16-(6) 真っ直ぐだから
瀬古勇とタウロス・アウターによって崩壊した玄武台高校は、現在急ピッチで仮設のプレ
ハブ校舎の建設が進められていた。
「な、何だって!? そそ、それは本当か!?」
同校長・磯崎は、突然訪れたその客の名を聞いて戦慄した。……いや、その表現は今はも
う正しくないだろう。元校長。先日彼は世間の追求を逃れる為に依願退職という最後の手段
を選ばざるを得ず、この日は偶々プレハブ内に移し、残されていた自身の荷物を引き上げる
ため内密に学校を訪れていたに過ぎないのだ。
どうして、自分がこんな目に遭わないといけないのか?
一連の事件は全部、あのキチガイのやった事だろう……?
「は、はい。もう裏門まで来ています」
「裏……。くっ! 逃がさない気か! 正面から出たらマスコミに嗅ぎ付けられる……!」
先日まで部下だった職員からそう報告を受け、磯崎は慌てた。荷物をどうこうなど言って
いる場合じゃない。こんな事なら全部捨て置いて隠れることに徹すればよかった。
しかし何故だ? 彼らは自分の動きを把握しているというのか……?
「失礼する。ここに磯崎康太郎殿はおられるか」
ひっ──!? しかし先方は待ってくれない。やがてプレハブ内の廊下を進む足音が幾つ
も聞こえ、磯崎のいる部屋に入って来た。
小松健臣。現政権の文教大臣である。かの“鬼の小松”の息子という肩書きもさる事なが
ら、教育行政に熱心な好漢であることは広く知られており、磯崎にとってはまさに雲の上の
天敵と言っていい人物だった。
「こ、これは大臣。ず、随分と急なお出ましで……。事前に仰ってくださればもっときちん
とした歓待も致しましたのに……」
「そのような雑事は必要ありません。私が今日やって来た理由、お解りですね?」
うっ……。何とか凌ごうとへつらった言葉にもまるで反応せず、健臣は言った。磯崎や場
に居合わせた元部下達らはめいめいに脂汗を掻き、このまだずっと若い筈の相手の眼から逃
れることができない。
(ぐぬぬ……七光りの若造が偉そうに……! こんな、こんな筈では……!)
見据えられる真っ直ぐな眼光に身動きが取れない。ぼたぼたと、額や顎から汗が滴るのが
分かった。磯崎達は、只々その場で彼からの糾弾を受けるしかなかったのである。
(……やれやれ。大臣も容赦ない人だ)
彼らの突入した廊下。そのすぐ後ろから一行をじっと見守っている一団があった。
仕立てられた高いスーツに身を包んだ数人の官僚達──そこには海沙の兄・海之の姿も含
まれていた。今回東京から帰省したのは他でもない。飛鳥崎出身者の一人としてこの街を訪
れる健臣を案内、世話する為である。
だが、前々からの評判のように、この小松健臣という男は一見優男に見えながら、その実
非常に熱いパッションを持ってこの仕事に臨んでいる。“鬼の小松”の子というのは、また
違う意味ではあるが、伊達ではない。
だがその一方、海之は内心個人的に、この人物をあまり良い風には思っていなかった。
その理由はいち官僚としてのこちらが御し難いタイプ、その一点に尽きる。或いはある種
の個人的な嫉妬なのかもしれない。
ちらとついて来た警備員らの表情を見る。各々が何を考えているか、詳しいことまでは分
かる筈もないが、大よそ自分達の抱いている感慨は一つだろう。
──この人は、真っ直ぐ過ぎる。
首相からオーケーを貰って来たとはいえ、接待も受けねば事前の磨り合わせもせず、ただ
真正面から件の人物と相対する。現役の大臣だからこそ相手が恐縮しているだけだ。
且つ、現地入りした翌日にはもう此処へ向かうと言い出した。こちらがどれだけあんたの
身の安全に心を砕いていることか。にも拘わらず、ダミーで先に玄武台へ走らせた車列では
なく、隠れ迂回した当人らの車列がピンポイントで何者かに狙われた。
……どういう事だ? 誰かしらの政敵、反対勢力の差し金か。
だが海之はそれ以上の詮索をすることは止めた。少なくとも自分が突っ込めば突っ込むほ
ど、跳ね返ってくる責任はとんでもない大きさになる。自分達はあくまで案内役で、警備の
責任者ではないのだから。そういう難しい話はセンセイ方の側近達に任せておけばいい。
「ともかく座りましょう。じきに終わります。……今回の一連の流れ、どう釈明するお心算
か? 生徒の自殺を隠蔽しただけでなく、その兄の復讐にすら真摯に向き合わず保身に走る
とは……。それでも貴方は教育者ですか?」
もし怪我でもしたら一大事だ。なのに健臣本人は急ごしらえのゴムソファに自分と磯崎を
掛けさせ、早速説教に入っていた。磯崎はぶるぶると震えている。彼の怒りは尤もだが、お
