3-(1) 海沙の眼差し
何時ものように朝支度をし、彼の家にお邪魔して束の間の時間を過ごす。
何時ものように三人で登校し、席に着いて代わる代わるな先生達の授業を聞く。
中央列真ん中辺り。海沙はその日も変わらぬ学園生活を送りつつも、時折ちらちらと窓際
で舟を漕いでいる睦月の様子を見遣っていた。
むー君。ソラちゃんと自分と三人、いつも一緒に育ってきた幼馴染の男の子。
いつもニコニコしていて優しい。詳しい事情は知らないけれど、母子家庭な事もあって料
理を始めとした家事は今や一通りこなせるようになっている。
(……疲れてるのかな?)
うとうとと頭を揺らし、何度もハッと我に返って瞑りかけた目を開ける。
だけども数分もしない内にまた睡魔に押し戻され、こっくりこっくりと舟を漕ぐ。
海沙はちょっと心配だった。まさかこの前の事故と入院が、今も彼に悪影響を与えている
のでは──例えばフラッシュバックして中々寝付けず、結果として居眠りという形で現れて
いるのではないかと考えたからだ。
幸い、あれだけ大きな火災があったにも拘わらず、彼本人はほぼ無傷だった。一週間ほど
入院していたのもあくまで念の為な検査入院だとの事。
だがそれはあくまで身体の方であって、もしかしたら精神的なダメージが思いの外、彼を
蝕んでいるのかもしれない。そう思うと落ち着かなくて、心に暗い雨が降る。
(私から訊くのは迷惑かな……? 本当に辛いんだったら、何とかしてあげたいけど……)
シャーペンを手の中で弄びながら、この幼馴染の少女は密かに、その実正否半々の心配で
気持ち眉根を下げながらそわそわしている。
「──大体の話は班長達から聞いているよ。巻き込んでしまって、すまない」
スカラベ・アウターの事件が落ち着いた後、睦月は一人冴島が入院している大学病院へと
足を運んでいた。左腕にギブスをし、頭に包帯を巻いた入院着姿の彼が、そう挨拶からの開
口一番、頭を下げる。
「そ、そんな。頭を上げてください。その、僕は……自分の意思で戦うって決めたんです」
『うん。そういう事だから志郎、あんたはちゃんとその怪我を治す事に専念してよね? 癪
だけど、あんたが抜けた分、博士達は忙しくなるんだから』
パンドラ……。デバイスの中で、この期に及んでも彼に厳しく当たる電脳の少女に、睦月
は嘆息や頭痛を催すような面持ちで呟いていた。
すみません。彼女に代わって頭を下げ返す。
だが当の冴島は、このような彼女からの扱いにはもう慣れっこなのようで、ただ睦月を励
ます言葉だけを投げ掛けると微笑みを浮かべたままだった。
「本当はすぐにでも君のサポートに回りたいんだけどね。どうも思った以上にダメージが大
きいみたいで……」
「……」
苦笑する姿。睦月はこんな状況になっても尚、めげずにいる冴島がどうしようもなく眩し
く思えた。
パンドラの態度に追従する訳ではないが、一方で彼は十中八九母に好意を寄せている、も
しかしたら自分とはややこしい関係になるかもしれない人物なのだ。
のそりと圧し掛かる後ろめたさ。僕はこの人から“役目”を奪った。
適合者云々を考えれば、自分が装着者となるのはほぼ唯一の解決策だったのだろう。
だけども。睦月は繕う苦笑の影で密かに思う。
この先彼が療養とリハビリを終えて復帰したとして、果たしてその時自分は此処に居られ
るのだろうか? 居続けられるのだろうか……?
「僕の事は心配要らないよ。君は君の役割を果たしてくれ。すぐに……追いつくから」
「……はい」
戦いへの不安と、それ以上に湧き始める、力を失う事への恐怖。
香月さ──チーフに宜しくと微笑う冴島に、睦月はただ小さくなるように首肯するしかな
くて……。
「では、今日はここまで。各自復習を忘れぬように」
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。腕時計を一瞥し、彫りの深い古典教師が時間き
っちりに切り上げる。
ざわ、ばたばた。彼が立ち去るのと同時に教科書やノートをしまい込む音が重なり、途端
にクラスに張っていた空気が緩んだ。
「ん~! 終わったぁ! 次が終わればご飯ご飯~♪」
「……もう、ソラちゃんったら」
ぐぐっと椅子の上で背伸びをして、もう一人の幼馴染が一日の楽しみに胸を躍らせる。
そんな親友に海沙は愛おしくも苦笑いを浮かべていた。そんな二人を何時の間にか、睦月
はそっと細めた目のままに見遣っている。
「──睦月」
故に海沙は気付かなかった。そもそも彼らが身を投じている戦い(それ)を、彼女は知る
由もなかったのだから。
「放課後、司令室に来てくれ」
こっそりと。
ざわつく教室の声に紛らすようにして、皆人がそう睦月に囁いていた。




