第7話 トロイの壷――ロピア(lopir)
ヘリアン系第4惑星アルゴニーには、巨大な樹木が生い茂っています。その葉は、地球の樹木と同じ緑色です。そして幹は、地球の樹木の茶色に、少し緑色を混ぜた、抹茶色をしています。
アルゴニーには、私達が調査した地域を含め、至るところに巨木が密集したジャングルがあります。その理由は、アルゴニーが温暖なためだと考えられています。
私達が初めてアルゴニーに降り立ったところは、広大なジャングル「静かの樹海」でした。ここは、無人探査船が初めてアルゴニーに着陸した場所でもあります。ちなみに名前は「静か」ですが、実際にはそこかしこから動物達の鳴き声が聞こえる、とても騒がしい樹海です。
そのとき私達は、静かの樹海で、他の樹木より頭一つ飛び出た樹木を発見しました。丸く黄色い花をつける、ルニクラスト(luniclust)です。アルゴニーではありふれた樹木で、このルニクラストが頭一つ飛び出ていたのは、ただの偶然のようでした。
ルニクラストは、幹から太い枝を何本も伸ばし、その先端に黄色い花を房のようにいくつも咲かせます。私達はその枝に、何かがたくさんぶら下がっているのに、気がつきました。
ほとんどすべての枝に、サクランボのようなものが無数にぶら下がっていたのです。これが、ロピアを発見した瞬間でした。
ロピアは、デフォルメされた水滴のような形をした生物です。体長は5cmほど。両手に2~3匹乗る程度の大きさです。体色は樹木と同じ抹茶色。水滴のような体には、4本の細長い足と黒い2つの目がついています。足の先端は鉤爪になっていて、木を上るのに適していますが、代わりに地面を歩くのは苦手なようです。
オスとメスで、大きさに差はありません。ただし、オスは体の後ろ(水滴の丸い方)の肛門の両脇に、アリのあごのような一対の鉤爪を持っています。この爪の用途は、あとで述べることにしましょう。
ロピアの生涯は、そのほとんどが、枝にぶら下がった状態で過ぎ去ります。ロピアの寿命はアルゴニー時間で2年ですが、そのうち枝にぶら下がっていないのは20日程度です。
私達がロピアを発見したとき、彼らは長い紐で枝からぶら下がっていました。紐の長さは、彼らの体長の4~5倍、すなわち20~25cm程度です。
この紐の正体は、ロピアの口です。チョウやカなどが持つ、このような細長い口のことを、吻と言います。ロピアは、水滴のような体のとがった部分(私達は尖端と呼んでいます)から吻を出し、それを枝に突き刺していたのです。枝に突き刺さると、吻の先端が左右に割れ、中の白い管が露出します。この管で、樹液を吸うのです。
生涯のほとんどを枝にぶら下がって過ごすということは、生涯のほとんどを食事をして過ごすということです。しかし、彼らが枝にぶら下がるのは、食事をするためだけではありません。身を守ることも、理由の一つだと考えられています。
ロピアは体が小さいため、他の肉食動物に常に狙われています。数少ない地上を歩く日には、多くのロピアが虫や動物に食べられてしまいます。
では、枝からぶら下がっている状態では、どうでしょう。
地上を歩く大型の動物には、まず樹上のロピアの存在に気がつきません。仮に気がついたとしても、ロピアに手が届かないでしょう。
木を上る小型の肉食動物の場合、仮にロピアの存在に気付いても、やはりロピアに手が届きません。ロピアの体が、枝から20cm以上も離れているためです。吻を曲げようとしても、吻は硬く、ほとんど曲がりません。最近の研究によると、ロピアが力をこめることで、吻が硬くなるそうです。そのため、ロピアが寝ているなどして、敵の接近に気付くのが遅れると、食べられてしまいます。
木に上る大型の肉食動物の場合は、20cm程度なら手が届きますが、そのような動物はそもそも小さなロピアに興味を示しません。どうしても食料が得られないときは手を出す姿が確認されていますが、温暖なアルゴニーでエサが不足することはほとんどありません。
そもそもロピアは、色が樹皮と似ている上に、ほとんど動かないため、発見されにくいという特徴があります。ロピアは枝からぶら下がり、じっとしているだけで、多くの危険を回避しているのです。
私達以外の研究チームも、別のジャングルでロピアの仲間を発見しました。どうやらロピアの仲間は、静かの樹海に限らず広い地域に生息しているようでした。そしてその多くが、比較的高い樹木で、数千匹の集団を作っていることがわかりました。
