第5話 白と黒――パイライフラワー(pileiflower)
パイライフラワーは、エスカンド系第1惑星ワイリアに生息する、青白い植物です。茎も、葉も、花も青白い見た目は、惑星ワイリアの植物に共通する特徴です。
パイライフラワーは、高さ最大40cm程度で、キノコのような形をしています。キノコの傘のような部分が、パイライフラワーの花です。花の直径は、大きなもので30cm。表面が少し濡れていて、飛んできた花粉が付着するようになっています。
花と言っても、地球の植物の花とは、少し役割が異なります。パイライフラワーの花は、地球の植物と違って、光合成が可能です。また、養分を蓄える役割もあります。養分を蓄えた花は肉厚になり、厚さは5cmほどになります。この肉厚な花が、パイライフラワーをキノコのように見せる原因でしょう。
花の裏面には、種子が貼り付いています。数は50~60個。米粒のような形をした小さな種子で、花と同じ青白い色をしています。
また、花のすぐ下には、一回り小さな若い花がいくつか咲いています。若い花の表面は濡れておらず、代わりに、花粉が付いています。風が吹き、パイライフラワーが揺さぶられると、この花粉が飛んでいく仕組みになっています。若い花には養分を蓄える役割はなく、厚さは1cmもありません。
パイライフラワーの花は、太く真っ直ぐな茎の上に咲いています。茎には、花の陰に隠れるように葉が生えています。葉の形は楕円形。枚数は特に決まっていませんが、10~20枚くらいのようです。葉も青白く、光合成が可能です。
さてここで、「光合成」について、少し説明しましょう。
地球の植物は、地中から吸い取った水、大気中から吸収した二酸化炭素、そして降り注ぐ日光を利用して、養分を作り出すことが出来ます。地球生物学では、これを光合成と呼びます。
宇宙生物学では、植物が太陽光を利用して養分を作り出すことを、光合成と呼びます。太陽光さえ使っていれば、水や二酸化炭素を使っていなくとも、光合成と呼ぶのです。
惑星ワイリアの植物は、水と日光のほか、地中から吸い取った硫黄化合物やヒ素化合物を使って、光合成を行います。地球の植物のように、大気中の成分を利用しないのは、ワイリアの大気が薄いためと考えられています。
パイライフラワーの葉は、花の陰に隠れ、あまり太陽の光が当たりません。これで、光合成が出来るのでしょうか。
心配には及びません。惑星ワイリアは、太陽にとても近いため、降り注ぐ光や放射線が、地球のそれよりとても強いのです。少し隠れるくらいの方が、かえって都合が良いようです。
惑星ワイリアの植物が、みな青白い色をしているのも、太陽に近いことが原因です。青白い色は、多くの光を反射する色なのです。いえ、多くの光を反射しているからこそ、青白いのです。
そもそも、物体の「色」は、その物体が反射している光の色です。赤いリンゴは、赤い色を反射し、他の色を吸収しているため、赤く見えます。もし全ての色の光を吸収したら、その物体は黒くなります。反対に、全ての光を反射すると、その物体は白くなります。惑星ワイリアの植物は、多くの光を吸収し過ぎないように青白く進化したと、考えられています。
さて、ここまで少し触れた通り、惑星ワイリアは太陽に近いため放射線が強く、また、大気が薄くなっています。大気が薄いため、昼夜の温度差が激しく、最大で100℃を超えます。このように、ワイリアは生物にとって過酷な環境のため、実際に生物が発見されるまで、ここに生物がいるとは考えられていませんでした。ワイリアは、生物が“ゆりかご”でなくとも誕生し得ることを初めて示した惑星です。
惑星ワイリアを上空から眺めると、海が無いことに気が付きます。代わりに、荒涼とした赤や茶色の大地と、白い平野が見えます。初めてワイリアの様子が撮影されたとき、この白い部分は一体何か、物議を醸しました。白ですから、海ではないはずです。石灰石か塩分ではないか、という意見が多数を占めましたが、真相は異なりました。
無人探査艇が着陸した結果、白い部分は湿原であることが判明したのです。湿原を塗り潰す白は、湿原にびっしりと生える無数の植物の色でした。
この湿原は、とても広大です。最も広い湿原は、地球の大西洋がすっぽり入る大きさです。そのため、ここは水深数cmの浅い海だとする主張が生まれました。ここが海洋か湿原か、揉めに揉めて、最終的に「湿洋(marmoor)」という新しい名詞が生まれました。
湿洋は、全部で3つ。北極圏を取り囲むドーナツ型の「リング(ring)湿洋」、南半球にある扇形の「ファン(fan)湿洋」、そしてワイリアを縦断する最大の「エル(el)湿洋」です(エル湿洋は、北エル湿洋と南エル湿洋に分けることもあります)。これらの湿洋の総面積は、ワイリア表面の60%を占めます。そして、ワイリアの生物のうち90%以上が、湿洋に生息していると考えられています。
