第1章 第8話
第1章
第8話
「お久しぶりねぇ~。お馬鹿さん(バルボズ)。」
白い癖のある艶やかな髪を後ろに流し、アルミニュウムのような色合いの薄い銀色のつり眼を色っぽく流して見せるその美女の姿をみた瞬間、バルの顔から血の気が引いてくのが分かった。
「あっ……」
自宅の3階の階段を上りきった瞬間に、眼に入ってきた人物を脳が認識した瞬間バルは石化した。
「あらあら、お義母さまの顔を忘れたのかしらぁ。ご挨拶はちゃんとしなさいとだめでしょぉ。」
満面の笑みで近寄って来るパシィに、バルは(誰がお義母さまだ。)と思いつつも口に出すことはしなかった。いや、石化してできなかったとも言える。
「私の愛しいガンドからぁいろいろ聞いたんだけどぉ、ずいぶんオイタしたみたいねぇ。」
バルの正面に立ち右肩に手を置いて、左耳に唇を寄せながら言葉を告げるとその体がビクッと動いた。
「いやっ…なんつぅか………ハハハハッ………なっなぁ……」
訳の分からない言葉を発するバルに、パシィの艶やかな笑みが深まる。
「キリキリ吐いてもらいましょうかぁ。」
(御母様それ、はくの字が違う!かなり違うから!)
いつものソファーから座って見ていたクセスですら、その迫力に心で叫びながら蒼白になっていた。
みっちりパシィのお叱りを受けて、クセスを拾った経緯なりを白状したバルはそのまま床と全身で親交を深めていた。
「まったくもぉ、気まぐれだけでこんなややこしい事態にガンドを巻き込んでぇ、馬鹿な子なんだからぁ。」
床と全身で親交を深めているバルボズの背中に素晴らしい脚線美を乗せている女王様、もといパシィはしょうがない、と言わんばかりの表情をしてより一層その足に力を入れてからバルを解放した。その時、その背中から不吉な音がしたのは多分気のせいである。クセスは最後に聞こえた音をスルーすることを誓った。
「さぁ、クセス絵本の続きを読んであげましょうねぇ。」
どうやらパシィは今の一連の流れを無かった事にするようだ。クセスは、全力で長い物に巻かれることにして絵本を手に持った。
この出来事はパシィが、ガンドの家に来て10日目のことだった。
◆
クセスは、今日は何だかいつもと違うことに起きた時に気が付いた。
何が違うのか。しばらく首を捻って、パシィが来てから一緒に寝起きしている3階の階段側の部屋のベットに座ったまま部屋全体を見渡した。起きる時間は特に変わっていないと思う。時計がないので、正確には分からないがすくなくとも太陽の傾きぐあいはいつもと同じように感じる。
(あれ?何だろ違和感があるんだけどな。)
しばらく、首を捻るが答えがでてこない。不思議に思いながら、ベットの枕もとにある服に着替えて部屋を出る。もちろんドアは開いたままだったので出られた。ここの所、気温が高いのでドアは常に開いたままである。
台所に行くと、ガンドが憤怒の形相で新聞を読んでいるのが見えた。
(こわっ!仁王様がいる!)
蒼白になって台所のテーブルの近くで固まっていると、仁王様に見つかってしまった。
「おはよう。起きたんなら飯食え。」
仁王様の御言葉にしたがい、もそもそと朝の挨拶をしてぎこちないながらも足を動かして定位置の椅子によじ登る。この椅子は、パシィが用意してくれたものだ。パシィがいることで、クセスの生活環境は大幅に改善された。子供でも過ごしやすいように、色々用意してくれたのだ。パシィが来た直後の1ヵ月前とは、雲泥の差である。女性らしいきめ細やかさといえばいいのだろう。
ズルズルといわせながら、用意されたスープとパンを食べる。幸いパンは酵母があるのか、そこまで硬くないので現代日本のパンになれているクセスにも食べやすい。
(庶民にもこんなパンが食べられるってことは、すくなくともこの国は豊かなんだろうな。)
食生活から考えれば、中世ヨーロッパのイメージよりはずっとましなことに感謝してしまう。現代日本で生きた記憶と知識が前世だと仮定して、前世のなけなしの知識から推測してみる。
(たしか、ヨーロッパの庶民の間ではスープや飲み物にパンやビスケットを浸すことは、マナー違反じゃないって聞いたことあるからな。それっくらい硬かったってことだろ。ならそのままでも子供が食べられるってことは、他のご飯も期待できるな。)
子供ゆえに、食べられる物がまだ少ないが前世の食事の記憶を掘り起こしては、ヘラヘラと気持ち悪い笑いを浮かべていた。
「食い終わったか。」
忘れていた仁王様の御言葉に、クセスの背筋が伸びる。慌てて、仁王様に視線を向けると、元のガンドに戻っていた。
「ごっちょーさま」
(違うんだ!!これは舌が回らないだけで、赤ちゃんプレイではない!)
