15-(2) 彼が来る
「──何だ? 今夜は睦月の退院祝いに出ると言付けてある筈だが」
デバイスに着信があり、皆人はこっそり宴の席を離脱した。外の夜風は相応の冷やっこさ
を持っているものの、来たる雨の季節を孕んでか同時に湿っぽさも感じる。
気持ち声を潜め、皆人は通話に応じた。画面に表示された名前と返ってきた声は、他でも
ない父・皆継のものだった。
『ああ、聞いている。だが取り急ぎ、お前にも知らせておかねばならん事が起きてな……』
威厳あるフォーマルな場よりは若干和らいで、しかしその声色には言葉通りに切迫感が垣
間見えた。皆人はそっと眉間に皺を寄せる。自分にも──つまりアウター絡みか。
「……瀬古勇か?」
『いや、そっちじゃない。まぁ全く関係ない訳ではないんだが。……政府が動き出した。先
日の玄武台での事件を受けて、内々に要人が視察に訪れるらしい』
「それは……拙いな」
そっちか。父からもたらされた情報に、皆人は内心焦った。
タウロスと瀬古勇による復讐殺人とブダイ襲撃。その一連の結果を、政府は深刻なものと
受け止めたようだ。もし内偵の手が伸びれば、アウターどころか自分達対策チームの存在ま
で嗅ぎ付けられかねない。
『事件を切欠に、我々の存在を嗅ぎ回られれば厄介だ。既に内通者達には手を回し、明日に
でも幹部会を招集するつもりだが……相手が相手だからな。直接的な圧力を加えた所で却っ
てこちらの首を締めることにもなりかねん』
「ああ」
頷く。対策チームとて万能ではない。所詮は非公式、民間のカルテルだ。公権力のメスが
本格的に入ってしまったら、とてもではないが太刀打ちはできない。
だがそれ以上に、皆人は思案していた。頭痛の種が一つ増えてしまった。先の事件、睦月
の強化換装失敗によって負った怪我で、いよいよ宙と海沙が自分達の活動に疑問を持ち始め
ている。外からの脅威と、内側の突き上げ。何とかしなければ……。
『なるべくお前達司令室の側に労力を割かせないようにはするが、場合によっては実力行使
でその高官に接触しなければいけないかもしれない。ビートル・コンシェルでな。状況が状
況だ。お前には先に知らせておかねばと思ってな』
「……そうか」
リモート。やはり記憶を改ざんするしかないだろうか。良心など、目的の為になら脇に置
いておかなければならないか。友人と権力者。同じ人間なのに、いざ自分をクールに冷却し
てみるとこんなにも躊躇いの有無がはっきりと感じられる。
「それで? その視察に来る要人というのは誰か分かっているのか?」
『ああ。確認を取ったから間違いない』
そして皆人は、続いて返ってきた返答に耳を疑う。
『大臣だ。文化教育省の──』
飛鳥崎に乗り込んでくるという人物の名。
通話越しに父から語られるその名前に、皆人はじわりと目を見開いて……。
我が国の集積都市の一つ、飛鳥崎。首都圏からも幹線道路・鉄道の延長上にあり、この辺
り一帯は旧時代以前からも副都心として潤沢な発展を遂げてきた。
夜の道路を走る。流石に他の車の姿は時折数えるほどしかないが、それでも街のネオンは
煌々と、この延々複雑に続くインフラを照らし続けている。
……美しい光だ。だがこの中には、間違いなく多くの軋みが潜んでいるのだろう。
黒塗りの高級車。その後部座席の半分に陣取りながら、彼はぼうっと過ぎゆく夜の街並み
を眺めていた。
昼の公務を急遽ハイペースで消化し、この車に乗り込んだ。明日には視察を始められるよ
うにしたい。犯人すらまだ捕まっていないのだ。自浄能力を持たぬというのなら、最早トッ
プダウンで差配する他あるまい。
「市中に入りました。ホテルまであと十分ほどで到着します」
「そうか」
ハンドルを握りながら、運転席の中谷が言う。彼は小さくそれだけを応えて特段向き直る
訳でもなく、変わらず街の灯りを眺めている。
一連の事件について聞き、義憤が込み上げた。何故ここまで拗れに拗れたのだろう? も
っと早く、形だけでも大人達が非を認めて謝罪をすれば、あの少年はあそこまで凶行に駆ら
れることも無かっただろうに。
ネットで配信された釈明会見も視た。酷い保身だった。
復讐を称賛することはできない。しかし一人の少年が、未来を担う若者が一人、その命を
自ら絶ったというのに何故あそこまで彼らは無視できる? 仮にも、そうした若者達を育て
る使命を帯びた教育者であるのに。
『先生が介入することで、一層大事になりはしませんかね?』
『それでも、だ。これは俺たち大人が解決すべき問題だ』
惜しむらくは事件を知ってすぐに動けなかったことだろう。貴方が直々に動いてはいけな
いと何度も周囲に止められた。秘書の中谷もその一人だ。尤も彼の場合は事なかれ主義とい
うより、自分に跳ね返ってくるダメージを気にしてのことだったと思うが……。
だが今回に関しては、首相より許可を貰っている。
気持ちばかりが急く。こんな時に動かなくて、何が大臣だ。
「……」
本当ならすぐにでも現場に飛んでいきたい。無念のまま亡くなった少年の為に祈り、暴走
を止められなくなった彼の兄を何とかして救いってやりたい。
景色は、海辺を埋め立てた広大な港湾地域を映し始めている。
確かポートランドといったか。
そうか。“彼女”は今、此処いるのか……。
「先生?」
「……何でもない。急いでくれ」
バックミラー越しに中谷がふいっと怪訝に声をかけてきた。彼はハッと我に返り、あくま
で冷静沈着を装ってこの秘書を促す。
夜の飛鳥崎を、彼を乗せた黒塗りの車が駆けて行く。
彼の名は現文化教育大臣・小松健臣。
この国における“新時代”の始まりを牽引した三巨頭が一人、“鬼の小松”こと小松雅臣
の息子である──。




