23-(3) 汝、非情たれ
液晶が並べたピクセルの集まりをじっと見る。
放課後の文化部棟、新電脳研部室。海沙は備え付けのデスクトップPCの画面を食い入る
ように見つめていた。液晶の光が彼女を照らす。だがそんな刺激さえも今の彼女には無意味
で、反射して映り込んでいるその表情は大きく眉を下げた不安そのものだ。
「……」
海沙が見ていたのは、ネット上にアップされた幾つかの画像。
夜の飛鳥崎を撮ったそれらには、本来あり得ないものが映っていた。巨大な双頭の獣と、
同じく巨大な両の腕。画像を繋げて切り替えると、そこにはこの獣を両の腕が押し潰して爆
発四散させる一部始終が現れる。
これは夢ではない。VRでもない。先日現実に起こった出来事である。街の北西に位置す
る万世通りを中心として、突如として大規模な爆発騒ぎがあった。多くの死傷者とビル群の
損壊を招き、今最も巷を賑わすテロ事件として連日特集が組まれている。
「……これって、私達が寝ちゃってた時だよね」
哀しげに目を細めて、海沙は言った。事件が起きたのは、ちょうど自分達が部の創設パー
ティーを開いていた夜だったのだ。そして知らぬ間に疲れて寝落ち……三条家の者によって
自宅まで運ばれた。
だがはたして、これは偶然なのだろうか? 実は何か大きな力が、自分達に働いていたの
ではないだろうか? いつもそうだ。彼が、むー君達がふらっと出て行ってしまう時に限っ
てこの街に事件が起こる。不可解な疑問だけが胸の奥に残る。
「本当に、こんなことが……」
海沙の方は、まだ迷いが強かった。この街でこの国で何かが起こっているのは間違いない
筈だが、その原因を全てそのまま彼と結び付けてしまうのが怖かった。大体何をどうすれば
こんなことが──。
「別におかしくはないんじゃない? 今更っしょ。前々から飛鳥崎には色んな都市伝説があ
ったしねえ」
だがその一方で、もう一人の幼馴染は妙に気楽だった。海沙の後ろで旧電脳研のメンバー
達とTAをプレイしており、握ったリアナイザ越しにホログラムのコンシェル同士が空中を
所狭しと駆け回っている。
「ほら、火のない所に煙は立たぬって言うじゃない。今回の件も生物兵器説とか、それを政
府が握り潰したとか、色々言われてるっぽいよ?」
「そ、そうなんだ……。じゃあこのおっきな手は? 状況からしてこのワンちゃんから皆を
守ってくれたようにも思えるけど……」
「さあねえ。本人に訊いてみなきゃ分かんないよ。まぁ片方は潰れて死んじゃったし、もう
片方も出回ってる画だけじゃ人なのかすら怪しいじゃん? 腕だよ? 腕。仮に話の通じる
相手でもさ、今頃隠れてるんじゃないかな? 事情はどうあれ、結局あの辺りは無茶苦茶に
なった訳でしょ?」
『……』
真剣に悩んでいる海沙と、何処か投げ槍な宙。
部屋の一角に座っていた睦月と仁は、内心ずっとハラハラしていた。やはりと言うべきな
のか、先日の寝落ちとトレードの暴走事件を結び付けて考えている。
いや、素直に怖がっている海沙はまだマシな部類だろう。それよりも今二人の肝っ玉を試
すように握り回しているのは、他ならぬ宙だ。これまでは皆人に食って掛かり、詰問した事
さえあったのに、今回は妙に冷静だ。まさか自分達の正体がバレているとは思えないが、こ
のやけに当て擦りのように聞こえる言い方は、正直神経を削られる。
(やべーな。完全にキレてるぜ。どうするよ?)
