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第一章-03

 ミューラの案内に、狛彦は黙って付いていく。階段を下り、曲がりくねった廊下を歩き続けた。今まで暮らしてきた世界とは完全に切り離されたこの世界。多少強引ながらも忌まわしい過去を消し去り、前を向いて人生を歩いていくにはむしろ良い機会だとすら思った。しかし、一つのわだかまりが狛彦の胸の中につかえている。

「着いたわよ」

 狛彦はミューラの方へ振り返った。二人の目の前にあるのは、高さ三メートルほどはあろうかという巨大な扉だった。そこは一階の最奥にある大部屋。鈍色の金属と紅の絨毯のような素材で出来ていて、他の部屋の扉とは違った重厚感があった。

「ここの部屋に導師たちがいるわ。いろいろ話があるみたいだから……覚悟しといてね」

 彼女はウインクを一つすると、少し間を置き、コホンと喉を慣らした。扉の向こうにこの世界の統率者が居ると思うと、狛彦の背中に軽い緊張が走る。すぅ、と大きく息を吸うと、真面目な表情で扉の向こうへ声を掛けた。

「導師。光の勇者を連れてまいりました」

 すると、ギギギィと扉が重く鈍い音を立てながら、ゆっくりと部屋側に向かって開いていく。

(光の……勇者?)

 今まで光源が抑えられていた廊下とは違って、狛彦が連れて来られた部屋は、力強く輝く朝陽の恩恵と蛍光灯のような灯りを目一杯に受けていた。その眩しさに、狛彦は思わず片腕で目を塞いだ。すぐに明かりに慣れ始め、ゆっくりと腕を下ろすと部屋の全体像が彼の瞳に映し出されていく。中央には少年と、先日、狛彦を襲ったゴルドーの姿があった。

「ふむ……。お主が光の勇者か」

 導師は呟く。ゴルドーより頭五つ分ほど背が低い。顎に右手を添えながら、狛彦の全身を見ながら頷いている。まじまじと興味深そうに見詰めるその表情は、青年というよりもまるで少年そのものとしか見えなかった。

「あんたが導師なのか? 俺と大して年齢は変わらな……いや、子供(ガキ)か?」

 狛彦の皮肉めいた言葉に逸早く反応したのは、ゴルドーだった。

「この御方は国を治める立場にある。そのような無礼な………」

「いい。退け、ゴルドー」

 導師の苦笑気味の言葉に、ゴルドーは無言のまま一歩、彼の後方へと下がった。

「私の名はジェフ。お主の名は?」

「俺は狛彦。龍崎狛彦」

「怪我は大丈夫なのか?」

 ジェフの同情の含まれない口調に、狛彦は苦笑した。

「ああ、おかげでこうだ」

 狛彦は上着を捲ると包帯で巻かれた腹部を見せ付け、苦笑しながら言った。そして皮肉な表情のまま、肩を竦めた。

「悪かったな、手荒な真似をして………」

 ゴルドーは意外にも潔く頭を下げた。

「治ったんなら別に、な」

 さっと上着を直すと、視線をゴルドーから背けた。しばらく口をつむっていたが、狛彦は思い切って疑問を投げかけた。

「そんなことより、一体ここはどこだ? 何故、俺はこんな所にいる?」

 冷静を装いながらも、狛彦の口調には熱が入る。

「尤もな質問だな。まぁ、落ち着け。順を追って話してやる」

 ジェフは狛彦を宥めると、部屋の中央にある椅子に再び腰を掛けた。彼の身の丈の倍近くはあろうかという背凭れに深々と体を預ける。浅い溜息をついて間を置くと、ゆっくりと重たい口を開いた。

「この世界には光と闇、双方に住まう者たちがいる。光の下に住まう者たちとは、我々人間を含め、妖精たちや精獣たち。太陽の恩恵を受けながらこの地上で生きている、あらゆる生命がそうだ。そして闇に生きる者たちとは我々と全く逆の存在だ」

「逆の……存在?」

 狛彦は彼の言葉を今一つ理解出来ず、聞き返した。

「光を全く必要としない者たち。むしろ光を忌み、全ての世界を闇で満たすことが目的の悪魔だと思ってもらえればいい」

 ジェフは再び溜息をついた。視線を落とし、下唇を噛み締める。そして思い出したかのように、窓越しの青空を見上げながら言葉を続けた。その表情は曇り、濃い苦渋の色が滲み出ている。

「数百年も昔の話のことだ。当時から闇の勢力は存在していたが……光に生きる者たちもまた、互いの世界を変えるほどの力を持っていなかった。しかし、闇の力に魅せられた、一人の男がいた。古代の魔法技術を盗み出し、遺跡を起動させた。その結果、きゃつは悪魔と同化し、魔物を手玉に取って生命の満ち溢れる世界を破壊しようとした」

 これから起ころうとしている事態は、狛彦が思っているよりずっと深刻なものだった。しかし、妖精を初め、魔法や悪魔などの存在とは全く以って無縁だった彼にとって、それは只々突飛な話でしかなかった。 

