19-(2) 傷跡
飛鳥崎メディカルセンターは、同市南岸の埋め立て区域・ポートランドの一角にある大型
の医療施設だ。
元よりポートランドは各種先端技術の研究とその生産に特化した特別区だが、同センター
も最新医療の研究という柱をその一つに据えていることから此処に居を構えている。故に街
の中心部からは離れているが、その性質上、飛鳥崎一帯の高度医療の拠点として機能してい
る施設だ。
「まぁともかく、元気そうで良かった」
「はい。怪我の方もお陰さまで順調に回復しているそうです」
そんな、普段なら金に糸目をつけない類の人間で溢れているこの病院内に、由良はいた。
目的はただ一つ、玄武台高校の元野球部マネージャー見習い・七波由香の見舞いである。
六人部屋の一番通路側の右。めいめいを仕切るカーテンすら質のいい生地が使われ、院内
はこれでもかというほどに清潔感に溢れている。……正直由良にしてみれば、人間味すら削
り取ってしまったかのように殺風景に思えるが、受けられる医療のレベルを考えれば些末で
帳消しになるのだろう。
ベッドに座った包帯姿の七波。そんな彼女と軽く会話をしつつ、由良は設えの棚の上に置
かれていた水瓶からコップに水を入れてやっていた。会釈して受け取り、七波は渇いた喉を
湿らすように口にする。
「……」
彼女を、玄武台の生徒・教職員達を襲った瀬古勇の襲撃事件。
自分たち警察が同校をマークしていたにも拘わらず、事件は起きてしまった。尤も彼を暴
発させてしまったのは校長・磯崎の保身による所が大きいが、それでもあのような事態を許
してしまったことは事実だ。
結果、校舎は原型を留めぬほどに崩壊。それに巻き込まれて七波以下、校舎内にいた生徒
や教職員の多数が病院送りとなり大惨事となった。
一度目に周囲を襲った衝撃波と、校舎に走った亀裂。
上層部はあれを何かしらの爆発物を用いた犯行と発表し、マスコミの報道もこれに追従す
る形となっていた。……しかし由良は、正直納得していない。あまりのことに現場にいた自
分でさえ何が起こったのかはっきりとはしないのだが、少なくとも尋常ではなかった。大体
一介の学生にあれほどまでに破壊力のある爆弾が作れるのだろうか? 一連の惨殺は大振り
の刃物さえあれば何とでもなるが、あれほどの規模となると……。
「あの。今日は筧さんはご一緒じゃないんですか?」
「うん? ああ。ごめんね、今日はちょっと調べ物があるとかって言って、朝から缶詰にな
っちゃってさ……」
それでも、と由良は思う。
彼女が無事でよかった。貴重な証人としても、一人の人間としても。
まだ身体のあちこちに巻かれている包帯姿は痛々しいが、表情は大分元気を取り戻してき
たと思う。或いは自分と会う時だけは繕って、心配させまいとしているのか。
コップ半分の水を飲み干し、彼女は訊ねてきた。他でもない自身が決死の告発をした時、
打ち明けたもう一人の刑事──筧のことである。由良はハッと我に返り、苦笑いと共にそう
答えを返していた。事件が起きてからこうして何度か彼女を見舞ってきたし、今のところ急
変する様子でもないとはいえ、やはりあの人は我が道を往く……。
「そうですか……。それってやっぱり、捜しているからですか? 瀬古先輩、まだ見つかっ
ていないんですよね?」
「……。ああ」
だからおずおずと、周りに聞かれないよう小声で訊ねてくる彼女の不安げな表情が心苦
しい。由良は静かに頷くしかなかった。申し訳ないと思った。もうじき一ヶ月を迎えようとし
ている。署の捜査本部が血眼になって捜し回っているにも拘わらず、あれから瀬古勇の足取
りは全くと言っていいほど掴めていない。
「もう殆ど、行方不明な状態だよ。もしかしたら既に飛鳥崎を出ている可能性もある。近隣
の県警にも捜査協力は要請してあるんだけど……」
口篭る。あまり喋ってはいけないという以上に、由良自身、何処かで諦めの感情に苛まれ
つつあったからだ。もう瀬古勇は、逃げおおせてしまったのではないか?
「で、でも。兵さんは言ってた。まだ磯崎を殺れてない以上、あいつはきっと姿を現す筈だ
って。これで諦めるなら、あんな執念深い殺り方はしないって。だからその時こそ、最後の
勝負だと思う。全力で捕まえる。何としても、必ず……」
「……そうですね。それだけ酷いことをしたんだもの。やっぱり、私達は先輩に恨まれてい
るのかなあ」
「七波ちゃん……」
正直、しまったと思った。励ますつもりで希望を残したが、よくよく考えれば彼女達にと
っては恐怖の継続でしかないではないか。直接瀬古優の苛めに加わった訳ではないにせよ、
こと善良なまでに自責の念に駆られるような彼女であれば。
(あああ、もう! 俺の馬鹿! な、何とか慰めないと……)
しゅんと苦笑して俯いている七波を見て、内心由良は焦っていた。頭を抱えてこちらが落
ち込みたいぐらいだった。……こんな時、兵さんならなんて言うのかなあ? そう、今は別
行動中の相棒であり師匠たる筧の立ち姿を思い出し、煩悶する。
(……うん?)
ちょうど、そんな時だったのだ。
由良はふと視界の端に、一人の人物の姿を捉えていた。
「──」
他の患者が出入りする部屋の扉から覗く、院内の廊下。
その中を独り真っ直ぐに通り過ぎてゆく、縦ロールの少女を。




