第四章 危機
第四章 危機
翌、月曜日。
間違えた。
日付変わらず、月曜日早朝。
東田家はそこそこ学校に近いので、徒歩で登校。でも出発時刻は以前とあまり変わらない不思議。
波奈と並んで歩くのは、実は相当不安だった。とりあえず、まず思うのは、つりあわねー、ってこと。それから、信奉者連中が黙ってないだろうな、とか思う。というか一応は同居状態なわけで。これなんてエロゲ? とか言いたくなる。
懸案はもう一つ。なんだかんだで、名前で呼び合うようになってしまったことだ。『波奈』『彼方くん』と呼び合う関係。端から見れば……、いや、考えるのをやめよう。そうしよう。
普通に雑談――字術の話だったり、今日の小テストの話だったり――をしつつ歩いて、学校に到着。
「おーっす、南」
「うげ、中田……」
いきなりやってもうた!
最初のエンカウントがこいつとか、幸先悪すぎるぞ俺!
「なんだよ、人の顔見てうめくな、よ……」
よし、フリーズしてる! 波奈の存在に気づき、フリーズしてるぞこの男!
「よし、今のうちに離脱だ、行くぞ波奈」
「?」
小首を傾げながらも歩き出す波奈。よし、勝った――
「待てよ南ぃぃぃぃぃぃ!」
怖ええ!
顔が、怖ええ!
「な、なんだよ中田。俺は急いでるんだ」
主にお前から逃げるために。
「るせえ! だいたいなんでお前と東田さんが一緒に登校している! なんで名前で呼び合っている! この土日に何があった!」
「なんもねえって!」「彼方くんはうちの離れに住むことになりました」
波奈アアアアアアアアアアアッ!
何お前、天然!? 天然なのか!?
「な、同居!?」
「待て待て! 別に一つ屋根の下で寝てる訳でもないし」
「お前らここに東田様を汚す存在がっ!」
「「「なんだと!?」」」
「寄るな変態ども!」
ファンクラブ会員に囲まれた。これは非常にまずい。
皆さん目が据わっておられる。立ち上る闘気はもはや殺気。
ああ、字術でサクッと離脱できないかなあ……。
気がつくと波奈は会員A……って、中田じゃねえか! に、エスコートされて教室へ向かってしまった。
味方はいない。八方塞がり。これはキツい。
「覚悟!」
俺を囲む輪が狭まってくる。今にも拳が飛んできそうだ。
まったく、なんだって朝から……。
三十分後、教室。
変態という名の紳士たちは、顔は狙わないことにしているみたいだ。ただし服に隠れる部分はすでにボロボロだ。
「大丈夫……ですか……?」
波奈が、恐る恐るといった様子で顔を覗きこんでくる。
「あ、ああ。大丈夫大丈夫……」
「なーにやってんの朝から」
バシ、と背中が叩かれる。先ほどの傷が痛み、一瞬息が詰まる。
「い、伊能……」
後ろから現れたのはクラスメートの伊能亜美。
いい奴だし人望もあるが、やたらテンションが高い。そのうえ、時々人格が壊れる。ちょっと面倒なときもあるが、基本いい奴だ。
「ま、待て。今朝は勘弁してくれ。多分死ぬ」
「死ぬ、って……」
何か言いたげな伊能だったが、担任が小ばしりに入ってきたため、渋々席についた。
午前中の授業を死んだ目で聞き流し、昼休み。
俺は深刻な危機に直面していた……。
「昼メシ買うの忘れた……」
なんてこった。
気がついた時間が遅かったため、パン買い競争にはもう間に合わないことが予想される。かといって、今から外に出ることは許されていない。この空腹でリスクを犯すのは得策ではない。
机につっぷして耐える。ひたすらに耐える。
「あの……彼方くん?」
「……心頭滅却……」
「彼方くーん……?」
「……立ち去れ煩悩……」
「……お弁当、食べますか?」
「ありがとう波奈!」
ガバッと身を起こす。
波奈が布包み――やや大きめの直方体――を差し出してくる。両手で受け取り、感謝する。
「ありがとーう!」
さっそく包みを解く。蓋を開け、箸を握る。やべえこれ、この卵焼きなんか特に、素朴ながらもすごくうまそうだ……。
「いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ」
