13-(8) 決死の変身
「──ったく、どいつもこいつも……」
ネオンの明かりと夜闇の黒が対を成す。
この日、玄武台高校の教師・平本は一人西区で酒を飲んで帰る途中だった。
大分酔いが回っているのか、ふらふらとした足取りで彼はネオンの明かりが遠い寂れた路
地を歩いている。彼は自殺した瀬古優のクラス担任でもあった。ぶつぶつと酒の勢いを借り
つつ、彼は一人延々と誰にともなく恨み節を呟き続けている。
「菅野も余計な面倒を持ち込んできやがって……。お前の部なんだからお前が尻拭いしろっ
てーの。ひっく。……こっちはそんな一人一人を見てる暇なんてねぇんだよ。相談だってな
かったし。どうしてくれんだ、こっちはまだ家のローンと子供の学費が残ってんだぞ……」
担当していた生徒の一人が自殺したことによる、同校の危機。
原因など早い段階から判っていた。だがそれを大っぴらに認めてしまえば、近隣郊外を問
わず風評被害は甚大なものになる。マスコミも嬉々として突き上げてくるだろう。だからこ
そ自分達は徹底的に事件を隠し、生徒達にも厳しく緘口令を敷いた。……少なくとも今この
段階で公になるのは拙いのだ。もっと、こちらの被害が抑えられるタイミングというものが
大人の世界にはある。
……なのにだ。ネット上には既に瀬古の自殺と一連の関係者の死に尾ひれが付き、玄武台
を口撃して愉しんでいる輩がゴロゴロといる。
ふざけやがって。毎日自分達がどれだけ後始末に苦労してると思ってる? お陰で連日連
夜の残業だ。ただでさえガキ共を使える人間にするというミッション自体骨が折れるのに、
給料が割り増しになる所か下手すればゼロになりかねないのだ。こんなに馬鹿馬鹿しいこと
はない。
「ったく、勝手に死にやがって……」
以来、まことしやかに噂されている。何でも瀬古の兄が弟の復讐の為、自分たち玄武台の
関係者を片っ端から殺して回っているとか。本当か? というか正気か? そんな事をした
って弟は戻って来ないし、寧ろ学校側は頑なにならざるを得ないだろう。校長や教頭からは
危ないので無闇に出歩くなと言われているが、ずっと家と学校の往復ではいい加減頭がおか
しくなってしまう。
(俺は悪くない……俺は悪くない……。あいつが死んだのは野球部の方だ……)
ひっく! だがそうして、ふらふらと酔いのままに遅々とした帰路を辿っていた最中のこ
とだった。ふと気付けば、ネオンの逆行を背に、誰かが自分の行く手向こうに立っていたの
である。
「……何だあ?」
それは二人組だった。目深にフードを被った薄手のパーカーの少年と、短い刈り上げの髪
をした大柄の男。前者は両手をポケットに突っ込んで道のど真ん中に立ち、後者はそんな彼
の後ろでじっと仁王立ちのまま控えている。
ぼうっと。最初平本は「邪魔だな」程度にしか思わず、つい立ち止まって見返していた。
しかしややあって、刹那その背筋に悪寒が走る。
混乱したが、本能の側が理解した。
殺気だ。自分に立ちはだかった少年が向けていたそれは、掛け値なしの苛烈なまでの殺意
だったのである。
「……お前、瀬古か」
ごくり。平本は思わず息を呑み、問うていた。
少年は答えない。だが代わりにフードを取って人相を露わにし、そっとその殺気に溢れた
眼光でこちらを睨み付けてくる。
更に背後の大男が彼の前へと進み出た。するとどうだろう。この男は次の瞬間、光るデジ
タル記号の群れに包まれ、牛頭の怪物に変身したのだ。
「ひっ──!?」
手にした戦斧。夜闇の微かな光を弾くその分厚い刃は、紛れもなく本物だった。
平本は思わずその場で悲鳴を上げる、腰を抜かす。ずんずんとこの牛頭の怪物、タウロス
・アウターは彼に近づき、大きく斧を振り上げて──。
「ッ!?」
その直後だった。刃を振り下ろす寸前、タウロスは自身に迫る攻撃の気配を感じ、咄嗟に
