28-(7) 氷狼換装
無遠慮に砂利道を踏み締め、勇が近付いて来る。睦月は零れていた涙をガシガシと拭い、
海沙を庇うように前に立った。司令室の皆人達が、物陰の冴島・國子両隊が真剣な顔つきに
なって身構える。
「せ──」
言いかけて、睦月は慌てて自らの口を塞いだ。
明かしては拙い。ここには海沙がいる。表向きにはまだ彼は死んだことになっていた筈だ。
背中越しからも怯えているのが分かる。余計に煽り立てなければならない理由もないだろう。
「そろそろこの前のダメージも落ち着いた頃だろうと思ってな。わざわざ待ってくれてると
は話が早い」
「む、むー君。この人って……?」
「今は話してる暇がない。逃げて。早く!」
尤も当の勇自身は、そんなこちらの心配などまるで考えも、意に介しもしていないようだ
ったが。
ゆらりと害意──口角を吊り上げながら距離を詰め、彼は堤防道から草の坂へと真っ直ぐ
にこちらに向かってくる。睦月は背後の海沙に、答えるよりも先ず避難させることを優先し
ようとした。しかし海沙当人は戸惑っている。大方睦月を置いてなど、とでも考えているの
だろう。
「……で? そこの女は何だ? お前のツレか?」
故に勇も、ちらっと怪訝な様子で海沙の方を見た。狂気の中にも一抹の嬉々があった表情
に、じりっと刺すような不機嫌が混じり込む。
睦月は答えなかった。肩越しにちらりと確認し、震えたまま動けない海沙に困る。
拙い。このままでは彼女を巻き込んでしまう。避けなければ。それだけは、それだけは絶
対に避けなければ──。
「邪魔だ。失せろ」
だがそんな睦月の内心の焦りを、他ならぬ勇が吹き飛ばした。
自分達よりやや上の位置の坂に立ったまま、仕掛けてくる様子もなくただそう言い放って
見下ろしている勇。一瞬目を瞬いたが、どうやら海沙が離れるまで待っている心算らしい。
海沙自身も戸惑っていた。睦月と、彼との間に視線を何度も往復させて、どうしたらいいの
かとおろおろしている。
「え、えっと……」
「失せろ。戦いの邪魔だ。人質を握って勝ったって、何の意味もねえ」
二度も言わせるな。そう言わんばかりに眉間に皺を寄せて、勇は言った。
ビクッと海沙が身を硬くする。迷うようにみせた視線に睦月は頷いて、この隙に彼女を逃
がそうと試みる。
「それと──さっきからそこでコソコソ隠れてる奴ら。てめぇらも邪魔だ。余計な真似をし
てみろ。先にてめぇらからぶち殺すぞ」
バレていた。真っ直ぐに射抜くような視線を投げつけられ、冴島と國子達がゆっくりと物
陰から現れる。「陰山さんと……誰?」海沙が小さく驚き、そして戸惑うが、次の瞬間それ
よりも更に事態を掻き回す者達が現れる。
『──ァァ』
サーヴァント達だった。わらわらと、まるで勇の一言を合図にするようにして、物陰に隠
れていた冴島や國子、隊士達を追い出すように彼らは伸び放題の草木の中から現れる。
「ひぃっ?! ばっ、化け……!」
「大丈夫。大丈夫だから、陰山さん達の所へ行って? 一緒にできるだけ遠くへ。ここにい
たら巻き込まれる」
当然、海沙は怯え出した。無理もないだろう。突如として蛇腹パイプを胴に巻いたバケツ
ヘッドの怪人達が大挙してきたのだから。睦月は彼女を庇う体勢のまま、じりじりっと坂を
降りて行った。降りて行って、こちらに小走りで駆けて来る國子らに彼女を託す。
「B班、青野さんの保護を!」
「A班と残りの班は撃退準備! 彼女を守るように二重陣形!」
そうして、冴島と國子達はすぐに動いてくれた。まだ少なからず混乱している海沙を抱き
抱えるように保護すると、めいめいのコンシェル達を呼び出した隊士らがぐるりとこれを円
状に囲んで身構える。「コ、コンシェル? 本物……?」やはり海沙が驚いていたが、今は
構っている暇はない。彼女が彼らにキャッチされたのを確認して、睦月は頷き、言った。
「僕なら大丈夫です! それより海沙を、できるだけ遠くへ!」
そんな睦月の叫びに、冴島達は初め戸惑っているようだった。
だが目の前にいる相手は、今までのアウター達とは明らかに違うし、一線を画している。
言うなれば擬似守護騎士とでもいうべき存在だ。自分達隊士の力では到底敵う気がしな
い……。
いざとなった時、海沙を運ぶ人手も必要だ。冴島らは苦渋の表情を浮かべていたが、やや