高い木を好むのは、外敵に見つかりにくくするためだと考えられています。実際、1本の木の中でも、上に行くほどロピアの個体数密度は増し、下に行くほど減ります。高いところの方が、見つかりにくいためでしょう(ただあまり高くに行くと、今度は鳥に見つかってしまうため、天辺付近は忌避されているようです)。
また数千匹の集団を作るのは、どの個体も木の好みが似通っているからだと考えられています。つまり、全員がこぞって高い木を選ぶため、結果的に集団になってしまうのです。
枝にぶら下がり続ける彼らの生活を、観察してみましょう。
ロピア達は、口を上に、お尻を下にしてぶら下がっています。4本の長い足は折りたたみ、体に密着させています。観察を続けても、見た目にほとんど変化はありませんが、数日に一度、排泄をします。彼らが高いところに行きたがるのは、上から落ちてくる排泄物を避けるためだとも言われていますが、その確証はまだ得られていません。
また、ごく稀に足を動かすこともあります。何のために動かすのか、いくつか説が出ているものの、まだよくわかっていません。ただの「伸び」ではないかとも、後々歩くときのために準備体操をしているのではないかとも、言われています。もし準備体操なのだとしたら、歩く時期の直前には動かす回数が増えるはずですが、今のところそのような研究結果は出ていません。
さて、そろそろロピアが歩くところを見てみましょう。彼らが歩く様子が初めて観察されたのは、繁殖のときでした。
ある日、ロピア達の約半数が、吻を縮め始めました。するすると枝に近付くと、足の先の鉤爪を枝に引っ掛け、吻を枝から引き抜きます。枝に掴まった彼らは、そこから幹の方へと移動を始めました。
このとき、枝に上ったのは、すべてオスでした。お尻に一対の鉤爪を持つロピア達です。ロピアの寿命は2年ですが、生後1年目から繁殖可能なため、すべてのオスが枝に上りました。
幹に到達したオス達は、お尻の鉤爪を使って、一斉に幹の皮を剥ぎ始めました。このとき耳を澄ますと、パキパキと小さな音が、無数に聞こえます。オス達は剥ぐと同時に、肛門から特殊な粘膜を分泌します。これは接着剤のように、樹皮を固める役目があります。
オス達は剥がした樹皮を粘膜で固め、自分の体よりも少し大きな壷を作ります。一つ一つの壷は小さいのですが、千を超す数のオス達が樹皮を剥ぐため、オス達が壷を作り上げる頃には、樹皮は根元付近から、すっかり剥がされてしまいます(しかも、多くのオスが試行錯誤を繰り返すため、実際に出来上がる壷の量よりも、多くの樹皮が剥がされます)。
オス達が壷を作り終える頃、メスが枝に上ってきます。オスはお尻の鉤爪で自分の壷を持ち、メスがやって来るのを待ちます。
この壷は、ロピアの卵のゆりかごとなります。メスはこの壷の中に、数百個の卵を産みつけるのです。そのため壷には、丈夫であることや、入り口の形がメスの体に合うことなどが求められます。
このままなら、彼らの繁殖活動はとても平和に終わるでしょう。オスは壷を持ち、メスがそれを品定めするだけなのですから。ところが、事はそう上手く運びません。
どうしても壷を上手く作れないオスや、自分が作った壷より綺麗な壷を発見したオスは、壷を盗もうとするのです。
壷を狙うオスと、狙われたオス。狙う方は、既に自分の壷を捨てています。狙われている方は、お尻の鉤爪で壷を持ちつつ、吻を収納している尖端を剣のように使い応戦します。その攻撃の隙を突き、相手の背後に回れたオスは、鉤爪から壷を奪い取ります。
このような攻防が、幹や枝のあちこちで起こります。壷を奪われたオスは、再び樹皮を剥ぎ、新しい壷を作ります。
無事に壷を守りきり、交尾を終えると、メスは壷の中に卵を産み、オスは壷の口に蓋をします。その壷は、ほかのロピアに奪われてしまう前に、地面へ落とします。このあとオスもメスも枝に戻り、ぶら下がり生活を再開しますが、一部はこの数日後死んでしまいます。寿命を迎えるためです。
壷の中の卵は、2日ほどで一斉に孵化します。ロピアの幼虫達は、成虫とは似ておらず、地球のイモムシに似た見た目をしています。色は白く、口も吻ではなく、硬いあごを持っています。大きさは数ミリメートルで、10日ほど壷の中で生活します。この間、幼虫達は壷の中に用意されたゼリー状のエサを食べます。これは、メスが卵と一緒に出したものです。
少しずつ成長し、ゼリーを食べ終え壷が狭くなった頃、幼虫達は壷の壁を食い破り、外に出てきます。わらわらと出てきた幼虫達は、方々に散らばっていきます。この時点では大きな樹木を目指したりせず、気のむくままに歩いていくようです。