そらく対する当人は今まさに、自身のプライドの高さと戦っているのだろう。
「そ、それは申し訳なく……。ですが、あのような凶行に走ったのは瀬古勇です! 貴方は
彼奴の罪を正当化しようとお思いか!」
「そのような考えは一切ない。彼には一日でも早く出頭し、罪を償って貰いたいと考えてい
ます。もし我々政府、大人が今回の事件を許せば、第二第三の模倣犯が生まれるでしょう。
ですがそれと、貴方の重ねてきた判断ミスは別物の筈だ。隠蔽に次ぐ隠蔽、彼に伝えてしま
った誤ったメッセージ。貴方がたがもっと早い段階で遺族に謝罪し、過失を認めていれば、
兄・勇君もあのような狂気に囚われる事はなかったのではないですか?」
お……? 遂に逆ギレしたか。
後ろ手に閉めた扉の前で、海之達はこの一部始終を見守っていた。うっ……! 理路整然
と反論、論破する健臣の言葉に、磯崎はぐうの音も出ない。かつていち教育者だった自身の
思いと大臣としての職責、その両方を彼は言われずともとうに弁えている。
「……子供が、周りの人間の命が失われているのですよ。貴方はその全てを見ていて、何も
感じなかったのか!」
バンッ!! しかし内に秘めた“正義感”は彼を押し留めるには足らず、次の瞬間には目
の前の机を叩いて一喝を放っていた。
ビクッと、磯崎達がその気迫に竦み上がっている。先生。それまで隣にいた茶スーツの秘
書が健臣に呼び掛け、彼の熱量を必要最低限の所作で冷ます。
たっぷりと数秒、健臣は黙っていた。じっと頭を抱えて震える磯崎を見つめ、この男がど
んな人物なのかを奥深くまで自らの眼で確かめているかのようだった。やがて彼は取り巻き
達と立ち上がり、そっと乱れた胸元を正すと踵を返した。背中を向けたまま、スッと静かに
磯崎達に向かって言い放つ。
「……とにかく、政府としても今回の事件は重く受け止めています。近々専門家による検証
会議が発足します。貴方も、免許剥奪を含めて市教局から然るべき処罰を受けてください」
剥奪──。小さくとても小さく呟いたそのフレーズに絶望し切ったような顔になり、磯崎
はその場から動けなかった。がっくりと項垂れ、依願退職だけでは逃げ切れないのだと暗に
悟らされた彼をちらと肩越しに一瞥してから、健臣は部下達を連れて部屋を後にする。
「仮設校舎は、あとどれくらいで完成する?」
「はい。今月末には全クラス分が使用可能になると聞いております」
「そうか……。生徒達には辛い思いをさせてしまうな。メンタルケアに気をつけよう。私か
らも局にカウンセラーの増員を頼んでおくとしよう」
プレハブ校舎を出て、健臣達は敷地裏手にある小さな駐車スペースに出た。ちょうど体育
館の裏手に広がる空間である。タウロスに破壊された校舎本棟とは別に建っているため、先
の襲撃では損壊を免れた。
SP達に囲まれ、幾つかブダイの今後についての報告と指示を飛ばす。現場は見た。渦中
の校長とも直に会った。やはりあの男では駄目だ。去り際に投げた言葉からの絶望の顔を見
て確信した。十中八九彼は、先んじて辞職して追求を免れようとしていた。
「先生」
「ああ。戻ろうか」
秘書の中谷が車のドアを開ける。本音を言えばもっと関係者──できる事なら子供達に直
接話を聞き、力になってやりかったが、今回の来訪自体がかなりの強行軍なのである。先日
のトラブルで滞在スケジュールもかなりキツキツになってしまった。
(大臣と言っても所詮は机上の置物か。やはり俺には──)
だがその時である。直後クゥゥンと、何処からか空気を引き裂くような音が聞こえた気が
したのだ。……飛んでくる。半ば反射的に振り向き、見上げた空には、猛スピードでこちら
に向かってくる金属の塊が見えた。
不意にスローモーションになった世界。瞳の中で、その塊──銃弾が回転しながら自分を
狙っているのを目撃する。
動けなかった。世界が遅くなった、感覚が捉えても、身体がついて来ないのだ。
撃たれる。そう健臣自身が理解したのはそれから何テンポも遅れてからだった。
まさか、あの時の……? くそっ! 何てことだ!
SP達や秘書が同時、波打つように反応し始めている。
真由子、真弥。香月、睦月。
せめて、もう一度──。
「だらぁッ!!」
しかし、次の瞬間だったのだった。スローモーションの世界で健臣が自らの死を連想した
時、脳天を撃ち抜く筈だった銃弾は突如目の前に飛び込んできた何者かによって叩き落され
たのだ。
えっ……? 健臣が、中谷が目を丸くする。
そこには立っていたのだった。
「──」
奇妙な銃から伸びた刃を片手に、薄海色のパワードスーツに身を包んだ誰かが。