逆に墓穴を掘る言い訳を心で、見知らぬ誰かにしているクセスの羞恥心には蓋をして皿をガンドの方にずらす。
以前、自分で流し台に持って行こうとして椅子から転落して以来、大人たちに甘えることにしている。さすがに、産まれて1年ほどの子供相手に食器運びまで要求する大人はいない。というか、持って行こうとしたことの方に驚かれ、不思議がられてからは大人しく世話を焼かれることにした。
もちろん、子供としてあまり奇妙な行動をして捨てられるのは困るという打算が働いたためでもある。
ガンドが頷いて、食器を持ち上げるついでにクセスを見てくるので、見返しているとガンドが口を開いた。
「今日からしばらくはここで一人で大人しくしてるんだぞ。」
わざわざそんな事を言われたので、びっくりして首を傾げる。今までも3階で一人にされる事はよくあった。ここ1ヵ月ほどはパシィがいたので、完全な一人になることは少なかったが。
「…ママは?」
(耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだこの1ヵ月でこの言葉を何度言わされたことか…。)
もちろんこの言葉はパシィがクセスに施した、脅しという名のお願いにより実効しているに過ぎない。クセスの趣味ではない。多分。
カラ笑いをしながらガンドに視線を戻すと、
(ひっ!また仁王様がっ!)
「大人しくしてろ。」
とだけ言い残して、仁王様は食器を流し台に置いて洗うことなく下に降りて行った。
(心臓に悪すぎる。なんだったんだ。)
その時、鐘の音が3回鳴り響いた。お昼に4カ国の王都と学園都市では5回鐘が鳴らされる。しかし、学園都市だけではそれ以外にも朝に魔術学園の授業が開始される前に3回鳴りその後10分後ぐらいに1回だけなる。この1回が授業開始の合図となる。
クセスは、今からしばらくは一人になれるということだけは分かったので、かねてよりしたかったことを実行することにした。
思い出すも恐ろしい記憶だが、パシィの望むように可愛らしくお願いを繰り返し手当たりしだいに絵本を読んでもらった。そうしないと、お願いを聞いてもらえないのだ。
もちろん綺麗な女性に構ってほしいという下心だけではもちろんなく、絵本の簡単な文字と聞こえる言葉とを対比させて、文字を覚えたのだ。子供のピチピチの脳みそを、フル回転させた結果。よほど難しい単語以外は何とか、文脈を理解するぐらいにはなれた。
(この脳みそもしかして、ハイスペックなのかな?すっごい記憶力いいんだけど。でも、子供って元々脳みそが柔軟だからな。どっちにしろこのまま脳みそを色々刺激すれば、俺天才になれるかも!)