戦斧を盾のように構えてこの奇襲を防御した。
火花を散らす銃撃。情けない悲鳴を上げて、地面を這うように逃げていく平本。
フードの少年、瀬古勇は深く眉間に皺を刻んで睨んでいた。タウロスも、平然とした様子
でその場に立ったままで、幾つか斧の影からはみ出た部分に受けた傷もやはりあっという間
に再生される。
「そこまでだ!」「もうこれ以上はやらせない!」
「おい、あの男性の確保を!」
「ああ。分かってる!」
手分けをして西区を探し回っていたリアナイザ隊の一班だった。全員既にそれぞれのコン
シェルを呼び出し、各種射撃系の攻撃でタウロスの凶刃を食い止めたのだった。
「皆さん!」
そこへ、連絡を受けた睦月達や他の班の隊士達も駆けつけて来た。睦月らを中心として再
び陣形を組み直し、二人の後ろでわたわたとしている平本を救助しようとし、両者は互いに
剣呑な空気でもって向かい合う。
「もう止めてください、瀬古さん! こんな事したって弟さんは戻って来ない!」
睦月は必死だった。これ以上惨劇を繰り返させる訳にはいかない。その一心でタウロスの
後ろに立つ勇へと呼び掛け、説得を試みようとする。
「失うことの辛さを知っているのなら、繰り返しちゃ駄目です! 何でこんなこと……」
「……」
だが、はたしてそんな言葉は意味を成さなかったのである。
勇は最初だんまりを貫いていた。だが弟と、憎しみの連鎖というフレーズを耳にしたその
直後、彼はくわっと目を見開いて言う。
「何で? 憎いからに決まってるだろう。何処からか嗅ぎ付けたのかは知らないが、他人の
事情に土足で上がり込んで来やがって……。偽善者が。お前のような奴らが、綺麗事ばかり
言う奴らがいるから、あいつは余計に追い詰められたんじゃないのかッ!?」
苛烈なまでの拒絶である。その憎しみに、睦月達は思わず言葉を失った。
ああそうだ。お前らも同罪だ──。
言ってタウロスが再び、今度はこちらをターゲットに変えて動き出す。
戦うしかないのか……。ぎりっと歯を噛み締め、睦月は仲間達ともにその引き金をひく。
『TRACE』『READY』
「変身!」
『OPERATE THE PANDORA』
しかし……ちょうどそんな時だったのである。
守護騎士に変身し、コンシェル達を操り、睦月達はタウロスを突破して勇と平本を押さえ
ようとした。だがそうして一歩踏み出そうとした瞬間、頭上からバラバラと、突如として異
形の大軍が襲い掛かってきたのだった。
「伝言、伝言」
「オ前達ハ、見込ミガアル」
「加勢スル。オ前達ハ、オ前達ノ仇ヲ殺セ」
人型の、だが明らかに人間ではない者達。
蛇腹の配管を巻きつけたようなボディと、鉄板をそのままぐるりと覆った面貌。右か左に
大雑把に空いた穴からギロリと、赤い不気味な眼が覗いている。
『サーヴァント・アウター!? 何故このタイミングで……?』
司令室で皆人が驚き、呟いている。
かつて睦月がその初陣で戦ったアウター達だ。特定の召喚主が付かず、願いの授受が成さ
れなかった場合、この初期量産型の姿のままとなる。
「ぬわっ!? な、何だぁ!?」
「くっ……数が多過ぎる。これでは……」
「二人一組だ! 一組で確実に一体ずつ排除しろ!」
このさも増援のようなアウター達の出現により、こちらの数の有利は全くのイーブン、或
いはそれ以下になった。慌てて隊士達は体勢を立て直してこれを越えようとするも、なまじ
わらわらと数が多いためにタウロスを、その向こうに転がっている平本を助けにいくことも
ままならない。
「──やれやれ、プライドも人使いが荒ぇよ。目を付けたなら自分でやりゃいいのに……」
そんな場の様子を、近くのビルの上から見下ろす影があった。
如何にも不良といった感じの、パンクファッションの荒々しい男。
その横でぼ~っと突っ立ちヘラヘラと哂っている、丸々と太った巨漢。
