27-(2) 儘ならなくて
瀬古勇射殺のニュースを目の当たりにした時、小松健臣は思わずダンッと目の前のテーブ
ルを叩いて立ち上がっていた。壁掛けの大型テレビには、当局関係者らが忙しなく出入りを
繰り返す磯崎邸が、やや遠巻きのアングルで映し出されている。
「何てことを……」
この国の中枢。集積都市・東京。
その一等地に建つ年季の入った屋敷の一室で、健臣は呆然とした後、頭を抱えていた。
何てことだ。磯崎も、瀬古君も死んだ? 侵入した彼を射殺? 何故そんな早まった真似
をした? 裁判はもう少しで始まる所だったのだ。法の下で裁きを受けさせ、磯崎の過ちを
自他共に明らかにする。それが瀬古優君の無念を晴らすことにも、その兄が復讐の名の下に
奪った命達への弔いにもなる筈だったのに……。
「殺すことなんて、なかったじゃないか」
『……』
健臣は、まるで自らの半身がもがれたかの如く、テーブルの上に頭を垂れた。食い縛った
口元から何とも言えない嗚咽が漏れ、同席していた秘書の中谷や、お付きのSPらが困惑し
た様子でこの主人の姿を見つめている。
「瀬古勇は……“特安”指定を受けていましたから」
「知っている。だがこれでは、真相解明も再発防止もままならないじゃないか。彼にはきち
んと罪を償って欲しかった。自らの意思で止めて欲しかった……。その旨は、中央署にも伝
えておいてくれたんだろう?」
「ええ。それは、まあ」
中谷のようやく絞り出した回答と、歯切れの悪い部下の一言。
健臣は大きくため息を吐き出した。バクつく心臓を、動悸を必死に宥めつつ立ち上がり、
ふらふらと室内を横切って行こうとする。
「先生、どちらへ?」
「……すぐに飛鳥崎行のチケットを。こうしてはいられない。この件は、私が総理から預か
っているんだ……」
ぶつぶつと呟く健臣。だがそんな彼を、背後からしがみ付くように止めたのは、他ならぬ
秘書の中谷だった。
「落ち着いてください! 先生が動いたら余計にややこしくなります!」
「離せ、中谷! お前達は何とも思わないのか!? 殺したんだぞ! 国家権力が──俺達
大人が、少年一人を救いすらせずに抹消したんだぞ!?」
中谷が、SPや部下達が、一様に顔を引き攣らせていた。
彼は確かに激情に駆られて動こうとしている。政治家としては甘過ぎる。だが彼が自分達
に突きつける言葉は、紛れも無い事実だった。“特安”指定された時点で、瀬古勇は救うべ
き国民ではなく、国にとって“不要”な存在となっていた。
「だからと言って、貴方まで危険に遭わせる訳にはいかない! 忘れたんですか!? 貴方
は飛鳥崎で殺されかけたんですよ!!」
しかしただ一人、そんな彼に負けない男がいた。中谷だった。
言わんとする事は解っている。だがそれでも、自分達にはこの男、文教大臣・小松健臣を
あらゆる害意から守るという使命がある。必死になって部屋を出て行こうとする彼を背後か
ら羽交い絞めにしながら、中谷はくわっと彼に負けず劣らずの剣幕で叫んでいた。
「……」
そしてそれは、結果として有効に働いたようだった。秘書の身を挺した諫言に目を見開い
て振り向いた格好の健臣は、振り解くの止めてゆっくりと立ち尽くしたのである。
「犯人は、まだ?」
「ええ。この手の実行犯なんてのは尻尾切りですからね。失敗した時点で既に消されている
可能性も高いですし」
……そうか。中谷の返答に、健臣はきゅっと唇を噛んでいた。
対する中谷も、大方彼の心中は予想できていた。何せ先代から仕えている身だ。彼が自身
の父親、“鬼の小松”こと小松雅臣元総理の七光りで政治家をやれていると見られるのを何
よりも嫌っていることぐらいは。
気持ちは分からなくもない。こうして間近で一緒に仕事をしているから分かる。この人は
本当に熱意と誠意の塊だ。だが現実とは、得てしてそういった人間ほど理解されない。今回
の政敵は、十中八九、自分達をそういう眼で見ているのだろう。
「すまない。つい、熱くなってしまった」
「いえ……」
だがそんな中谷も、もう一つの理由だけは知らなかった。
瀬古勇と磯崎康太郎。二人の暮らす飛鳥崎には、佐原香月と睦月母子がいる。かつて愛し
た人とその子が住む街だからこそ、健臣は尚の事力が入っていた。事件がより平和的に解決
することは、即ち彼女達の平穏にも繋がる。
そんな複数の事情が、思考が交錯したのだろう。健臣は深く呼吸を整えると中谷に向き直
って謝っていた。故に中谷もそれ以上は責めない。願わくばこの良くも悪くも強い情熱が、
公的な場で爆発しないことを祈るばかりである。
部下達が、SPらがその場で立ちんぼになっていた。下手に諌めに入った所で、彼のこの
熱量には勝てない。そんなどうしようもない事実に臆する他なかったのだ。軽く瞼を伏せて
思案し、やがて健臣は中谷に指示をする。
「……だが何もしない訳にはいかない。会見でも、俺はこんな事件を二度と繰り返させない
と誓ったんだ。中央署に連絡を取ってくれ。射殺に至った経緯、しっかりと説明して貰う」
「はい。それくらいなら」
「それと、向こうの説明とは別に、こちらでも別途情報収集をしてくれ。いまいち、報道に
は不明瞭な点が多過ぎる。磯崎の殺害を許してしまった警備体制、何故今になって瀬古君は
出てきたのか? ただの突発的な犯行とするには、どうも不自然だ」
「はい。……仰せのままに」




