第一章 朱雀、あるいは十手と筆の話
第一章 朱雀、または十手と筆の話
字術士。
初めて聞く言葉だった。
母さんの遺言書に同封されていた手紙は、便箋5枚にも及ぶ大作だった。
遺産の話から親族の話からあったあとで、字術の話が書いてあった。
曰く。字術士とは、文字に秘められた意味を理解し、それを解放することのできる人のこと。江戸末期、南朱雀、東田青竜、西野白虎、北島玄武の四人の書家・学者たちが創り上げた、まさに魔法のような技術、だそうだ。
例えば、念を込めながら木片に「火」と書けば、その木片は燃え上がる――みたいな、らしい。
で、その開祖四家――って書いてあった――のうち、南の血を俺は引いているそうな。
親父は俺が二歳の頃に死んだ。病死、と聞いている。手紙によると、親父は字術士、母さんはただの書道家、だそうだ。
そして、母さんの手紙は、次のように締めくくられていた。
――母さんの部屋の桐の箪笥の、右上の引き出しの中にある金属片と、あなたのゲームソフト入れのアクリルケースの奥にある金属片を組み合わせて、母さんの部屋の金庫を開けなさい。きっと役に立つ。
――頑張ってね。
指示長いよ、とか。
何を頑張るの? とか。
いろいろ言いたいことはあるけど。
とりあえず俺は、生前、母さんの部屋だったところへ向かった。
……というのが、昨日までの話。
今はぼんやりと六限目、数学の授業。
五月の空気は頭をぼんやりさせるが、今日はいつもよりそれがひどい。
そんな感じで、今日の授業が終わる……。
放課後。というか、ホームルーム直後。
「南くん」
「あん?」
机の中の物をかばんに収めていた俺は、後ろから声をかけられ、振り返る。
声の主は東田波奈。クラスメートだったはず。才色兼備、加えてなんか家はものすごい金持ちのようで、恐ろしく広い日本屋敷に住んでいる。ご令嬢、という表現の似合う黒髪美少女で、口数は少なめながら信奉者というかファンが多い。非公式ファンクラブが存在するくらいだからな……。
で、そんな東田さんが、俺に何の用でしょうか?
「今日の放課後、お時間ありますか?」
ざわ、という効果音が聞こえた。気がした。
「え、……あ、おう。大丈夫だけど」
「じゃあちょっと……うちに来てくれませんか?」
ざわ、ざわ。教室中がざわめいている。なんだこれ。福本漫画かよ。
俺はというと、思わず絶句。さて、これはなんだろう何フラグだ?
「……だめ?」
「いや全然。いつでもOKっす」
即答してしまった。美少女恐るべし。
「じゃあ六時半に迎えに参ります……あ、お夕食はこちらで用意いたしますので……」
では、言うと、東田は踵を返し、平常運転の毅然とした足取りで教室をあとにした。
「おい、南!」
「んだよ」
絡んできたのはチャラ目の軽音部員、中田健太。普段からつるんでいるが、見た目に反して義理堅く、悪い奴ではない……はずだ。
「お前、いつから東田さんとそんなに仲良くなったんだ!」
ああ、忘れてた。
ファンクラブの創始者の一人じゃないか、こいつは。
そうだそうだ、と聞こえてくる。野次馬、さっさと散ってくれ。
「別に、しらねーよ。今までほとんど話したことなかったくらいだし」
「じゃあなんで! なんでいきなりお家にご招待だなんて!」
「俺が聞きてーくらいだよ……頭痛いから帰るわ。じゃーな」
「おい、南!」
無視。周りの人間を、好奇の視線を向けてくるやつもそうでないやつも、全部無視。こいつら、俺が喪があけたばっかだってこと、忘れてんじゃねーのか? 気を遣えって訳じゃないけど、俺だってまだ本調子じゃねーんだ。
そんなこんなで、帰宅。学校から自転車で十五分。
鞄を放り出し、畳敷きの自室に寝転がる。……十秒ほどで上半身を起こす。
机の上に、昨日発見した二つの金属片がある。組み合わせると、確かにぴったりくっついて、鍵になったのには驚いた。
しかしなぜか金庫を開ける気にはなれず。
そのまま放ってあったのだ。
「だけど……遺言だしなあ……」
どうすっか……開けるか。開けまいか。