グリードとグラトニー。以前H&D社の生産プラントで遭遇した上級アウター達だ。
「や、止めろ! こんな事をしてどうなるか分かってんのか!?」
敵の伏兵か。睦月達は最初思ったが、当の勇やタウロスが少なからず困惑しているのを見
てそれは厳密ではないと悟った。されどサーヴァント達に促され、二人は再び改めて平本に
狙いを定めて近付いていく。
「こ、この……ッ。兄弟揃って余計なことばか」
だが、平本のその悪態は最後まで紡がれることはなかった。途中で、ぶんっと振り抜いた
タウロスの戦斧が彼の首から上を跳ね飛ばしたからである。
驚愕した顔が宙を舞い、ごとんと落ちた。残された身体からは大量の血が噴き出し、その
まま糸の切れた玩具のように夜のアスファルトの上に崩れ落ちる。
『──ッ!?』
「間に、合わなかった……」
睦月達はそんな目の前の光景に、ぎゅっと心臓が握り潰されそうな感触を覚えた。
世界が止まりかける。目の前の色彩がぐわんとモノクロになりそうになる。
ぬ、おォォォーッ!! そんな中で、逸早く動いたのが仁と國子だった。大盾を構えて突
進するグレートデュークと剛閃を叩き込む朧丸。二人はサーヴァント達を押し退け、叫ぶ。
「佐原、行け!」
「こいつらは私達が食い止めます!」
そこでようやく睦月は我に返ったのだった。
今さっきの、異形の群れの向こう側に転がった惨状。睦月は震えるように込み上がってき
た衝動に任せ、EXリアナイザを操作していた。仲間達が必死になって押さえてくれている
サーヴァント達の群れの横を駆け抜け、タウロスに迫る。
「スラッシュ!」
『WEAPON CHANGE』
『ELEMENT』
『FIRE THE LION』
サポートコンシェルの属性を付与し、燃え盛るエネルギー剣がタウロスに向かって突き出
された。だがタウロスはこれを戦斧の腹で受け止め、流し、直後睦月と激しい剣戟を交え始
めていく。
「どうして! どうして! どうして!? 何でそんな簡単に人を殺せるんだ!?」
睦月は義憤っていた。あの男性に面識など全くない。だが間違いなく彼はこの二人によっ
て殺されたのだ。自分達がすぐ近くにいながら、もう犠牲者を出さない、勇を止めようとし
ていたのにも拘わらず。
タウロスは何も答えなかった。ただ体躯にそぐわぬ反応で次々と睦月の攻撃を捌き、寧ろ
こちらをじっと観察するだけの余力すら持ち合わせている。
「くぅっ!」
『ARMS』
『CLIP THE STAG』
すると互いの得物を弾き合った隙を縫い、睦月は更に武装を呼び出した。左腕に橙色の光
球が吸い込まれ、巨大な鋏型のアームが装着される。
それを、睦月はタウロスの振り下ろした刃に挟んで掴んだ。ガシリと、その得物ごと相手
の動きを封じに掛かったのである。タウロスは「むっ!?」と眉間に皺を寄せたかのように
唸り、引き抜こうとした。しかし鋏型アームの力は強く、そう簡単には離れない。
「シュート、チャージ!」
『WEAPON CHANGE』
『PUT ON THE HOLDER』
更に睦月は武装を銃撃モードに変更、必殺の一撃をコールし、タウロスの体勢を掴み取っ
たまま腰のホルダにEXリアナイザを装填したのだ。迸る奔流と共に大量のエネルギーが蓄
積され、そして引き抜かれた瞬間、最初の炎の属性も加わった一発がゼロ距離でタウロスの
腹に直撃する。
「ぬわっ!?」
「うおっ……!?」
それは仲間達も思わず仰け反るほどの余熱。
力の放射が終わった時、そこには銃口を相手の胸元に押し付けた睦月と、勇を庇うように
そこから頑として動かなかったタウロスの姿があった。
濛々と蒸気が上がっている。胸に巻いていた部分鎧は大きく風穴を空けて貫かれ、皮膚に
丸く大きな傷が出来上がっている。
