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第一章-01

(此処は…………何処だ?)

 高く、何よりも澄んだ青空。大きく連なる真っ白な入道雲が、風に乗って優雅に流れている。燦々と輝く太陽に、その姿を映して煌めく広大な海。水面を囲むように連なる山々には、様々な色の緑が重なっている。それら全てを一望できる高原に、狛彦はいた。穏やかな風が彼の頬を撫で、琥珀色の長い髪が靡く。さわさわ、と一面に広がる緑の囁きが心地良い。全く汚れの無い世界が、彼の眼の前に広がっていた。

―美しい。

 その他にどんな言葉を繕っても、ちっぽけにさえ思えるその絶景に驚くことさえままならなかった。狛彦は時間を忘れ、目に見える風景を眺め続けていた。雲の流れを見詰めていると、不思議に時間の流れが速く感じられた。深呼吸をすると、穏やかな風が、再び彼を優しく包み込む。膝を抱え、遠くを眺め続けていた彼はゆっくりと立ち上がった。

狛彦は目に見えている光景を、まだ信じることが出来なかった。夢に違いないと思った。これは夢だとわかっている夢を見たことがあるからだ。しかし、大地を踏みしめる感触。肺を満たす空気。何より心臓の鼓動を確かに感じていた。それは夢では到底感じられない代物だった。夢なのか現実なのか。幾ら考えても、彼には結論が出せなかった。

(とりあえず歩き回っていれば何かがわかるだろう……)

 狛彦は考えることをやめた。不安を覚え、とかく行動を起こすことを決めた。今置かれている情況が夢であろうと現実であろうと、彼にとって大した問題でなかった。何よりも自分以外の存在がいるのかどうかを確かめたい気持ちの方が勝っていた。水面から視線を外すと、彼のいる場所の後方は深い木々に囲まれている。狛彦は何かを、そして誰かを探すために草原を囲む深い森へと足を進めた。青空を隠すほどの濃い緑の木々たちが緩やかな傾斜に続いている。

 携帯電話を無造作にベッドの上に放り投げ、そのままにしていたことを彼は少し悔んだ。それでも此処が日本、ましてや自分の部屋ではないことは明らかであった。何度周りを見回しても人工的なものは見当たらず、一欠けらの土地勘もない彼は、ひたすら斜面へ続く草むらを下へと歩いていく以外ほかなかった。狛彦はゆっくりと森の茂みの中へ一歩、また一歩と足を進めた。鳥の囀りと、木々と土の香りが一層濃くなっていく。うっすらと零れる木洩れ陽を受けながら、彼は道なき道を黙々と歩き続ける。

同じ様な景色の中を、十余分歩いた頃だった。頭上を覆っていた木々の重なりが、徐々に薄くなっていくことに気が付いた。そしてただの獣道とは違う、明らかに整備されている小道に出た。その道を更に進んでいくと、重なり合う木々の終わりが見えた。その先からは、ざわざわ、と話し声が聞こえたような気がした。それは二、三人の比ではない。かなり大勢の話し声だった。狛彦は急いで声の聞こえる方へ駆け出した。出口に近付くに連れ、その声は徐々に大きくなっていく。それが空耳ではないことを、彼は確信した。

 そして自然と人の住む場所を隔てている小さな丘に辿り着いた時。狛彦は再び自分の眼を疑った。

そこには彼のよく知るコンクリートに固められた街並みではなかった。漫画や小説でしか見たことのない不思議な世界が広がっている。数多の人間たちが行きかい、グラウンドのような踏み固められた道に土埃が舞う。商人や甲冑を身に纏った者。幾人もの猛者に連れられたトリケラトプスの様な生物もいれば、我が物顔で闊歩する半獣人さえもいる。彼らは互いに笑い合い、中には怒りをぶつけ合っている者もいて、活気溢れる街並みを創り上げていた。ちらりちらり、と狛彦の様子を見る者はいるものの、特に彼に興味を持っている様子の者はいなかった。ふと視線を落とすと、狛彦の足元には十数段の階段がある。

