第1章 第6話
第1章
第6話
バルと父親は、レンガ造りの強大な魔術学園を右手に見ながら、そのすぐ傍にある石作りの行政役所に入っていく。
父親の方は手に持っている魔力吸引機が見付からないようにポケットに押し込み、戸籍登録の受付窓口を捜す。
190cm前後の身長の男2人がそろって入口でキョロキョロしている姿は、異様に目立つのですぐに職員がやってきて2人に何の用で来たのかを聞いてくれた。
すると、戸籍登録は窓口カウンターの左一番奥だったようで教えてくれた職員に礼を言って、指示された方へ向かう。
2組登録をする親子がいるようで、その様子をすこし離れて観察してみるとほんの5分ほどで登録は完了するようだ。これなら問題ないだろうと親子2人胸を撫で下ろす。
両親の戸籍の確認と子供の名前と生年月日それに魔力査定水晶の査定をするだけなので、ほとんどは問題なく流れ作業になる。魔力査定水晶も子供の手を触れさせて10秒ほどで結果が現れるのだ。一番時間をくっているのは両親の戸籍の確認作業ぐらいである。それもほんの数分ほどで終わる。
「次の方どうぞぉ。」
受付の女性が呼びかけると、バルと父親が受付へ向かう。
男子2人という組み合わせに、不思議そうな顔をする受付女性をものともせずバルは話かける。
「ガンドとその息子のバルボズです。今日は子供を拾いまして、その子の戸籍登録をしたいのです。」
その言葉に受付女性は驚いた顔をする。先に述べた通りこの学園都市では子供を拾う者は、ほとんどいないのと拾ったとしても男2人で来ているので珍しすぎる。少数でも子供を拾う者はいるが、その場合は大抵子供のいない夫婦だからだ。
「ええ~と、…あ~の~…子供を拾った場合は、ご自身の子供として登録され扶養義務も発生しますがよろしいですか?」
かなり言葉に詰まりながら話されるのに、バルは問題ないと頷きを返す。受付の女性が後ろに立っている父親のガンドの方にも視線をやるが、こちらも苦い顔つきではあるが、頷きを返してきた。
「はぁ~そうですかぁ~…ええ~っと…でしたら、そうですね…。ええっと…どちらが父親として登録なさいますか?」
と、受付女性が告げた時のガンドの顔は見物だった。苦虫を口に入るだけ入れてそれでも自分の目の前に山とある苦虫を睨みつけているような形相になっていた。それを見て受付女性が小さく悲鳴を上げていたが、隣のバルは楽しそうに笑うだけだった。
「し、失礼いたしました!…あ、あの…ですね…こ、こちらの書類に必要事項をご記入ください。この向かって右側の書類が、戸籍登録で必要な書類です。もう一枚の書類が、捨てられていた場所や状況をご記入していただく書類になります。」
その後、慌てて手元の書類をあっちこっち捲りながら、必要書類を探し出しこちらに渡してくるこの受付女性の態度に、やはりめったにない事なのかと気分が重くなるガンドだったがこのまま時間を掛けてもいい事はないので、多少目立ってもこちらの都合を推し進めることにした。
それ以前に男2人が目立っていることに気がついていない親子だった。
「悪いが、赤ん坊の魔力査定を先にしてもらっていいか。今は眠っているからいいが、起きて泣き出すと大変なんでな。」
絶対に起きることはないと分かっていてこんなことを言ってみせるガンドに、バルはにやにや笑いながらも小さく頷き話を合わせる。
当たり前だが、そんな親子の下心には気付かず受付の女性はその旨を了承した。その様に希望する両親はときどきおり、取りあえず両親揃って登録に来ればいいだけなので2人が戸籍登録担当役人と顔を合わせ自分自身の名前を告げたら、赤ん坊を連れて片方は帰る事もまったくないことではない。子供が一人なら両親揃って登録に最後まで付き合うが、他にも子供が何人かいる場合などは、のんびり一人の子供の相手をしていられないし、仕事を抜け出して来ている場合が多いいからだ。
「それでは、こちらの魔力査定水晶にお子さんの手を触れさせてください。」
言われた所を見ると、直径30cmほどの大きな透明の水晶があった。
バルから赤ん坊を受け取り、言われた通り水晶に赤ん坊の右手を乗せた。
