第2話 渡り草――ハイメナフィロアス(hymenophyllous)
地球には、渡り鳥がいます。夏の暑い時期には北へ行き、冬の寒い時期には南に渡る鳥達です。彼らはその翼で空を舞い、暮らしやすい場所を常に求めて、惑星を縦断して生活しています。
私達がリジアム系第4惑星ゾディを初めて訪れたとき、訪れると同時に発見した生物が、今回紹介するハイメナフィロアスです。ハイメナフィロアスは植物にも関わらず、渡り鳥のように惑星を縦断し、常に快適な場所で暮らし続けているのです。
ハイメナフィロアスは地球の植物同様、自分の意思で自在に動き回ることは出来ません。しかし、その体はパラシュートのようになっていて、巧みに風を捉えることが出来ます。パラシュートの傘の部分は葉で出来ており、上から見るとほぼ円形で、その直径は80~100cmです。傘は空を飛んでいる間は一枚の葉のように見えますが、実際は20~30枚の葉がくっついて出来ています。錆びた鉄のような、黒っぽい赤色の葉っぱです。
葉の裏からは、20~30本のしなやかな茎が伸びています。この茎の本数は、傘を作っている葉の枚数と一致します。そしてその茎の先端には、種子がぶら下がっています。黒くて固い、ラグビーボールのような形をした種子です。長い方の幅は40cm、短い方の幅は20cm程度。一抱えもあるような大きな種子です。
種子、と書きましたが、どちらかと言えば球根に近い存在です。厳密には、どちらとも言えない存在です。その理由は追って説明しましょう。私達は、ハイメナフィロアスのこの黒い塊を「ネイブル(navel)」と呼んでいます。
さて、話は過去に遡ります。私達が初めて、リジアム系第4惑星ゾディを訪れたときのことです。私達はゾディの上空5000mほどのところで、それを発見しました。ゾディは、その表面全体が青いメタンの雲で覆われています。惑星表面の90%以上がメタンの海に覆われ、あらゆる場所で雲が発生するためです。その雲の上に、赤色の物体が浮かんでいるのを、私達は発見しました。それこそが、ハイメナフィロアスでした。
私達は、しばらく上空を漂い続けました。着陸予定地の状況を、正確に把握するためです。これはどこの惑星に行っても必ず行う調査です。もちろん、調査先の惑星の情報は、可能な限り事前に集めます。おかげで私達は、惑星に到着する前に、その惑星の一日の長さや気温、惑星の大気成分など、観光案内以外のほとんどの情報を得ることが出来ます。ですが、大地の正確な状況までは把握できないのが現状です。そのため、着陸予定地に獰猛な生物がいたり、ぬかるんでいたりして、着陸できない場合があるのです。そこで、着陸予定地をいくつも用意し、そのうちのひとつに着陸するのが、通常の調査となっています。
着陸予定地の上空へと向かい、状況を把握している最中に、私達はまた、先ほどと同じ浮遊物体を発見しました。明らかに、先に発見したものとは、異なる個体です。どうやらハイメナフィロアスは、このゾディの上空に、無数に浮遊しているようです。
私達は状況の把握と同時に、ハイメナフィロアスの捕獲を行いました。幸いなことに、ハイメナフィロアスは植物であり、いともたやすく捕らえることが出来ました。ちなみに私達の宇宙船には、ロボットアームや吸引ホースが付いています。ハイメナフィロアスは、この吸引ホースで、惑星の大気ごと吸い込んで捕らえました。
捕らえたハイメナフィロアスは、傘の直径が90cm、茎の本数が25本でした。ネイブルはずっしりと重く、3kgほどありました。また傘の部分は膜のように薄くて軽く、1kgもありませんでした。
見た瞬間、私達はこれが動物ではなく植物だろうと考えましたが、その先で意見が分かれました。これは植物の「本体」なのか、ただ種子を飛ばすだけの「果実」なのか、ということです。もし果実ならば、これを飛ばした本体が、地上のどこかにあるはずです。
着陸予定地の調査が終わり、私達は予定通りの地へ降り立ちました。
先ほど少し書いた通り、ゾディは惑星表面の90%以上がメタンの海で覆われています。地球の海は表面積の70%ほどですから、それよりも多い割合です。ゾディの大きさは地球より少し大きく、重力もその分大きく、平均的な気圧も高くなっています。平均気温はマイナス100℃を下回りますが、それでもメタンの沸点よりは高く、メタンの海は常に湯気を発しています。その湯気が上空に昇り、雲となり、太陽光(ゾディはリジアムの周りを回っているので、正確にはリジアム光)を遮断して、ゾディの平均気温を下げています。一方で、メタンには温室効果があるので、この気温が保たれています。
太陽光が遮断されているため、地上に降りると、昼間でも薄暗く感じます。海から離れた内陸に降り立ちましたが、海の方から風が途絶えることなく吹いて来ていました。大地は岩石で出来ており、地球と同じ土色をしていました。
地上には、ほとんど生物の姿がありませんでした。あとでわかったことですが、これは私達が降り立った場所が、たまたま乾燥した岩石の上だったためであり、少し離れた場所には、生物がたくさん生息していました。