あってコクッと頷いた。戸惑う海沙の手を引き、急いでこの場から離れてゆく。一方でサー
ヴァント達も、そんな彼らに襲いかかろうとはしなかった。まるで予めそう命令を受けてい
たかのように、代わりに動いて形作ったのは、睦月と勇を囲む大きな四角のみ。
「いくぜ。守護騎士──いや、佐原睦月」
「……っ!」
睦月はじりっと河川敷まで後退していた。その位置を埋め直すように、しかし一定の距離
は保ち続けて勇も降りて来る。戦うしかないのか……。迷い、きゅっと唇を結ぶ睦月から目
を離さず、勇は懐から黒いリアナイザとデバイス、ドラゴンが変化したものらしきそれを左
右の手に握り締めて構えた。睦月も、同じEXリアナイザ──白いリアナイザと画面の中で
「ふーっ!」と威嚇しているパンドラの入ったデバイスを構え、これをセットする。
『READY』
「変、身』『EXTENSION』
『TRACE』『READY』
「……変身!」『OPERATE THE PANDORA』
黒いリアナイザはコードを入力して『666』、白いリアナイザはホログラム画面を操作
して基本の換装を。
互いに向かい合った睦月と勇は、同時に電脳の力を纏って変身した。
守護騎士。白亜のパワードスーツに身を包んだ、正義の騎士。
龍咆騎士。漆黒のパワードスーツに身を包んだ、怨念の戦士。
「……何、あれ。むー君が、鎧になっちゃった……」
遠く橋の上まで避難した海沙は、そんな二人の光景に唖然としていた。
白ばんだ空色の輝きと、禍々しい黒い光球。それぞれから弾き出た二人の姿は、およそ彼
女の“常識”からは考えられないもので……。
「……まさか。守護騎士って……」
冴島も國子も、通信越しにこの一部始終を観ていた司令室の皆人達も、何も言わない。戦
いはもう、始まってしまった。
「いくぞお! 佐原ァ!」
『DUSTER MODE』
「おぉぉぉぉッ! スラッシュ!」
『WEAPON CHANGE』
ツーノック、音声認識。銃口から飛び出た棘の拳鍔とエネルギーの刃が、直後激しくぶつ
かって火花を散らした。遠慮など要らない、遠慮などしない。戦いは始まった。繰り返し吹
き荒ぶ二人の余波に、周りを囲んでいたサーヴァント達が一体また一体と飛ばされてゆく。
「こんな、モンかよっ! まだ傷が残ってんのかあ!?」
「気にするんなら……何で海沙の前に出てきた!? 彼女だけは……彼女達だけは、巻き込
みたくなかったのに!」
『ARMS』
『CUT THE MANTIS』
初撃の押し合いは、やはり基礎スペックを上回る勇に分があった。だが睦月とてもう出し
惜しみはしない。相手の拳鍔に押し切られたのもそこそこに、飛び退きながらホログラム画
面を操作すると、両腕に二刀の逆刃を装着する。
一撃一撃が重い勇の──黒い守護騎士の攻撃。
それを睦月は、マンティス・コンシェルの刃で巧みにいなし、返すもう一方の腕で反撃を
加え始めた。一発二発と火花が散り、或いはすんでの所でかわされる。今度は勇が距離を取
り直す番だった。互いにリアナイザを操作する。互いに武装を呼び出したが、一歩早かった
のは睦月の方だった。
『ELEMENT』
『INCLUDE THE APRICOT』
緑色の光球が銃口に吸い込まれ、放たれた複数のエネルギー弾は──存外ゆっくりに勇へ
と向かっていった。
その弾速に、一瞬勇は油断する。身構えてすぐ、充分にかわせると見込んでそのまま、数
字キーのコードを入力しながら駆け抜けようとした。
「っ!?」
しかしそれが甘かった。ゆっくりと漂うエネルギー弾達は、少し勇の肩などに掠っただけ
で、次から次へと堰を切ったように爆発し始めたのである。
「チッ……! 誘爆弾か」
睦月が銃口を向け続けている。そう、これは誘爆の性質を持つ属性弾。攻撃ではなく、ば
ら撒いて相手の行動を妨げるのが主な目的だ。
睦月は走り出していた。同じくEXリアナイザを再び操作し、矢継ぎ早に次の一手を繰り
出す為に。
……守らなくっちゃ。自分を許してくれた彼女達を、守る。平穏な日常を、守る。
そんな日々を壊そうとするのなら、放ってはおけない。そんなお前を、僕は許す訳にはい
かない。
(瀬古さん……。貴方は、僕の敵だ!)