瞬間、水晶が淡く青に光り魔力指数が表示された。39と。
そのあまりの低さに、咄嗟に3人とも動きが止まってしまった。一般庶民の魔力指数の平均は50~70である。なので、あまりの低さに受付の女性などは憐みの表情が浮かんでいる。対して、ガンドは魔力を吸引しすぎた。と失敗に眉を顰める。そんな表情も傍から見れば、拾った子供の魔力の低さに顔を顰めているように見える。バルは特に表情を変えることもなく、その魔力の低さに魔力吸引器の魔具のすごさを感じているだけだった。
一番初めに受付の女性が衝撃から立ち直り、空笑いをしながら「そうゆう事もありますよねぇ。」とよく分からないフォローを入れるのに、ガンドは衝撃からバルは魔力吸引器を考えていた事から立ち直り、その後の戸籍登録はバルに任せるということで、ガンドは行政役所を後にした。
ガンドはそのまままっすぐ家に帰り、一日魔封じなして様子を見てから再度魔封じを付けることにして、赤ん坊をいつも寝かせていたソファーに寝かせ、ガンド自身は台所がある3階の部屋から1階の工房へ行き今日の仕事を始める。
ガンドは学園都市で小さな道具屋をしていて、大通りから外れた場所に建坪40坪ほどの地上3階地下1階の店舗兼住居がある。このあたりは大抵地上3階建てなのでごく標準的な大きさといっていい。やるきがあるのかと聞きたくなるような薄汚れた商品が陳列された店内はあまり繁盛しているとは言えない。
しばらく、仕事に集中していると工房の表にある店の扉が開く音がするが、ガンドは気付くでもなく工房で作業に集中している。
「オヤジ、登録すんだぞ。」
バルの声にガンドは作業の手を止め、やっと顔を上げる。
「ふん。どうだったんだ。」
一応その後が気になるのかバルに声をかける。
「ああ、特に問題はなかった。ただ、クセスの月齢をどうするかで困ったけど、ヒューがたぶん生後半年ぐらいだろうって言ってくれて、そうした。」
バルの発言にガンドは、顔を顰める。
「…いろいろツッコミたいんだが…。」
唸るようにガンドが告げるのに、バルはいつもののほほんとした表情のまま先を促す。
「クセスってのは何だ?ヒューってのも教えてもらえるとうれしいんだがな。」
「クセスってのはあの赤ん坊の名前。頑張って考えたんだ。いい名前だろ。」
「そうか。まあお前が決めたんならそれでいい。いいんじゃないか。」
「うんうん。ヒューもそう言ってたな。」
満足げに頷くバルに、ガンドは頭が痛くなってくる。昨日から、頭痛がひどい。
「で?」
話がそれで終わりそうな様子に、再度ガンドが先を促す。
「ああ、ヒューは、マヒューアっていってあの受付してくれたかわいい子だよ。ちょっと話してみたらいい子でさ。親切に月齢を一緒に考えてくれたりしてさ…」
まだ続くバルの言葉を聞きながらガンドは、肺の奥から力いっぱいため息を吐き出した。これで、女性に色目を使っているわけではないのが救いだ。と心で呟く。バルはとにかく愛想がよく、常に上機嫌で、人見知りをしないので相手は警戒心を抱かないのか、知り合って1分もしない内にその相手と長年の友人のように会話していたりするので知り合いが多い。しかし、バルはあまり他人に頓着していないので、次に会った時に忘れていたりするのだが、それで揉めたりしたことがないのだから不思議だ。
分かっていたが、相変わらず暢気な息子にため息が出る。
「分かった。分かった。兎に角あの赤ん坊の名前はクセスで月齢半年になるんだな。」
しゃべていた言葉を止めたガンドの言葉に、すこし首を傾げる。
「本当は、産まれて1年近くたってる気がするけどでもそれを言うと事情を説明することになるから、見ためが産まれて半年ぐらいの大きさだって言うから、半年ってことにしといた。」
「どういう事だ?」
「だってクセスを拾ったのってレブラ山だろ。そこからこの学園都市まで帰ってくるのに3ヵ月かかってる訳だし、拾った時には首がすわってたから生まれてすぐってわけでもないと思う。それに最近は摑まり立ちしてたし。だから、産まれて1年近くたっててもおかしくないかなと思って。」
バルの言葉に、ガンドも思うところがあったのか熟考するように腕を組む。
