23-(5) 策戦開始
睦月と仁は、雑居ビルの地下にあるネットカフェに入った。入口の自動ドアを潜り、辺り
を見回すと、硝子の間仕切り越しに存外広い空間をみる事ができる。
店内は、地下という立地故かはたまた意図してそうした造りにしてあるのか、点々と付け
られた天井の照明を除き、全体的に暗い印象を受けた。こちら側──間仕切りの手前は幾つ
かのソファやテーブル、ドリンクサーバーなどが置かれている広間だったが、残り八割方の
スペースである間仕切りの向こう側は全てずらりと並ぶボックス型の個室らしい。
受付に向かう仁について、スタッフの女性に彼が会員証らしきカードを渡すのを見る。
だがそこには、大江仁の名前は無かった。書かれていたのはまるで別の名前だ。
もしかして偽名? 睦月は瞬いた眼を仁に向け、無言のまま問う。
当然だろ? 肩越しにちらっと視線を返した彼は、慣れた手付きで嗤っていた。
「あんまりじろじろ見てやんなよ? この手の場所に来る人間ってのは、他人の干渉に敏感
だからよ」
特に問題もなく受付を済ませ、指定された番号の個室へと向かう。
普段あまり利用する機会のない睦月は、物珍しく周りの個室を眺めていたが、それを仁は
前を向いたまま気持ち声量を抑えて窘めてくる。実際利用客達は、極力互いに関わらないよ
う努めているように見えた。トイレや飲み物で席を立つ時も、積極的に目を合わせたり、ま
してや他の席を覗き込むような真似はしない。
程なくして二人は指定された個室を見つけた。扉を開けて中に入る。中には小さめの机と
その上に乗ったデスクトップPC。そもそも個人で利用する前提の造りなため、やはり二人
で入ろうとすると窮屈だ。
「さてと……。これが奴の、セイバーが立ててる掲示板だよ」
椅子にどかりと腰を下ろし、手早くキーボードを叩いてから仁はとあるウェブページへと
移動した。画面には灰みがかった黒の背景に白字、如何にもアングラですと言わんばかりの
BBSが映し出されている。
「見るからにきな臭いね」
「ああ。だがこんなもんだろ。自称正義の味方っつっても、やってる事は非合法のリンチに
変わりはねぇんだし」
個室の隙間に身体を捻じ込み、ちょっと苦しい体勢だが後ろから覗き込む。
皆人と同じ事を言うんだなと睦月は思った。尤もそれが現実なのだし、自分もセイバーな
るこの人物を認める訳でも──話が挙がるまでは知りもしなかった訳なのだけれど。
「ここに、書き込むんだよね?」
「ああ。三条が持って来てくれたネタで、奴を釣る」
事前の調べで、セイバーと名乗るこの人物は自身のBBSで“悪人退治”を募り、その依
頼を承ったと返信することで彼らの“成敗”を開始するのだという。
ならばと、睦月達対策チームはそのルールに則る事にした。こちらから探さずとも依頼人
を装えば誘い出せると考えたからだ。
『四ツ谷自工の元従業員です。例の設計不良について告発しようとしたら、気付かれてクビ
にされてしまいました。どうか人々の安全の為にも、奴らの不正を明らかにしてください』
仁は予定通り、告発者を装って依頼の書き込みをした。信憑性をつける為に二・三具体的
な情報も記し、自身が目撃したという設定の内部事情を暴露してみせたのだった。
やり過ぎか……? いや、釣れてくれなければ意味がない。
それに不正自体は事実だった。件の四ツ谷自工は、ここ暫く現在進行形で設計不良隠しが
マスコミに漏れ、連日批判に曝されている。
ただこの企業は──対策チーム傘下の一つなのだ。当の彼らには悪いが、今回皆人が口実
作りにちょうどいいと目をつけ、睦月達に依頼人を装うよう指示したのである。
「よし。これで後は食い付いてくれるのを待つだけだ。話題自体はタイムリー、世間の注目
もデカい。セイバーにとっては格好の標的になるだろうよ」
「上手くいくといいけど……。それよりも大江君、何でわざわざここに来たの? セキュリ
ティが不安なら、司令室を使わせて貰えば良かったのに」
「うん? いや……寧ろ逆なんだって。よく考えてもみろ。こんな大事──犯罪に手を染め
てるような奴は、相応にネットに精通してる。そうでなきゃとっくに当局に逆探されてお縄
だろうからな。でも実際はこうやって何十件も私刑をして回ってる。用心深いんだよ。もし
司令室みたいなデカくて組織的な所だってバレりゃあ、確実に警戒されるぜ? だから使う
端末は、もっと庶民じみてる方が安全なんだ」
一通り作業を終え、狭い個室の中でぐぐっと背筋を伸ばす仁。
そんな彼に、睦月はふと疑問に思っていたことを訊いた。するとこの友は不敵に笑いなが
ら丁寧に教えてくれる。所属が固定されている場所よりも、もっと不特定多数の人間が使う
場所からの書き込みの方がバレ難いのだと。
なるほど……。睦月は言われて合点がいった。偽名の会員カードを用意して貰ったのもそ
の為か。仮に向こうが一件一件身元を手繰るような、石橋を叩いて渡ってから依頼を受ける
ようなことをしていても、辿り着くのはフェイクという訳だ。
「ま、こんな事は本来やっちゃいけねぇんだけどな。相手が相手だけにって、三条に持たさ
れたんだよ」
はは。仁の苦笑い。睦月は複雑な表情を零しながらもあまりいい気持ちではなかった。
皆人は一体何を考えているのだろう? 正直を言うと、時々怖くなる。
「じゃあ、帰るか。それとも、一応天ヶ洲達のこともあるし、もう暫く時間を潰してやり過
ごそうか?」
「あっ、うん。そうだね……」
思いを閉じ込める個室。さりとて仕掛けは動き始めた。
『──』
故にその一方で、早くも人知れず動きがあった。
PC以外の照明を落とされた薄暗い一室で、書き込みを見て嗤う不審な影が、そこにはあ
ったのだった。