前世の記憶がある状態なら多くの人が願う幼児英才教育を、さっそく自分にほどこしてみることにした。
(とにかく、この魔封じとかっていうやつの事もわからんことには身動き取りづらくってしょうがないからな。魔法の事も知りたいし。)
テンションが上がるままに、眼を付けていた書物を近くの本棚から引っ張り出す。
暴走しているように見えるが、案外冷静のようで辞書と背表紙に書かれた一冊を引っ張りだし、中身を確認する。
(当たり!国語辞典だ。)
もちろん国語辞典そのままずばりの名前ではないが、用途は同じ物を見つけていた。国語辞典をいつもの窓際のソファーに置き、それとは別に実際に読んでみたかった本も引っ張り出し窓際のソファーに置く。本の題名は「魔術の基礎」というやや内容が堅そうな本だ。
(へぇ~、魔法じゃなくて魔術って表現するのか。)
という基礎の基礎から入っていく本の内容に、クセスはのめり込んでいく。
世界の4カ国の住民の魔力の特徴と身体的特徴から説明されている。パシィとガンドが話していた内容を補強していってくれるのでありがたい。
そして、外見の色がどれほど重要かもこれを読むと分かってくる。
この本で分かったことは、この世界にある魔術はすべて4つに分けられる。
魔術を執行するには、魔術陣と呼ばれる物を覚える必要がある。が、陣そのものはこの本には載っていない。
御符、魔具と呼ばれる物は、本来の性質とは違う魔術を使用できたり、複雑な魔術陣を簡単に使用できるようにする補助具とある。
(何だこりゃ!説明ざっくりすぎないか?…いや、でも基礎ってこんなもんなのか?ああ、魔術の4つの性質については詳しく載ってるか。)
魔力の強さによっても執行できる魔術があり、初級魔術・中級魔術・上級魔術とランク分けされている。庶民で魔力指数が99以下の者は初級魔術しか使えない。そして魔力指数が100以上で129以下の者は中級魔術までが使える。上級魔術は魔力指数が130以上ないと使えない。魔力指数が少し足りないぐらいだと器用な者ならば上のランクの魔術が使える事もある。ただし、それは自分自身の魔力の性質の魔術の場合が多い。
魔力の性質はそれぞれ4つに区分けされており、それぞれで使用できる魔術が違ってくるようだ。器用な者だと、最大で3つまでの性質の魔術が使用可能となっている。
(へぇ~、この世界って4カ国と1都市で成り立ってんのか。)
その国の少なさに驚きを隠せないクセス。日本の時は数えきれないほどの国があって当たり前だったので、まるで整然と並んだ国に逆に違和感を感じてしまうほどだ。
(しかもこの世界の人間は髪と眼の色が必ず同色系になるのか。水の国は魔力が水の性質で人間の見た目は青色系の眼と髪で、火の国は火の性質で赤色系、地の国は地の性質で緑色系、風の国が風の性質で髪が白で眼が銀色系、最後に学園都市が混在してるのか。)
まるで妖精が人間になったような世界だと思ったところで、自分のあまりのメルヘン思考に悶えて、叫び出したくなったクセスはソファーに顔を埋めて声を上げて唸る。
(うん。何にもなかった。何にもなかった。)
と、自分を納得させてから本の続きを読み始める。恥ずかしい思いをした後は、他の事に夢中になって忘れるに限るとばかりにクセスは本にのめり込んでいく。
(…おお、しかも髪質と肌の色まで違いが特徴として出てくるのか。…火の国と風の国が髪が癖毛で水の国と地の国がストレート、肌の色が色白が水の国と風の国で褐色の肌が火の国と風の国か。…身長まで結構違うな。けどまあ、この見た目から魔力の性質が判断できる訳か。ああ、それで髪を染めたりカラーコンタクトみたいな物がないのか。髪と眼の色を偽るってことは、魔力の性質を偽ることになるから、相手に警戒心を抱かせるわけだな。)
髪の色を深い藍色から斑模様の水色にされる時、色抜き洗剤を使われたことに密かにイラっとしていたが、カラーリング剤などが作られることはない世界だったということにびっくりするクセスは、自分の外見の特異性もより正しく認識することになる。
(…なら、じーさんは…水色のストレートの髪に青っぽい眼の色で白い肌だし、水か?それでいくと、おっさんは水だろうけど…癖毛だから地の性質か風の性質が入ってんのか?………マ、ママ、さんは、白い癖毛に色が薄かったけど眼の色が銀で白い肌だったから風だろうな。…そうなると、俺の血の繋がった両親は、確か父親がすっげー濃い紺色でストレートの髪だったかな…眼はあんまり記憶にないな…何色だったっけ?でも、この理屈からいくと同じ色か。肌は白かったのは覚えてる。で、母親がこれまた派手だったよな、眼に眩しいぐらいの赤色の癖毛に確か深紅の眼をしてた気がする。よく覗き込まれたから覚えてるもんだな。肌は確か褐色だったから典型的な火の性質の特徴と合致するか。)
本を読んで得た知識を元に、自分の周りにいる人間の魔力の性質を考察するがほとんどの人間がどうも血が混在していないみたいなので、さほど戸惑うことなく結論に達してしまい少々ものたりない気分ではある。
(おお、これは!火の国の平均男性身長200cmで水の国の平均男性身長190cm、風の国の平均男性身長170cm、地の国の平均男性身長160cm。…ってことは!キター!!俺、高身長!!!人生勝ち組!!)