仲間達はサーヴァントらを押さえながら息を呑んでいた。やったか……? 数秒数十秒、
二人はその場からじっと動かないように見えた。
「……ぐっ! ぬ、お、オォォォッ!!」
しかしタウロスは生きていたのである。腹の真ん中を抉られたにも拘わらず、獣の如き咆
哮を上げ、この時僅かに緩んでいた鋏型アームから戦斧を引き抜いた。
轟。そして放たれた叫びは、まるで衝撃波のように拡散して辺りを破壊した。
睦月は勿論、仲間達やサーヴァント達も敵味方問わず巻き添えになって転がり、強かに叩
き付けられる。夜のアスファルトの黒く暗い地面の上に睦月達は倒れていた。放たれた反撃
はちょっとそっと所ではなく、ぐったりと膝をつくのでやっとの者達もいる。
「……流石に驚いたぞ。だが私を仕留めるには力不足だったようだな」
荒く呼吸を整えながら立ちはだかるタウロス。その胸を抉った風穴は、またしてもその自
己修復能力で塞がり始めていた。
「そんな……」
「あ、あれで死なないなんて」
「やっぱ、俺達じゃ勝てないのか……」
その結果に絶望する隊士達。がくりと、立ち上がることもままならぬまま、ただ荒く肩で
息をするばかりだった。
「お前にしては苦戦したな。まぁいい、殺れ」
そして勇がにべもなく言う。タウロスは再び戦斧を手にぶら下げ、ゆっくりと睦月達の方
へと歩き始めた。
今までにない強者が近付いてくる。リアナイザ隊の面々にはどうしようもなかった。
「……やっぱり、あの手しか」
『! マ、マスター』
しかしそんな中にあって、睦月は諦めない。焦燥、いや追い詰められ退路を失ったからこ
そその眼は血走っていて、握るEXリアナイザの操作には澱みがない。
『睦月……』
『強化、換装を?』
皆人や香月、司令室側の面々もその動きに思わず息を呑んだ。
確かに現状、あれでしかこのアウターに対抗する手段は見つからない。だがそれは彼にと
っても非常にリスクのある選択だ。そんな力に、今彼は手を伸ばそうとしている。
『LION』『TIGER』『CHEETAH』
『LEOPARD』『CAT』『JAGGER』『PUMA』
『TRACE』
ホログラム画面上から、先ず錠前のアイコンをタップする。タップして錠が外れたそれに
変わった所で、表示枠の変わったレッドカテゴリのコンシェル達を一筆書きの要領で全て選
択していく。最後に換装のボタンを押し、睦月は一旦EXリアナイザをぶんと真横に。広げ
た左掌へとその銃口を押し付け、更なる変身を果たそうとする。
「っ……!?」
だが、いつものようなスムーズな流れは起きなかった。
これには覚えがある。一番最初、冴島がEXリアナイザに認証されずに弾かれていたのと
同じだ。バチバチッと赤い奔流が銃口を中心に迸っているが、肝心のそれはぴたりと掌に吸
い込まれはせず、何か見えない力が強烈に反発してきている。
「何でだよ……? 今じゃなきゃ駄目なんだ。今、今変身できなきゃ、皆……!」
故に、それでも無理やりに押し込む。
睦月はこの反発される力すら理不尽だと思った。必要な力なのに、使えなければいけない
のに、何故拒むんだ。
バチバチバチッ!! そして銃口を、力ずくで掌に押し当てる。迸る赤い奔流は更に激し
く広範囲に広がり、刹那彼を渦巻く炎の中に呑み込んだのである。
「うっ、あ、アァァーッ!!」
その光景に、敵も味方も驚愕し、目を見開いた。
言うなれば火だるまである。ネオンの明かりすら跳ね返す、夜の闇を払うほどの赤く燃え
盛る人の形をした炎の塊。タウロスが勇が、その異常さに一歩二歩と後退っていた。仲間達
も、司令室の皆人達も何やら叫んでいる。しかし睦月の耳にはもう届いていなかった。
……倒すんだ。僕が、この力で。
渦巻く大炎。その中で大きく拳を振りかぶりながら飛び出す人型。
半ば獣の如き叫び声のまま、彼はタウロスに向かって跳び上がり──。




