14-(6) 獄獣換装
「どういう事だ!? あいつは病室で寝ていた筈だろう!?」
大量の土や瓦礫の埃を抜け、いざ突撃しようとしたその寸前、皆人達の向こうには睦月が
立っていた。
ややこちらに背中を向けた睦月。
その姿は頭や腕、シャツの胸元からまだ痛々しく巻かれた包帯が覗き、されどキリッとそ
の横顔は強い決意に満ちている。
『す、すみません』
『それが、急に目を覚ましたと思ったら司令達は、瀬古はと問い詰められたのでつい……』
インカム越しの通信で病院に残してあった隊士らが言う。
皆人はくしゃっと顔を歪めてこの親友の姿を見ていた。どうやら現状と自分達の出撃を聞
きつけ、怪我を押して駆けつけたらしい。
辺りをざっと見回して確認する。幸いにして、大量の埃が煙幕となって周囲の眼は暫く誤
魔化せそうだ。何より先程の衝撃波で殆どの者がぐったりと倒れて動けない。
「どうする、三条?」
「ご指示を」
仁が國子が、場の隊士達が総じて皆人を見遣って訊ねてくる。
「……不安ではあるが、睦月を援護する。ああいう時のあいつは、俺がどう言ったって聞か
ないしな」
「守護騎士ッ……!」
タウロスと睨み合う。睦月はその肩の上から憎悪の眼で睨み付けてくる勇にちらと視線を
遣っていた。既に磯崎は戦斧が振り下ろされる寸前に失神している。
濛々と立ち込めた土埃。破壊された玄武台高校のグラウンド、校舎。
もし病院に担ぎ込まれる前であれば、自分は後先も考えずに飛び込んでいただろう。尤も
行動それ自体はもしもも今も変わらない気はするが。
妙に冷静な自分がいた。余裕、とでも言おうか。今ならこの二人のさまをつぶさに観察す
ることができる。只事ではない筈の周りの音も、何処か遠い世界のように感じられる。
「懲りもせずに現れたか。それで? そんな傷だらけの身体でどうする?」
「邪魔をするな! 一体何なんだ……お前は? 大体、俺達の事情なんてお前には関係ない
筈だろう!?」
タウロスはあくまで落ち着き払って。勇は沸々と込み上がる感情のままに。
しかし睦月はすぐには返事をせず、無言のまま懐からEXリアナイザを取り出した。タウ
ロスがそっと勇を降ろし、小さく「下がっていろ」と促す。
「そうだね。関係ない。でも僕は、戦うと決めたから戦うんだ」
次いでパンドラ達の収まったデバイスを。タウロスの眉間が微かに怪訝に寄った。返す手
でEXリアナイザの上蓋を開け、これをセットしようとする。
『マスター……』
「……大丈夫。もう“間違えない”から」
フッと静かな微笑。だが次の瞬間にはキリッと真剣な表情に戻り、睦月はパンドラの声音
を余所にその所作を開始した。起動したEXリアナイザから制御用のホログラム画面が浮か
び上がる。錠前のアイコンをタップして開錠し、そのまま指先を滑らせるように七体一括り
のサポートコンシェル達を赤枠の中へアクティブにする。
『LION』『TIGER』『CHEETAH』
『LEOPARD』『CAT』『JAGGER』『PUMA』
『TRACE』
「……。っ!」
『ACTIVATED』
「ッ!?」
『認証した!?』
一瞬、押し当てる前に間隙を。されどすぐにその銃口は彼の掌に吸い込まれた。
鳴り響いた澱みない機械の音声。皆人達が、司令室の香月達がその事実に驚いた。示す事
柄──失敗を乗り越える瞬間に目を丸くする。
「変身ッ!」
『KERBEROS』
はたして次の瞬間だった。大きく掲げた銃口、引き金をひいて叫んだ睦月の頭上を、大き
な紅蓮色の光球が飛び上がって行ったのだ。
彼の身体を通り抜けながら回っていく、赤いデジタル記号の群れ。
更にこの頭上の光球は一回りほど小さい七つの赤球に分裂し、一斉に睦月へ向かって降り
注いでいく。衝突する度、溢れる光と炎。病み上がりだった筈の彼の身体は瞬く間に新たな