 彼は思いきり息を吸い込んだ。迷いを捨て、活気溢れる街並みへと足を運ぼうとした、その時だった。甲冑を身に纏った一人の男が視線を上げた。

「あそこだっ! あそこにいたぞ!」

 狛彦の姿を確認した途端、声を張り上げた。その言葉を合図に、散らばっていた同じ甲冑姿の猛者たちが一網打尽に狛彦の方へ走り出す。街の者たちも驚きを露にし、街で満ちていた活気は突如ざわめきに変わった。

「なっ……」

 困惑した狛彦だったが、鎧を纏った男たちの形相にただならぬものを感じ、すぐに深い森の中へと駆け出した。追っ手から逃げようと、狛彦は小道から自分のいた草原へ戻ろうとした。しかし、それが失敗だった。足場の悪い斜面、手入れのされていない雑草が狛彦の足を鈍らせる。必死の思いで追跡から振り切ろうとした狛彦だったが、地の利のある彼らから逃げ出すことは出来なかった。

狛彦が街に一番近い、さほど広くない草原に辿り着いた頃には、追いかけて来た四人の猛者に囲まれてしまっていた。彼らはまるで頭に血が上っているように見受けられた。何とか話し合いで片付けようと思っていたものの、導火線の短いタイプの人間は冷静になって話を進めることが難しいことを、狛彦は経験上よく知っていた。

(どうすればいいか……。兎に角、死なないようにしなきゃな)

 狛彦を敵視している相手に落ち着いて話し合すには彼自身、自分の置かれている状況を理解出来ていなかった。

 狛彦の正面にいた一人が腰に掛けていた剣を抜き、勢い良く狛彦に向かってきた。

「そんな無茶な………」

 戸惑っている間に、一気に間合いを取られてしまった。かつて狛彦も殴り合いまで発展した喧嘩は、数えきれないほどあったが、彼は地面の味を味わった経験は一度もない。それでも剣を持った人間を相手にすることなど、実践することはおろか見たことすら初めての経験だった。

それでも狛彦にとって、その攻撃は決して避けられないスピードではなかった。狛彦は後方へ飛ぶと、振り翳された両剣は虚しく空を切った。狛彦は即座に体勢を立て直し、間合いを詰めて、思い切り右の拳に力を込めた。

―ゴッッ!

 放たれた右の拳が、相手の顔面を正面から完璧に捉えた。予想だにしていなかった反撃に、悲鳴を上げることさえままならず、勢いよく地面に倒れ込んだ。

「……ったく。いきなり何なんだよ。俺を狙う理由くらい教えてくれてもいいんじゃないのか?」

 何一つ理由の見つからない襲来に、狛彦の言葉には幾許かの怒気が混じっていた。胸の辺りで、狛彦は拳を握り締める。

「貴様……っ!」

 味方を倒され完全に敵意と見なしたのか、次は二人が同時に剣を抜いて狛彦に襲い掛かる。左右からの攻撃だったが、彼は難なく矛先をかわす。剣術を専門としている相手の振り翳す剣だったが、一度も狛彦の身体に触れることはなかった。

一人の勢いよく振り下ろした剣が、地面に突き刺さる。必死に剣を振りほどこうとしている隙に、狛彦の痛烈な蹴りがわき腹にめり込んだ。

「ふっ……ぐぅ」

 その場に倒れた傭兵は身体をくの字に曲げ、低く唸る。残ったもう一人の猛者は体勢を立て直し、剣を狛彦に目掛けて、もう一度振り翳そうとした。しかし、剣を振り上げた瞬間。狛彦の左の拳が、まるで顎に吸い込まれ、男の脳が揺れた。

 二人で同時に攻撃してもなお、狛彦の前では形無しだった。彼らが対峙してからというものの、一分と掛からず四人いた傭兵たちの中で戦える者は残り一人となってしまった。

 ふぅ、と小さな溜息をつくと、狛彦は鋭い視線を、一人残った大柄な男へと向けた。体格で負けていても、狛彦は精神的に負けていなかった。

「まだやるのかよ」

 こめかみには分厚く血管が筋張るように浮き出ている。

「くっ……」

 戦える最後の一人となってしまった傭兵は、苦渋の表情を浮かべた。男は構えを崩さないまま、じりじりと狛彦との距離をとる。傭兵の表情には焦りが大きく滲み出ていた。

「そこまでだ! リーゼル。剣を引け!」

 突然、狛彦の背後からドスのきいた男の叫喚が響く。振り向くと、雑木林の影から一人の男が歩みを進めていた。その男は狛彦より頭二つほど背が高い。金色の短髪に、右耳の銀のピアスが陽光を受けてキラリと輝く。リーゼルと呼ばれた傭兵は、一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、狛彦に向けられた剣を、渋りながら命令のまま鞘に戻した。

