第1章 第5話
第1章
第5話
赤ん坊が眼を覚ました事により、事態が動きだすことになった。取りあえずバルが赤ん坊に朝食を食べさせている間に、父親の方が必要な魔具を用意する。
(何だか下の部屋でドッスンバッタンとすんげー音してこの部屋まで埃がまってるんですが。元日本人の俺としては食事中は埃たててほしくないな~)
バルの膝の上に座って、昨日と同じソファーの上で木の器とスプーンでパンを小さく千切って浸したミルクを食べる赤ん坊をバルは、(これが最後の食事になるかもしれないからよ~く味わえよ。)と相変わらず酷い事を考えながら眺めていた。知らないからこその平穏である。
食事を終えて、ソファーにまた座らされバルが使用した食器類を洗うのを何となしに眺めていると傍の階段から人が上がってくる音がする。
「見つかったぞ。」
そう言って、父親が階段を上って来るのとバルが食器類を片付け終わるのは同時だった。
「へぇ~それが魔力吸引機か。」
物珍しそうに父親の手の中にある魔具に、視線を定めたまま近寄っていくバルに赤ん坊の方も興味をそそられたのか、ソファーから身を乗り出すように動いた。
(なんじゃそら、めっちゃ気になる。何かの道具かな。もうちょっと近付かんとみえんなぁ。)
父親の手にあるのは、四つの細い金属の棒の片方の端を一つに纏め、もう片方の端で水晶を挟み込んだ形になっている、全体で30cmほどの大きさの魔具だった。そのまま2人で数分ぐらい何やら話しこんだ後、バルが再度台所に行き何かの粉末を水で溶かしているのが伺える。
その粉末を溶かした液体をブリキのマグカップに入れて、ソファーに静かに座る赤ん坊の元へ行く。
「よし、このジュース飲もうな。美味しいぞ。」
と、爽やかな笑顔でバルが言ってくるが、まったく信用できない。赤ん坊でありながら、口元を引き攣らせるという高度な芸当を披露するも大人たちの関心はかえず、バルの父親の方を見るが赤ん坊がその液体を飲むのをガン見している。
(何だ?!何なんだこの液体!やばい薬か?粉末入れてたのに透明なのが尚更怖いんだけど!何の臭いもしないし!やっぱりここは人身売買のアジトなのか?!)
本人の預かり知らぬ処でとんでもない計画が進んでいるのは間違いないので、その危機感もあながち間違いではない。しかし、どんなに抵抗した所で所詮赤ん坊の力。無理やり口を開かせられ、液体を飲んでしばらくすると強烈な睡魔に襲われそのまま昏倒するように眠りこんだ。
「おお!よく効いたな。」
あっさりと眠ってしまった赤ん坊を、バルはひたすら感心したようにしげしげと眺めている。
「ならさっそく次に移ろう。そろそろ太陽も完全に顔を出してるだろう。やるなら一気にやっちまった方がいい。」
それもそうだと、赤ん坊を抱えて台所へ向かい、棚の奥から色抜きの洗剤を取りだす。なぜ台所にそんな物があるのかは、男2人暮らしの混沌ぶりを伺える。
その洗剤を近くに置き、流しで赤ん坊の髪を濡らし洗剤を原液のまま豪快にザバザバ洗っていく。注意事項として、本来は10倍に薄めて使用する洗剤だ。洗うというか原液を振りかけているだけとも言えるが、とにかく赤ん坊の頭皮の心配を欠片もしていないのはその豪快な動きで伺いしれた。その作業がひと段落し、赤ん坊の頭の水分を近くにあった、何に使ったかよくわからない適当なタオルで拭きながら近づいてきた父親に赤ん坊を託して、近くの食卓用椅子に座る。
父親の方は、ソファーに座ると赤ん坊を同じソファーに寝転ばせる。その赤ん坊の髪は先ほどまでの艶やかな深い藍色ではなく、斑に色づいた薄い水色で枯れ草のようなパサパサの髪になっていた。しかも密かに見える頭皮が真っ赤だ。そんなことは物ともせず、取りあえず髪の色が抜けたのを確認しただけで、赤ん坊の赤い魔術石が付いた魔封じのネックレスを手に取り眺めながら、外す手順を確認する。魔封じはうっかり外れない様に、一定の手順を踏むことになっている。一般に販売されている物なら大抵は同じ手順になるが、貴族の所有物となるとそうはいかない。特注品などは、貴族の見栄や虚栄心を満足させる為に敢えて複雑な仕様になっている物もある。無駄なことではあるが、それが貴族ともいえる。
