第三章 硬質で耳触りな
第三章 硬質で耳触りな
夜――。
「南くん、ちょっとよろしいですか?」
「ん、ああ、なんだ?」
離れで本を読んでいるところに、東田がやってきた。
しかしこの離れ、もともと手狭なうえに家具もいくらかあるので、さすがに二人入るとちょっと狭い。
「ここだと狭いか、むこう移動する?」
「あ、いえ。ここで大丈夫です」
「そうか……」
そうは言ってもなあ……。
狭い室内、十七歳男女、二人きり。
これは――。
いやいや。内心でかぶりを振って煩悩を打ち払う。
「南くん?」
「え、ああ、なんでもない……」
浴衣姿の東田はいつもより艶やかにも見える。
「何でもないって、顔が赤いですよ。熱でも――」
「否! 断じて否!」
東田にというより、自分に一喝。しかし東田はすこし萎縮してしまった!
「……そう、ですか……」
やべえ、なんか俺が悪者だぞこのままだと。
咳払い。仕切り直して、問いかける。
「そ、それで。どうしたんだ?」
「……はい、それがですね」
しゅんとしたままの東田。
「――どうやら西野の軍勢がこちらを取り囲んでいるようです」
ほう。
それ先に言ってほしかったなあ……。
こんなコントやってる場合じゃないんじゃね……。
「……それは、そんなに落ち着いていられるようなことなのか……?」
「いえ、基本は大したことありません。脅しているだけなら。ただ向こうが攻め入ってきた場合、応戦してもらう、あるいは逃げてもらうことになるかもしれないので、覚悟と準備をしておいてください」
「覚悟て……」
覚悟の問題か?
覚悟があれば何とかなるのか?
……とりあえず十手は出しておくか。準備と言ってもそれくらいしかない。
「それでは私は母屋に戻ります。準備も終わっていないので」
「あ、ああそう……」
それでは、と言って東田は離れを去っていった。
嘆息。西野さん何やってんすか、としか言いようがない。
ジャージをジーパンに穿き替える。ジャージだと十手を差すところがないので。
準備体操でもしておくべきか、と思ったところで、
――ズン――
地鳴りがした。
さすがに面食らった。急いで十手を引き抜き、握る。
どうする、待機か、討って出るか。
別に誰かがなにか言ったわけでもないのに、無意識のうちに西野の襲来だと決めつけてしまったようだ。心音が、やけに大きく聞こえ始める。
つう、と汗が頬をつたう。
地鳴りは止まない。
――ズン――
ふと思う。
東田はどこにいる?
母屋か、それならいいんだが。
まだ庭だったら?
今まさに抗争に巻き込まれていたら?
――ズン――
また地響き。
いくら高位の字術士だとはいえ、所詮女子高生、成人男性に囲まれて攻撃されたら――。
「くそっ!」
離れを飛び出す。嫌な想像ばかりが募る。
音は母屋の正面方向。駆け足で建物を回りこみ、そして見る。
スーツ姿の屈強な男性――ヤのつく自由業っぽいお方数十名が、なだれこんできている。手に手に長ドスやらハジキやらをお持ちのようで、武器という武器が月明かりに照らされてぎらついている。
その先頭にいるのは、ひときわ目立つ白スーツの青年。
向かい合うのは、東田家当主、東田汰浪。手には見覚えのある小太刀。その横には、東田波奈。こちらも小太刀を逆手に持っている。
まさに空気は一触即発。そこにのこのこ入っていった俺、約一名。
会話が続いている。
「――だから何度も言ってるだろう、さっさと帰ってくれよ。当主によろしく伝えといてくれ」
「そうはいかねえ、俺にとってもこの討ち入りは重要だ。あんたの『筆』、もらっていくぜ」
「やらんよ。やるわけないでしょうが」
「じゃあ力づくでもらっていくまでだッ!」
白スーツが右手をさっと挙げる。それに応えるように、背後の軍勢が一斉に武器を構え、戦闘体制に入る。
