元令嬢の肝っ玉母ちゃんは不器用に恋をする
ダイナが玄関の扉を開けると、赤子が落ちていた。寒い雪の日だ。
明け方の空はまだ昏く、口から白い吐息が出る。
ちょうど雪が降ってもかからない玄関ポーチの下に、その赤子はカゴに入れられ置かれていた——しかもおそらく双子である。
ダイナは驚いた。何をするために外へ飛び出したのか、一瞬忘れてしまうほど。
歩けもしない赤子をこんな寒い場所に置いておくわけにはいかないと、ダイナは一抱えもある大きなカゴを家の中へ押し込んだ。
暖炉の火はすでに消えていたが、外の冷たい空気が嘘のように、部屋の中は暖かかった。
それに緊張が解けたのか、はたまた安心したのか。ダイナがほっとして大きな息を落とした時だ。
きゃっきゃと双子が笑ったのだ。
きっと意図しないものだった。赤子に今のダイナの状況がわかるわけもなかった。
が、まるで大丈夫だと励ますように、まだ小さく丸い手がダイナに向けて伸びている。
ダイナは鼻の奥が痛くなった。同時に目の前が涙で滲む。
この時のダイナは、寒空の下、家から逃げ出したくなるほどに随分と疲れ切っていたが、そこで振り切れた。
こんな自分を笑顔で癒してくれる幼子がとても愛おしく、そしてこんなに小さくか弱い存在を置いていった親に怒りが湧いた。
分厚い毛布に包まれており、カゴに雪が積もらないよう屋根の下だったとはいえ。未練のように残された、二人の名前が記されたメモを見つけたとしてもだ。
これが、全ての始まり。この日から、ダイナの一番は双子になった。
◆
「おーい、さっき頼んだチキンはまだかぁ!?」
「はーい、もうちょっとだよ! 待ってねえ!」
「スミマセーン、ちょっとお水溢しちゃってえ」
「はいはい、これで拭いといて!」
今日の昼時も随分と混み合っていた。ダイナは客の要望を聞きながら、店の一角にあるテーブルの様子を時々見守りつつ、忙しなく食堂で働いていた。
赤子を拾ったその次の日、まだ十四歳だったダイナはすぐに働き先を探し歩いた。
家のことなら何でもできます、やらせてください。そう言いながら頭を下げ、乞う。未成年の小娘であること、それ以上に赤子を連れていることが足枷となり、なかなか雇ってもらえなかった。
それでも自身の生活のため、双子のためにと諦めるわけにはいかず、何度頭を下げただろうか、とうとう町外れの小さな食堂に辿り着く。この店だ。
頭を下げた時、女将さんは『大変だあねえ。それなら嬢ちゃんもここで一緒にお住みよ』と豪快にダイナの頭を鷲掴みにした。ダイナは大層驚いた。
捨て子を育てるなんて、と他のところでは鼻で笑われてばかりだったから。
双子を孤児院に置いてくれば働かせてやるから、と言ってくれたところもあったが、どうしても双子と離れたくなかった。だから粘って、雇ってくれないかといろんな場所で幾度となく頼み込んで。その甲斐があったと、ダイナは口元を緩ませながら泣きじゃくった。
女将さんには五人の子供がいて、一番上の男の子がダイナと同じ歳、一番下が三歳。女将さんも、その主人も、子供好きのようだった。近所の乳母も紹介してくれた。
『赤子が二人増えようが、たいしたことないさあ! 大きくなった子供らも面倒見てくれるし、アンタもしっかりしてそうだから働き手が増えるってもんよ!』
そんな言葉に励まされ、少しでも役に立てればと頑張って働いた。元気よく働いていると、お客さんからも褒められることが増え、いつしかダイナは立派な看板娘となっていた。
そんなダイナは二十三歳になる。
この家に辿り着いた時には痩せ細っていた身体だが、女将さんたちのおかげで随分と健康的になった。そんなダイナは魅力的に映るようで、度々声をかけられる。
「なあ、ダイナちゃん? 仕事が終わったらどう? 二人で出かけない?」
「ハハッ、デートのお誘い? ごめんね、私、仕事と育児とで忙しいったらないの! フフッ。そんなことよりたくさん食べにきてくれたら嬉しいかな!」
