19-(3) 隔離棟の主と従
時を前後して。
睦月と冴島は、飛鳥崎メディカルセンターを訪れていた。更に十名ほどリアナイザ隊の仲
間達も一緒だ。
「あー、ストップストップ」
「すまないね。ここから先は関係者以外立入禁止だよ」
踏み入れた先は、院内でも奥まった位置にある隔離病棟。事前の調べで件の女学院生達は
ここに集められていると分かった。益々怪しい。加えて一般病棟との境目に当たる通用口に
睦月達が近付こうとすると、警備員らしき二人組が立ちはだかり、これを制止してくる。
「おや? 話は聞いておりませんか? 浅霧化成の“シジマ”と申します。こちらに搬送さ
れた方達の原因究明の為、派遣されました」
しかし一行を率いる冴島は、そう丁寧に笑みを作ると小首を傾げてみせた。その服装はビ
シリと決めたスーツに分厚いマスクと、引っ掛けた白衣姿。後ろに並ぶ睦月や同行する隊士
達も同様だ。
浅霧化成……。その名を聞いて警備員達もハッとなり、互いの顔を見合わせていた。まる
で顔パスのように、それまでの態度が軟化する。
──相手はお嬢様学校の生徒達で、尚且つ運ばれた先はハイレベルな医療施設。普通に考
えて真正面から進入できるとは思えなかった。忍び込むとなれば尚更である。
故に睦月ら対策チームは、先ず根回しをした。対策チームに名を連ねる大手企業の一つ、
浅霧化成の力を借り、生徒達に起こった異変の原因究明を名目にこの隔離病棟へ進入しよう
と考えたのだ。
因みにシジマとは勿論偽名──“Si”rou Sae“zima”から取った名である。
「ああ、貴方達がそうでしたか。失礼しました。上から話は伺っています。どうぞ」
そして皆人立案のこの作戦は覿面だった。幸いこの末端の警備員達も指示は受けていたよ
うで、冴島が提示した偽の社員証を確認するとスッと左右に分かれてくれた。どうも……。
会釈をし、冴島達は隔離病棟の門を潜っていく。
「? シジマさん。そこの彼は誰です? どう見ても中高生にしか見えませんが……」
故に警備員達は、その中に明らかに若いメンバーが交じっていることに違和感を覚えて呼
び止めた。言わずもがな、睦月である。
「ええ、そうですよ。現在うちの部署で面倒を見ている、職業体験生の“キハラ”君です。
今回は滅多にない機会ということで同行して貰いました」
「体験生? いや、流石にそれは──」
「最初は私達もどうかと思ったのですが、他ならぬ当人の強い希望でして……。何せ、今回
被害に遭われた方の中に、お姉さんがいるとのことで」
『……ッ!?』
正直睦月は内心ビクッとしていた。しかし予め回答を用意していた冴島の声は澱みない。
あくまで彼が体験とはいえ、正規のメンバーであること。そして何より、彼が件の女生徒達
の血縁者だと匂わせることで、警備員達の追求する余地を奪ったのだ。
“被害に遭われた方の中に、お姉さんがいる”
つまりは清風女学院生の姉弟、親族。今この場で、自分達だけで食い止めてしまって後々
問題になったら面倒だ──。サァッと血の気が引く二人の表情には、そんな急速に回る思考
のほどが読み取れた。
「な、なら仕方ないですね」
「しっ、失礼しました。その……この事はなるべく内密に……」
当然ながら、隔離病棟は一般病棟に比べてかなり静まり返っていた。部屋は通路沿いにず
らりとあるのだが、如何せん人の気配というものに乏しい。気分を落ち着ける為なのか、照
明が仄暗いブルーに替えられているのもあって、どうしても押し黙りがちになる。
「……さて。そろそろ調査に入ろうか。先ずは本人達に聞き取りだね。手分けして回ろう。
アウターが現れる可能性も考えて、二人一組を維持すること。何か分かったら随時こちらに
メッセージを飛ばしてくれ。あとくれぐれも、彼女達を怖がらせないように」
『了解』
