第6話 第六感――ヘアスレッド(hairsled)
エスカンド系第1惑星ワイリアには、「湿洋」と呼ばれる巨大な湿原があります。これが「湿原」ではなく「湿洋」と呼ばれる理由は2つ。1つめは、とても巨大であること。2つめは、ワイリアには海が存在しないことです。そこで、「湿原(moor)」と「海洋(mar)」をあわせた「湿洋(marmoor)」という単語が生まれました。
ヘアスレッドは、惑星ワイリアに3つある湿洋のうち、南半球にあるファン湿洋に生息しています。青白い植物が一面に広がるファン湿洋の中で、その青白い背景に隠れるように、白っぽい塊が動いていることがあります。それが、ヘアスレッドです。
ヘアスレッドは体中に剛毛を生やし、偏平な形をしています。剛毛はほとんどが白色ですが、所々に黒い毛が生えているため、まだら模様になっています。
私はヘアスレッドを見たとき、「巨大な白いゾウリムシ」と表現しました。これは同僚達には不評でした。ですが、形も動きも似ています。
ヘアスレッドの体長は、およそ50cm。常に地面にうつ伏せていて、その高さは20cm程度。2本の足で地面を蹴り、滑って移動します。湿洋は深さ数cmの水溜りですが、その底は軟らかな地面になっているため、滑ることが出来るのです。滑りやすくするために、全身を覆う毛も、お腹には生えていません。
全身が毛に覆われているため、顔が見えません。私達は初め、これで目が見えているのだろうか、と心配になりました。ところがすぐに、ヘアスレッドには目がないことが判明しました。ヘアスレッドの体の前方には、口があるだけなのです。
目がなくて、どうやって周りの様子を知るのでしょうか。私達は初め、音で情報を得ているのだと、考えました。
地球でも、音で周りの様子を知る生物が、たくさんいます。例えば、イルカやコウモリがそうです。彼らは口から超音波を出し、反射してきた超音波を耳で聞くことで、周りの様子を探っています。
ところが調べてみると、どうやらこの仮説は間違っているようでした。
惑星ワイリアに生息する2本足の生物は、体の前後に、耳の穴が1つずつ付いています。これは前方だけでなく、後方の音も聞きやすくするためだと、考えられています。
ところがヘアスレッドは、地面にうつ伏せになっているため、体の前についている耳の穴が、なくなっているのです。つまり、ワイリアの他の生物に比べ、聴力が劣っていることになります。実際、ヘアスレッドを捕まえて聴力を調べたところ、私達人間よりも、劣っているようでした。
ですが、これでは困ったことになります。第一に、ヘアスレッドは草食動物であり、肉食動物に襲われる危険のある生物だということ。周りの様子がわからなければ、肉食動物に狙われても、察知することが出来ません。
第二に、ヘアスレッドは通常、50~60匹の群れで生活していること。移動する群れにはぐれずに付いていくには、仲間同士でコミュニケーションを取る必要があります。ヘアスレッドはどうやって、コミュニケーションを取っているのでしょう。
正解は、音でも光でもなく、匂いでした。
先ほど、ヘアスレッドの体の前方には、口しかないと書きました。実はこの口に、鼻としての機能もあったのです。口を大きく開け、息を吸い込むことで、辺りの匂いを嗅ぎます。それによって、ヘアスレッドは食べ物の場所や、近くの肉食動物の存在を知るのです。
50~60匹のヘアスレッド達が、次々と大きく口を開けて匂いを嗅いでいる様は、まるであくびが伝染しているようで、私達はとても癒されました。
そんな癒し系のヘアスレッド達の生活を、観察してみましょう。
先述の通り、ヘアスレッドは50~60匹の群れで生活しています。ヘアスレッドの住むファン湿洋は、無数の青白い植物で埋め尽くされています。ほとんどが、水面に浮かんだり、水底を這う植物です。そして所々に、高さ30~50cmの草や、大きな樹木が生え、狭い林になっています。
ヘアスレッドが好むのは、樹木に生る果実です。ただし立ち上がることが出来ないので、自分達で高い樹木の上の果物を取ることは出来ません。どうするのでしょうか。
ヘアスレッドの群れが、ある樹木の根元に集まりました。シリア(sylear)という、透き通った花を咲かせる大きな樹木です。そこには、穴の空いたシリアの果実がたくさん落ちていました。ヘアスレッド達は、それを食べ始めました。
どうして、果実が都合よく落ちていたのでしょうか。その答えは、樹上にあります。