これ見よがしに眼前で手を合わせる。女将さんに教わった、秘儀『金落としてけや』である。
「え……い、育児……?」
「ねーえ、ママー? 今日のノルマ終わったよー?」
「ママってば、また絡まれてるじゃん、変なおじさんに。笑うわ」
戸惑う客にトドメとばかりに声を上げたのは、店のテーブルを一つ占領し、レース編みの内職をしていた双子である。もう十歳になった彼らは、成長著しく、すでに身長はダイナとそう変わらない。
「ライ! カイ! お仕事の邪魔しちゃダメって言ってるでしょ。お客さんにそんなこと言うのもだめ!」
「え、ママには僕たちがいるってこと教えてあげてるだけだよ?」
「ホントそう。事実を言っただけなのに。あ、事実だから怒っちゃうってこと? おじさん?」
「ライーー! カイーー! いい加減になさい!!」
おじさんと呼ばれた客——とはいってもダイナより少し上くらいだ——は呆気に取られ、周りの常連はその様子を笑って見守る。
ダイナが客に声を掛けられれば双子が遮り、遮った双子にダイナが雷を落とすまでがセット。若いながらも仲睦まじい親子の様子に、微笑ましく思うのだ。
「お。またやってんな」
チリンと玄関ベルを鳴らしながら入ってきた男はちらりと全体を一瞥するや、つかつかと近づきおじさんの肩に腕を回した。
「やあ。ダイナの働きっぷりに惚れたくちかい? 俺たちまだまだこーんなに若いのになあ? あのガキどもにはよくわかんねぇらしい。健気で頑張り屋のダイナのことを応援してやろうって想いが伝わんないんだろうなあ?」
剣を腰に差したその男はジェイクといった。
ジェイクは大袈裟なくらいに手を広げ、おじさんの背中をバンバン叩く。
「わかるよ? 生意気なガキの相手も大変だろうしなあ。少しでも食堂に貢献してダイナの力になりたいわけだよな。なあ、同志よ! さあいっぱい食べて、飲もうじゃないか」
そこからはもう、頼みに頼んだどんちゃん騒ぎ。
肉に魚にサラダにお酒。テーブルの上にどんどん広がる料理を、おじさんとジェイクの二人が次々と平らげていた。
うぷ。はち切れんばかりの腹をさすりながら、おじさんは満足そうに帰っていった。ダイナのことを忘れるくらいに満腹になったのか、それともジェイクに言葉巧みに誘導されたのか。また来るよと朗らかに言い置いていく。
これもまた、よくある光景だった。
「ふう! 今日もよく働いたわ!」
昼の営業が終わる頃、ダイナは双子のそばできらりと輝く汗を拭った。
それを見てジェイクがささっとダイナに近づき、双子の隣に腰を下ろした。
「そうだろう、そうだろう。誰のおかげだろう。俺のおかげかな?」
片目を瞑りつつ首を回すジェイクに「また来たな、ママに寄るな」とライが顔を顰め、「来るなよ、害虫。あっちへ行け」とカイが歯を見せた。
「あーはいはい。お前らもなー、誰がこの食堂の売上を伸ばしてるのか考えられるようにならねえとなあ」
「ジェイクさん、今日もありがと! 随分と儲けさせてもらっちゃったかも!」
「いいっていいってお安い御用。俺はこの町の警備隊だぜ? 困ったことがあればいつでも言ってくれ。俺は嬉しそうなダイナを見られればそれでいいんだよ」
「そうなの? 本当にジェイクさんって変わってるわ」
キリリと決めたジェイクの流し目は、ダイナにスパッと変人扱いされて元に戻る。
ライとカイは吹き出したが、残念ながらダイナは気にも留めなかった。
「ライとカイもお疲れ様。レース、上手にできてるじゃない!」
気落ちするジェイクとは反対に、ライとカイはダイナに褒められて鼻高々だ。頭を撫でられて勝ち誇ったようにジェイクを見る。
が、ジェイクも早々に立ち直った。そうでなければ、鈍感なダイナのそばにはいられないのである。
「ダイナー。俺だって今日、食堂にたくさん貢献したと思うけど」