『ARMS』
『BRITTLE THE QUARTZ』
繰り出した左手に銀色の光球が纏い、手首から上が、頑丈な手甲に変化した。そのまま勇
の武器──黒いリアナイザを狙う。そんな動きに、対する勇も何か危険な予感を抱き……。
「調子に、乗るなァ!」
『ENHANCE BRACHIO』
入力したコードは『7524』。中空に展開したパーツ群は直後彼の左腕に装着され、巨
大な射出機構付きのチェーンハンマーとなって発射される。
鞭の要領でしなり、ばら撒かれた誘爆弾をごっそりと駆逐したチェーンハンマー。
更に勢いはそこで終わらず、一転近接に持ち込もうとした睦月を激しく打ち飛ばした。
「ぐっ……! がはっ……!」
「ぜえ、ぜえ。猪口才な手を──ん?」
強烈な衝撃で地面を転がり、むせた睦月。
そんな彼を見下ろして舌打ちをしながら、はたと勇は気付いた。
チェーンハンマーの一部が、石化して脆くなっている。
なるほど。そういう能力か……。鎖を手繰り寄せながら見下ろし、理解する。もしリアナ
イザの方で殴っていれば、その時点でシステム全体を無力化されていた。
「一々みみっちいんだよ! それでも一度は俺を追い詰めた男か!? 戦え! 戦って、俺
の怒りを鎮めろ!」
二度目の舌打ち。そして勇は、ハンマー部分を直接握り締めると、両膝をついた睦月に向
かってこれを散々に振り下ろした。
ガンッ、ガンッ。激しく火花が散る。高重量の打撃が叩き付けられ、睦月が声にもならな
い悲鳴を上げて崩れ落ちようとする。
『睦月!』
「い、嫌あああッ!」
「睦月君!」「睦月さん!」
『逃げて、睦月! 強化換装よ! ブルーカテゴリを! 相手のパワーを抑え込むしかもう
方法がないわ!』
『聞こえるか、睦月!? そのままじゃやられるぞ!』
仲間達が叫んでいた。インカム越しからも必死の指示が聞こえる。
視界が霞んでいた。繰り返し振り下ろされ、振り上げられた勇のハンマ……。
「──っ!」
その、次の瞬間だった。睦月は刹那戦意を取り戻し、その場を転がって勇の攻撃をかわし
ていた。草を地面を大きく抉って、勇がギロリと見つめてくる。大きく息を切らし、肩で呼
吸を整えながら、一旦距離を取り直した睦月は再びEXリアナイザを操作する。
『WOLF』『DOG』『FOX』
『RACCOON』『LYCAON』『JACKAL』『COYOTE』
「……っ」
『ACTIVATED』
『FENRIR』
ホログラム画面上で、滑るように連続で選択されたコンシェル達。澱みない機械音。
バチバチッと奔流の抵抗力を掌で押し込み、睦月はその銃口を高く掲げた。同時に頭上へ
と、大きな青色の光球が発射される。その後光球はある高度で七つに分裂し、ぐるぐると円
陣を組みながら、次々に睦月へと降り注ぐ。
「──」
溢れ出した大量の冷気。
はたしてそこに現れたのは、全身青を基調としたパワードスーツに姿を変えた、睦月の新
たな姿だった。
フェンリルフォーム。両肩に毛皮を模したモフを纏い、やや弓なりに湾曲した片手剣と小
盾を装備した、エネルギー制御に特化した強化換装。
「……調子に乗るなよ。お前は、俺に倒されるべき存在だッ!!」
石化したチェーンハンマーを捨て、新たに大鋏型のアームで殴りかかってくる勇。
だがそれを、睦月は冷気を纏う剣と盾で、巧みにいなしたのだ。驚いた勇がもう二度三度
と、繰り返し攻め立てる。しかしそのどの一撃も、新たな姿になった睦月には掠り傷一つ与
えられない。逆に受け流されたその接触点から、勇の身体が徐々に凍て付き始めている。
「……凄い」
「どうやら、香月さんの作戦は当たったようだね。パワー偏重の相手に力でぶつかるのでは
なく、逆に利用する。これでもう、彼の力は半分以下になった」
遠く橋の上からでも、形勢の逆転は見て取れる。海沙はまるで魅了されるようにじっとこ
の幼馴染の戦いを見ていた。フッと、冴島が呟きながら微笑う。えっ……? 海沙はされど
思わず視線を向けた。
香月さん? おばさまが?
