19-(5) 寂しい気持ち
「──ただいま~……」
合鍵を使って玄関の扉を開け、海沙は自宅に帰ってきた。
尤もそんな言葉も、今日もまた虚しく響いては消えるだけ。茜色の光が無音で差し込む家
の中に、応えてくれる誰かはいなかった。
父と母はともに飛鳥崎市役所の職員で基本平日は忙しいし、少し前まで帰省してきていた
兄・海之も今は東京に戻ってしまっている。……ただそれだけだ。それだけなのに、海沙は
如何ともし難い寂しさを拭えなくなる。
がらんとした家。ううん、いつもの事。鞄を下ろし、とりあえずキッチンの椅子に引っ掛
けてから手を洗う。冷蔵庫の中の麦茶をコップに注ぐとくいっと口にし、喉を潤す。
「あ、宙ちゃん……」
そんな時だった。ふとピロリンとデバイスの着信音が鳴り、すっかり見慣れて久しい親友
のアイコンが画面に現れる。
『やっほ』
『ゲーセンなう。そっちは?』
『いま帰ったところ。今日も楽しそうだね』
Mr.カノン──西部劇のガンマン風ナイスミドルの姿をした、宙のコンシェル。普段は
主の彼女と共に、TAでゲーム仲間をばっさばっさと撃ち倒している子だ。
くすっと海沙は微笑う。何というか、こんな時にばっちりのタイミングで声を掛けてくれ
るから嬉しい。愛おしくて、嬉しくて。その場で海沙も返事を打っていく。
『おうよ。数をこなさないとランクは維持できないからねー』
『ほどほどにね? あまり遅くなっちゃ駄目だよ?』
ビブリオ・ノーリッジ──その趣味の性質柄、検索能力に特化させた海沙のコンシェルで
ある。浮遊する複数の古書を従者に、紫紺のローブを纏った賢者風の青年が、アイコンの中
でモーションをしながらメッセージを画面のタイムライン上に載せてゆく。
『そういや、睦月はどうしてる?』
すると、ふと宙の方からそんな話題が振られてきた。それを見てぱちくりと目を瞬き、海
沙はキッチンの窓越しに隣の家を見上げた。佐原家──睦月の家だ。しかし様子を窺ってみ
る限り、人のいる様子はない。
『見てないよ。帰ってきてる感じでもないかなあ』
『またかー。あいつ、また例の手伝いでウロウロしてるのかなあ?』
「……」
宙がそう訊ねてきたのは、何も偶然じゃない。自分達の幼馴染が抱える、ちょっと面倒で
危なっかしいお仕事についての心配が尽きないからだ。
最新鋭のコンシェル・パンドラ。空色のワンピースと白銀のおさげ髪、三対の金属の翼を
持つ高性能AIの少女である。
彼女は睦月の母・香月が開発したコンシェルだ。しかもかなり人間に近い感情を持ち、受
け答えやタスクをこなす。どういう経緯でそうなったのかは分からないが、我が心優しい幼
馴染はそのテスター役を引き受けたのだそうだ。
しかも彼女はまだ公には発表されていないトップシークレット。今まで自分達に黙ってい
たのも、ひとえにこの全く新しいコンシェルが社外──三条電機グループから漏れないよう
にする為だったと聞いている。
……だが、そのせいで彼は今までに何度か危ない目に遭ってしまった。彼女に色んなもの
を見聞きさせ、成長する過程をデータに取っているからなのだそうだが、夜の街にも出てい
るためにそこで起きた事件や事故の巻き添えを食ってしまっている。
時には入院もした。だからこそ宙は怒り、依頼主たる皆人に詰め寄った結果、この事実も
明らかになったのだ。
海沙は思う。本当にデータ集めだけなのだろうか? 本当に、ただ巻き込まれただけなの
だろうか?
それはきっと宙も思っている筈だ。だけども今の所、その最大の疑問を本人達にぶつけて
みたことはない。彼らの反応からだと多分正直には答えてくれないだろうし、本来極秘にし
なければならない情報をこっそり伝えてくれたのは、ひとえに自分達を何とか安心させたい
一心だったのだろうと思う。今が、ギリギリのバランスだった。
『海沙?』
ぐるぐると自分の中で不安が渦巻いて疼く。だがピロリンと、宙からの新しいメッセージ
が入り、海沙はハッと我に返った。
『……ごめん。ちょっと考え事してた』
『それって、パンドラのこと?』
『うん。やっぱりおかしいよね。いくらパンドラちゃんの為だとはいっても、こう何度も事
件に巻き込まれるなんておかしいもん』
『確かにねえ。単にそれだけ、最近の飛鳥崎が物騒になってるのかもしれないけど』
今度は宙からのメッセージが少し止まった。向こうも向こうで、段々言葉を選び始めたの
かもしれない。
海沙も画面に目を落としながら頷いていた。因果関係があるのかは分からない。だがせめ
て、そんな危ない場所にだけは行って欲しくないと思う。
『何だか最近、三人でいる時間が減ってきたよね』
次のメッセージが表示されない間隔。先に言葉を紡いだのは、海沙の方だった。
三人。言わずもがな、自分と宙と睦月。小さい頃にお隣さん同士になり、以来ずっと一緒
だった自分たち三人。
『寂しい?』
『……正直を言うと』
『んー。こんなこと言うとおばさんかもだけどさ、どうしたって変わっちゃうもんなんだと
思うよ? 私達だっていつまでも子供じゃないんだし』
子供じゃない。そんな言葉が、やけに胸に刺さった。
拒む訳じゃない。だけども切欠が唐突で、あまりにも巻き返せなさ過ぎる。
正直を言うと。寂しいよ。どんどんむー君が、遠い所に行ってしまうようで──。
『皆、大きくなっているってことなのかな? それぞれの道っていうか』
『かもね。実際、あと二年したら私達も受験生だしねー』
ケタケタ。直後、大笑いするスタンプが画面の上で踊った。彼女なりの気遣い、空気を解
そうとした対応なのだろう。
でも解るからこそ辛かった。二年。そうか、もうそんなすぐ傍まで近付いてるんだ……。
『むー君は、研究者になりたいのかな? おばさまみたいに』
『さあ? どうなんだろう? 少なくともそんなに理系じゃなくない?』
そうやって暫くメッセージを打ち合う。手探りの未来に、中々届く気がしない。はっきり
とは視えてこない。
(……もう昔みたいに、べったりしてちゃいけないのかな)
声もなく嘆息する。
そう思って、海沙は自分が考えている以上に、自分はこの幼馴染達に依存してきたんだな
と感じた。