パイライフラワーが生息しているのは、南半球にあるファン湿洋です。
ファン湿洋は、温暖な気候をしています。日中の最高気温は、季節にもよりますが、おおよそ60℃。夜間の最低気温は20℃前後です。温度の変化が40℃程度と小さいのは、ここが湿洋だからです。大量の水には、温度の変化を和らげる働きがあるのです。
パイライフラワーは、1か所に5本程度で群生しているのが普通です。少し距離を空け、狭苦しそうに大きな花を開いています。肉厚の花は、触ってみると軟らかく、寒天のようです。
茎はしなやかで、風が吹くと、パイライフラワー全体がゆさゆさと揺れます。それに合わせて、傘の下から黄色っぽい花粉が飛んでいきます。群生しているすぐ隣のパイライフラワーに付着する花粉もあれば、どこか遠くへ飛んでいってしまう花粉もあります。
ちなみに、惑星ワイリアの生物には、性別が1つしかありません。地球の植物は花粉の中に精細胞、雌しべ(胚珠)の中に卵細胞を持っていますが、ワイリアの植物は1種類の生殖細胞しか持っていません。パイライフラワーは、花粉の中と花びらの中に生殖細胞を持っていますが、これはどちらも同じものです。ただし、花粉を作るのは若い花だけで、花びらの中に生殖細胞を作るのは一番上の老いた花だけです。
パイライフラワーは、地球の植物同様、自ら動き回ることは出来ません。そのため種子を遠くへ撒き散らすのに、他の生物の力を借ります。地上を歩き回る動物や虫、空を飛ぶ鳥など、様々な生き物を、パイライフラワーは利用します。
私達の観察中、最もよく見た生物の1つは、トライコーダ(tricauda)です。地球の鳥に相当する生物で、細長い流線型の体をしています。見た目は、鳥よりも、魚に近いかもしれません。地球の鳥のような首や尻尾がなく、胴に直接付いた長い頭と、4枚の羽、そして先端で3本に分かれた細い尻尾が特徴です。
4枚の羽の内訳は、胸の辺りにある大きな2枚の羽と、尾の手前にある小さな2枚の羽です。ちょうど、飛行機の主翼と尾翼のような位置関係にあります。大きな羽を広げると、1m以上にもなります。どの羽にも、真ん中にコウモリのような鉤爪があります。足はなく、木の枝に止まったり、地面を歩いたりするときは、4枚の羽を使います。
トライコーダは、大きな口を持っています。口の中には、植物を噛み千切ったり、すりつぶしたりするのに適した歯が並んでいます。トライコーダは草食なのです。
パイライフラワーの近くに、トライコーダが降り立ちました。緑色の4枚の羽で四つん這いになり、白い頭を持ち上げます。視線の先にあるのは、パイライフラワーです。湿洋を埋め尽くす他の植物には見向きもせずに、パイライフラワーに歩み寄りました。
トライコーダが前の2枚の羽で、パイライフラワーの茎を掴みました。赤ん坊のように掴まり立ちをします。パイライフラワーの茎はしなやかなのでバランスを取るのは難しそうですが、トライコーダは後ろの2枚の羽と細い尻尾で器用に体を支えます。茎を持っていた羽を片方だけ離し、パイライフラワーの花に鉤爪を引っ掛けました。そして大きな口を開けると、肉厚な花びらを食べ始めました。
パイライフラワーの花には、養分を蓄える役割があります。動物達は、この養分目当てで、花を食べるのです。つまりパイライフラワーの花には、果実としての役割もあると言って良いでしょう。
2枚の羽と尻尾で立った姿勢で、トライコーダは花を食べ続けます。どのような味がするのかは、残念ながらまだ分かっていませんが、彼らにとっては美味しいのでしょう。トライコーダはあっという間に花の半分ほどを食べてしまうと、再び、4枚の羽で空へ飛び立っていきました。
ファン湿洋をよく観察すると、齧られた跡のあるパイライフラワーが、たくさん見つかります。パイライフラワーの花の裏には、種子がびっしり付いていました。動物達は、花と一緒に種子を飲み込み、どこかで糞をするときに、種子をばら撒くのです。特にトライコーダは、ファン湿洋の至るところで見かける生物なので、種子をばら撒くのにうってつけのパートナーなのでしょう。
トライコーダが、再びパイライフラワーの近くにやって来ました。今度も、他の植物には目もくれず、パイライフラワーにかぶりつきます。トライコーダが肉厚の花びらを噛み千切るたびに、パイライフラワー全体が揺れ、若い花から花粉が飛び散ります。トライコーダの羽毛にもその花粉が付きますが、彼らはお構いなしのようです。パイライフラワーにとっても、トライコーダの体に花粉が付いた方が、より遠くまで花粉を運べる利点があります。