力を宿した守護者へと変化していく。
「──ふんっ!」
露わになった姿。
それは両肩と胸元、三ヶ所に獅子の頭を象り、燃えるような赤と金枠を基調とした装甲に
身を包んだ守護騎士だった。
蒙と熱された蒸気が漂う。タウロスが、更に後ろに勇が驚きに目を見開き、身構える。
「……っ。ひょ、兵さん、大丈夫ですか……?」
「ああ、何とかな。一体何が──ッ?!」
ようやく先の衝撃波と瓦礫の山から復帰し、這い出してきた刑事達。由良が筧が、そんな
面々の中でボロボロになり、されど燻る煙幕の切れ目切れ目の中にはたと、その常識にはあ
り得ない光景を幻視することとなる。
「……変身した」
「赤い……。ってことは、あれが?」
『ええ。あれが守護騎士・赤の強化換装──ケルベロスフォーム』
現場の皆人達、そして司令室の香月がその成功をしかと目撃した。
仁が感極まって、同じ元電脳研のメンバー達とハイタッチしている。國子が小さく目を瞑
って静かに頷き、皆人は人知れず大きな安堵の息を吐き出した。
「そうか。それが本来の──」
「何をやってる! ぶっ殺せ、タウロス!」
戦斧を両手に握り直して呟く彼に、勇は苛立ちを隠せずに叫んだ。
立ち合い。先ずぐぐっと斧を振りかぶろうとしたタウロスを、睦月の目にも留まらぬ初撃
が襲う。前傾姿勢になりながら両腕に起こされた鋭い鉤爪、両脚の無数の穴から噴き出した
熱気が一体となり、刹那タウロスを霞む速さで一閃したのだ。
「ぐぅッ……?!」
「なっ!?」
気付いた時には両者はすれ違い、睦月は地面に黒く激しいブレーキ痕を付けながら残心し
ていた。
当のタウロスと勇、二人の声が折り重なった。握り締めていた戦斧は柄の中央から真っ二
つにされ、彼の身体を切り裂き、どうっとその巨体に膝をつかせる。
(何だ、このスピードは? 身体能力が、明らかに上昇している……)
それに……。思わずそっと、片方の手で切り裂かれた胸元に触れるか触れないか。
(あの時の炎か。傷口が、爛れて……)
だがそんな躊躇い、思考の暇などなかった。気付けば既に睦月──ケルベロスフォームは
高熱と両の鉤爪を引っ下げながら加速し、再びタウロスへ攻撃を仕掛けようとしてくる。
「タウロス!」
「逃げろ、勇! できるだけ遠──ガァッ!!」
そこからは睦月の、怒涛で一方的な攻撃の嵐だった。
強化された身体能力で駆け抜けながら、何度も何度もタウロスとすれ違って切り結ぶ。そ
の度に爆音を孕んだ火花が飛び散り、タウロスの身体は繰り返し弾かれるように右に左にと
舞った。
そして駄目押し。ようやく動きが視認でき始めた時、睦月は低く足元からすくい上げるよ
うにその炎を纏う鉤爪を振り抜いた。骨肉を引き裂いて軋む音。だがそれも時間にすれば僅
かなことで、タウロスの身体は崩壊した校舎を大きく飛び越え、裏手の市外へと放物線を描
いて吹き飛ばされていく。
「──ッ、あっ……! ぐぅぅ……!」
落ちた先は路地の裏手にある倉庫ビルらしきエリア。タウロスは全身をさんざに切り裂か
れ、尚もその高熱で自己修復の能力も間に合わない無数の傷を抱え、のた打ち回っていた。
「……」
それでも、睦月の追撃は終わらない。
グラウンドから大きく助走をつけて跳んで来たのだろう。フゥゥッと彼もまた中空からま
るで降ってきたようにこの地面に着地し、そして尚も身体中から溢れる炎のエネルギーを引
き連れながら一歩また一歩、タウロスへと近付いていく。
「くっ……。破ァァッ!!」
だからこそ、タウロスは再び睦月に向け、あの衝撃波を放ったのだ。
牛頭の怪人が放つ咆哮。辺りの散在した物資を次々と跳ね飛ばし、一見すれば視認すらで
きない遠距離用の音波攻撃が飛ぶ。
だがしかし、睦月はまるで物怖じしなかったのだ。寧ろ真正面から、胸元に大きく象られ
た獅子の顔から同じく咆哮を放ち、更に大きく開かれた口から無数の炎弾を撃ち出してこれ