「もちろんよ! 今日だけじゃなくて、いつも力になってもらってるわ! ジェイクさんの人望のおかげ!」
実際はどちらがダイナを喜ばせられるか、売上貢献勝負をしていただけであり、負けてなるものかと闘争心を煽っただけの結果である。
ジェイクのおかげではあるが、人望ではなく話術のほうだ。
「ああ。だからさあ、俺も褒めてもらいたいわけよ、ダイナにさ」
ダイナよりも七歳上だが、プライドなんて投げ捨ててジェイクは上目遣いでおねだりをした。
双子がキッと睨みつけたが、口を挟むよりも早く、ダイナが動いた。
「偉いわ! とーっても偉いわ! いつもありがとう!」
ダイナは犬を褒めるようにわっしゃわっしゃと髪を撫でたのだ。
瞬間、真顔になったのは、ジェイクだけではない。それからライはほっと胸を撫でおろし、カイは込み上げる笑いを手で押さえた。
「これでいいかしら?」
「まだ」
「え、まだ?」
わっしゃわっしゃと続く手が離れないように、ジェイクは腕を掴んだ。
気持ちよさそうに目を細めると、ダイナは少し目を見開いたが、律儀にも手は止めない。少しひんやりとした手がジェイクの頭を撫でていく。
「……もう少し」
ジェイクが見つめる先は、手を伸ばせば触れられる、そんな距離にいるダイナ。
じっと見つめて込める願いは、好きだ可愛い少しでも意識してああもう結婚して、だ。
ダイナはずっと食堂の看板娘。客から褒められることも言い寄られることもままあった。食堂とはこういう場所、男は褒めてくれるものとそういう認識なのだ。だからあしらい方が上手くて、けれども真剣な目には戸惑ってくれる。
「ジェ、ジェイクさん、ま、まだ……?」
少し焦ったように手を離そうとするダイナを、可愛いとジェイクが顔を綻ばせた。
「ああ……もう少し」
目の前で少し揺れる大きな瞳がジェイクを映すから、魅入ってしまう。
が、黙っていないのはもちろん息子の二人。
「あー!! ママ、そろそろ買い出しの時間じゃない!?」
「調子乗んなよ。害虫」
「……え? あ、そ、そうね! 買い出しに行かなきゃ! カイ、ダメよその言葉遣いは」
あっという間にダイナはジェイクの腕をすり抜けていった。
名残惜しそうに眉を下げたジェイクの肩を、女将さんが通りすがりに叩いていく。
「ジェイク……残念だったねえ、もっと頑張んな」
女将さんの激励にジェイクが頷くと、ライとカイが声を上げた。
「大ママ! こいつはもう頑張んなくていいの!」
「そうだよ、ママには僕たちだけでじゅーぶんだよ!」
続けてダイナも口を出した。
「うーん……? 女将さん、私もジェイクさんにはすでにたくさん貢献してもらってるし、これ以上頑張る必要はないと思うわよ」
真面目な顔で首を傾げたダイナに、その場にいた全員が「違うそうじゃない」と思った。
まあ、これもまた、よくある光景である。
◆
ダイナの毎日は充実していた。
女将さんのように店の中を駆けめぐり、旦那さんの作った料理を運ぶ。常連客の中には気にかけてくれる人もいて——ジェイクがその筆頭だ——ライとカイがまだ小さい頃にはあやしてくれたり、遊んでくれたりもした。
たくさんの人がダイナを助けてくれる。
ライとカイに出会う前では考えられないことだった。
二人を拾った日——屋敷を飛び出した日は、全てを投げ捨てようと思っていた。
名ばかりの子爵家。伯爵家の三男だった父が家を出るときにもらった貴族名は、父にはどうやら荷が重かったらしい。逃げるように父は愛人の元から帰らず、母もそんな父に辟易して出て行った。
当主不在の屋敷で、金が回らなくなるのは時間の問題だったが、ダイナはそれを隠したかった。両親に見捨てられたことを周囲に知られたくなかったのだ。
ダイナは執事にお願いして、給金が支払えないからと使用人には辞めてもらった。心苦しそうな使用人には辞める前に、屋敷のことを一通り教えてもらった。掃除の仕方、戸締まりの仕方、暖炉の使い方に、料理方法。自分一人が生活できるギリギリを覚えた。
