27-(0) 終わりの始まり
元玄武台校長・磯崎康太郎は震え続けていた。あの日から、まるで生きた心地
がしなかった。言わずもがな、瀬古勇による同校舎襲撃の一件である。
一体どんな手段を使ったのかも分からない。だがこのご時世、ネット上には爆弾の製造法
くらい調べれば載っているだろう。事実、千家谷を皮切りにした爆弾魔も元々は市外のいち
住人だったと聞く。
あの日以来、磯崎はすっかり自宅に引き篭もるようになってしまった。またいつ命を狙わ
れるとも知れぬ状況で、必要外の外出は文字通り自殺行為だ。
事件を重くみた政府の第三者委から、飛鳥崎の教育委へ。
結果自分は校長の職を罷免され、直後当局に在宅起訴されてしまった。あたかも始めから
そういうシナリオで、周囲が準備を進めていたとしか考えられない。追い詰められた自分を
見捨てるように、妻は実家に逃げてしまった。子供達とも、全く連絡が取れない──関わり
たくないと避けられているのは明白だった。自分は全てを失ったのだ。
「……ひっく。くそう、くそう、何で私がこんな目に……」
その日の夜も、磯崎は独り閉め切った部屋の中で酒を煽っていた。連日、気持ちがざわつ
く度に縋って空にした瓶が床のあちこちに転がっている。酔いが回り、身体もフラフラとし
ているものの、彼の心を満たすのは只々“他者”に対する“怒り”ばかりである。
全てはあいつの──瀬古勇のせいだ。あいつのせいで人生を狂わされた。
弟ともども、とんだ疫病神だ。こんな事になるなら、入学などさせなかったのに。
何故自殺した? 何故復讐なんぞに走った? 校長とはいえ、幾つもある部の内情を全て
把握できる訳がないだろうに。いじめがあったというが、なら何故自ら死を選ぶような──
迷惑にしかならない方法を採った? 何故職員らに相談しなかった? 信用できるとかでき
ないとか、そういうレベルの話じゃない。あるべきプロセスを踏んでいるかどうかの問題な
のだ。第三者委での尋問でも、その辺りを突かれた。生徒達に対するケアを、怠っていたの
ではないかと。
……ふざけるな。自分達はエスパーじゃない。政府も常日頃言っていたではないか。教育
の目的は馴れ合いじゃない。子供達を将来、なるべく多く社会で活躍できる人材に磨き上げ
ることだと。
その意味で、瀬古兄弟は不良品だ。多少他人に揉まれた程度で死に、その弱さの責を他人
に転嫁して憚らない傲慢さ。甘えるな。そんな考えで、この世の中は渡っていけない。
……大体、警察は何をしている? まだ瀬古勇は捕まらないのか?
どんな理由があろうと、あいつは人殺しだ。国として許してはならない筈だ。あいつが今
も何処かで逃げ延びているから、自分はこうしてろくに家から出られなくなってしまった。
毎日交代で警官達が家の周りをガードしてくれているが、それは少なくとも根本的な解決に
はならない。さっさと牢屋にぶちこんでくれ。そうでなければ本当に──自分はおかしくな
ってしまう。
「──?」
こんな筈じゃあ……。
再三、独りで頭を抱えていた、そんな時だった。
磯崎はふと部屋の外で、ガタンバタンと何かが倒れる物音を聞いた気がした。ビクッと身
体を震わせ、おずおずと扉の向こうを振り返る。耳を澄ませる。警官達か? じっとその場
で理解が進まないまま見つめていると、やがてトン、トンとこちらへ近付いて来る足音があ
った。半ば本能的に顔が青褪める。警官達じゃない。まさか──。
『……』
そのまさかだった。現れた、目深に帽子を被ったまま立つ少年は間違いなくあの瀬古勇で
あった。加えて何よりその横には、全身錆鉄色のトカゲ人間──巨大な竜の化け物が控えて
いる。
ひいっ!? 磯崎は殆ど条件反射的に叫び、後退った。テーブルの上や床に転がった酒瓶
が喧しく音を立ててぶつかり合う。勇は無言のままこちらを見下ろし、一歩また一歩と近寄
ってきた。はたしてその背後、半開きになった扉の向こうには、血だまりの中に沈んで動か
なくなった警官達の姿が見て取れた。
(本当に……本当に来た! 私を、私を殺しにっ……!)
部屋はさして広くはない。磯崎はあっという間に壁際に追い詰められていた。
勇と化け物──竜のアウターは、暫く何も言わず、じっとこれを見下ろしていた。酷く冷
たい、ゴミ屑を見るかのような眼と狂気そのものの眼だ。抵抗すらままならなかった。わた
わたと、磯崎は両手をばたつかせ、必死に身を守ろうとする。
「たっ、助けてくれ! い、命だけは! もういいだろう、充分だろう?! 何で今になっ
て私なんだ!? 私を殺しても、お前の弟は戻って来ないんだぞ!?」
「……ああ、知ってる。正直お前の命なんかもうどうでもいいんだ。だがよ、お前を殺って
おかなきゃあ、こいつとの契約が完了しない。最後の一ピースが嵌らないんだ」
何を……?
勇が竜をすいっと指差し、淡々と答える言葉に、磯崎は引き攣った瞼を瞬くしかなかった。
意味が分からない。大体お前、その化け物は──。
「ぐぶっ!?」
だが磯崎が問い返す事は永遠になかった。次の瞬間、彼の顔面は竜の分厚い片手に掴まれ
ていた。ギチギチと、今にも握り潰されそうになる。指と指の間から眼球が飛び出しそうに
なり、くぐもった声と共に血管が赤く浮き上がってゆく。
「やめっ、止めっ……! 潰、れる……ッ」
「やっとここまできたんだ。取り戻せたんだ。今まで生かされていた事をありがたく思え」
ぷるぷる。がしりと掴まれたままで、磯崎は首を横に振った。圧迫で充血した眼球からは
恐怖の極限に追い詰められた結果、涙が溢れ出している。
「ず、ずまながったっ! 許じ──」
「おせぇよ」
ザン。刹那、竜の手刀が霞む速さで叩き込まれた。
堰を切ったように噴き出した血飛沫。磯崎の首と胴は、直後完全に切り離された。




