17-(3) また其処へ戻る
小松大臣の視察終了を見届けて、海之は同じ案内役の官僚達と帰京の途に就いていた。
列島を一繋ぎに結ぶ幹線鉄道。その線路上を駆け抜けるグリーン車の休憩スペースで、彼
はデバイスを耳に当て通話をしていた。相手は、飛鳥崎の両親である。
『──よかったの? 海沙や睦月君に挨拶もしないで』
「ああ。いいんだ。あいつらにも軽く話したように、今回そっちに寄ったのはあくまで仕事
の都合でだったからな。少なくとも大臣が会見をする前に情報を漏らすようでは、官僚失格
だろう?」
『真面目ねえ……』
電話の向こうで、亜里沙の苦笑いする声が聞こえる。
お互いに同じ公務員ではあるが、そもそも扱う義務の重さが違うのだ。同列に扱えという
方が無理なのかもしれない。そう思いつつも、堅物の海之としても、それが母のもう少しゆ
っくりしていってもという労いの類だということぐらいは推し量れる。
やはり自分は、冷たい奴だと思われているのだろうか。
しかし期せず帰省するとなれば顔を出し、復路の今もこうして一報の暇を作っている。家
族の無事を心配しない訳じゃない。偶にでも声が聞ければいい。
それに……海之にはもう一つ、両親に確かめておきたいことがあった。
「なあ、母さん。海沙に何か変わったことはなかったか? 悩んでいたとか、そういう」
『えっ? うーん、特にこれといって思い当たることはないけど……。いつも通りと言えば
いつも通りよ? あの子の事だから黙っているだけかもしれないけど。それに、睦月君や宙
ちゃんもいるし……』
「……」
やはりか。どうやら妹に降りかかったストーカー事件のことは、両親は知らされていない
らしい。自分は同僚経由の伝手で事件のことを知った。犯人の同級生が、飛鳥崎から引っ越
した──事実上の追放を食らったとの情報を貰ったのだ。だがどうも、肝心の周囲にはこの
事件が発生していたこと自体が認知されていないようなのだ。
(……睦月か?)
何となくだが、そう思った。あいつなら本人が知らない内に手を回して、不快な目に遭う
のを最小限に抑えようとするだろう。……そういう奴だ。もっと昔、妹と宙を守る為とはい
え、血塗れになりながらも野犬から二人を守った時のことを思い出す。
『? どうかした?』
亜里沙が電話の向こうで頭に疑問符を浮かべていた。不意に黙ってしまった息子の気配に
違和感を覚えたのだろう。海之はすぐに思考を切り替えて応じ直した。
「……いや。何でもない」
知らないのならそれでいいのだ。平穏無事なら、それだけで自分達が日々力を尽くすだけ
の価値がある。
幸い以前ほど大きくはなかった傷が癒えるのもそこそこに、筧と由良は再び玄武台高校へ
と足を運んでいた。事件の──瀬古勇による襲撃の痕が痛々しい。元あった校舎は崩壊した
まま保護シートが被せられつつ瓦礫の撤去が進み、代わりにグラウンドに侵食する形で仮設
のプレハブ校舎が建っていた。
「──あんな事があっても、まだ残ってるものなんですね」
「いっそ綺麗に消えてしまえば……ってか? かもしれねぇな。だがそれじゃあきっと何も
解決はしないだろうよ」
どうしようもなく軋む胸の奥。署内で聞いた話では先日、瀬古勇による一連の復讐殺人と
ブダイの崩壊を受け、東京から小松文教相が極秘にここへ視察に訪れたのだそうだ。運悪く
校内にいた磯崎元校長も災難だったろう。同じく又聞きした話では、これまでの対応に怒り
心頭だった大臣からこっぴどくお説教を受けたらしい。
……問題は、その非公式に訪れた筈の大臣を狙った何者かがいたという点だ。幸い放たれ
た二度の凶弾は本人に当たることはなかったが、一歩間違えればこの国を揺るがす大事件と
なったに違いない。
(瀬古勇も、今回の犯人も。何でも気に入らないから潰すってのは違うだろうがよ)
閑散とした敷地内を歩いてゆく。時折辺りを舐めるように見渡す由良とは対照的に、筧は