最後には執事にも叔父の伯爵家へ行ってもらい、そうしてダイナは広い屋敷に一人になった。
状況を知った叔父はダイナを呼び寄せようとしてくれたが、ダイナは行かなかった。父と母が屋敷に戻ってくる可能性を信じていたかった。
叔父の計らいで庭だけは管理してもらうことにした。自分ではこれまで通りの綺麗な庭を維持することが難しかった。屋敷の中だけで手一杯だったこともある。
綺麗な庭を眺め、掃除を欠かさない玄関を通って、唯一掃除が行き届いた寝室で眠る。掃除できない部屋には次々と鍵を掛けた。
自分がこの屋敷を出てしまえば、両親の帰る場所は無くなってしまう。そう思って躍起になっていたが、両親が戻る事はなかった。いつしかダイナは疲れてしまった。
まだ十三歳。
食料を求めて街へ出ればみんなが幸せそうに見えた。帰る屋敷は外観ばかりが整えられた見せかけの家。屋敷内の冷たい空気は時間が経つにつれ、重くのしかかった。
もう、やめようと思った。意地を張るのも、両親を待つことも。寝る前に考え始めたそれは、悩んで悩みすぎて、目はすっかり冴えてしまっていた。
叔父のところへ行けばいい。もしくは辿り着かずにくたばったっていい。心配してほしい人はもう帰ってきてくれないだろうから。
慣れた手つきで暖炉の火を消し、それから玄関の扉を押し開けた。
すると、だ。ちらちらと舞い降る雪の下に、赤子がいた。
幻かとも思ったが、ぴゅう、と吹いた寒風がダイナに現実だと知らせてくれた。
何も無くなったダイナへの贈り物のように、心の隙間を埋めるように、彼らはダイナを見て笑った。
無力であるはずの赤子たちは、その無力さゆえに——彼らを助けられるのは自分だけだとダイナに思わせて。
ダイナにとっての、心の拠り所となったのだ。
◆
「いっつも言ってるけどさあ、ダイナ、働きすぎだと思うんだよなあ」
客足が減り、食堂の邪魔にならない時間帯に現れたジェイクは今日も双子のテーブルへとやってきた。ダイナが料理を運ぶ姿を眺めながら、使い込んだ木製の椅子に座った。
「また来たんだ。ママが来たらちゃんとすぐに帰るんだぞ」
「もういい加減、ジェイクの顔も見飽きたっての」
「わー。心の距離が遠い! あんなに遊んでやったってのに、思春期しちゃってまあ」
双子が赤子から幼児へ成長し、ダイナが本格的に食堂の手伝いをし始めた時から、ジェイクはずっと見てきた。馴染みの店に突然現れたまだ子供であるはずの女の子が、成人したばかりの自分よりもしっかりとした受け答えをし、真剣に働く姿を見せる。
それが全て、この双子のためだと知れば一層興味は湧いた。
少しして、弟かと思っていた双子が息子だと知ってからは、相手の男が気になって仕方なかった。
彼女がまだ幼い身ながら懸命に子を養っているというのに、父親は何をしているのかと、笑顔で接客をするダイナを見ながら憤りすら覚えたものだ。
自分なら、そんな思いをさせないのに。双子たちと遊びながら、そんなことを考えてはっとした。らしくもなく顔が熱くなったことに驚きもした。
いつの間にかダイナは、馴染みの店で働き始めただけの女の子ではなくなっていたのだ。
それからは少しでも力になろうとこれまで以上に双子の相手をして、食堂にも通い、困ったことがあれば相談に乗ろうと伝え続けた。そうこうしていると双子とも随分と仲良くなり、店の女将さんの計らいで、一家団欒に混ぜてもらえるまでになった。
そんな時だ。双子からとんでもない朗報が聞こえたのは。
なんとダイナは双子の本当の母親ではないという。「だから大きくなったらママと結婚するんだ」と言う可愛らしい夢を聞き、一番に思ったことは、ダイナに特別な男がいなかったことへの安堵だった。
「そんなに邪険にしなくたっていいだろうよ。お前たちの父親になるかもしれないんだからなあ」
「それね、大ママが認めても僕たちは認めてないんだよ」
