第3話 「脱出」――フィッシマトロン(piscimatron)
トカゲのように、自分の体の一部を切り離して身を守ることを、「自切」と言います。ヘリアン系第4惑星アルゴニーに生息するフィッシマトロンも、似たような方法で身を守ります。
フィッシマトロンは、地球の魚に相当する生物です。大きさはまちまちですが、私達が最初に発見したフィッシマトロンは、頭から尾ビレの先までが30cm程度でした。大きなものでは40cm程度、小さなものでは10cm程度のものもいます。体色は白。フグのように丸っこくて、ずんぐりむっくりした体つきです。正面から見ると、半球状の眼と小さな口が付いた愛嬌のある顔が楽しめます。口にはヘラのような歯が生えていて、これで海草を齧って食べます。
アルゴニーの魚には、共通して、硬い胸ビレと2枚の尾ビレが付いています。フィッシマトロンにも付いており、三角形の胸ビレが両脇に、スキューバダイビングで使うフィン(足ひれ)のような尾ビレがお尻についています。硬い胸ビレはほとんど動かすことが出来ませんが、代わりに2枚の尾ビレを器用に動かすことで、前進や方向転換はもちろん、急ブレーキや後退まで行います。胸ビレは、尾ビレを動かしたときに体が回転するのを防ぐ役割があると、考えられています。
私達がフィッシマトロンを最初に発見したのは、アルゴニーの海を、無人の探査潜水艦で調査しているときでした。
調査したのは、深さ5~8mの比較的浅く、赤道にほど近い温暖な海です。地球ならばサンゴ礁があるところでしょうが、アルゴニーでは、樹木のように巨大な海草が生い茂っています。海草は、それこそ樹木のような幹を持ち、そこから直接葉っぱを出しています。深緑色の幹には弾力があり、海水の流れにあわせ、ゆったりと揺れ動きます。葉っぱはやや赤みがかった緑色をしています。
まるで森林のように海草が伸びるこの一帯には、地球の森林同様、多くの生物が存在します。私達は、3機の無人潜水艦で、この一帯を調査していました。ちなみにこの無人潜水艦は、自律型ではなく遠隔操作型となっていて、私達は海上に浮かべた宇宙船の中から操作していました。
調査を始めてすぐに、私達はフィッシマトロンを発見しました。新種発見の瞬間です。付近に他の生物が見当たらなかったため(海草が生い茂っていて、見通しが悪かったのです)、私達はしばらくフィッシマトロンを追いかけました。
フィッシマトロンの白い体は、表面がわずかに透き通っているらしく、太陽の光を反射して水晶のように輝いていました。とても目立つため、私達は見失うことなく、追いかけることが出来ました。またフィッシマトロンの眼は、体の正面についているため、後方の様子がよく見えないようでした。
そのとき、突然海草の森から1匹の魚が現れました。平たい体をした獰猛な肉食魚、シャグリーンプレート(shagreenplate)です。エイのような幅広の体を、縦にすることで、生い茂る海草の間を素早く泳ぎ回ります。斜め上から飛び出してきたシャグリーンプレートは、無人潜水艦の目の前で、フィッシマトロンの背中に噛み付きました。
途端、フィッシマトロンは身をよじり、一瞬にしてシャグリーンプレートの歯牙から逃れました。
しかし、シャグリーンプレートはまだ、フィッシマトロンをくわえていました。
この事態に、私達は混乱しました。逃げたはずのフィッシマトロンが、まだ、シャグリーンプレートに噛み付かれていたのです。
もっとよく観察しようとしましたが、シャグリーンプレートは何事もなかったかのように泳ぎ去り、フィッシマトロンもいなくなってしまいました(シャグリーンプレートは見失ってしまいました)。
しばし呆気に取られた後、私達は、カメラの映像を巻き戻しました。その映像を観察することで、私達は事の真相を掴みました。
シャグリーンプレートに噛み付かれたあと、フィッシマトロンは身をよじりました。その直後、フィッシマトロンのお腹が割け、そこから一回り小さなフィッシマトロンが2匹、飛び出していったのです。
どうやら、フィッシマトロンのお腹の中には、「脱出用」の小さなフィッシマトロンが、常に入っているようでした。
また、シャグリーンプレートに噛み付かれたままのフィッシマトロンは、お腹から白い膜を垂れ下げていました。膜は割れた風船のような形で、私達はここに「脱出用」が格納されていたのだろうと考えました。おそらく、体内では袋状になっているのでしょう。
いったい、フィッシマトロンの体は、どうなっているのでしょう。あの小さなフィッシマトロンは、子どもなのでしょうか、それとも赤の他人なのでしょうか。もしくは、自身のクローンか何かなのでしょうか。
疑問を解決するべく、私達は、フィッシマトロンの捕獲に挑みました。
無人潜水艦には、カメラのほか、ロボットアームや吸引ホースが付いています。これで、発見した生物を捕獲することが出来ます。
先述の通り、フィッシマトロンの体は水晶のように輝くため、生い茂る海草の中でも簡単に見つけ出せました。背後から近寄り、ロボットアームでフィッシマトロンの体を鷲掴みにしました。結果は言うまでもありません。「脱出」されてしまいました。
それでも、収穫はありました。お腹から白い膜を垂れ下げた「格納庫」のフィッシマトロンが、手に入ったからです。私達は無人潜水艦を回収し、フィッシマトロンを宇宙船内に持ち込みました。
回収したフィッシマトロンは、既に衰弱しきっており、すぐに死んでしまいました。腹側が、尾ビレの付け根から口元までパックリ割け、内臓が零れ落ちていました。白い膜もぶら下がっています。白い膜は、袋を無造作に破ったような形をしており、予想通り、破れ目を繋ぎ合わせると袋になりました。袋は、「格納庫」の体の半分ほどの大きさがありました。