「……あの、冴島さん。清風の生徒さん達って、具体的にはどんな症状になっているんです
かね?」
「うん? ああ、睦月君は根回しの時の内容までは聞いていないんだっけ。そうだね……ま
だ断片的な情報しか分かっていないけど、皆が皆、酷く落ち込んでいるようなんだ。鬱状態
というのかな。運ばれて意識を取り戻した後、そんな状態だから、学院としてもそのまま帰
す訳にはいかなかったんだろう」
「うーん……? それは、食中毒になったショックとかではなくて?」
「僕の勘だが、多分違う。そもそも食中毒っていうのは表向きの方便だろう? それに皆人
君から聞いた話では、中には自殺を図った子も──」
「自殺!?」
「しいっ! ……声が大きいよ」
だからこそ、睦月は具体的な彼女達の様子を知った時、思わず驚いてしまった。冴島はそ
れをすぐに塞ぎ、唇の前で人差し指を立ててくれる。幸い、飛んでくる関係者はいなかった
ようだ。……すみません。一度大きく深呼吸をし直し、睦月は不意に跳ねた緊張を静める。
「ここに彼女達が運ばれたのも、そんな症状が、しかも集団で出た理由が分からなかったと
いう面もあるのだろう。大江君の眼は間違っていないよ。この件、何かある」
「……」
最初の内は半信半疑だったが、ここに来てその心証は大きく傾いた。
やはりアウターが? 目的はまるで想像できないが、少なくともこのまま放っておく訳に
はいかない。
「さあ、始めよう。出来るだけ有力な証言を。そして迅速にね」
閑散とした病棟内へ二人一組となった隊士達は散り、場には睦月と冴島だけが残された。
彼らと同様、二人は浅霧化成から派遣された専門家(とその助手)という体で何部屋かの
女生徒達に聞き込みを行う。しかしその大半は先方からリークされた通り、かなり精神的に
参っているようだった。中にはこちらがやって来たことにすら怯え、取り乱し、ガタガタと
拘束具を揺らして駆けつけたスタッフ達に取り押さえられるというケースもあった。
そんな結果は、概ね他の隊士達の側でも同じだったらしい。話を訊くには訊いたが要領を
得ず、記憶も曖昧だという。突っ込んで思い出させようとすれば、何かに怯え出して取り乱
す始末だ。……全くもって分からない。とにかく彼女達の血液や皮膚のサンプルを採らせて
貰い、香月ら研究部門の分析を待つしかない状況だった。
「すごく怯えていましたね。よっぽど怖い目に遭ったんだな。でも、皆が皆、同じものに怖
がっているって感じじゃなかったような……?」
数部屋目の調査を終え、睦月と冴島はたった二人廊下に出ていた。カツカツと歩く足音だ
けが妙に耳に残る。これまで話を聞いて回った女子生徒達の様子を思い出し、何とか共通の
原因を見つけ出そうとするが、どうにもその中身──本質である所にまでは届かない。
「そうだね。それは僕も思った。何だろう? 何かそれぞれにとってのトラウマが、呼び起
こされていたかのような……」
傍らの冴島も、そう口元に手を当てて難しい表情をしていた。好青年から、いち科学者の
顔だ。目を細めて、じっと頭の中で無秩序な情報を整理しているようにみえる。
「……」
だから睦月は、そんな彼の横顔を見て押し黙っていた。今目の前の調査ではなく、もっと
自分達の間に横たわっている問題についての想いを。
「……冴島さん」
「うん?」
「その、ごめんなさい。第七研究所の時は僕達を庇って……。それにあのせいで、僕は貴方
から守護騎士を奪ってしまった……」
ちらりと視線を寄越し、数拍目を丸くする冴島。
だが次の瞬間、彼はフッと笑っていた。何を今更──深刻な面持ちになって口を開いた睦
月とは対照的に優しく語り掛ける。
「別に恨んじゃいないよ。それに、僕では変身できなかったことは事実なんだ。寧ろあの時