やがて地面の柔らかいところを見つけた幼虫は、そこを掘って地中に潜ります。そこで彼らはサナギになり、7日前後で羽化、成虫となります。
ここで初めて、大きな樹木を探し始めます。辺りを見渡し、よたよたと歩き回り、幹が太い木を探すのです。無論、まだロピアのいない巨木を見つけることもあれば、既にロピアがたくさんいる巨木を見つけることもあります。どちらであっても、一度決めた木には、生涯ぶら下がり続けます。木を離れるのは、死んだときか、木が枯れたときだけです。
ところで、大量のロピアに寄生されて、木は平気なのでしょうか。もちろん、平気ではありません。
寄生された木が心配になった私達は、ロピアに寄生された木と、されなかった木の、健康状態や寿命などを追跡調査しました。その結果、寄生された木は次第に弱り、数年以内には枯れてしまうことがわかりました。これはもちろん、ロピアの数が多ければ多いほど、早くなります。
寄生された木にとって、これは百害あって一利なしです。ただ、周辺の木にとっては、むしろ良いことです。
巨木は、それだけ根も大きく、多くの栄養分を地面から吸い取ります。また、日光も遮ります。そのため、周辺の木々は栄養も日光も足りず、十分に成長できません。ロピアは巨木を枯らすことで、若い木々の成長を促しているのです。
しかし、木の方もやられてばかりではありません。最近になって、ロピアに一矢を報いる木が発見されました。正確には、既に発見されていた木が、ロピアに仕返ししていることが、明らかになりました。
その木の名前は、アンコーク(uncork)です。樹皮がとても滑らかなのが、特徴です。
樹皮が滑らかなので、ロピアが上れない……ということは、ありません。どんな幹であれ、ジャングルの木々でロピアが上れない木はありません。アンコークに上ったロピアは、その他の木に上ったとき同様、枝にぶら下がります。
アンコークが一矢を報いるのは、繁殖の時期です。
ロピアの繁殖期の直前、アンコークは枝に果実をつけます。その大きさも、形も、ロピアが作る壷に、よく似ています。厳密にはこれは「がく」(花が咲くとき、花びらを支える部分)で、果実は壷の底にあります。果実はゼリー状で、その中に小さな種子が入っています。
もしもロピアに寄生されていなかったら、果実はいずれ、地面に落下します。がくが、下を向いているためです。ゼリー状の果実は地面の落ち葉に付き、落ち葉ごと風に飛ばされたり、上を歩いた動物の体に張り付いて、遠くへ運ばれていきます。
では、ロピアが寄生している場合は、どうなるのでしょう。
繁殖の日、枝に上ってきたロピア達は、樹皮を剥ごうとはせずに、アンコークのがくをそのまま壷として利用します。ロピアが壷を自作しないのは、そもそもロピアの中に、他人の壷を盗もうとする輩がいたことを思えば、納得のことです。もし、誰のものでもない良い壷があれば、彼らはそれを使うのです。
ロピアのオス達は、アンコークのがくを持って、メスを待ちます。そしてどのメスも、このがくを気に入ります。早速交尾し、卵とゼリーを産みつけます。ロピアにとって、この壷型のがくは、アンコークからのプレゼントでしょう。
アンコークはどのような進化を経て、“プレゼント”を用意するに至ったのでしょう。
そもそもアンコークの花はとても大きく、それを支えるために強く丈夫ながくが必要です。受粉を終え花が散ると、がくが残り、中に実が出来ます。おそらく太古の昔、壷を作れなかったロピアの祖先が、このがくを利用したのでしょう。
アンコークにとって、がくがロピアに使われることは、とても都合の良いことでした。だから世代を経るごとに、よりアンコークが気に入る形に進化していったのです。
では、がくが使われることが、何故アンコークにとって都合が良いのでしょうか。
がくの中に生みつけられた卵は、そこで孵化し、10日ほど暮らします。このとき、幼虫達はメスが生みつけたゼリーを食べますが、そのとき何匹かは、一緒にアンコークの種子も食べてしまいます。
がくを突き破り、外に出た幼虫達は、地面の柔らかいところを見つけると、地中に潜ってサナギになります。
アンコークの種子は、ロピアがサナギになっている間に、芽を出すのです。アンコークの芽はロピアの体を養分として吸い取り、成長します。
多くの植物は、自ら動き回ることが出来ません。そのため、種子を遠くに飛ばすために、あの手この手を尽くします。アンコークは、自身に寄生する虫を逆に利用して、種子を遠くに運ぶのです。