「お前なんかより、僕らのほうがママを幸せにできるんだからな!」
そう、ジェイクと双子の仲は良かった。
——ジェイクが双子の可愛らしい夢を掻っ攫おうと宣言する前までは。
「わかったわかった、全く、ちゃんとわかってるに決まってんだろ、そんなこと。お前たちは誰よりも、ダイナに愛されてるし、だからお前たちさえいれば、もちろんダイナは幸せだろうよ」
ダイナの一番はこの双子。それは変えられないにしても、だ。自分もその幸せの一部に入れないだろうかとジェイクは日々悩むのだ。
はーあ、と特大のため息を落としたジェイクに、カイは「ちゃんとわかってるじゃないか」とククッと喉を鳴らし、ライは「僕たちもパパなんていなくてもママさえいれば幸せだよ」と頷いた。
羨ましさと不甲斐なさと遊び心で、双子の癖っ毛をわっしゃわっしゃと撫でていると、一段落したダイナが顔を見せに双子のそばまでやってきた。
ジェイクと双子の様子を見るなり、頬を緩ませた。
「まあ! 仲良しね! 最近はどこか刺々しかったから、ちょっと心配してたのよ。安心したわ」
急に双子がジェイクを邪険にし始めたものだから、ダイナはよく首を傾げていた。
双子の夢を奪った罪を、ダイナは知らなかった。もちろん、ダイナが双子に見せる笑顔の先に自分も居たい、とジェイクが思っていることも。
「カイ、ライ。さっき大ママが呼んでたわよ。ちょっと行ってきなさいな」
「はぁい。行ってくる。……ジェイク! ママに手を出したら許さないからな!」
「ジェイクのそばにいるくらいなら、ママも一緒に行く?」
「まったくもう、何言ってるの。おかしなことを言っていないでささっと行ってらっしゃいな。ジェイクさんにも失礼でしょ」
ぶうぶうと言いながらも、ダイナの言う事はちゃんと聞く。双子は手を振りながら急いで女将さんのところへ向かっていった。
「なんだかなあ。ダイナよりあいつらの方が、俺のことわかってんだよなあ……」
ダイナにとってジェイクは、いつまで経っても、常連客のままなのかもしれなかった。
恨めしげに眺めたダイナはどこまでも明るく純粋で。
あどけない表情がグッと胸に刺さる。
それがとても悔しくて、誤魔化すように口を開いた。
「なあ、覚えてるか。六年前くらいかな。店の隅にいたちびっこい双子が客に絡まれた時のこと」
「ええ、もちろん! 今思い出してもはらわたが煮え繰り返るわね」
「ハハ、物騒だな」
幼児だった双子は今と同じように、店の隅に用意されたテーブルで大人しく待っていた。ダイナの顔が見える場所にいたかったのだろう。そこへ態度の悪い冒険者が難癖を付けに行った。席が空いていなかったからこの席を空けろと幼児に向かって怒鳴りつけたのだ。
「本当にあの時のダイナは格好良かったよ。私の子に何してんだって一喝。あのダイナより一回りも大きな客たちがたじたじで……! 出禁にまでしちゃってさあ。俺の出る幕もなかったよなあ」
「だってあいつら、こーんな小さな子に怒鳴りつけるのよ!? 私の子じゃなくたってお店から追い出してやったわ。女将さんでも絶対そうするもの。でもジェイクさんの出番を奪っちゃったのは、ごめんなさい?」
「ッハハ、何年越しの……! あの時ダイナは俺が警備隊だってことを知らなかったんだから仕方ないだろ? とっても勇敢だったさ。……本当、見惚れるくらいに」
これまで言葉のところどころに好意を含ませてきた。行動でも示してきたつもりだ。
けれどどんなに真面目なトーンで、さらには熱視線を送っても、ダイナには届かない。
「またまた〜。ジェイクさんにそんなこと言われたらもっと頑張らないとねえ」
「冗談言うな。次あんなことがあったら、すぐ俺を呼んでくれ。必ずだ」
「あ! そうよね。ジェイクさんもお仕事だもんね」
そうやってさらりと、流れるように。
どんなに親しくなったとしても、他の客と同じく、躱されてしまう。
