30-(2) 自責の時間
木陰の下は思ったよりも涼しかった。尤もそんな過ごし易さも、夏本番になれば失われて
しまうのだろうが。
バイオ達との戦いから数日。放課後睦月は一人、河川敷の草むらに寝転んでいた。以前に
勇と戦った、あの河川敷である。ただ当時の痕跡はもう無くなっていた。倒木があると行政
部門が仕事をしたのか、或いは司令室による“後始末”なのか……。
「……」
睦月は多くを語らずにそこにいた。傍らにはパンドラの入ったデバイスが無造作に置かれ
ている。空を見上げ、深く静かな嘆息を。ゆっくりと右手を持ち上げて、その視界の中に白
いEXリアナイザを捉えている。
『マスター?』
そんな時だった。画面の中で小首を傾げているパンドラごと、睦月はおもむろにデバイス
を取った。EXリアナイザの上蓋の中に挿入し、何度となく走らせてきた動作を試みる。
『TRACE』
だがしかし、機械的な音声が返ってきたのはそこまでで、掌に押し当てようとした銃口は
やはりバチバチッと小さな迸りを纏いながら押し返される。っ──! 睦月は一瞬顔を歪め
たが、すぐに諦めて銃口を離した。操作がキャンセルされたと判断されたのか、EXリアナ
イザはその後沈黙し、睦月はとすんとその両手を草むらの上に放り出す。
『ま、マスター。あまり無茶にやり過ぎると……』
「分かってるよ。ただ、いつ復活してるか分からないから……」
ホログラム画面から、にゅっとパンドラが姿を見せて言った。そんな彼女に、睦月は視線
を向ける事さえせずに応じている。
……悶々としていた。今まで変身できる事が当たり前になり過ぎていた反動なのか、一転
変身できなくなった自分に言いようもない無力感を覚えていたのだ。……今なら解るような
気がする。冴島が、入院を余儀なくされるほどの反動ダメージを受けると知りながら変身を
強行し、やはり結果力及ばなかったあの頃の無念を。
『これはまだ、仮説の域を出ないのだけど……』
そして、睦月は思い出していた。バイオとの戦いから辛うじて逃げ切り、己の無力さを痛
感しながら司令室に戻って来た時のことを。
海沙と宙が、正式に対策チームの一員となったやり取りの後、母・香月は確かに睦月や場
の面々に向けて語ったのだった。突如として彼が変身できなくなった原因、その思いもよら
ない理由を。
『端的に言うと、睦月が変身できなくなったのは──“安堵”したからよ』
は? 当の睦月本人を始め、場の面々の多くが最初、そんな反応を示した。その言葉を第
一声から重く受け止めていたらしいのは、原因調査に携わっていた萬波以下研究部門の面々
と、静かに眉根を寄せた皆人ぐらいだったと記憶している。
安堵……? ぽつりと呟く睦月や仁、海沙に香月はコクと頷いていた。反応は、動揺は想
定内だと言わんばかりにそのまま話を続ける。
『睦月はああギリギリまで不本意だったみたいだけど、今回の異変は状況的にも海沙ちゃん
と宙ちゃんがうちのチームに加わったことが切欠だと考えるのが自然よ。これでもう、遠回
しに二人を守る必要はない。すぐ傍で守れる。もうあれこれと、隠し事をしなくてもいい』
『……』
『本格的な検証はこれからだけど、おそらく適合値を上昇させるものは“強い願い”だと私
達は結論付けたわ。ある種の自己暗示、かしらね。使用者の強い願望が、コンシェルが本来
持つ“人を援ける”部分と噛み合うことで数値の上昇という現象を生み出しているのだとし
たら……? そう考えると、アウター達の生態にもある程度の整合性がつくのよ。彼らは人
に害為す存在だけど、元はコンシェルだもの。あくまで“召喚主の願い”を梃子に実体化を
図ろうとするのは、そんな性質の名残じゃないかしら?』
故に、睦月達は暫く呆然としてしまっていた。
そんな理由で……? 同じ、コンシェル……。
少なからず自分達ヒトと“違ったもの”という認識でもってこの「敵」と戦ってきた面々