シリアの上には、ピンプ(pinpe)がいました。4枚の翼を持つ、地球の鳥に相当する動物です。ただし、見た目は鳥よりも、魚に似ています。大きさは、魚のアジくらいです。
ピンプは、丸みを帯びた小さなクチバシを持っています。クチバシの先端には長さ数cmの針が付いていて、それでシリアの果実を突き刺します。針を引き抜くと、中から果汁が出て来ました。ピンプはクチバシで果実を枝からむしり取り、頭を上に向けて、その果汁を飲みます。そして、果汁を飲み終わった実は、そのままシリアの根元に落とすのです。
穴の開けられたシリアの果実からは、匂いが発されます。ヘアスレッド達は、この匂いを辿って、シリアの根元にやって来たのです。残念ながら、どんな匂いなのかは、よくわかっていません。匂いの成分は分析されていますが、地球上にない物質であり、人体に無害かどうかも、わかっていないのです。
ヘアスレッドは、シリア以外の果実も食べます。ピンプを初め、様々な生物が、色々な理由で果実を落としていくのです。もちろんこの果実は、ヘアスレッドに限らず、木に登るのが苦手な動物達が、たくさん狙っています。普段は争うことはありませんが、果実が少ない時期などは、争って食べることもあります。
次に、ヘアスレッドの求愛を見てみましょう。
惑星ワイリアの生物には、性別が1つしかありません。地球の生物のようなオスとメスの区別がなく、しかし、繁殖するためには交尾が必要なのです。
ヘアスレッドは1年に数度、繁殖可能になります。この繁殖可能な時期と期間には、個体差があります。たまたま、繁殖可能な期間が重なったもの同士で、交尾します。ヘアスレッドは50~60匹の群れで生活しているため、繁殖可能な個体が必ず何匹かおり、その中で交尾をするのです。
では、その繁殖可能な相手は、どうやって探し出すのでしょうか。やはり、匂いでしょうか。
私達はずっとそう思い込んでいました。しかしのちに、どうやら違うらしい、とする研究結果が発表されました。
その研究では、ヘアスレッド自身が発する匂いを調査しました。ヘアスレッドは群れで行動しています。ならば、いち早く天敵を発見したヘアスレッドが、それを匂いで仲間に伝えているはずです。また、繁殖の相手を探すためにも、自ら匂いを発しているはずです。その匂いを捕らえようという研究でした。
ところが、いくら調べても、その匂いを捕らえられませんでした。ヘアスレッドは匂いで周囲の様子を把握しているはずなのに、これはいったいどういうことか、私達も興味を覚えました。
ヘアスレッドには目がありません。全く視覚がないことは、既にはっきりしていました。耳でコミュニケーションするには、音を発する必要がありますが、ヘアスレッドはほとんど鳴きません。また、水音を立てることもありません。移動するときですら、水底を歩かずに滑って進みますし、体が毛に覆われているため、ほとんど音がしないのです(音がしないのは、肉食動物に発見されにくくするためだと、考えられています)。
すると残る候補は、触覚か、味覚です。
触覚を使うには、例えば湿洋の浅い水面に波を作ったり、息で風を起こしたりして、交信する手段があります。しかし、ヘアスレッドが意図的に波を作る様子も、呼吸の仕方を変える様子も観察されなかったため、否定されました。
またヘアスレッドの口には、嗅覚を感じる細胞はあっても、味覚を感じる細胞はほとんどありませんでした。仮にあったとしても、離れた相手と味覚で交信する手段が、私達には思いつきませんでした。
五感のすべてが、候補から下ろされてしまいました。こうなると、多くの研究者が、様々な説を出しました。
真っ先に出てきたのは、熱で交信するという方法です。体のどこかから熱を出し、それで仲間とコミュニケーションを取る方法です。調べてみると、繁殖可能な期間には、やや体温が上昇することがわかりました。しかしそれ以外のときでは、体温は常に一定でした。熱を発する器官も、見つかりませんでした。
電磁波を出しているのではないか、という説も出ました。私達が声を出すように、ヘアスレッドは電波なり紫外線なりを出しているのではないか、とする説です。ですが、私達が電波や紫外線を感知するカメラでヘアスレッドを撮影したところ、特に何も出していないことがはっきりしました。
問題の研究で使われた、匂いを測定するセンサが弱かったのではないか、とも考えられました。研究で使われたセンサよりも、ヘアスレッドの嗅覚の方が鋭ければ、ヘアスレッドが発する匂いを捕らえられなかった可能性があります。