に対抗したのだった。
音波と音波、炎弾がぶつかり合って相殺される。そしてそれでも打ち漏らされた幾つかの
炎弾はタウロス目掛けて命中し、再度彼をその場に吹き飛ばす。
「ぐっ……おお……」
ゴロゴロと古いヒビだらけのコンクリートの上に転がり、タウロスはもうろくに動けずに
反撃できずにいた。「……っ! タウロス!」忠告通り逃げず、追い掛けてきた勇がそんな
光景を見て叫んでいる。
「……チャージ」
『PUT ON THE ARMS』
されど睦月は戦うのを止めない。EXリアナイザを耳元でコールし、返ってきた電子音に
したがってこの基幹ツールを胸元の獅子の側面に挿入する。
轟、轟、轟。それまでより一層激しい炎が彼を中心に巻き起こり、その身を包み始めた。
大きな深呼吸。ぐぐっと深くゆっくりと腰を降ろしながら両の鉤爪を、脇を一旦締めて構
え、その力の高ぶりが頂点に達したその瞬間、睦月は跳んだ。
「おうっ、どりゃああああーッ!!」
「──ッ!? ガァッ……?!」
それはまさに、獅子の頭を象った炎だった。睦月はそんな巨大な炎のエネルギーに包まれ
ながらタウロスに向かって跳びかかり、袈裟懸けに振り下ろした両の鉤爪でその身体を三枚
に引き裂いたのである。
ぐらり。孕み爆ぜる炎。当のタウロス本人が目を丸くし、切断された身体と切り口に纏わ
り付く炎に絡まれながら次々に地面に落ちる。勇が、そんなあまりの出来事に愕然とし、叫
んでいた。
「タウロスーッ!!」
どうっ。睦月が着地するのとほぼ同時、タウロスのパーツは場に散らばるようにして転が
っていった。尚も炎は切り口から延焼し、少しずつその実体は無機質なデータの粒子となっ
て霧散してゆく。
「……」
自身に纏う炎が吹き消え、睦月がゆっくりと振り向いてこちらを見た。ひっ……!? 赤
いランプ眼を宿すそのパワードスーツ姿に勇が怯え、それでも彼がこれも仕留めようと歩き
始めた、その時。
「っ!?」
ガンッ!! 寸前、睦月の足元に真っ二つにされた戦斧が突き刺さっていた。じろっとそ
の投げ付けられた方向を見遣れば、半ば消滅しかかりながらもタウロスがじっと強い金色の
瞳でこちらを睨み付けている。数拍。すると彼は、こちらを一ミリも見逃さないままこう問
い掛けたのだ。
「……守護騎士。お前は、私達を殺し回って、楽しいか……?」
僅かに、僅かにだけ睦月のパワードスーツ越しの眼が細められ、険しくなった。
逃げろ、勇! しかしその隙を突き、タウロスが叫ぶと、勇はおろおろと後退りしながら
も一人狼狽したままこの場を走り去っていく。
「っ! 逃げられ──」
慌てて振り向き直り、追おうとした。だが睦月は結局、それは出来なかった。
その時にはもう姿が見えなくなってしまったからというのもあるが、最期の最期までタウ
ロスが自分を見つめて離さなかったからだと思う。身体がヒビ割れ、砂のように瓦解して見
えなくなるまで。足元の戦斧の刃が同じように粒子となって消え切るまで、睦月はどうして
かその場を動く事が出来なかったのだった。
「……。僕は」
輝くデジタル記号の群れに包まれ、睦月は変身を解除した。辺りには未だあちこちで燃え
残った火と、戦いの傷跡が痛々しく広がる。
どさっ。そして睦月はそのまま力尽きるように大きく仰向けに倒れた。力の反動という奴
なのだろう。意識した途端、猛烈な疲労感が全身を襲った。
「睦月!」「佐原~!」
「睦月さん、ご無事ですか!?」
何処からか、仲間達の声が聞こえる。足音が近付いてくる。だがもう睦月には起き上がる
体力も、応える気力も残されていなかった。
『お前は、私達を殺し回って、楽しいか……?』
今し方、つい目の前ので消滅した電脳の怪物。
脳裏では、そんな彼の散り際の一言が反響し続けている。