にとって、その分析はすぐさますんなりと受け入れられないものでもあった。
願い一つで、彼らは忠実な隣人にもなるし、害為す敵にもなる。
そんな脳裏に浮かんだフレーズは、他でもない面々が、これまでの戦いの中で幾度となく
経験してきたものでもあったのだから……。
『……随分と、エモい根拠ッスね』
『そうでもないわよ。こう言ってしまうと何だけど、感情ってのものも結局は電気信号の流
れ方や脳内物質の分泌の如何な訳だし』
尤も、その辺りを突っ込もうとすると私の専門分野じゃなくなっちゃうけどね……。仁の
苦笑に香月は言った。彼女もまた別の意味で、苦々しい笑みを零さずにはいられなかった。
睦月はそんなやり取りを、ぐらりと揺れる瞳の中で見ている。ちらちらと、次第に仲間達が
その様子に気付き始めていた。気付いて、掛けるべき言葉を見つけられないでいた。
『だから──この先、私達の取りうる選択肢は二つよ。睦月にもっと、戦いに対して欲を持
って貰うか。或いは守護騎士の換装システム自体を、ダウングレードさせてハードルを下げ
るか』
暫く時間を頂戴。きっと、何とかしてみせる。
母はそう言った。結局その日はその話題の後解散になり、以降彼女ら研究部門の面々は二
十四時間体制でシステムの再構築に当たっている。
要は変身し易く、必要な適合値の下限を再調整する作業だそうだ。
それがたとえ、出力を落とす事になっても……。睦月や誰かが変身できない以上、そうで
もしなければ自分達はアウターらと満足に戦えない。
「……全部、僕のせいなのかな」
ぽつりと、睦月はそう誰にともなく呟いた。ホログラム画面から現れていたパンドラが、
ザザッとノイズに見舞われながら『マスター……』と漏らしている。
つまり、全部自分のせいなのではないか?
海沙と宙が味方になった。もうこれ以上彼女達を“守る為に突き放す”ことをしなくて済
むようになった。……救われた。あの時、海沙に「いいんだよ」と言って貰えて、自分の中
で何かが堰を切って溢れ出してしまったような気がする。もしそれが、母の言う“安堵”な
らば──あの時既に適合値の低下は始まっていたのかもしれない。瀬古さんと戦った時は、
まだ海沙を守らねばと気を張っていたけれど、二人が味方になって、対策チームの一員とな
って、確かに自分は“安堵”したのではないか? 安堵して、力を失って、その結果由良刑
事の確保が後手に回ってしまった。皆人達の計画が狂った。新たなアウター達が現れても、
まるで満足に戦う事ができなかった……。
(……強い、願い)
EXリアナイザを傍に置いたまま、睦月は自身の掌を持ち上げてじっと見る。強い願い、
それが自分を守護騎士にしていた原動力だった。
嗚呼、ならばあの時見た幻影にも合点がいく。自分は訊ねられたのだ。一体何が望みかと。
あの時は海沙と宙と、大切な人達を守りたいと答えた。それで充分だった。でも──本当
にそれ“だけ”だったんだなと改めて思う。彼女達の、すぐ近くの平穏が守れれば、他人は
案外どうでもよかったんだ。そしてそれが、自分でも思ってもみないほどの強烈さだったと
いうだけ。別に、自分がそこまで特別だった訳じゃない。ただ偶然にも願ったものが狭くて
強くて、彼らを動かすに足りたという、それだけ……。
「……」
母さん達は、今も守護騎士のシステムを再調整してくれている。だけどそれは事実上の弱
体化だ。本当は解っている。他ならぬ自分自身が、しっかりしなきゃいけないんだというこ
とぐらい。
(僕の、本当にやりたいことって……何なのかな……?)
ちょうど、そんな時だった。EXリアナイザの中から──デバイスに着信が入った。睦月
はハッと我に返って身を起こし、パンドラの入っているそれを取り出すと急いで繰り返され
るコールに応じる。
相手は、司令室の皆人だった。
『緊急事態だ、睦月。今何処にいる? 街にアウターが現れた。進坊本町の大通りで暴れて
いる。例の──この前の三人組だ』




