16-(1) その心、子知らず
「やあ。どうやら君のお陰で助かったようだ。ありがとう、礼を言う」
「い、いえ……」
前輪と窓ガラスを撃ち抜かれ、半ば横付けされるように停止した車と、慌てて避けながら
停まった二台。先刻の襲撃も一先ず止んだとみえ、健臣はスーツの男達を連れてそう睦月に
向かい合って小さく頭を下げた。大の大人に、如何にも立場のありそうな相手に、対する睦
月も思わず畏まって身を硬くしてしまう。
確か茶スーツの男達は、この男性のことを「先生」と呼んでいた。乗っていた車も──何
者かに撃たれてもう走れそうにないが、どれも黒塗りの高級車ようだし、やはり相応の地位
にある人間なのだろうと推測する。
お偉いさん。そういえば以前にもこんな事があったなと、睦月は頭の隅で思い出す。
他でもない筧のことだ。彼はあの時「他人のトラブルに割って入る仕事」だと言っていた
っけ。探偵だろうかと思えば、刑事だった。となると今回は弁護士やお医者さん──いや、
もしかしたら議員さんだったりするのかもしれない。
『……』
皆人は、香月は黙っていた。司令室の画面に映る睦月と健臣らの一団の様子に、ただこち
らの存在を気付かれまいとするかのように沈黙している。
「……その、よければ君の名前を聞かせてくれないか? 今は色々忙しくてきちんと礼をで
きそうにもなくてね」
『っ!? ま、待て、睦──』
「あ、いえ。お構いなく。睦月です。佐原睦月といいます」
「佐原? もしかして、君は……」
だが次の瞬間、健臣からの問い掛けに皆人が焦った。通信越しに睦月に名乗らぬよう指示
しようとするが、それよりも早く睦月はごくごく自然にはにかんで名乗っていた。
するとどうだろう。ピクッと、健臣は眉を顰めて反応した。「まさか」じっと見つめて何
やら呟いた彼に対し、睦月は頭に小さく疑問符を浮かべている。
「? どうかしましたか?」
「あ、ああ。もしかして君は、佐原香月……博士の」
「はい。息子です。母さんのこと、ご存知なんですか?」
「……ああ。古い友人だよ」
そうか。最初こそ妙に深刻な面持ちをしていたように見えたが、睦月が訊ね返した時には
もう、寧ろ穏やかな表情さえみせていた。優しい苦笑いとでも言うべきものだろうか。純粋
に訊ねてきたこの少年に、彼はそっと細めた眼差しを向けてくる。
「ああ……。香月博士の知り合いだったんですねえ」
「偶然ってあるもんだな」
「っていうか、やっぱそうだよな? あれって小松大臣だよな? 文教省の。鬼の小松の」
「何でまた飛鳥崎に……?」
「さあ?」
「それにしても……。なあ、あの二人、何だか似てないか?」
「うん? ああ。確かに言われてみれば、何となく顔立ちが似てるかなあ?」
「……偶々だろう? 人間、世の中には三人は自分と似ている誰かがいると云うしな」
司令室でも、職員達が次々に言葉を漏らし始めていた。
ある者は世間の狭さを。ちらと肩越しに香月を見遣って、しかしどうにもきゅっと唇を結
んだままで語らない彼女に若干の怪訝は残しながら。
ある者は彼の正体を。その名を聞いて知らぬ者はいないだろう。何せ現役閣僚の一人だ。
しかもこの国における新時代の牽引役、三巨頭の息子となれば。加えて彼自身、まだ若いな
がらも芯の通った情熱の政治家としてしばしばメディアにも取り上げられている。
だがそんな職員達を、まるで無駄話は後にしろと言わんばかりに皆人が制止した。彼らの
驚きとは対照的に淡々とした様子で語り、場の話題を無理やりにでも中断させる。
「そうか。彼女の……」
一方で当の小松大臣──健臣はしみじみと呟いていた。睦月が、スーツの男達が揃って頭
に疑問符を浮かべているものの、かといって何をと突っ込んでいく者がいる訳でもない。
「ところで」
しかしそんな姿も束の間のことだった。ふと、次の瞬間には彼はううんっとわざとらしく
一回咳払いをし、少し威厳を持たせようとするモードになった。じっと睦月を、制服姿の睦
月の全身をざっと上下に見下ろし、注意する。
「君は玄武台の生徒ではないね。その制服は……確か飛鳥崎学園のものだ。サボリかい?
駄目じゃあないか。学生の本分は勉強だよ。若い内に色んなことを学んで、この先の人生を
豊かにする準備なんだから」
「あ、はい。す、すみません……」
今の状況を否応なく思い出さされて、睦月は思わずばつが悪そうに謝った。構わないよ。
だが彼は別にそこまで本気で怒っている訳ではないらしい。苦笑を零し、すると肩越しに軽
く振り返ってスーツの男達に指示を出した。
「学園までは遠いだろう。タクシーを呼んであげよう。金なら気にするな。ああ、それと。
降りる場所は裏口がいいだろうな。真正面から帰ればすぐに先生に見つかってしまうぞ?」
はあ……。トントンと進む話に遠慮する暇もなく、睦月はそう曖昧な返事をするしかなか
った。スーツの部下達も、少々人の良過ぎるこの上司に若干躊躇いつつ、しかし指示とあれ
ばすぐに従う。懐からデバイスを取り出して市内のタクシー会社にコールする。
「あ、ありがとうございます。あの、それで、おじさん達は大丈夫なんですか? 車、随分
派手にやられちゃいましたけど」
「ん? ああ……。真ん中の一台は置いていくしかないが、残り二台がある。一旦帰るには
支障ないよ。また後で回収させる。どのみちこんな事になっては後始末をしない訳にはいか
ないからね」
「そう……ですね」
少なくとも、彼ら自身に大事がなくて本当によかった。終始ペースを握られながらも、睦
月は内心大きく安堵していた。何というか、彼らをアウターのあれこれに巻き込んでしまっ
てはならないと直感が告げていたからだ。
こっそりと、彼らが車の方に戻っていくのを確認してから、睦月はインカム越しに自分達
を見ている筈の親友らに呼び掛ける。
「皆人」
『……ああ。とりあえず戻って来い。大分時間を食ってしまった。学園の方は國子と大江が
カバーしてくれているが、これ以上深追いするのは限界だろう』
うん。懐の中のパンドラもコクと頷き、睦月は健臣らが手配してくれたタクシーが来るの
を待った。乗り込むのを確認して、彼らもまた残った二台に分乗し直してこの堤防道を引き
返していく。
『……』
とりあえず戻って来い。
そこにもっと別の意図が含まれていたことなど、この時睦月はまだ知る由もなく。