じゃあ、むー君のあの姿は、おばさまが作った──?
「決めるよ。パンドラ」
『了解です! 一発、ギンギンに冷えた奴をお見舞いしてやりましょう!』
動きが鈍ってよろめいた勇を見遣りながら、睦月は言った。ホログラム画面内のパンドラ
もすっかり乗り気で、傘下のサポートコンシェル達に号令を掛けている。
「チャージ!」
『PUT ON THE ARMS』
片手剣を持ち替え、その柄頭にEXリアナイザを挿入する。刀身全体に加速度的に冷気が
渦巻き始め、辺りを巻き込んだ。もう一度右手へ。ぐるんと回したそれを、今度は逆手にし
て、思いっ切り地面に叩きつけて突き刺す。
「なっ……!?」
するとどうだろう。突き刺した場所を基点に、地面が急速に凍て付き始めたではないか。
勇はかわすことも叶わず巻き込まれ、下半身は勿論、両腕までも氷漬けにされて一切動けな
くなってしまう。
「……」
睦月は剣を構えたまま、ゆっくりと腰を落とした。サッ、サーッとスケートの要領で徐々
彼の回りを加速して滑走し始め、やがてその速度は霞んで目では追いつけないほどのものに
なってゆく。
「がっ?! ばっ、がっ、ぐぁッ!!」
それはまさに剣舞。猛烈な加速がついたまま次々と繰り出される斬撃は、すれ違う度に勇
を散々に痛めつけた。無数の火花が散る。冷気が迸る。ぐわんと大きく揺らいだ、しかし氷
漬けになってろくに動けないその身体に、睦月は最後に渾身の一撃を叩き込む。
「どっ──せいやああああーッ!!」
極限までエネルギー、青い輝きを込めた一閃。その衝撃に勇の身体は中空へと巻き上げら
れ、大きく地面に叩き付けられていた。
濛々と冷気が蒸発してゆく。息を切らしながら、何とか立ち上がろうとする。
だが、もう勝敗は明らかだった。バチバチッと、龍咆騎士の装甲全身からエネルギーの漏
出が始まっている。勇自身も既にふらふらだった。滑走を止めた睦月が、じっと剣と盾を構
えてその出方を窺っている。
『──ここまでだね』
ちょうど、そんな時だった。龍咆騎士に繋がった通信に、白衣の男ことシンからの一言が
響いた。パワードスーツの下で、勇が目を見開く。見開いて、チッと激しく舌打ちをしてい
る。だが対するシンは冷静だった。言葉こそなかったが、周りに座す円卓の面々も同じだっ
た。黒いリアナイザを介して戦いの一部始終を観ていた彼が、勇にそう明確な指示を下す。
『退くよ。戻っておいで。中々有意義なデータを採れた。どうやら彼には、まだまだ底知れ
ぬ力があるようだね。僕達もまだまだ、更なるチューニングを必要とするらしい』
「くっ……」
怪訝にその様子を見つめていた睦月達。すると勇は、惜しみながらも弾かれたように黒い
リアナイザの数字キーを入力した。
『ENHANCE PTERA』
コードは『0644』、背中に装着されたのは巨大な機械の翼。
身構えた睦月に、勇は一瞬途轍もない憎悪の眼を向けた。しかし次の瞬間、彼はその機械
の翼を羽ばたかせ、大きく空に舞い上がって河川敷から飛び去ってしまう。
「……助かった、のかな?」
「そのようです。形勢逆転とみて、撤退の指示があったのでしょう」
橋の上では冴島と國子、隊士達がめいめいに傾げる小首と安堵を浮かべていた。こと海沙
にとってはそれは顕著である。正直目の前で起きた事が色々あり過ぎて混乱しているが、そ
れでも一つはっきりした事がある。
「……。むー君が、守護騎士……」
司令室の皆人達が、やれやれと静かに嘆息をついていた。
しかしその表情は、同じく何処か安堵さえしている。それは単に決定的瞬間を目撃された
という点だけではなく、直前まで睦月と交わされていたやり取りが故だったのだろう。
「……リセット」
たっぷりと、たっぷりと暫くその場に立ち尽くした後、睦月はそっとEXリアナイザを頬
元までやり、変身を解除した。辺りにはまだ点々と凍て付いたままの氷の地面と、激しい戦
いの痕跡が残っている。
一陣の風が吹いた。さわさわと、その草臥れた制服姿を揺らした。
そして睦月はゆっくりと、肩越しに振り返り、向こうの──橋の上にいる海沙達の姿を見
つめたのだった。




