21-(5) 怒りという感情
──その事件とは、この母子が何者かに殺害されたというものだった。アパートの隣人が
料理のお裾分けを持って訪ねた際、二人が中で血塗れになって倒れているのが発見されたの
だという。
報せを聞いて、来栖は愕然とした。そういえばここ何日か来なかったなと思っていたが、
まさか殺されているなんて……。
元より閑静な郊外だ。事件の噂はあっという間に広まる。
人々は、強い不安に駆られるようになっていた。彼が管理する教会には、以前にも増して
この不安を鎮めるべく、祈りを捧げに来る人々が現れるようになった。
……だが内心、来栖は居ても立ってもいられなかった。
よくも、あんな善良な母子を。一体、何処の誰が?
しかしその後の警察の捜査は遅々として進まない。死因はナイフなどで刺されたことによ
る出血死だと断定されたが、凶器もそれを用いたであろう肝心の犯人の痕跡も、現場からは
中々発見されなかったのである。
人々は散発的に載せられる報道に怯え、益々来栖へ──信仰の御旗へと縋った。それ故求
められる以上、来栖には彼らの祈りに応えなければならない義務がある。
……引き裂かれるような思いだった。只々もどかしかった。
心は彼女達の無念を想い、時に“怒り”すら感じていたのに、現実は縋ってくる住民達を
捨て置けない。この小さな教会の神父として、ただ終わりもなく務めを全うしなければなら
なかった。
……或いは、彼女達に執着するこの心自体が悪しきものだというのか? 彼女に想いさえ
寄せなければ、こんな苦しみを味わうこともなかったのか? 主からの罰だというのか。
おお、神よ! 私は貴方を恨む!
そんな自分自身や、縋ってくる人々全てが腹立たしかった。人一人が、幼い少女までが殺
められたというのに、自分には“怒る”ことさえ許されない……。
苛立ちは消えることがなかった。
祈り、ひたすら祈り、塗り潰すように哀しみに浸ろうとしても、その胸の奥にはまだ見ぬ
犯人への言いようのない“怒り”が沸々と煮え続けていた。
後日、母子の葬儀にも参列した。頼るべき身内も少なく、物寂しい光景だった。
人々は泣いていたが、果たしてこの中の誰が彼女達を救えただろう? 誰が日頃、真に救
おうと手を差し伸べようとしたのだろう?
あまりにも報われない。あんまりな最期。
誰なんだ? 一体誰が、こんな惨い事を……。
「──」
そんな悶々と、内なる苛立ちと必死に闘っていたある曇天、下り坂な日のことだった。
来栖が詰めるこの教会に、ふらりと一人、痩せぎすの男がやって来たのは。