だが、幸いな事にこの魔封じはごく一般的な着脱方法だったようで、庶民の父親にも十分外すことができた。
「ああ。」
「へぇぇぇ。」
魔封じを外した瞬間、抑えていた魔力が溢れ出したのを感知してとっさに声が漏れた。それは、羨望の声だったのか、単なる驚きの声だったのかは本人達にも分からない。ただ、想像した以上の魔力の強さに圧倒されたのは、間違いなかった。これが貴族の力かと、庶民との違いなのかと肌で実感したのだ。
「これはすごいな。魔術学園に通ってはいたが、ここまで強い魔力に直に触れるのは初めてだ。」
庶民でありながらも魔力数値が107でギリギリ魔術学園に入学できるほどあり、魔術学園に通った父親でもここまで強い魔力には早々お目にかかれない。推察するに、確実に伯爵位にある貴族以上の力を持っていると考えられる。たとえ魔術学園に入学できても、庶民の学生と貴族の学生の間には大きな溝ができている。まして上位の貴族となると、その周りを貴族連中で固めているのでおいそれと近寄る事はできない。だから、直にその魔力に触れた事はなかったのだ。
「やっぱりすごいな。貴族の魔力なんてそうそう間近で感知できないもんな。」
魔術学園に入学できる11歳になる頃には、大抵の貴族の子息は魔力コントロールができるようになっている。そのまま魔力を垂れ流している子供などいないので、余計にその純粋な魔力の濃度に声が漏れ出た。バルは魔術学園に入学はできなかったので、貴族の魔力に初めて触れた事で声が漏れ出るのを抑えられなかった。
次に、魔力吸引機を手に持ち起動させるために自身の魔力を送り込む。
魔力吸引機の水晶が付いていない方の金属の先端を赤ん坊に当て、ゆっくりと失敗する事がないように慎重に赤ん坊から魔力を吸い出す。
時間にすれば10分ちょっとのことだが、父親にはとても長く感じられた。
大きく息を付いて一度赤ん坊から身を離す父親に、バルはひと段落ついたのかと話しかけることにした。
「どうだ?いけそうか?」
「ああ、まあ問題なさそうだな。触れて確認する感じでも火の魔力を感じない。水の魔力を抑えているピアスを外しても問題ないだろ。」
そう呟いて魔力吸引機を一旦ソファーの上に置き、赤ん坊には大きすぎる青い魔術石が6つも付いたピアスを外す。
その瞬間、父親の方は静かに息を吐き息子は口笛を鳴らす。バルは楽観視しているので気楽な調子である。父親の方は、水の魔力の強さにこの赤ん坊の総魔力指数は一体どれほどだったんだと、好奇心が顔を出してくるのを息と共に吐き出した。
魔力は一旦減っても、一日ゆっくり静養すれば元通り全回復する。魔力が枯渇寸前まで行った場合は回復するのも、早い人で1週間。遅い人で1ヵ月近くかかる。ただしそれは、大人の場合で、子供は枯渇した段階で死ぬことの方が圧倒的に多い。もちろん助かった例もなくはないが。
取りあえず、赤ん坊の魔力が回復する前に魔力査定水晶で査定してもらわないといけない。戸籍登録にかかる時間が読めない以上、一分でも早く作業を行うのがいいだろう。
そのまま先ほどと同じように魔力を吸引して、今度は魔力感知を行いながらほどほどの所で留めておく。
取り合えず、話していた所まで問題なくたどりつけた事で父親とバルが視線を合わせ、お互いに頷き合う。
赤ん坊の様子を見ようと近寄って来たバルは、赤ん坊の顔を覗き込む。
「何か、人形みたくなってないか?」
首をひねりながら、赤ん坊を眺めるバルに父親の方も改めて赤ん坊を眺めて同意するように首を縦に動かす。