「きゃつが完全に闇の力と同化していなかったせいもあって、先代の戦士や魔導師たちは死力を尽くし、奴を光の世界と隔離された暗黒の世界に封印することが出来た。以来、彼らも私たちもこれから平和な日々が続くものだと………信じていた」

 話が進むにつれジェフの表情や雰囲気が重たくなってきている。

「ちなみになんだが……その遺跡を破壊すれば事態は好転しないのか?」

 狛彦の問いかけに、ジェフは即答した。

「それは不可能だ。先刻、云った通り激闘による激闘によって、その遺跡を含め、街の三分の一が破壊された。それでも尚、きゃつの死体が現れるどころか、盗まれた古代魔術書さえ発見されることはなかった。未だ闇の力ときゃつは同化したままであると確信している。その上……戦いが終わって数百年経った今。奴は徐々にだが確実に力を蓄え始めている気を感じた」 

 狛彦は必死に頭を回転させていた。

その男が遺跡を利用し悪魔と同化した時点で、その遺跡や古代魔術書に利用価値はなくなったことは、狛彦にとっても理解に苦しむことはなかった。

 狛彦にとって今、必要なことは古代技術の保護や解析などでもなく、過去に何があったかを神妙な面持ちで考えることでもないことを十分に理解し察知した。

「戦いはもう既に始まっているのだ。神の啓示ではこうある。『世界が終わりに近付いている時。異界から光の勇者がこの世に現れる』と」

「なるほど、な。そこで現われたのが俺だったと」

「……そうだ」

 ジェフは悔しそうな表情を見せるが、狛彦をはじめ、その場に居合わせた者にはその表情の真の意味には気付かなかった。

「それで俺にどうしろと?」

「この世界を……救って欲しい」

 狛彦は世界に迫る事態がこの上なく切迫していることを理解はした。しかし、狛彦にとって、理解することと納得することは全く以って別問題である。

「嫌だ、と言ったら?」

「全ての生命が闇に堕ちることとなるだろう。それは、ありとあらゆる生命の死と考えていい。もしくはそれ以上に悲惨な結果になるかもしれん。かつて封印されたはずの邪悪な存在が強大な力を持って復活しようとしているのだ。奴が完全に復活する前に手を打たなければならない。そのためには………お前の力がどうしても必要なのだ」

 彼らに同情する気持ちがないわけでもなかった。それでも狛彦は即答した。

「断る。そもそも俺には関係ないことだ。とっとと元の世界に戻してくれ。やらなきゃいけないことが沢山あるんだ」

 この世界に危機が迫ってきているということは、重々理解はしていた。しかし、別世界に住んでいた彼には命を張ってまでフロンティアを救うほどの善意や勇気を持ち合わせていなかった。それと同時に、彼は先刻感じていたわだかまりの正体がようやく分かった。

―逃げたくない。

 その一心だった。狛彦とって、元の世界には良い想い出は殆どない。苛まれる悪夢から逃げだしたいという気持ちは確かにあった。それでも必死になって築き上げてきた自分自身の暮らし。それは幸福とはかけ離れていても、ようやく自分の力で生活できるようになった事実を手放したくなかった。そして元の世界で起きた問題は元の世界で解決するべきだという思いの強さが最大の要因の一つだった。そんな狛彦の思いを見透かしているかのように、ジェフは話を続ける。

「お前は元の世界には戻れない。何かしら人知を越えた力が働いたことは確かだ。今の私には元の世界に戻る術は持ってはいないが、戦いが終われば何かがわかるかもしれない。それまではお前に全面的に協力するつもりだ。だから我々に……協力してくれまいか?」

 いつしかジェフの口調は懇願のそれに変わっていた。イエスかノー以外には余地もない選択。それはどちらを選んでも、何の未来もないかもしれない選択だった。

 狛彦はゆっくりと瞳を閉じる。そして冷静になって導き出した答え。

それは……。

「わかった」

 その申し出に狛彦は重たい口調で承諾した。

「だが、別にあんたちを救うためじゃない。俺が元の世界に戻るためだ。それでいいか」

「ああ、構わん」

 狛彦にとって現状は決して納得のいくものではなかった。しかし、彼らの目的の先に少しでも元の世界へ戻る望みがあるのならば、彼らと共同戦線を張るほかはなかった。

ふっ、とジェフは口元を緩めると、パチンッと指を鳴らす。すると狛彦たちが入ってきた反対側のドアから、三名のメイドたちがクロッシュをかぶせたカートを運び込んできた。

「さぁ、食事にしよう。腹が減っては何とやら、と言うだろう。ひとまずは力を蓄えて貰おう」

 ジェフ、ゴルドー、ミューラ、そして狛彦の四人は広い部屋の中で、豪勢な昼食を済ませた。その間は自ら口を開こうとする者はいなかった。メイドが机上の皿を全て持っていくと、満足げな溜息が無意識に吐き出されているのが聞こえた。