「南くん、波奈を任せたッ!」
「え、あ、了解!?」
ドン、と東田をつき飛ばし、当主が踏み出す。同時に白スーツが手を振り下し、黒スーツ軍が走り出す。
俺はよろめく東田の手を引いて駆け出す。
角を曲がったところで、東田が手を振りほどいた。
「父上がっ!」
「バカ危険だ、行くぞ!」
「しかし!」
「ああやって指示した以上、きっと何か策があるはずだろ!」
「ありません!」
眩暈がした。
「……ないの?」
「おそらく。あそこで時間を稼ぎ、警察等の到着を待つつもりでしょう」
「んだよそれ……」
勝ち目はないと、そう言いたいのか。
防衛中心の持久戦に持ち込み、タイムアップを狙うというのか。
庭中には、甲高い金属音と重く曇った発砲音とが響き続けている。
この判断は別に、間違ってはいないだろう。
しかし……。
危険だ。いくら当主が強いと言っても、あの軍勢を一人で相手取るのは無理がある。いくら負けなければいいだけとは言っても、さすがに危険だろう。
だが、こうなった以上、引き返すわけにはいかない、ようにも思う。
しばし考え、結論を出し、告げる。
「――作戦に変更はない。東田、行くぞ」
「え、ちょ、ちょっと……」
再び手を引いて走り出す。
ぐるっと迂回し、縁側から屋敷に駆け込む。中には東田母と咲さん以下お手伝いさん数名が身を寄せ合って待機している。
手を放す。
「東田はここで待ってろ!」
反論したようだが、黙殺。というか自分の足音と呼吸音にかき消されて聞こえなかった。ただ、
「土足ッ!」
という東田母の怒号はハッキリと聞こえた。後で拭きます。ゴメンナサイ。
階段で二階へ駆けあがり、窓から門の方を見下ろす。
戦闘の音はすでに止んでいる。
親父さんと白スーツ、それから数人の黒服が残っているだけで、そこかしこに黒服が倒れている。親父さんと白スーツの手には光が灯っており、字術を使ったのであろうことがうかがえる。
あの人数を、倒したというのか。
一人で。
――これが、字術士。
常人には届かない、異常の領域。
俺だって飛び込んだばかり。右も左もわからない、ピッカピカの新参者。
だけどまあ、もうしょうがない。
ここまで来たなら、やるしかない!
「うっし……いくぜッ!」
窓枠を蹴って、飛び出す。
無理無理、マジで無理、と叫びたくなる心を押さえつけ、両足で着地。二階からとはいえ十分な衝撃が脳を揺らす。
着地場所は親父さんのすぐ後ろ。悠然と歩いてその左に立つ。親父さんはすでに肩で息をしている。相当きつそうだ。
「チッ、なんだてめえ、たった一人で援軍のつもりか?」
「まあそんなところだな、西野のクソガキ」
「な、んだとテメエ!」
クソガキ呼ばわりは、さすがに頭に来たようだ。まあ向こうの方が俺より背も高いしね。
「……南くん、どういうつもりだい?」
「どうもこうもねーっすよ」
腰から十手を引き抜き、白スーツに突き付けるように構える。
「南家当主、南彼方! 推して参るッ!」
「南、だと……? 馬鹿な。馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ! 南は滅んだ筈じゃなかったのか!」
「ここに生きているが?」
「く、そ……、くそっ!」
白スーツが袖で汗をぬぐう。一瞬の静寂のあと、踵を返し、悔しそうに吐き捨てた。
「撤退だ」
「若!」
「撤退だ!」
瞬間、白いフラッシュが目を焼く。
目を開けたときには、白スーツはおろか黒服さんも全員、いなくなっていた。
「ふうー」
どっこいしょとばかりに、どっかりとその場に腰を降ろす親父さん。その横に、俺も座り込む。というかへたりこむ。
「は、ハッタリって寿命縮む……」
心臓バクバクだ。
緊張、なんてもんじゃない。
あそこで退いてくれなかったら、本当に危なかったんじゃないか?