そう言って自分の包みを置いてある自分の机に戻っていく。
「東田ちゃーん」
「はい?」
いつも一緒に昼を食う面子の一人、伊能が声をかけているのが見える。そのまましばらく話し、二人で戻ってくる。
伊能が俺の机を指さし、
「一緒に食べるからそこちょっとどけて」
「ん、おお、了解」
ちょうどそこに購買に行っていた中田健太が戻ってくる。
「あれ、今日は一人プラスか、……て! お、おい南どういうことだよ!」
「しらねー。さっさと食えば?」
「ち、なんだよ冷てえなあ……」
隣の席の椅子を引っ張ってきて座る中田。俺の前は伊能の席のため伊能はそこに座る。中田の対面には東田。
そういえば、こいつが誰かと昼を食ってるの、見たことねえな……。
そうしていつもとちょっと違う昼休み。
すごく久しぶりに、日常を取り戻したような気がした。
放課後。
「南、今日暇か?」
「わるい、今日はちょっと……」
そんなやりとりを中田と交わし、やや急ぎ目に教室を出る。
先に教室を出ていた波奈と昇降口で落ちあい、東田邸へ向かう。
昨夜の一件、結局俺ができたことといえばハッタリだけ。なんか危機感が湧いてきたので、もっと鍛えてもらわねば、と思っている。
あとは知識。字術関連の知識が、おそらく、まったく足りない。
その両方を得るには――鍛錬を重ねるしかない。
離れで着替えようとしていると、携帯電話が鳴った。
「メール……?」
俺の日々のメール件数は、多い方ではない。むしろ少ないだろう。まったくない日だって多々ある。
メールは、中田からだった。なんだろう? たいていこういうのは遊びの誘いかなんかなんだが……?
<From:中田健太>
<To:南彼方>
<件名:無題>
<本文:それで結局お前は、東田さんとどーゆー関係なんだ?>
さすがに吹いた。
どーゆー関係、って……。
ええっと……師弟関係? なんかちょっと違う?
それじゃあ……恋愛関係、じゃないしなあ。名前で呼び合うとはいっても、別にそんな関係ではない。同居はしているけど、どちらかというと家族的、兄弟的同居って感じがするし。
やっぱり師弟関係? あー、共闘関係、ってのもありえるか。あるいは同盟関係? 東田家と南家で。
早くしないと鍛錬の時間が減ってしまうということで、時間がないなりに考えた末、返信。
<From:南彼方>
<To:中田健太>
<件名:Re:>
<本文:少なくともお前が思っているような関係ではない>
送信、っと。
ついでに携帯の電源を切り、充電スタンドに突っ込む。
さて、着替えるか……。
中庭に出ると、波奈が待っていた。
「悪い、遅くなった」
「いえ、私も今来たところです」
そう答える波奈の足元に置かれているのは……コンクリートブロック?
「今日はこれを持ち上げます」
持ち上げる、って……?
「もちろん字術で、です。重いですよ」
重いとはいっても、さすがにそれくらい腕力で持ち上げられる。
そこを字術でやるとどうなるのか、って話だよな。
「使う字は『浮』……浮く、ですね」
「コンクリブロックを宙に浮かべろ、と」
「はい。とりあえず浮かべることが最初です。一メートルの高さに五分浮かべることを目標にやってみましょう」
「一メートル、五分、ね……」
ずいぶんと目標が具体的だが。
やってみますか。
「最初にやって見せますけど……ちょっとレベルの高い技術からお見せしますね」
「レベルの高い?」
「まあ、ちょっと、ですけどね」
「どんなのなんだ?」
「直接書かないんです。空中に書いた字を、発動時に対象まで移動させます」
「移動……」
今一つピンと来ない。
「とりあえず見ていてください。行きますよ……」
流れるような一連の動作で、波奈が字を書く。さすがに速いし、筆致もしっかりしている。
「『浮』」
唱えると同時、人差し指をうえから下に動かしてブロックを指さす。すると、淡く輝く筆跡が、ちょうどボールが落下するような速度で移動――見た目には落下――し始め、ブロックに触れる。一瞬輝きが強くなって、
「おお、スゲー!」
浮いてる! 浮いてるよ!
コンクリートブロックが浮いてます!