「ふん……」

 男の口調から、狛彦は彼が傭兵たちの上の立場の人間だと理解した。それ故に狛彦は、突然現れた男に対して警戒を解くことはなかった。素性の分からない相手に対して、狛彦は睨み続ける。

「我が名はゴルドー。彼ら、傭兵を統べる職にある者。導師の命により私と城へ向かってもらおう。我々にはお主の力が必要なのだ」

 そう名乗ったその男は、堂々とした態度ながら、淡々とした口調で言い放つ。いきなり現れた男の言葉は、狛彦にとって到底受け入れられるものではなかった。

「断る。こんな乱暴にされて、はい分かりました、なんて言えるわけないだろう」

「そうか。どうしても言うことを聞かぬのなら……力づくでも一緒に来てもらう」

 ―シャキンッ。

 腰に掛けた長剣を抜くと、ゆっくりと剣の矛先を狛彦に向ける。同じ瞬間、狛彦は両方の拳を胸の前で握った。

 ゴルドーは一瞬にして狛彦との間合いを詰める。そのスピードは先刻、狛彦が戦った傭兵たちのものとは比較にならないものだった。明らかな戦闘経験の違いがあっても、狛彦は戸惑いを思う暇さえなかった。速すぎるとも言えるその矛先を狛彦は紙一重でかわし続けるが、幾度となく彼の上着がザックリと裂ける。攻撃を避けることで精一杯だったものの、狛彦は思っていたより自分が速く動けていることに驚きを感じた。

 振り翳された相手の剣を避けようとして、狛彦は右足を挫き、体勢を崩してしまったものの、

(もう……何とでも、なれっ!!)

しかし、倒れそうになりながらも、その体重移動を活かし必死に地面を踏みしめると、半ばやけくその気持ちで思い切り左の拳を放った。

―ドゴォッ!

 「ぐぅ……」

 狛彦の拳は甲冑で守られた左胸に直撃した。特殊な金属製の鎧を纏っていたゴルドーだが、息の止まるような衝撃が全身に広がっていく。唸りながらもゴルドーは狛彦との距離をとろうと後ずさった。殴られた部分にそっと手を当てる。

「……っ!!」

 その鎧が拳大で陥没していた。狛彦は息を切らしながら、左腕をだらりと垂らした。反対の手で肘を押さえる。手に衝撃を与えたものの、彼自身の拳にも大きなダメージを受けていた。痛みで表情を曇らせながらも、鋭い眼差しはゴルドーへと向けたままだった。しかし、例え後方に下がる相手を追い詰めても、自分に勝機があるとは狛彦には思えなかった。

「やはりな、噂どおりだ。本気を出さねばこちらがやられるか」

「噂? 何のことだか………」

 狛彦がゴルドーの言葉に反応して、聞き返した次の瞬間。剣を構え、そしてそれを僅かに傾けた。すると煌々と輝く太陽に光を反射し、狛彦の目に突き刺さる。狛彦の視覚が奪われたその瞬間。ゴルドーは再び間合いを詰め、彼が突き出した剣は深々と狛彦の左脇腹を切り裂いた。脇腹から勢いよく血が溢れ出す。その矛先は内臓にまでは達していない。狛彦のラフな服装でも正確に筋肉だけを切ったのだった。今まで感じたことのない、凄まじい衝撃と激痛に、狛彦の意識は遠くなった。

(くっ……)

 牙を鳴らしたが、その言葉はゴルドーに遠く及ばず狛彦の意識はすぐに消えてしまった。ゴルドーの身体に覆い被さるように倒れた。

「動ける者は動けない者を運べ。私はこの者を連れて行く。早く止血しなければ………」

 狛彦が腹部に受けた傷口を、ゴルドーは素早く止血した。そして狛彦を肩に担ぎ、踵を返すと、そのままある所へ向かった。そして傷付いた傭兵たちが彼の後に続く。

                                     ≪続≫

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