しばらく考えた後で制服を脱ぎ、あとで出かけることも考えてジーパンとあまりよれていない黒のパーカーに着替え、母さんの部屋へ移動。
金庫は窓際の棚の下段にあった。鍵穴に鍵をさ差し……回す、回った。開ける。
桐……かな? の箱が一つ、ぽつんとおいてあった。
箱をそーっと取り出し、リビングへ。テーブルに箱を乗せて椅子に座る。
さらに何か仕掛けがあるのかとも思ったが、フタを持ち上げるとあっさりと開いた。中身は……、
「何これ。…………十手、ってやつ……?」
二またになった金属の棒。一方が長く一方が短い。握りの後ろには一房の毛と赤い石がくっついている。およそ高校生活どころか、現代日本での生活に一切縁がないであろう存在。
箱の中に、紙が一枚あるのに気がついた。
「えーっと……『父さんの形見です。肌身離さず持ち歩きなさい。母より』……意味わかんね……」
頭を抱え、テーブルに突っ伏す。なんで持ち歩くんだ、十手を。普通要るか? 十手だぜ、十手。わっけわかんね……。
突っ伏したまましばらく黙っていてみた。俺しかいない家の中、テレビもついていない。静寂というのがしっくりきすぎる。不気味なほどの静けさ。時計の針の音や家電のわずかな駆動音がやけに響いて聞こえる。
そしてそれを、破る存在は突然やってくる。
ぴんぽーん、と。インターホン。
「はい」
「東田です。迎えに……来ました」
「あ、ああ、はい。今、下に行くよ」
受話器を置く。
鍵と財布をポケットに突っ込み、しょうがないから十手を腰の後ろでベルトに差して一応パーカーで隠す。ハイカットのスニーカーを履いて、カギをかけてから一応確かめる。
マンションのエントランスをくぐると、黒塗のリムジンが止まっていた。
「ちょ……」
運転席のドアが開いて、黒服のスマートな青年が降りてきた。
「南彼方さまですね。こちらへ」
後部座席のドアを開けてくれた。なんというか、これは……。
「あ、ありがとうございます……」
乗り込む。後部座席の奥には東田波奈、その人が座っている。なんというかやっぱ美少女だ。しかも私服だ。うわやばいめっちゃ可愛い。どうする俺。どうしちゃうのよ!?
いや、どうもしないけど……。
車が発進。しばらく進んだころ、東田が口を開いた。
「今日は、急にすみません」
「いや……別に、晩飯、自分でつくるのめんどいし。むしろ助かった」
「そうですか……。……この度は、ご愁傷さま」
「いやいや、いいって、気を遣わなくて。フツーにしてほしい」
「普通……」
「うん」
「そうですか……」
それから屋敷に到着するまで、東田は口をきかなかった。
俺、なんか悪いこと言ったのか?
夕食。
父上はちょっと忙しいから、と言われて、二人で夕食。和食。豪勢。普通に料理屋で食うようなものだった。
そして今。
ここは旅館か? と聞きたくなるような広い広い風呂に独り浸かっている。
効果音としてはそう、カポーン、って感じだ。わかってもらえるか?
さて。
考えるのはやはり親のこと。そして字術のこと、あとは東田のこと。
父親は俺が二歳の頃に他界。母親の手紙によると、字術士だったそうだ。でも俺はよく覚えてない。
母親は、そこそこ名の知られた書道家。その影響で、俺も時々書を書いたりはする。普段の字はすごい雑だが、筆を握ると別人だと言ったのは誰だったか、小学校の時の先生かな。んで、その母親は先日、交通事故により他界。
字術。よくわからん。割愛。
東田。確か、母さんの手紙の中の、開祖四家に名前が入っていた気がする。これは偶然だろうか?
まあとりあえず。
「そろそろ上がるか……」
ガチャッ
「お湯加減は……?」
「のおおおおおおおっ!」
東田波奈、降臨。
「ちょ、おま、東田! 急に開けんじゃねえ!」
「え、あ、すみません……」
「ゆ、湯加減なら大丈夫だ、すごいいい感じ。うん。だからもう……」
「お背中流しましょうか?」
「すいませんでした!」
水中で土下座の勢いである。俺、何かしたんだろうか。嬉しいが素直に喜ぶのはまずい気がする!