(そう言われても……。ここで下手にフォローしようものなら、火に油だよ……)
互いに眼で助けを求め合う。ちょうど、そんな時だった。
ふと睦月の懐から、着信音が鳴った。守護騎士になってから周りに気取られるのを少しで
も防ごうと、サウンドは低く大人しいものにしてある。
『マスター。お電話です』
「うん。……ちょっと失礼」
パンドラにこそりと呼ばれるのに頷きつつ、睦月は立ち上がった。懐からそっと画面を覗
くと、三条皆人の文字。努めて表情は変えずに、何の気なしを装って一旦部室を出る。この
時ちらっと肩越しに、宙が鋭く細めた眼を向けていたことに、睦月自身は気付かない。
「もしもし」
『ああ、睦月か。俺だ。今平気か?』
「うん。部室の外に出たから。大江君達が二人を見てるよ。……もしかしなくても、この前
の暴走の件?」
『そうだ。お前も見たようだな。例のアウターが撮られた。アイアン・コンシェルも映って
いる。こちらも手を回して画像や映像を削除させているが、正直完全に抹消するのは不可能
だろうな』
……そうだね。ゆっくりと頷き、睦月は呟いた。ネットにアップされたという事は、元の
データを持った撮影者達がいるということ。何よりそれを拡散する者達がいる。都合が悪い
と言って消そうとすればする程にだ。今更ながら、これは自分達に対する罰なのだろうかと
思った。これまで散々、アウター達から人々を守る為、正義の為だと言って彼らのプライバ
シーを街ごと覗いてきたのだから。
「僕達のこと、バレちゃうのかな?」
『分からん。少なくともこの街には何かがいる、それだけは人々が今後抱えることになるだ
ろう。だがお前の方は、暗闇もあって本体までは確認できない。こちらで可能な限り画像を
解析してみての結果だから、即身バレする所まではいかないと思うが』
睦月は皆人から、出回った先日の画像と、今回敵が目論んだと思われる作戦について聞か
された。思わず結ぶ唇に力が篭もる。そんな事の為に、街の皆を巻き込んだのか……。
「やり難くなるね。向こうも、必死な訳だ」
『ああ。それだけお前が活躍しているって事さ。それで、話は変わるが睦月。“セイバー”
という奴を知っているか?』
「……?」
だからこそ、ふと電話の向こうの皆人がそう聞き慣れぬフレーズを出してきた時、睦月は
頭に疑問符を浮かべた。Saber、剣。Savior、救世主……。
『少し前、職員が書き込みを見つけてな。随分と肩入れしている奴が多いようだ。街の破壊
を防げなかったし、お前より確実に“悪”を摘んでくれるんだとよ』
「そう言われると……。えと、話がよく見えてこないんだけど」
『まぁ気にするな。所詮は雑音の類だ。調べてみた限り、この“セイバー”と名乗る者は、
ネット上で人々の依頼に応じて“悪人”を成敗するなんてことをしているらしい。悪徳業者
やら賄賂疑惑の政治家、不倫スキャンダルのタレント──何処まで真実かはきちんと確認す
る必要があるが、実際そういった者達を襲い、それらをネット上に公開している。ご丁寧な
ことに彼らの不義・不正の証拠も一緒にな。彼らを敵視する者達にとっては、さぞ溜飲が下
がるんだろう』
「……。それって、あれ? いわゆる義賊って奴?』
『端的に言うとそうだ。奴に狙われた人間は、全て世間から“悪人”と言われて憚らない者
達ばかりだな』
「そう……。そんな人がいるんだね」
『ああ。だが、所詮そんなものは私刑に過ぎん。当人は正義の味方気取りかもしれないが、
正しさとはそう生易しくはないし、単純でもない』
淡々と告げられる“セイバー”なる者の存在。
だが睦月は、この電話越しの親友が憤っていると気付いていた。普段からあまり感情を表
に出さない彼だから、こうはっきりと批判を口にする事には何か意味がある。そしてそれを
わざわざ自分に聞かせるという事は、また何か策を練っているという証だ。
「そうだね。でも、政治家まで襲えるなんて……。まさかアウターかな?」
『かもしれん。だが、今その点は気にしなくていい。大江にも伝えて、とにかくこいつを探
し出して欲しいんだ』
デバイスを耳につけたまま、ぱちくりと目を瞬く睦月。
数拍間を置いて、皆人は言う。
『俺に、考えがある』