「それもそうか。体が小さいとはいえ、3ヵ月お前が連れて帰れるぐらいには育っていたと言うことか。」
クセスが母乳を飲む年齢だった場合いくらなんでも、何の問題もなく連れ帰ることは難しい。近くにいる母乳が出る女性に母乳を分けてもらうしかなく、そうなれば起きているクセスを一目に晒すことになる。なので、拾った時には離乳食で生活できる年齢だったということだ。
「まあ、お前によく分かったな離乳食で大丈夫なぐらいの月齢の赤ん坊ってことが。」
「ん?そんなの分かるわけないだろ。俺は赤ん坊育てたことないんだから。」
あっけらかんとバルが告げるのに、ガンドが「はあ?」と叫ぶ。
「とりあえず、薄いスープ飲ましてみたら飲んだし、それだけで生きてるからまあいっかって感じ。」
そう言ってヘラっと笑ってみせるバルに、ガンドは(そうだこいつはそういう考えなしの人間だった)と呆れてしまった。力が抜けるのを感じながらも確認しておかなければならないことがある。
「…そうか…まあそれはともかく、見た目がそうならそれでいいだろ。どうせ拾い子なんだ。実際の年齢と違ったところで誰にもわからんだろう。後は…そうだな、特に貴族の子供かどうか言われなかったか?」
「オヤジ。そりゃありえない。あの魔力指数だぞ。」
バルが肩を震わせながら、ガンドの言葉を否定した。確かに39では疑うこともないか。いや、疑っても下手に藪をつっ突くことを避けたのかもしれない。とガンドは考えた。この魔力指数が本当だとすると、親を特定してもその親の貴族は自分の子供ではないって難癖付けてひと悶着ありそうだからだ。貴族にとって、魔術学園に入学できる魔力指数100は当然で、無ければ先に述べたように犯罪すら犯す勢いなのだ。魔力指数39など、調べるまでもなく魔力が低いことは親になら分かっただろう。つまり、いらない子供として捨てられたということだ。役所は下手に貴族に係ることを回避するだろう。魔術学園都市は、魔術学園を主体に形成された都市だけに、貴族は存在しないし、制度として貴族制度がない。なので、学園都市にいる貴族はすべて、他の4カ国の貴族となる。
なぜ、ガンドが貴族の子供か疑われていないか気にしているのかというと、もし誘拐されてきたような貴族の子供と役所が判断した場合は、子供の親の国や貴族に恩を売るためと、知らずに育てて後で国際問題にならないようにするために疑わしい赤ん坊は、役所が指定する医者に診させ正確な月齢を割り出したりして詳しく調査されることになるからだ。
庶民の子供と思われている場合は、そこまですることもなく、簡単に調査するといわれているが、実際はそんな調査もされることはなく医者に診せに行く義務もない。なので、このまま何事もなく生活するには、この赤ん坊は庶民の子供ということにしないとまずいということになる。
どうやら計画通りに事が運んだことに、ガンドはホッと息を吐いた。
「ところで、クセスはどこにいるんだ?3階?」
「ああ。ソファーで寝かせている。一度様子を見といてくれ。俺はもうちょっとここで仕事をするから。」
ガンドの言葉にバルは頷くと、階段に向かって歩いていった。その後ろ姿が視界から消える頃にまた、ガンドは大きくため息をつく。
「まったく。何であんなにいつもテキトーで気まぐれなんだ。」
頭痛の種の息子は、産まれ付いての性格のせいでよく無責任に父親に面倒事を持って帰ってくる。今回のこともどうせ、いつもの気まぐれのせいだろうと理由を詳しく聞くこともなく、結局協力してしまった。いつも助けてしまうのを反省するのだが、あの能天気な顔を見ているとつい助けてしまう。
自分も元妻もそんな性格ではなかったのにと、不思議でしょうがないところではある。元妻は、風の国出身であるにも係わらずひどく気難しかった。ガンド自身も自分が気難しいことは承知しているので、本当に不思議でしょうがない。多分、風の国の本来の気質がでた結果だろう。見た目や能力は水の国のそれであるが、性格は風の国の気質そのものである。これからも、バルに振り回されるのかと暗澹たる思いを抱きながら中断していた作業を再開するのだった。