あの場に君がいてくれて本当によかった。そうじゃなきゃ、対策チーム自体もあの時壊滅に
近い打撃を受けていた筈だからね。……謝るべきは僕の方さ。もっと早く、僕が使いこなせ
るようになるべきだった。君に戦わせることは、香月さんにとって心苦しい筈だ。でも僕だ
ったならまだ、使い潰せる」
「……そんな」
そんなこと無い。言いかけて、しかし睦月はそれ以上の言葉を続けられなかった。
もやもやと、二つの感情が綯い交ぜになる。一つは素直に、彼に自己犠牲の精神を発揮し
て欲しくないという想いと、もう一つは彼の言う通り、自分が戦わずに済む未来もあったの
ではないかという仄暗く湧いた非情。
いや、駄目だ──。ぶんぶんと睦月は首を横に振る。仮にそうだったとして、母さんが冴
島さんが戦いで傷ついていくのを快く思う筈がない。貴方がそんな言い方をできるのは、今
自分という比較対象があるからだ。……もやもやする。良心はこの人を巻き込みたくないの
に、一方でそうなっていればと思う自分がいる。やっぱり苦手なのだ。自分は母に好意を、
それも真面目にアプローチを試みている彼の存在が眩しくて、疎ましくて……。
「起こったことは変えられないよ。どちらにせよ、僕は戦っていたさ。対策チームの一員で
あることには変わりないんだから。とにかく今は、目の前の事件に集中しよう」
「……はい」
敵わないな……。結局自分はいつも、彼と膝を交えて話そうとすると己が心の小ささを思
い知らされる。立ち向かっても敗北。逃げようとしても、自認せざるを得なくなり敗北。
悪い人ではないのだ。中々にいない善人なのだ。でもだからこそ、母を狙う異性であるか
らこそ、どうしても素直になれない。どちらにとっても心地良い距離感が……分からない。
あくまで“仕事中”と軌道修正してくる冴島に、睦月は返す言葉もなかった。ただ難しい
表情で唇を結ぶだけである。そんな現マスターの気持ちを汲んでか汲まずか、懐の中に収ま
っているデバイス──画面の中のパンドラも、この二人のやり取りを聞いてむすっと頬を膨
らませていた。
(……うん?)
そんな時だったのだ。ふと睦月と冴島は、行く手に思わぬ人物らを目の当たりにすること
となる。
それは車椅子に乗せられた少女だった。年格好からして睦月よりは少し上だろうか。ふん
わりと柔らかそうな黒髪が長く伸び、廊下の一角に設けられたブロック型クッションの休憩
スペースで楽しそうに話している。
その相手は、端正な顔立ちをしたスーツ姿の青年だ。
明るく表情を変える彼女とは対照的に、どうやらあまり感情を表に出さないタイプである
らしい。しかしそれでも、傍から見ても二人はとても強い絆で結ばれているようにみえた。
少なくとも、少女の方は彼と一緒にいるだけでとても幸せそうである。
「……誰だろう? ここは普通の病棟じゃない筈なんだけど……」
「話を聞いてみようか。もしかしたら、これは」
当然ながら、怪しく思う。だが調査が手詰まりであった二人は意を決し、この男女の下へ
と歩いていく。冴島が、例の偽の社員証を見せながら言った。
「……。誰だ?」
「あ、あのっ! すみません」
「浅霧化成のシジマと申します。こちらは助手のキハラ君。今回こちらに運ばれた学生さん
達の原因究明の為に派遣されました。失礼ですが、お二人は……?」
「あら、わざわざ私達の為に? これは失礼しました。私は藤城淡雪。清風女学院の三年生
です。こちらは執事の黒斗。お仕事、ご苦労様です」
故に、二人は思わず顔を見合わせた。てっきり搬送された女生徒達は皆、あのような鬱状
態になってしまっているとばかり思っていたからだ。
「いえいえ。その……貴女も清風女学院の? お見舞いの方ではなく? 今回、被害に遭わ
れた方なのですか?」
「はい。私も当時、現場にいたので。私は大丈夫だと言ったんですが、学院側が念の為にと