この仮説は一見、正しいように思われました。そこで、研究を発表したチームはすぐに、シリアの果実の匂いを、センサで感じられるギリギリまで薄め、ヘアスレッドの周りに漂わせました。もしヘアスレッドの嗅覚がセンサよりも鋭ければ、必ず匂いに反応するはずです。
結果は、否定的なものでした。ヘアスレッドは、その匂いを感じることが出来なかったのです。センサで捕らえられる以上の匂いを、ヘアスレッドは嗅げないようでした。
ではヘアスレッド達は、どうやってコミュニケーションを取っているのでしょうか。何か、私達地球生物が持っていない第六感が、ヘアスレッドには備わっているのでしょうか。
この謎は、ヘアスレッドを観察し続けることで、解き明かされました。
ヘアスレッドを観察していた私達は、ある現場に遭遇しました。ヘアスレッドが生息するファン湿洋には、所々深くなった、湖のような場所があります。ヘアスレッドの群れはそこに辿り着くと、湖の中に入っていったのです。
水深10cm程度のところまで入ると、ヘアスレッド達は口に水を含みました。そして仰向けになると、その水をお腹にかけたのです。かけながら、短い足を一生懸命伸ばして、お腹をさすったりもしました。
その光景を見て、私達は直感しました。おそらくお腹になんらかの感覚器官があり、これは、その感度を保つための入浴に違いありません。
早速私達は、当時既に捕まえていたヘアスレッドを仰向けにして、お腹を調べました。その結果、ヘアスレッドのお腹には、一面にある感覚が存在することがわかりました。
それは、味覚でした。
さらに、毛の生え際には小さな穴が無数にあり、そこから“味”が出てくることもわかりました。
つまり、こういうことです。
ヘアスレッドは、天敵の存在に気付いたり、交尾の相手を探したりするときに、湿洋の水の中に化学物質を出すのです。そしてこの物質を、お腹で捕らえていたのです。
交信に使う物質は、これまでに5種類見つかっています。ヘアスレッドは、これらを組み合わせて、何通りもの意味を作っています。例えば、スウィルシンという物質は、果実の匂いを感じたときに放出されますが、スウィルシンとウーインが同時に出されると、求愛の意味になります。私達がアルファベットを組み合わせて単語を作っているように、ヘアスレッドは味を組み合わせて意味を作っているのです。
どうしてヘアスレッドは、自慢の嗅覚を使わず、わざわざ味覚に頼ったのでしょうか。これは、天敵に見つかりにくくするためだと考えられています。
ヘアスレッドは常に寝そべっていて、その高さは20cm程度です。ちょっと背の高い草むらに入ってしまえば、もう周りからはその姿が見えません。なのにここで匂いを出してしまっては、隠れた意味がありません。
ヘアスレッドが出す味成分は、すべて水に溶けやすく、無臭です。そのため、水を飲まない限り、近くにヘアスレッドがいると気付かれる恐れはありません。また水を飲んだとしても、その味がどの方向から流れてきたものか、知るのは困難です。ヘアスレッド自身は、お腹一面に味覚があるため、どちらから味が流れてきたのか、簡単にわかります。
さらに調べてみると、モテるヘアスレッドの条件は、味覚が鋭いことでした。繁殖可能なヘアスレッドは味を出しますが、その味はとても薄いのです。自分が出しうる最も薄い味を出し、その味を感じられた相手とのみ、交尾するのです。
仲間同士でどれだけ交信しても、決して天敵に居場所を知られないこの方法を、私達は見事だと思いました。
ただこの方法には、欠点があります。それは、交信の速度がとても遅いことです。
うっかり群れからはぐれてしまったヘアスレッドは、「迷子になったので探してください」と味を出します。ところが多くの場合、仲間に見つかるよりも早く、肉食動物に見つかってしまうのです。運良く逃げ切れることもあれば、そのまま捕まってしまうこともあります。
もっとも、捕まったからと言って、必ずしも食べられてしまうとは限りません。
肉食動物に捕まった瞬間、ヘアスレッドは、ピクアインという物質を出します。これは、強烈に刺激的か、猛烈に不味いかの、いずれかだと考えられています。何故なら、ピクアインを出した途端、ほとんどの肉食動物が、ヘアスレッドを放すからです。
交信にも攻撃にも使えるこの方法を、私達は見事だと思いました。
ただこの方法には、欠点があります。それは、ヘアスレッド自身も、ピクアインに悶絶することです。