「……で、これから俺はどうすればいいんだ?」

 狛彦の問い掛けに、何もしなくていいというのがジェフの言葉だった。

「ひとまずこの城の構造でも知ってもらうのも大切だ。一人で出歩いて立ち入っては困る所にむやみに入られるのも困るからな。そうだな……ミューラ、狛彦に城内を案内してくれるか?」

「畏まりました」

 ミューラは右手を胸に当て、律儀に彼の言葉に頭を下げる。

「それではコマヒコ。行きましょうか」

 二人は部屋を後にした。まず、狛彦は中庭へと案内された。入り口は一階中央にあり、三階の天井と同じ高さまでの吹き抜けとなっていた。城内とは思えないほど広大な中庭には、老若男女を含め五十名近くの住民たちが自由な時間を楽しんでいた。天井の三分の一以上がガラスで覆われ、頂点で燦々と輝く太陽が中庭の少ない緑に活力を与えている。唯一ある大木からは、小鳥の弱々しい囁きが聞こえてきた。

 原則的に自立の出来ていない子供たちや、その母親。そして戦闘能力のない若者や男親たちが、政府の指示によって割り当てられた部屋に住んでいる。城の中に数百名の住民が暮らしていることを狛彦は知った。

 彼らには必要最低限の日用品は支給されているが、娯楽品の全てまで支給されているわけではないようだった。城内で暮らしている男親たちは四十余名。主に彼らには幾つかの仕事が割り当てられていたが、普段の仕事量に比べれば圧倒的に少ないものだった。中には陽が頂点に昇る時刻ともなれば仕事を終えた仲間内で雑談をしている者たちも少なくなく、暇を持て余しているように見えた。それでも、陽が暮れて魔物からいつ襲われるか分からない街中で暮らすことと比べ、安心感を持って生活していた。しかし、深刻な状況を理解していない幼い子供たちは、周りの大人たちとは違っていた。

見知らぬ子供たちと出会えることが嬉しいらしく、笑顔の絶えることなく遊び回っていた。無邪気にボールで遊んだり、縄跳びをしたりと遊びに熱中している。

「あれ? あの子は?」

 狛彦は、一人の少女に目が奪われた。年の頃は十。茶や黒の混ざった髪を、襟元で結んでいる。意気揚々と遊んでいる子供たちをよそ目に、様々な色の花が咲き乱れている木の下で小さく蹲っていた。その手には数輪の花が握られている。そんな姿を気に止める者はおらず、傍を通る者がいても、誰一人と彼女に話しかける者はいなかった。ミューラは狛彦の耳元で、少女に気付かれない様に呟いた。

「あの子は両親を目の前で殺されて以来、誰とも話さなくなったの。今はそっとしておかないと……あっ、ちょっ、ちょっと!」

 狛彦は医師であるミューラの制止を振り切り、彼は少女の方へ駆け寄った。

(何故だろう、気になる)

 少女の顔を覗き込み、狛彦はニッコリと微笑んだ。少女は彼の顔をちらっと見つめたが、すぐに目を逸らして俯いた。その手に握られているのは幾色の花だった。

「君、花が好きなんだね」

 その言葉に少女は、今度は視線だけでなく顔を反対に向ける。彼女の無反応さに狛彦は少し苦笑した。

「俺は狛彦。君の名は?」

 優しい問い掛けに少女は軽く視線を彼に戻すが、二人の視線が重なった瞬間、再び視線を下に向ける。

「………ィ」

まるで蚊の羽ばたくような小さな声で、少女は呟いた。

「え?」

 聞き取れなかった狛彦は首を傾け、少女の声を聞き取ろうと耳を近づけた。

「メイ!」

 そんな彼の仕草が気に入らなかったのか、少女は今度は大声を出した。耳元で大声を出され動きが止まってしまうが、狛彦はすぐにぎこちない微笑みを取り戻した。

「そうか、メイって言うのか。君は……花が好きなのか?」

 彼女は少しの間黙り込むと、コクリ、と小さく首を縦に振る。狛彦はちらりとミューラの様子を伺った。すると彼女は扉の前で腕組みをしながら、半ば呆れた表情で彼を見詰めていた。

「それじゃ、またな」

 そそくさとミューラの元へ駆け寄ると、狛彦はそのまま彼女と共に扉の向こうへ歩みだした。

メイの円らな瞳は、扉の向こうへ消えるまで彼の後を見詰めていた。しかし、彼は彼女の視線に気付くことはなかった。彼らの姿が見えなくなると、彼女は再び俯いた。

「あの子、俺と似ているかも」

 中庭を立ち去る最中、彼は浅い溜息を付いた。

「え?」

 言葉の意味が分からなかったミューラは聞き返したものの、狛彦は答えることはなかった。

「ふむ、珍しいこともあるもんじゃ」

 狛彦とメイを大木の影で見詰めていた老人が、そっと呟いた。逞しく伸びた顎鬚を弄りながら、その表情を緩める。その齢はとうに七十を越え、その頭髪は白の割合が大半を占めている。

「狛彦か……面白い奴だな」

 にぃっ、と皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにしながら微笑んだ。

                                        ≪続≫

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