31-(0) 些細な妄想(ねがい)
チクタクと、時計の針が動く音ばかりがする。
その夜、彼は一人自室に篭もって試験勉強を続けていた。カリカリと、シャープペンを走
らせる音が耳に重なる。日付もとうに越し、この夜が明ければいよいよ期末試験本番だ。
「……駄目だ」
しかしこの眼鏡の少年は、はたっとペンをノートの上に投げ出した。口を衝いて漏れたの
は、差し迫った嘆き──焦燥感だった。
口の中がカラカラになる。時間が……足りない。
彼は学園内では、基本優等生として通っていた。それは他ならぬ本人も自負している所だ
ったのだが、成績はここ暫く下降状態が続いている。いや、失速しつつあると言っていい。
強い焦りの原因は、まさにそこだった。次こそ結果を出さなければ、このまま“落ちて”
ゆく予感さえあった。
──空高く飛んでいた姿から、真っ逆さまに墜ちるイメージ。思春期特有の、ゼロサムの
極端な飛躍。
事実このまま落第などすれば、卒業後に選べる進路は狭まるだろう。そうなれば将来の、
自分の人生そのものが大きくグレードダウンすることは避けられない。……怖かった。社会
のレールから外れることは、彼にとって限りなく絶望に近い。現実のゼロサムも、飛躍した
イメージも、油断すればすぐにでも自分を奈落の底へと叩き落す。
“新時代”以降、いわゆる弱肉強食や競争原理が肯定され、社会は自己責任の気風を強く
帯びるようになった。彼のような、物心ついた頃にはそれが当たり前となっていた──重圧
の中で生きてきた人間が、怖気づくのも無理はないのかもしれない。少なくとも現実という
ものは、早く動いてきた者がより多くを総取りしてゆく構図なのである。
少年の両親は、共に手堅い公務員だ。彼の家系は代々、そうした地位に収まって安定した
暮らしを勝ち取ってきた。
だからこそ、彼に掛かる期待、プレッシャーは目に見える以上のものだった筈だ。なまじ
両親がエリート街道を通ってきたタイプの人間であるが故、泣き言一つ伝えるのも何処か躊
躇われる環境だったからだ。
彼は今、国立の一貫校・飛鳥崎学園に在籍している。つまりは……そういう事だ。
彼は独り頭を抱えていた。机を照らす明かり以外はすっかり暗くなってしまった室内で、
髪をガシガシと掻き毟っては焦る気持ちにばかり苛まれている。時間が、足りない。
(せめてもう一日。もう一日あれば……)
ちょうど、そんな時だった。頭を抱えていた彼は、ふと思い出したかのように机の引き出
しを開けていた。
一番下の、最も深くてたくさん入る所。そこには短銃型のツール──リアナイザがしまわ
れていたのだった。参考書や教材、整理されたファイルが几帳面に並ぶ中にあって、それは
とても奇異に目立って映る。
「……」
焦りでやつれた表情。
彼はその険しい顔色のまま、この押し黙るリアナイザに手を伸ばして──。