袋は、フィッシマトロンの体と太い血管で繋がっていました。私達は、アルゴニーの他の魚の調査結果から、この袋が地球の哺乳類の子宮に相当するものであることを知っていました。アルゴニーの魚は、胎生なのです(ただしへその緒はなく、子宮内に直接栄養分が分泌されます)。どうやら「脱出用」と「格納庫」は、赤の他人ではなく、親子かクローンであることに、間違い無さそうです。
そのことに確証を得るため、私達は「脱出」したフィッシマトロンを捕まえるべく、再び無人潜水艦を放ちました。
無人潜水艦には、ロボットアームだけでなく、吸引ホースもあります。これで、「格納庫」も「脱出用」も、同時に捕まえてしまおう、と作戦を立てました。
しかし、それでも、うまく行きませんでした。
吸引ホースで吸い込むことは出来ましたが、その直後、吸引ホースの口から「脱出用」のフィッシマトロンが飛び出してしまったのです。ホースの吸引力は、さほど強くありません。そもそも、体が柔らかく動きの遅い生物(地球のナマコのような)を捕まえるためのもので、フィッシマトロンのような素早く動き回る生物を捕らえることは、想定していないのです。
考えた末、私達は、2機の無人潜水艦で挟み込む作戦を取りました。
フィッシマトロンは「脱出」するとき、必ずお腹側から飛び出し、前方やや下向きに逃げていきます。ですので、後ろからロボットアームでフィッシマトロンを捕まえ、「脱出」したところを正面からホースで吸い込もうと考えたのです。
この作戦は、上手く行きました。「脱出」した2匹のうち、1匹を見事吸引し、捕獲用ケージへ閉じ込めることに成功したのです。
無人潜水艦を回収した私達は、半ば予想していた、しかし驚くべき状況を目の当たりにしました。捕らえたフィッシマトロンは1匹でしたが、捕獲用ケージの中には、瀕死のフィッシマトロンが1匹と、それより一回り小さなフィッシマトロンが2匹、入っていたのです。無論、瀕死のフィッシマトロンから、2匹が「脱出」したのでしょう。つまりフィッシマトロンは、「脱出」直後には、もう「格納庫」としての能力を有しているのです。
私達は、これ以上ケージの中にフィッシマトロンが増えても困るので、新しい水槽に移し変えたあと、電気を流して気絶させることにしました。これでも「脱出」する恐れはありましたが、無事、増えることなく3匹とも気絶させることに成功しました。
瀕死だった「格納庫」(こちらは、電気ショックで完全に死んでしまいました)と、元気だった「脱出用」の遺伝子を取り出し、私達は両者を比較しました。これで、3匹の関係がはっきりわかるはずです。
検査の結果、「格納庫」と「脱出用」は親子であることが判明しました。アルゴニーの魚は、通常、性別が2つの有性生殖を行います。しかし、フィッシマトロンは全てメスであり、メスだけで生殖を行うのです。
これは、特に驚くべきことではありません。地球でも、メスだけで生殖する生物の例は多数知られており、これを単為生殖と呼びます。単為生殖では、親と子の遺伝子が全く同じ場合もあれば、異なる場合もあります。フィッシマトロンの場合は、後者でした。
私達は、気絶しているうちに「脱出用」のフィッシマトロンの解剖を行いました。お腹を開くと真っ先に白い子宮が現れ、その中には既に2匹の子どもがいました。
まるでマトリョーシカのようなこの連鎖は、どこまで続くのでしょうか。私達がこのとき捕らえたフィッシマトロンは、最初にロボットアームで捕らえた「第1世代」から数えて、「第5世代」まで続きました。第5世代はまだ子宮が未発達で、妊娠できる状態ではありませんでした。現在の最高記録は「第8世代」であり、おそらくこれが上限だろうと考えられています。第8世代ともなると、第1世代の体長が仮に40cm以上あったとしても、5cm程度の大きさにしかなれないからです。
フィッシマトロンは、どんな進化を辿って、こんな防衛術を身につけたのでしょうか。私達は、そもそもフィッシマトロンの祖先に自切を行う習性があったのではないか、と考えています。それも、トカゲのように尻尾を切るのではなく、内臓を吐き出していたのです。地球でも、例えばナマコなどは、内臓を吐き出す習性があります。それがいつしか、子宮を吐き出し、自分ではなく子どもを護るように進化していったのでないか、と仮説を立てています。
ところで、フィッシマトロンの体は白く、また表面は水晶のように輝きます。これは、フィッシマトロンが生息する海草の森の中では、非常に目立ちます。同じ一帯に生息する他の被食生物(食べられる側の生物)は、あまり目立たず、探すだけでも一苦労です。
何故フィッシマトロンは、目立つ格好をしているのでしょう。それはおそらく、もともと自分(もしくは子)を護るためだった「脱出」が、いつしか繁殖のための手段となったためではないか、と私達は考えています。つまりフィッシマトロンは、進化の過程で、「子を護る目的」と「繁殖の手段」を混同してしまったのです。
つい最近になって、これを裏付けるような興味深い研究結果が発表されました。その研究では、捕らえたフィッシマトロンに一切危害を加えず、安寧に飼育し続けました。飼育開始からアルゴニー時間で約5年後、そのフィッシマトロンは死亡しました。死因は老衰。そして最も注目すべきは、その5年間、フィッシマトロンはただの一度も「脱出」も出産もしなかったことです。死亡したフィッシマトロンを解剖すると、中の子ども達も、老衰し、瀕死の状態でした。
この研究結果は、「フィッシマトロンは外敵に襲われない限り繁殖できない」ことを示唆しています。手段と目的を混同したフィッシマトロンは、いまや、食べられるために生きているのです。