「はっはっは、たいした口上だったじゃないか」
心底可笑しそうに笑う東田父。
「いやあそんな。冷や汗ダラッダラですよ」
冗談抜きで。
「いやいや、さしもの西野も、あれには驚いてたね。……自分たちが絶やしたはずの血脈が、続いていたなんて」
「まあそうでしょうね」
苦笑する。当主とはいえ、字術はほとんど使えないのに。間違いなくあの白スーツの方が強い。
「ネームバリュー、っていい言葉ですね……」
親父さんと同時に笑う。
「さてそろそろ戻ろう。女衆が不安がってるだろうから」
「そっすね」
重い腰を上げ、玄関の引き戸をくぐった。
入った瞬間から修羅場だった。
「南くん!」「南さま!」
二つの怒号。
「あ、そうだった……」
やっば、すっかり忘れてた……。
「「あなたは!」」「どうしてそういう無神経なことができるのですか!」「どうして置いて行ったんですか!」
「いや、」
「土足で部屋に入ったのみならず、畳まで土まみれにして!」「私だって戦えます! 甘く見ないでください!」
同時に喚くなよ聞こえねーよ。
参った。頭を掻きながら、こう聞くしかなかった。
「……どうすれば許してもらえるんでしょーか」
まず東田母を見やる。
「そうですね……この際ですから、家中の掃除をお願いしましょうか」
「お、いいねえそれ。助かる助かる。もちろん字術でやってくれよ?」
「まじすか……」
悪乗り親父一名発生。きっついわそれ……なんの罰ゲームだよ……。
嘆息で肯定。……まあ飲まざるを得ないんだよな。
続いて東田娘を見る。
「んで? お前は?」
なんかすごい、むくれているオーラが出ているんだけど。
「……保留、です」
は? と聞き返す間もなく走り去る東田。
俺、なんかまずいこと言ったかな……。
「何してるんだい、南くん」
「え、あ、いやその、すみませんというかなんというか」
俺だって困ってるんですが。
「すまないと思うならさっさと追いかけなさい」
「は?」
「行けっつってんだよ、南家ご当主サマ」
東田父はあからさまににやにやしている。母の方も、笑いをかみ殺しているようだ。……何この、シュールな絵は。
これは、行かざるを得ない、かもしれない。
「はあ……じゃ、じゃあ、行ってきます……」
走り出す。とりあえず走り出してはみたものの……。
「……あいつ、どこにいるんだ?」
とりあえずあちこち探す。居間、台所、東田の部屋(さすがに中には入らなかったが)、エトセトラ、エトセトラ。
どこにもいないってどういうことだよ。
「ったく……探させるならもうちょいわかりやすいところにいろよな……」
悪態をつきながら再び庭へ……視界の隅に建物が見えた。離れだ。……いや、まさか。まさかまさか、なんで俺の部屋にいるってんだよ。ありえねー。
「でも一応、ってこったな……」
身体で覚える日本語、シラミ潰し。全部見ておくにこしたことはない。
離れのドアノブを回す――鍵がかかってない。慌てて出たから、忘れたような気がする。
「誰かいますかー、と」
当然、中には誰もいな――いた。部屋の真ん中にちょこんと正座している、東田波奈が約一名。
しばし絶句。
「……い、です」
「え?」
「……遅い、です」
「あ、ああ、すまん……」
え、俺が謝るの?
「んで、なんだ……どうしたら許してもらえますか―、っつー話の続きなんだけど」
東田は口を結んだままだ。
「要はあれだろ、お前も戦える、一人の字術士だ、ってことを覚えておけって話でしょ?」
返事がない。
「だからあれだ……家とかは関係ない、ってことだろ? 当主がいるから、下がってていいんじゃないかと思ったんだよ」
ただの屍のようだ。
「それに、仮にもというかモロにお前、女子だろ? さすがに心配だって。って……何とか言ってくれよ」
「…………名前」
「え?」
「そう思うなら……名前で、呼んでください……。家とか、関係ないなら」
そういう話なのか……?
まあ……それでこいつが納得するなら、それでいいか。
一呼吸置いて、目を見て告げる。
「あいよ、わかった。そいじゃ、よろしくな、ひが……波奈」
俺としても、若干くすぐったい。
「あ、は、はい。よろしくお願いします」
はにかむ東田……じゃなかった、波奈。
それを見てると、なんかこれで一件落着かなという気がした。
……まあこの戦いも、この選択も、すべて火種に過ぎなかったんだけどな……。