しかし、生息していた生物は、そのほとんどが小さな植物でした。コケやツタのように地面を這う植物がほとんどであり、ハイメナフィロアスを「果実」として実らせそうな大きな植物は、見当たりませんでした。もっとも、私達が調べたのは着陸地点を中心とした10km四方であり、たまたまその中にハイメナフィロアスの本体が無かっただけかもしれません。ハイメナフィロアスは空を飛んでいたわけですから、うんと遠くから飛んできた可能性もあります。
結局、私達はそのときの調査では、ハイメナフィロアスについてそれ以上詳しく知ることが、出来ませんでした。
その数年後、私達とは別の研究グループがゾディに飛び、ゾディの北極でハイメナフィロアスを発見しました。それも空中ではなく、大地でです。何百万というハイメナフィロアスが、ゾディの北極の高台に、転がっていました。
いったい何故、ハイメナフィロアスが地上に群生していたのでしょうか。観察の結果、ハイメナフィロアスはここで繁殖をしていることがわかりました。北極で発見されたハイメナフィロアスは、パラシュートの傘のような葉をつけておらず、代わりに、白いひも状のものを何本も出していました。ハイメナフィロアスの雄しべと雌しべです。雌しべは受粉すると、ラグビーボール状の種子(ネイブル)を1個つけます。大きさは親より一回り小さく、縦20cm、横10cmほどです。子も親も、その後、ともにネイブルから葉っぱを出し、傘を生成します。
ネイブルが種子とも球根とも言えない理由は、ここにあります。地球の植物であれば、雌しべが受粉して出来るものは、種子です。またのちの研究で、ネイブルは何度も葉を出したり花を咲かせたりすることがわかりましたが、これは球根の性質です。このように、ネイブルは種子と球根の両方の性質を持っているのです。
さて、地上で葉っぱを出し傘を作ったハイメナフィロアスは、このあとどうやって空へ飛び上がるのでしょうか。
ここで、ゾディの気候について、補足しましょう。ゾディは、地軸(惑星の回転軸)が大きく傾いている関係で、北極や南極では1年の4分の1近くが白夜となります。つまり、1年の4分の1近い間、日が沈まないのです。この間に、リジアムの熱で極の氷が解け、蒸発し、上昇気流が発生します。
ハイメナフィロアスは、この気流を利用して、上昇するのです。ちなみに、傘を形成した直後のネイブルは、重さが1kgもなく、簡単に浮かび上がることが出来ます。
北極で発生した上昇気流は、惑星の上空を通って、南極へ向かいます。南極は現在、太陽が昇らない極夜のため気温が低く、下降気流が生じているからです。ハイメナフィロアスはこの気流に乗って、1年の4分の1近くを使って、南へと下っていくのです。
植物が空を飛ぶ理由として、私達が真っ先に思い浮かぶのは、光合成です。ゾディの植物にも、光合成の能力があります。しかし、ゾディは常にメタンの雲に覆われていて、十分に光合成できません(地上に小さな植物しかないのは、このためだと考えられています)。ハイメナフィロアスの祖先は、なんらかの偶然で、風をまとって空へ浮かび上がったのでしょう。雲の上で有り余る光を浴び、光合成を行った祖先は、体を大きく成長させ、現在のハイメナフィロアスになったと考えられています。
どのような進化が起こったか、詳しいことはまだわかっていません。しかしハイメナフィロアスが、ゾディで見つかった植物の中で最大のものだということは確かです。光合成によって十分に栄養を作り、ネイブルにその養分を蓄えているからです。ちなみに、地球の植物には水が必要ですが、ゾディの植物にはメタンが必要不可欠。ハイメナフィロアスは、メタンを雲から補っているようです。
1年の4分の1をかけて南極に到着したハイメナフィロアスは、葉を萎ませて、地上へ落下します。空中を飛んでいる間は離れ離れだった仲間達が、ここで一箇所に集うのです。彼らはそこで傘を捨て、花を咲かせ、受粉します。そして誕生した子どもと共に、再び傘を持ち、上昇し、北極を目指します。次に北極に到着するのは、やはり4分の1年後。ハイメナフィロアスは1年を4分割し、各期間ごとに、北極での繁殖、南下、南極での繁殖、北上、を行っているのです。
ハイメナフィロアスには、これと言った天敵が存在しないようです。ゾディには鳥がいないため、空中にいる彼らを捕食するものがいません。南極と北極にいる動物も、ハイメナフィロアスの硬いネイブルには歯が立たないようです(花や、実りたてのネイブルは、ときどき食べられてしまうようです)。
彼らの唯一の天敵は、ゾディの赤道付近で発生する熱帯低気圧、つまりハリケーンや台風などです。これに巻き込まれると、ハイメナフィロアスはメタンの海に落下してしまいます。落下すると二度と上空へ飛ぶことは出来ません(メタンの海から発する蒸気は、ネイブルを持ち上げるのには足りないようです)。硬いネイブルの殻も、メタンに長時間浸かるとふやけていきます。すると、そこに海中の草食動物達が集い、たっぷりと栄養を蓄えたネイブルに食らいつきます。
普段、小さな植物しか食べられない海中生物にとって、年に2度降ってくるハイメナフィロアスは、文字通り天からの贈り物のようです。