20-(2) 運命の始まり
時を前後して、飛鳥崎メディカルセンター院内。
本来他の何処よりも安全と厳粛が貫かれていて然るべきこの場所にも、少しずつ睦月達が
繰り広げる戦いの不穏が届き始めていた。
先刻、遠くで何かが爆ぜる大きな音がした。それと前後し、警備員らしき制服達があちら
へこちらへと駆け回っている姿を確認することができる。
「何かあったんでしょうか?」
「さあ。何処かの患者がトラブルでも起こしたのかな……?」
病室にいた七波と由良も、その異変には少しずつ気付き始めていた。ぱたぱたと駆けてゆ
く関係者達の足音に不穏を感じ、ベッドの上の彼女に由良はそう相槌を打つ。
──トラブルを起こす患者。
七波には内緒だが、実はこのメディカルセンターの奥には公には扱い切れない、精神疾患
や諸事情を抱えた人間を収容する隔離棟がある。由良自身実際に見たことはないが、以前に
何度か、筧や先輩刑事からその存在を教えられたことがある。「見せたくないものには蓋を
しとけって考えなのさ」施設のことをそう話していた、筧の静かな義憤の横顔が蘇る。
それにしたってこうも周りが気付くような動きを見せるのは得策ではないだろう。よほど
手の付けられない問題児なのか、或いは刃傷沙汰でもあったか……。
(一応、兵さんにも連絡しておくか)
七波に断ってすぐ前の廊下に出、由良は自身のデバイスから筧をコールした。暫く呼び出
し音が鳴り、街の雑踏が背後にざわめきながら声が聞こえる。外回り中のようだ。
『おう、俺だ。どうした?』
「ええ。今七波ちゃんの見舞いに来てるんですが、何だかさっきから病院内が騒がしいんで
すよ。……“奥”で何かトラブったのかもしれません。そっちには、何か本署から情報飛ん
で来てませんか?」
『いや。今日は網打ちの無線は掛かってねえな。ここんとこお互いにヤマを抱えてて頭数を
揃えるにも手間取るだろうしな。彼女はどうしてる? やっぱ不安がってるか』
「多少なりには。どうしましょう? 現場に居合わせたってことで、顔を出した方がいいん
でしょうかね」
『どうかねえ。向こうさんの要請次第じゃねえか? 却って拗らせたら後々上から五月蝿ぇ
しなあ……』
しかしである。通話している横を駆けてゆく一組の女性スタッフが漏らしたその言葉に、
すれ違われた由良と電話の向こうの筧が驚愕する。
「本当、一体どうなってるのかしら?」
「分かんない。でも、化け物が出たとか何とか……」
『──』
思わず硬直し、ハッとなって振り向いた。しかしこのスタッフ達は既に廊下の向こうへと
移動してしまっており、引き止めるには距離が遠過ぎた。再びデバイスを耳元に近づけて口
を開く。電話の向こうの筧も、考えたことは同じだったようだ。
「兵さん」
『ああ。もしかするともしかして、かもな。由良、撤回だ。覗いて来てくれ。身分まで明か
さなくてもいい。現れたのかもしれねえ。今から俺もそっちに向かう』
「了解です」
由良は周りに悟られぬよう小さく頷き、筧との通話を切った。
もしかすると……。先日の、玄武台跡での彼とのやり取りが蘇る。自分も負傷と粉塵の中
で見たあの人物──守護騎士に近付けるかもしれない。
「ごめんね、七波ちゃん。俺行かなくちゃ。余所でまた事件が起きたらしくてね」
「あ、そうなんですか? 私なら大丈夫です。お仕事頑張ってください」
デバイスを懐にしまって病室に戻り、半分本当で半分は嘘の口実をつき、見舞いを辞す。
七波は特に疑うこともなくニコリと微笑んで送り出してくれた。或いは気付いていて、敢え
て深入りしないよう、困らせないよう努めているのか。
(本当にいい娘だな……)
あ。この子のことお願いします。ちょうど通り掛かったスタッフの一人に彼女を任せ、足
早に病室を出て行く。露骨にならないように、一旦騒々しい人の流れからは距離を置いて逆
に歩き、ある程度離れた所でそっと振り向くと院内の気配を探った。
(……真正面からは難しいな。一旦外に出て、回り込むか)




