすかもしれない。それとも貴方の部下一人の命は、私達何十人

のそれよりも勝るとでも仰るのですか?』

『……っ』

 ギチギチ。筧はぐうの音も出ずにその場に立ち尽くし、激しく歯噛みをしていた。通信の

向こう、司令室コンソールで皆人がじっと冷淡な眼でこれを見つめている。テーブルの上で両手を組ん

で、反撃がないかを待っている。

 筧からの返答はなかった。思惑通り、彼の“正義感”が彼自身にこれ以上の感情的な反論

を否定させたのだ。マウンィングに他ならなかったからだ。当局、公権力に属する刑事とし

てこちら側を肯定し、睦月らを否定し続ければ、一体何が正しいのか正しかったのかも分か

らなくなる……。

『ふざけんな。てめぇらを追って由良が死んだのは、変わらねえじゃねえか……』

 故に、やがて筧は先についっと視線を逸らして踵を返した。それでも口から衝いて出るの

は、皆人及び対策チームという存在に向けた恨みだ。冴島らが止める間も──確保すべきと

動くまでもなく、彼は一人倉庫群を後にしてゆく。

『……その最初の時に、お前らを拒んでいたのは正解だったよ』

 それははたして負け惜しみのようにも聞こえた。相棒を、刑事としての誇りを侮辱された

ことへの怒りでもあったし、何より守護騎士ヴァンガード──人知れず飛鳥崎の街を守ってきたという都

市伝説への失望であり、不信の表れでもあった。

『やっと一連の不可解の正体が判った、その点だけは礼を言っておく。だがそれとこれとは

話は別だ。けじめは……自分でつける』

 言い捨てて、立ち去ってしまった筧。

 冴島や睦月達は、暫くその場で通信越しで、その後ろ姿を見送る事しかできなくて……。


「──ねぇ皆人。やっぱりあの時、あんな言い方しなくても良かったんじゃない?」

 授業の終了を告げるチャイムが鳴り、数学教師が手早く足早に、試験の準備を怠るなと念

を押してから教室を後にする。

「あんなの、売り言葉に買い言葉じゃない。僕らの秘密、知ったままなんだよ?」

 にわかに、クラス内は弛緩した空気になった。ざわめいて束の間の休息に入る。

 だがそんな中で睦月は、ちょちょいっと前の席に座る皆人に呼び掛けていた。一瞬、要領

を得ない友の切り出しに小さく眉を寄せた皆人だったが、すぐに先日の一件のことだと理解

してくれたらしい。肩越しに振り向くと言う。

「その点なら大丈夫だ。誰かに話した所で、あんな荒唐無稽、信じては貰えないさ」

「それは……。そうかもしれないけど……」

 睦月は思わず不安そうに顔を顰めた。皆人曰く、当局内部に敵が潜り込んでいると思われ

る現状でもし筧が何かしらのアクションを起こしても、揉み消されるのがオチだろうと。何

より由良が殺された──口封じに消されたらしい事実が、彼に安易に口を割らせなくする筈

だとも。

「……まさか、筧刑事を怒らせたのって、わざと?」

「ああ」

 つまりは自分達対策チームにとって不利な状況を、逆にあの場で利用したのだ。ようやく

そのことに気付いて、睦月は思わず目を瞬く。この目の前の友は何でもないという風に答え

るだけだったが、やはりとんでもない奴だなと思う。

「掻い摘んでとはいえ、彼に大よその事実を話したのは俺だ。どのみち知られるのは避けら

れなかったろうさ。それに、彼だってプロだ。何もあの時のままほど情動の人じゃない」

「? それって……?」

 教室内のクラスメート達の視線がこちらに向いていない、てんでばらばらであるのを確認

しながら、皆人は言った。例外なのは海沙や宙、仁に、そっとこちらを窺って近付いて来よ

うとしていた國子──対策チームの仲間達だけである。

「本人も言っていただろう? 由良信介の行方を追うのなら、相棒だった彼が最も適任だ。

暫くは彼を泳がせてみる。勿論監視はつけるつもりだが……その過程できっと真相も、背後

に潜む者達を炙り出すことだってできる」

 それが、皆人の方針らしかった。事実ここ暫くは、次から次へと新たなアウターが現れて

自分達対策チームを悩ませている以上、間接的にでも手伝ってくれる者がいるならそれに越

した事はない。

「……やり手だなあ、相変わらず」

 頼もしいやら哀しいやら。

 そう思わず苦笑いを零して、睦月は笑う。当の本人は笑い返すでもなく、複雑な横顔をち

らつかせながら再び前に向き直り、國子はそのままスッと自分の席に戻った。海沙や宙、仁

達もそれぞれの席で、話しかけてくるクラスメート達に応じる形で、聞き耳からの了解を送

りながら周りに気取られぬよう努める他ない。

『……』

 そんな、皆のやり取りが交わされていた最中だった。

 机の上に置かれた睦月のデバイス、画面の中にふよふよと浮かんでいたパンドラが、何処

か難しい表情かおをしてこの主達を見上げていたのだった。

 内心の──違和感。

 一言で表すのならば、そうどうにもままならぬ感覚が、この機械仕掛けの彼女の心には渦

巻き始めていて……。

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