それにどれだけ煽られて、少し傷ついて——それでも諦められない現状が、どんなに酷なことか。
女将さんに聞いたことがある。双子に真実を聞いた後だ。
本当の親子じゃないのに、本当のように振る舞うのはなぜなのかと。おそらく他の常連客も、ダイナと双子が本当は血の繋がりが無いことを知らなかったはずだ。きっちりと隠されていた。
『ダイナがね、言うんだよ。カイとライの名実ともに母親でありたいってさ。そう言われちゃあね、私たちも協力してしてあげないとさ』
そう言う女将さんは母のようだった。優しく包み込むように、大切な我が子を守るように。
書類の上でもダイナと双子は親子となっているらしい。そう働きかけたのも女将さんだったようだ。詳しい事情は知らないが、ダイナを守ろうとしているのだろうとわかった。だから深く踏み込まないようにしていたが。
ダイナ狙いの客が増えている。いつ何時、何が起きるかわからないのが恋というものだ。
いつまでも辛抱強く待てるほど、大人でもない。そんな自分にも苦笑して。
「違う。俺にダイナのことを守らせてくれって言ってんの」
「え?」
ダイナに恋愛感情は届かない。
そんなわけあるか。
「いいか、何度だって言うぞ。俺はダイナに危険な目に遭ってほしくないわけ。警備隊だからじゃない。俺が、ダイナのことを一人の女の子として、守りたいと思ってる。男として」
目を見開いたダイナに、この言葉は届くだろうか。
「ダイナがあいつら二人を愛してるのは知ってる。もちろんあいつらがダイナを母親以上に大事に思ってるのもわかってる。二人のことを考えて、子育て以外のことに心を割きたくない気持ちもあるんだろうし、なんとなく、ダイナの方があいつらを手放せないんだろうなとも思ってる」
「……ジェイクさん、それは」
口を挟むダイナを手で制した。
これを止められるわけにはいかなかった。
「でもいつか、あいつらだって親離れする時が来る。その時に、ダイナの一番そばに居られるのは俺でありたい、なんてな」
ダイナの目は揺れていた。どう反応したらいいのか迷うみたいに。
そんな様子を見られて、ようやく胸がすく。
「……その、いつも、ジェイクさんには助けてもらってて」
「ああ、いい。すぐには整理できないだろ? また今度、答えを聞かせてくれ」
そう言い残して去るジェイクに、いつもとは違って、ダイナは明るく手を振ることができなかった。
◆
ジェイクが店に顔を出さなくなって五日が経つ。
これまでは三日と空けずに来てくれていたにもかかわらずだ。
テーブルを拭きながら、ドアを見る。ちらりと盗み見るのがくせになってしまったようだ。
あの日のジェイクはとても優しかった。言葉を選んでくれたのがよくわかった。
思い出すたびに顔を覆いたくなる。
——全部、バレている。
ダイナは溜息を飲み込んだ。
ジェイクが言ったとおり、双子を手離せないのは自分の方だった。
いつか、カイとライがいなくなってしまうのが怖い。手を離さなくちゃいけない時が来るのがとても怖い。
ずっとあの二人のためにあるから——それ以外は何もいらないから。
どうか私から取り上げないでほしい。
私の大事な居場所。
カラン、とドアが開いた。
「——こちらに、ライとカイという双子の男の子がいるのは本当ですか?」
昼時の大忙しの最中、そう言って来店したのはジェイクよりも年上の婦人だった。
店内を一瞥して、双子が座るいつものテーブルへと足を進ませた。
「まあまあまあ、こんなに大きくなって。私の髪とそっくりねえ……瞳はあの人に似て」
そう言って双子に微笑みかける婦人の髪は、緩い癖っ毛の亜麻色の髪。確かにカイとライの髪と似ていた。
カイとライの瞳の色は、紫色だ。あの人というのは、彼らの父親のことだろうか。
嫌な予感がして、双子を婦人の目から隠すように間に立つ。
「あの、失礼ですが、今は営業中でして! お食事の方でなければ改めていただけませんか!」