「……と、こんな感じです。やってみてください」
涼しい顔で波奈が言う。
「そんなサラッと言うけど……」
やるだけやってみるさ。
だめでもともとだ。
波奈がブロックを下す。
「それでは、どうぞ」
「っしゃあ! やったるで――!」
午後八時。
東田家、縁側。
「あれ、南くん、こんなところでどうしたんだい?」
「……あ、ああ、親父さん……」
縁側にぐでーっと寝転がっているのは、何を隠そうこの俺である。
「ははあ、大分消耗したみたいだねえ」
「はい……」
ちなみに一メートルまでは上がったが、二分が限界だった。
疲れ果てた俺は、晩飯を食う気力もなくここに寝ていたわけだ。
「どれ、今日は戦闘鍛錬はなしでいいや。座学だ」
「……ありがとう……ございます……」
座学?
どさ、と腰を下す音がした。見ると、親父さんも縁側に腰かけたところだ。
「創始四家にはそれぞれ特徴があってね」
「特徴?」
「そう。得意な字のタイプがあるんだよ。
たとえば東田家。東田家は、自然に関する字に強い。自然に関する意味を持つ字や、『くさかんむり』『きへん』がつくような時は、東田の血によって強化される」
そんな属性みたいなシステムがあったのか。
「一般に東田家と北島家は、南家、西野家に比べて字術の効力が強い。そして北島は水、西野は『かねへん』とかの字に強いね。西野の特徴は、字術で作り出した物体の安定性。長時間維持できるし、強度もある。
そして最後に南家だけど、南の血は火に関わる字を強化する。加えて南の血は、術者の身体能力を強化する」
「……は?」
身体能力の……強化?
それって……。
字術関係ないじゃん!
「実践向き、ってことなんだろうね」
「いやいや、なんかウチだけ浮いてません?」
「その通りだ」
「否定してほしかった!」
「まあ、悪い能力じゃないだろう?」
「そりゃまあ……でも、いまどき実戦なんてそうそうないでしょ……」
「まあ、ね」
可笑しそうに笑う当主。
不遇だ……。
と、そこへ咲さんが現れた。
「失礼します、当主」
「ん? どうした?」
何やら話し始めてしまった。
若干居づらいので、退散することにした。
咲さんは神妙な面持ちだった。面倒ごとだろうか?
とりあえず、一回離れに行こうか……。
携帯電話の電源を入れた。
その瞬間、電話がかかってきた。
危うく取り落とすところだった……。
「もしもし?」
――ああ、やっとつながった!
「? 中田か。どうしたんだ?」
――お前、伊能を見かけなかったか?
「見てないが……なにか、あったのか」
――誘拐、らしい。
――正直、冗談だと思いたかったんだが。
――何度かけてもつながらないし、まだ家にも帰ってないみたいなんだ。
――俺? ああ、お袋同士で仲がいいから、連絡が来たんだ。
――警察には届けたらしいし、犯人からの連絡、みたいのもないからハッキリはしてないんだけどな。
――とりあえず、また何か続報があれば連絡する。
通話終了、と表示された携帯電話片手にしばし茫然。
現実味がない――いや、それを言ったら字術なんてもっとなんだけど、とにかく頭がパニックなのだ。事実として飲みこもうとしないのだ。
何の気なしに庭に出る。
夜風が気持ちいい。
「南くん」
「あ……親父さん……」
「君宛だ」
差し出す手には封書。
その場で開封。
「な……これ……」
写真が入っていた。
目隠しをされロープで縛られて横たわる伊能の姿が移っていた。
手紙が入っていた。
お前の友人だろう、助けにきたらどうなんだ? という内容だった。
封筒に戻し、親父さんに向き直る。
「出かけてきます」
「危険だ。ここは警察に……」
「出かけてきます」
「南くん!」
強い調子でたしなめられる。
なめられたもんだ。
一体何のために俺が字術士やってると思ってるんだろうか。
「何のための、字術だってんだよ……」
こんなところで友達一人助けにいけないなんて、そんなの、特殊な力を持っている意味がない。
俺が行かないで誰が行く。
踵を返し、一度離れに入る。
十手と自転車の鍵をつかみ、もう一度外へ。
親父さんは、いなかった。都合がいい。
屋敷の裏手に置いてある自転車で、屋敷の外へ出る。
夜の街は、まだまだ寒い。
遅くなりましたが第四話です
やっと彼らも動き始めました……
……続き、頑張ります
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