ソファーの上で本を前に一人バンザイ三唱している怪しい幼児の姿を見る者がいなかったことは、僥倖だった。でなければ間違いなく、精神が病んでいると判断されるだろう。
怪しい幼児となって喜んでいるクセスだが、この高身長予想は大幅に裏切られることになる。
(…あれ?…何か忘れてるような…?何だっけ?)
唐突に動きを止めて、バンザイをした両手を上に上げた体勢で止まったクセスは何か引っかかりを感じてそのまましばらく考えるが、考えが纏まらず手を下ろして本に視線を戻す。
「ああ!!だめだ!」
気が付いたのか、そのまま本の上に突っ伏してしまい、「ううううううう」と唸りだす。
(だめだ。この理屈からいくと勝ち組以前に、俺って外出すらできないんだ。なんで気が付かなかったんだろう。そうだよ、じーさんらも言ってたじゃんか。髪と眼の色が青系と赤系の色なんて、騒動に巻き込まれに行くようなもんだろ~。ああ、俺の勝ち組人生が~。)
本に突っ伏したまま、大の字でそのままうつ伏せに寝そべり体を揺らして不機嫌を表す様はどこからどう見ても、幼児そのものにしか見えなかった。
(…いや!ここで諦めるのか俺!ここまで勝ち組人生がお膳立てされてて諦めるなんて男がすたるってもんよ!据え膳食わぬは男の恥でしょ!)
激しく使用方法を間違っている。膳しか繋がりがない残念な、決意表明に対してツッコミができる人間を募集したいほどだ。
幼児が一人「オー!」と言いながら右手を高く振り上げている。
(少なくとも、この眼の色か髪の色が変更できればいいわけだしな。)
うれしそうに頷いていると階段から誰かが登ってくる音が聞こえた。
ガンドが来たのかと慌てて本を、ソファーの隅に乱雑に置かれている他の本の上に同じように乗せた瞬間、予想通りガンドが姿を現した。
「昼にするぞ。」
階段から上がってきたままに、クセスの方を見ることなく台所に一直線に進む。
そのガンドの姿に、もう昼になっていたことにクセスは驚いて窓を見上げると太陽が高く昇っていて、とたんに空腹を覚えた。
なので、ソファーから下りて台所のテーブルに行こうとした時、足もとに紙切れが落ちているのを見つけた。
普段から汚いこの家で、小さい紙切れなんて無視してしまうのだがその時は文字が書かれている面が上にきていて、その一文が容易に読み取れたことでつい拾ってしまった。
『愛しのガンドへ、ちょっとお出かけしてきます。ごめんなさいね。最愛のパンシューザより』
(逃げたな。)
その一文の意味を正確に理解した瞬間のクセスの感想だ。
しかも、そのパシィのサインの後ろに本当に慌てて書いたと言わんばかりの走り書きでバルの名前まで発見した時は、思わずガンドに同情してしまったほどだ。
あのパシィがバルまで連れて逃げるとは思えないので、多分この手紙を発見したバルが便乗したのだろう。
(確か、風の国の人間は気まぐれって書いてあったけど、ここまで典型的な行動は…これは酷いだろう…。)
自分の世話を大人3人が押し付けあっている状態に文句を言うよりも、最後に押し付けられているガンドに激しく同情してしまうクセスだった。