眉間に皺を寄せてじっと一点に崩壊した校舎の方を見つめていた。
あの襲撃で、瀬古勇は“特安”指定となった。被害の甚大さを鑑みれば仕方ない判断、遺
族からすれば遅過ぎた決断だったのであろうが、それでも筧は暗澹たる思いを隠せない。
瀬古勇は今も逃げ続けている。この街の何処か──或いはもうとっくに別の地域へと雲隠
れしてしまったか。
だが筧個人は、そうではないと睨んでいる。あれほど復讐に身を堕とした人間がその本丸
たる磯崎を諦めるとは思えない。何処かに潜んでいる筈だ。何処かに、きっと……。
「うーん。手掛かりらしいものはもう見当たらないですねえ。やっぱり無駄足だったかもし
れませんよ? 兵さん」
「そりゃあ狙撃だからな。ここに犯人の痕跡はないだろ」
「鑑識の話じゃ、唯一の手掛かりになりそうな弾丸すら見つかってないそうですからねえ」
やがて独り根負けしたのか、由良が一度深く息を吸い直してこちらを見てきた。筧はこの
相棒にそう割とあっさりと認め、しかし進む歩は緩めない。
……別にこの場に、犯人に繋がる何かがあるとは思っていない。筧がこの日わざわざ足を
運んだのは、ともかく実際の場所に立ち、見て、その思考や足取りを辿る為だ。
瀬古勇のブダイ襲撃事件。小松文教相への狙撃未遂事件。
この二つには共通点がある。部外者には眉唾だが、実際に経験している自分達だからこそ
放置できない情報だった。
守護騎士である。両方の事件において、かの都市伝説の鎧騎士はこの同じ現場に現れ、大
臣を凶弾から救ったという。署内の上層部は混乱し過ぎて見えもしないものを見たんだろう
と一笑に付していたが、他ならぬ自分達はあの日、実際に目撃したのだ。ブダイ襲撃事件の
際、大規模な破壊を前に吹き飛ばされた自分達の前に現れ、立ち込める土埃の向こうに立っ
ていた、明らかに常人ではない人影を……。
「……っ」
だが、思い出そうとする度に脳味噌の奥を掴まれるような痛みが走る。あの時の打ち所が
悪かったのだろうか? 或いはもっと以前に何処かで打ったのだろうか? つい反射的に指
先でこめかみ辺りを押さえると、ハッと気付いて由良が心配そうに覗き込む。
「兵さん。またですか?」
「ああ。どうも最近、考え事をすると痛んできやがる」
「自分も似たような時がありますね。やっぱりあの吹き飛ばされた時、変な所を打っちまっ
たんでしょうかね……」
見ていて伝染ったのか、由良もこめかみをぐりぐりと押し始めた。或いは筧と同じ動作を
することで、彼の考えている推理を共有できるとでも考えているのかもしれない。
「由良。お前も見たんだよな?」
「えっ? あ、はい。それって……例の都市伝説のことですよね? 自分はぼんやりとしか
ですけど。でも、狙撃事件に居合わせた人間達も、同じことを言っている……」
「ああ。見間違いかもしれなくても、少なくとも何かがいたんだ。あったんだ。それは実際
に小松大臣を助けたし、瀬古勇を撤退させた」
瀬古勇……。由良が小さくその名前を復唱した。ようやく先程から筧が考えていること、
方向性を把握したようだった。
筧はついっと空を仰ぐ。必然、視界には保護シートと重機に囲まれた旧ブダイ校舎のなれ
の果てがそびえている。瀬古勇の事件にも、小松大臣の狙撃未遂にも、かの存在は確かな共
通点としてその身を潜めている。
「……調べてみるか。守護騎士を」
またズキリと頭痛がした。まるでその言葉を、思考を妨げてくるかのように。
しかし筧は歩みを止めなかった。ズボンのポケットから片手を出し、汗ばむワイシャツの
胸元を気持ち緩めて風を送る。ええ……。由良も頷いていた。ぽりぽりと、先程のこめかみ
を指先で掻きながら静かに目を細めている。
「行くぞ」
「はいっ!」
二人は歩き出した。ザリッと踵を返した筧に、由良がすぐ後ろからついて来る。
隠されている筈だ。
この街を軋ませる何か。その正体が、そこには。