こうして、次々と動物達に食べられた結果、パイライフラワーの花はほとんどなくなってしまいます。
9割以上食べられ、ほとんど中心部分しか残っていない花は、この後どうなるのでしょう。
一番上の花が食べられると、そのすぐ下の若い花が、成長を始めます。次第に大きく、肉厚になり、表面が濡れてきます。次はこの2番目の花が、果実の役目を担うのです。そして中心部分しか残っていない花は、落葉のように枯れ落ちます。
ここで2つ、疑問が沸きます。トライコーダは何故、パイライフワラーの花のうち、一番上のものだけ食べたのでしょう。それに、他の植物には目もくれず、パイライフラワーだけ目指したのは、何故でしょう。
正直に告げると、私達は当初、この2つの事柄を全く疑問に思っていませんでした。一番上のものを食べるのは、それが肉厚だから。パイライフラワーを目指したのは、トライコーダがそれを好む生物だから。何か深い理由があるなどと、思ってもみませんでした。
そもそもパイライフラワーは、そこまで私達の興味を惹く存在ではありませんでした。惑星ワイリアでよく見かける、ごく一般的な植物だからです。形がキノコに似ている点が、少し特殊でしょうか。
私達がパイライフラワーに興味を持ったのは、トライコーダがきっかけでした。
トライコーダの顔、ちょうど目がありそうな辺りに、銀色の円盤があります。大きさはコインほどです。おそらく、これが目だろうと、私達は考えました。しかしそうすると、1つ奇妙なことがあります。
銀色というのは、全ての色の光を反射する色です。物を見るためには、目は光を吸収しなくてはいけません。私達の瞳が黒いのも、そのためです(あなたの目がブルーでも、その中心には黒い部分があるはずです)。ではトライコーダの目は、一体何を、どうやって見ているのでしょう。
この謎を解くため、私達はトライコーダを1匹捕まえて、様々なカメラで撮影しました。可視光線で撮影するカメラのほか、赤外線、紫外線、放射線、電波など、様々な波長の光で撮影したのです。
私達が普段「光」と言うと、それは目に見える光(可視光線)のことを指します。しかし、実際には「光」とは、目に見えない光も指します。目に見えるか見えないかは、光の波長によって決まり、また波長が異なると、光の性質や名前も大きく変わります。波長の長い光には、例えば電波や赤外線があり、波長の短い光には、紫外線や放射線(X線、ガンマ線など)があります。
様々な波長でトライコーダを撮影した結果、X線を写すカメラで撮影したとき、トライコーダの瞳が黒くなりました。これは、トライコーダの目が、X線を捕らえていることを意味します。
そこで私達は、X線を写すカメラで、ファン湿洋の様子を撮影してみました。すると、面白い画像が撮れました。
X線で見たファン湿洋は、私達が肉眼で見たときの青白さとは異なり、少しだけ黒色をしていました。どうやら、惑星ワイリアの植物達は、X線をわずかに吸収するようです。
ところが、その中でも、真っ黒になっている箇所が点々とあったのです。
近付いて見てみると、そこにはパイライフラワーが咲いていました。それも、一番上の大きな花だけが黒く、他は白いままでした。トライコーダは、これを見ていたのです。
惑星ワイリアには、トライコーダ以外にもX線を見る生物がたくさんいます。彼らの瞳には、パイライフラワーだけが、非常に目立って見えるのです。地球の植物が、虫に見つけてもらうためカラフルな花を咲かせるのと同様に、パイライフラワーも動物達に見つけてもらうため、目立つ色をしていたのです。
ところが、他の植物はこの方法を採っていません。それは、この方法が植物たちにとって、とてもリスクが高いからです。
X線は、生物にとって有害です。特に、太陽に近いワイリアでは、X線を積極的に吸収すれば、生命に関わります。
ところが、パイライフラワーの祖先は偶然にも、そのX線を吸収する形質を得てしまいました。本来ならば、その体は生存に不利なはずです。しかし、どういうわけか生存競争に勝ち残ることができました。目立つ体のおかげで、他の植物よりもより多くの種子を、より広範囲にばら撒くことに成功したためです。
その後の進化の結果、パイライフラワーは、一番上の花だけがX線を吸収し、後の部分は反射する構造を手に入れました。おそらくパイライフラワーの花は、今後も世代を重ねるごとに、ますますX線を吸収しやすくなっていくでしょう――その方がより目立つため、より早く食べてもらえるからです。そして早く食べてもらった方が、体へのリスクが減るからです。
パイライフラワーは、生存に不利な形質を持っているにも関わらず、ファン湿洋の至るところに生息しています。