「そうだな。元々綺麗な顔立ちだったが何だか人形っぽくなってるな。」
なぜだ?と親子そろって首を傾けるが、当たり前の事をツッコめる人間がいない状態が悔やまれる。
と、バルの方が気が付いた。
「血のけがないからじゃないか?なんか色白くなってて唇の色も悪いし、死体みたいになってるな。」
何度も言うが当然である。魔力は枯渇した状態で放置すると死んでしまう。それは、大人子供関係ない。もちろん常識でこの親子も知っているのだが、新たな試みをしている人間というのは、得てして大事の前に小事を見落としてしまうものだ。
これはさすがに、戸籍登録する担当役人にもおかしいと勘繰らせてしまうと気づいた2人は、さっそく改善策にのりだした。まず、父親が暴走する。
「確か、パシィが置いて行った口紅があっただろ、あれで口に色を持たせればいいだろ。」
よくない。普通赤ん坊が口紅を塗っていれば大抵の人間は違和感を覚えるし、気が付く。
「おお。いい考えだな。それなら頬紅とかあったらそれも付けといたら完璧じゃないか?」
完璧の意味を完全に履き違えて、バルも暴走にのっかってしまう。
その結果、第3者が見ればとても違和感の感じる赤ん坊ができあがった。
さすがに2人も口紅と頬紅を付けて、違和感があったのか布で拭ってボカスというテクニックを思いついたみたいで、なんとか違和感で治まる範囲の赤ん坊の顔が出来上がった。化粧をしたことのない男二人にしては上出来である。それが正しい方法かどうかはさておき。
◆
無事、赤ん坊の戸籍登録に向かう道中、バルが赤ん坊を抱いて父親も付いて行くことになった。それにはひと悶着あったのだが、役所に入る前にも街角で赤ん坊の魔力を吸引してからの方がいいという結論に達し、父親も付いて行くことになった。
バルでは初めての魔具を上手く扱う自信はなく、魔術学園に通ったわけではない自分では魔具を扱いきれないと判断したのと、もちろん父親も巻き込んでおこうという魂胆もあってのことだ。一番よかったのは父親だけに戸籍登録に行ってもらうことだが、これを口にしかけた途端父親の背後にブリザードが見えたので大人しく口を閉じることにした。
「そういえば、この子の名前はどうするんだ。」
父親が、赤ん坊を覗きこみながらバルに尋ねるが、バルの方はキョットンとした顔をする。
しばらく、視線を彷徨わせてから父親に視線を合わせ首を傾げる。
その無言の訴えに気が付いた父親は慌てて、バルを小道へ押し込む。
「この馬鹿が!戸籍登録する以上名前を考えとけ!」
小声に抑えながら、バルを叱りつけつつまさかまだ何か抜けている事はないかと頭をフル回転させる。
「そう言えばお前、この子供を拾った場所や経緯をどう説明するんだ。簡単にとはいえ役所は調査をするんだぞ。」
自分自身の眼の前にあるバルに詰めよりながら、低く小声で告げるが、堪えた様子もなく、バルはそんなこと考えてなかったな。と暢気に首を傾げる。
何か考えろとせっついても、あ~でもなくう~でもなく唸っているバルに業を煮やして、父親の方が考えを纏める。
「お前は5日ほど前に水の門を潜ってるんだ。なら、5日前に門を潜ったすぐ傍の森で拾ったってことにしとけ。」
「でも、あの時周りに人もいたけどなぁ。」
暢気に首を傾げて視線を彷徨わせるバルに、父親はイライラしている。
「まあ、誰かとずっと一緒だった訳じゃないからそれでいけるかな。」
一人納得できたのか、しきりに頷きながら考えを纏めているバルに父親は堪忍袋の緒が切れそうだ。
「そうか。」と呟いただけで怒りを息と共に吐き出し、丁度いい場所なので赤ん坊の魔力を吸引してからまた役所に向けて歩き出した。この時、苛立ちを抱えて魔力の吸引をしたことで、魔力感知が上手くいっていなかったようで赤ん坊の魔力指数は同情を誘うものになった。