1-(0) プロジェクトD
▼シーズン1『Begining the Vanguard』開始
そこは薄暗い、やけにだだっ広い一室だった。
内装は酷く殺風景のようだ。暗くて全体までは見渡せないが、調度品の類は一切置かれて
いないように見える。
代わりに、幾つもの機材が置かれていた。
竿状の器具の先に付いた観測機、ただ一ヶ所に集められた心許ない照明、淡々と電子音を
立てながら画面にグラフを描き続けるノートパソコン。それらを、何人もの白衣の人物達が
操作してその時を待っている。
「……」
そんな彼らに囲まれるように、一人の男性が立っていた。
白衣こそ引っ掛けているが、下に着たワイシャツはネクタイも無く比較的ラフなものだ。
年齢は三十歳半ばくらいだろう。彼はやや俯き加減で表情を隠し、照らされる照明や種々の
機材からのフォーカスをただ一身に浴びていた。
ガチリ。ややあってその彼が動く。
そうしてゆっくりと持ち上げ始めた右手には、一つの奇妙な装置が握られていた。
形容するならば──銃身が極端に短い拳銃。或いは寸胴なメリケンサックのような。その
全体はメタリックな銀色で統一されており、唯一上面の一部だけが半透明のスライドカバー
で覆われてこの複雑そうな内部構造を守っている。
『TRACE』
男性は、銃身の底に取り付けられた小さなボタンの一つを押した。
室内にその機械的なコールが鳴り響く。白衣を羽織った人々が静かに固唾を呑んでいた。
手首を返し、この拳銃型の装置を左手方向へ。
ピンと。平たく開いた左手は、この凹んだ中に埋まる銃口へ。
「……っ!」
押し付ける。すると瞬間、バチバチッと青白い電流が彼の掌と銃口の間で迸り、彼を銃口
から引き剥がそうとする。
周囲を囲む計器が一斉にざわつき始めた。ディスプレイ上のグラフが激しく上下しながら
交わらぬ二曲線を描いていく。
「ぬ、うぅ……がぁッ!!」
だがそこまでだった。彼は暫くこの見えない力に必死に抗ったが、結局弾かれるようにし
て装置もろとも吹き飛び、大きく床に叩き付けられてしまう。
「──大丈夫か!?」
白衣の面々は慌てた。それでもこうした事態は想定済みだったのだろう、彼らは急いで周
りから飛び出し、床に倒れたこの男性の下へと駆け寄る。
「……はい。大丈夫、です」
彼は息を荒げていたものの無事なようだった。それでも肉体的な、いや精神的なダメージ
は否めないのか、口元に浮かべる苦笑には力がない。
白衣の皆が彼を抱き起こし、介抱していた。
そんな中でリーダー格らしい恰幅のいい男性が、独りこの輪の外で沈痛に佇むとある女性
にそっと歩み寄ると、言う。
「あまり一人で抱え込まないでくれよ。君が倒れでもしたら、我々の計画はその途端に中断
を余儀なくされるからね」
「ええ……。分かっています」
飾り気のない、首筋から少し下まで伸びた髪。落ち着いた、しかし同時に既に熟考が始ま
っていると思しき半ば上の空な声。
彼女はこのリーダー格の男性を一瞥すると、また先の倒れた男性の方を見ていた。彼は支
えられながらも起き上がろうとしている。まだ、やれます──。本人はそう言ったのだが、
周りの面々が必死になってそれを止めに掛かっていた。
「……また失敗しちゃいましたね」
「そのようだな。……なぁ、もっと出力を下げて発動させられないものなのか? このまま
続けていては、彼の身体も……」
「無茶言わないでください。これでも計算上ギリギリの性能値と戦ってるんです。彼には悪
いですけど、これ以上妥協すると……本末転倒になってしまいます」
そうか……。リーダー格の男性は気落ちした様子で顎鬚を擦り、暫しその場に立ち尽くし
ていた。女性の方も押し黙り、皆の輪の向こうで辛そうにしている彼を申し訳無さそうに見
つめている。
もう一度お願いします! 駄目だ!
適合値はどうなった? 今の所、前々回が最高ですね……。
白衣の面々が彼を落ち着かせたり、わたわたと機材の方に戻ってああでもないこうでもな
いとチェックをしている。
暫くざわめきが続いていた。集められた照明だけが変わらず同じ方向を向け続けており、
弾かれてその位置が大きくズレたこの彼の足元を照らしている。
「くそっ。一体どうすれば……」
「彼で無理だっていうなら、もう……」
『……』
そんな時だった。先程のリーダー格が、そう弱気になる皆を励ますようにパンパンと手を
叩くと、進み出ながら言ったのだった。
「諦めるな! もう一度頑張ろう。この研究は人類を守る為のものだ。我々が投げ出してし
まったら、一体誰が奴らを止められる?」
「──っ」「所長……」
「今日はここまでにしよう。だが後日、また実験を再開する。……すまないが、それまでに
もう一度再調整を頼むよ」
「……。はい」
やがて、このリーダー格の男性の一言で、面々が撤収作業に入り始めた。機材の電源を落
し、配線や部品を片付け、ぱたぱたと彼らは慣れた手際で室内を本来の殺風景でだだっ広い
それへと戻していく。
「……」
皆に支えられて出て行く彼と視線を交わらせて見送り、リーダー格の男性達があれこれと
議論をしながら立ち去るのを横目に、彼女は一人部屋に残っていた。
ゆっくりと靴音を鳴らして部屋の奥──彼が弾き飛ばされた場所に歩み寄り、床に落ちた
ままの先の拳銃型装置を拾い上げる。
『──』
すると次の瞬間、スライドカバーの下から立体映像が現れ、そこに金属の六翼を持った
小さな少女が姿を見せた。
脇腹や手足首など、随所に金属質のフレームや輪を備えた空色のワンピース。
若々とした白銀色のおさげ髪に、胸元に取り付けられている茜色の球体。
そんな彼女の表情は今しゅんとし、申し訳なさそうな上目遣いでこちらを見ている。
「……大丈夫」
しかし白衣の彼女は、そう呟くように言った。たとえ辛くとも、彼女はこの電子の少女を
努めて優しい微笑みで見つめ返す。
『……』
ゆっくりと、二人は振り向きながら辺りを見渡した。
室内は変わらず薄暗い。皆が撤収した事で、先ほどまであった各種機材も自分達の研究の
痕跡も、今はすっかり隠されている。こなれたものだ。
再実験。これでもう何回目になるだろうか。
再実験。やはり彼では駄目なんだよと思う。
人気の無い静寂。秘匿されたその部屋で。
二人は暫く、じっと文字通り暗がりの中に立ち続けていた。