入院を……」
伊達にお嬢様学校の生徒ではない。名乗ってから受け答えをしていく、その所作一つ一つ
が洗練されていて美しい。育ちの良さとはこういう事を言うのだな……。睦月は内心ほおー
と見惚れながらそう思った。尤も、本人の努力というものもあるのだろうが。
「その、でしたら是非お話を聞かせて貰えませんか? どうやら貴女以外に無事なままの方
はいないようだ。一体学院内で何があったのです? 表向きは食中毒とされていますが、私
達が看てきた彼女達は明らかにおかしい。皆、何かに取り憑かれたようにナイーブになって
しまっている」
少し強引かと思ったが、このチャンスを逃すべきではないとも思った。睦月がぼうっと見
つめている中、冴島はスッと胸に手を当ててそうこの少女・淡雪に問い質す。
「……すまないが」
「いえ。いいのよ、黒斗。このまま放っておいてもきっと解決はしない」
そんな押しに、ギロリと彼女の執事・黒斗が睨みを利かせようとした。だが当の淡雪はこ
れを制し、自らの口で語り始める。
「……とは言っても、正直な所、私もよく分からないんです。ただいつものように食堂でお
昼を食べていたら、急に周りの人達がバタバタと倒れ始めて……」
「お昼? じゃあ本当に食中毒……?」
「いや、流石にそんな切り揃えたようなタイミングで中るなんてこと、普通じゃ考え難い。
それに彼女だけが無事だった理由の説明にならない」
「そうですね……。あの、その時、何か変わったことってありませんでしたか? 何でもい
いんです。とにかく今は情報が欲しいです」
「うーん……。そう言われましても……」
冴島から睦月。次々に訊ねられて、淡雪は困っているようだった。何度も可愛らしく唸っ
て、懸命に当時の記憶を掘り起こそうとする。
「あっ。そういえば何か“粉”みたいなものが舞っていた気がします。凄く小さくてすぐに
は気付かなかったんですが、綺麗でキラキラした、青い粉……」
粉……。睦月と冴島は、互いの顔を見合わせた。間違いない。大きな手掛かりだ。
つまり何かしらの毒は調理前に盛られたのではなく、食される寸前に浴びせられたのだ。
もしその粉の現物を入手することができれば、集団搬送の原因もアウターの仕業かどうかも
判る筈……。
「……お嬢様。そろそろお部屋へ。あまり部屋を空にしていてはスタッフ達が気付きます」
「えー? そう? 仕方ないわね……。ごめんなさい。この辺りで失礼します。あまり力に
なれなかったかもしれませんけど」
「いえいえ。その証言だけでも充分です」
「どうぞ、お大事に」
しかしまるで話を断ち切るように、黒斗が淡雪を促して車椅子の後ろに回ってゆく。彼女
も不承不承ながらに受け入れ、しかしこちらへの配慮と挨拶も忘れずに微笑みを寄越した。
睦月と冴島はついつられて微笑み、これを見送っていた。
しんと、二人の姿が見えなくなると、院内はまたそら寒いほどの静けさになる。
「……行っちゃいましたね」
「ああ。しかし驚いた。まさか無事な子がいるとは」
たっぷりと間を置いてからの呟き。睦月の言葉に冴島も同感だった。てっきり全員が件の
症状に罹り、運ばれてきたとばかり思っていたのだから。
「だがこれで一つ有力な手掛かりが掴めそうだ。隊の皆に指示を送ろう。話よりも、彼女達
からのサンプル採取にシフトして貰うんだ。もしかしたら体表や血中に、その粉が残ってい
るかもしれない」
冴島がデバイスを取り出し、早速別行動中の仲間達にメッセージを送り始める。睦月も何
となく懐からデバイスを拾い上げ、画面を覗く。するとパンドラが、何故か緊張した様子で
こちらを見上げていた。
『……あ、あのう。マスター』
「うん?」
『その、非常に言い難いことなんですが。さっきの男の人……アウターです』