「い、いや、遠慮しとくわ。もう上がるし」
「そう……」
扉を閉めて出ていく東田。
「危機は去った……、か?」
湯あたりする前に上がるとしよう。全身がやたら熱いので。
なんと着替えが用意してあった。インナー類と、浴衣。
旅館か、と内心で突っ込みながらもおとなしく着る。ちなみに浴衣とかの和装の着付けは俺の数少ない特技の一つ。十手はしかたないので、帯に差した。
客間に戻ると、なぜか東田と、にやにやしたオッサンがいた。
「お、来た来た。南彼方くん、だね」
「え、あ、はい」
「俺は東田家当主、東田汰浪。よろしく頼むぜ、南家当主さん」
「と、当主……?」
「おやおや、まさか知らんとは言わないだろう? 俺もキミも、字術開祖四家の血を正当に継ぐ者。先代・南猛亡き今、キミのみが南の生き残りだ」
ああ……母さんの手紙のアレか。
あれは……本当だったんだな……。
んで……一体俺はどこへ流れていくんだ?
「ということは、父さんと知り合いですか?」
「知り合いも何も、長いこと共闘したよ。良い呑み友達だったしね」
「はあ……」
「それにしても、あいつが殺されてもう十五年……」
「そうですね……ん?」
今なんか、流しちゃいけないワードを聞いた気がする。
「殺されて……? 父さんは、病死じゃなかったんですか?」
「ああ、うん。違う。あいつは殺されたんだ。開祖四家のひとつ、西野によってね」
さすがに思考停止。
え、これはあれですか。病死だと思っていた父親が、実は悪の組織の陰謀で殺されていたのでした的なにかか。
そうかそうか、大変だなあ。
――って流せるか!
そこからの話は長くなった。
話し終えたときには、日付も変わっていた。客間で横になってもしばらく眠れなかった。
まとめるとこんな感じだ。
西野家には野望があった。開祖四家の持つ「宝珠」をすべて集め、他の三家を根絶やしにすることで、西野家が字術の頂点に立つ。すでに北島家は攻撃され、宝珠を奪われ、当主は行方不明だそうだ。
父さんは襲撃を受けて命を落としたが、宝珠は奪われずに済んだとか。俺は字術に触れてこなかったので、西野の監視からは漏れているのが現状らしい。
字術のこと。この十手は「筆」と言って、字術士の力を強化するアイテムだそうだ。各家に一つずつ伝わる、大切なものらしい。
そして最後に。明日――いや、すでに今日か――から俺は、字術を教わることになった。素養のある者ならすぐ使えるようになるらしいが、さて、俺はどうなんだろう?
翌朝、午前七時。
「やっべ、忘れてた……」
今日は金曜日。
学校じゃん。
とりあえず、家に帰ろう。
「しかし……」
東田に何も言わないわけにもいかんな。
と、そこへ東田登場。というか、唐突に襖が開いたらそこにいた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
「朝食は摂られますか?」
「あ、ああそれなんだけどな、昨日は忘れてたけど、今日学校じゃん。だから一回家に帰って、と思ったんだよ。なんかごちそうになってばっかりで、悪い気もするしさ」
「そうですか、わかりました。ではすぐに車を手配しますね。あ、その浴衣は差し上げますので……」
では、と言って襖が閉まった。
中略。学校に到着。
略した部分は、家に帰って制服に着替え、かばんに教科書類を突っ込み、母さんの遺影に一応挨拶して、自転車を飛ばしてきたってところだ。面白みはない。
教室で朝食用の総菜パンをもそもそと食う。一人の食事はやはり味気なく感じる。
今日の放課後、再び東田邸にお邪魔し、字術を基礎から教えてもらうことになっている。十手は布の袋に入れて鞄の中にある。
いろいろなことがありすぎて、今日も授業に集中はできなかった。
今度の試験、若干まずいかもしれんな、なんて考えつつ。
初めて投稿する作品のため、至らない点も多くあるかと思います。ご意見、ご指摘、ご感想などお待ちしています。