腰に手を当てたダイナへ見定めるような視線を送る婦人は、くすりと笑った。ただその目には幾分か苛立ちが見える。
「あら、もしかして、あなたが噂のお母様? ホホ、随分とお若いお母様だこと! 初めまして、育てのお母様? 私はディーナ。この子達の母親よ」
彼女からの敵意が矢のようにダイナに突き刺さる。
ダイナが女性客から絡まれることは珍しく、なんだなんだ、と食堂内の人の視線が集まってきた。
最も客が多い昼時の騒ぎ。全てを知られれば、ダイナはこれまでの生活が終わりを告げるのだろうと思った。
「ねえ、ちょっと、お客さんじゃないなら出てってと言ってるでしょう! 聞こえなかったかしら」
それでも諦められない。大事な双子——カイとライ。
誰にも渡せるはずがない私の大切なこども。
「ふふ、いいえ、せっかく来たのだもの。お食事をいただくわ。この子達にもご馳走させてくれない?」
そう言って、双子がいるテーブルの隣のテーブル席へ着席した。
同じ色の髪。警戒している双子の視線すらにっこりと受け止めるディーナは本当に母親のようだった。
「あなたたちは何が好きなのかしら? ねえカイル、ライル」
双子を呼ぶその名前をダイナは知っていた。
赤子が包まる毛布に挟まれていた、綺麗な字で書かれた名前だ。
その名前は使ったことがない。でも親からの贈り物だからと、ダイナは葛藤した結果、響きは残した。
ディーナは本当に、二人の母親なのだろう。
料理を待つ間ずっと笑顔で双子を見つめる。
それは料理が運ばれてきた後も変わることはなく。
そんな姿を見せられると、自分がただの小娘のように思えてしまう。ずっと一緒に過ごしたのは間違いなく自分なのに、所詮母親代わりにすぎないのだと。
——カラン
ドアが開いた。入ってきた人物に目を留めると、息苦しかった気持ちも吹き飛んだ。
ジェイクだ。一瞬目が合っただけで、ほっとした。
彼は店内の様子を見回して、なんとなく状況は理解してくれたのかもしれない、双子がいるテーブルに着席してくれる。いつもみたいに双子に接してくれるジェイクが心強かった。
昼時の営業が終わり客がいなくなるまでの間——とても長い間、ディーナは飽きることもなく双子を見つめていて。
ダイナが簡単に片付けを終えてテーブルへと近づくと、それまでが嘘のように、思いきり顔を顰めた。
「ねえ、育てのお母様、教えてくださらない? ……私は、この子達を貴族の家に置いていったのよ。こんな町の食堂で働かせるためじゃなくね。ただ孤児院へ入れるよりも、少しでも幸せになってくれたらと思って。貴族が養子として引き取ってくれるかもしれない可能性を残して」
その屋敷は、もう実体のない張りぼての家だった。
それはダイナが一番良く知っている。
「どうしてあなたみたいな子にこの子たちは育てられたのかしら……! 私は、綺麗なお庭の立派なお屋敷に置いていったのよ!? 幸せに、なれますようにって。たまたま触れた門が開いたから、神様の思し召しだと思ったのよ。それがこんな町の小さな食堂でこんな小娘に育てられるなんて」
離れたくなんてなかったと言った。
だからカイルとライルの名前を残して、後ろ髪を引かれつつも後にしたのだと。全て二人のことを思ってのことだったのだとも。
奥歯を噛み締めた、その背後から心配そうな女将さんたちの気配がする。
「この子達はね、とある伯爵様との子……奥様に知られて襲われることになると知っていたら、産むことも育てる場所ももっと考えたのに! でもねえ、奥様は半年前に亡くなられてね、子もおられなかった。これはチャンスなのよ。メイドだった私が伯爵様と結ばれるために」
嬉しそうに声を上げるディーナに、ダイナはぎゅっと目を瞑った。
あの日、あの夜、戸締りをきちんとしていれば、もしかしてカイとライは捨てられなかったのかもしれない。
こんな小娘に育てられることもなく、もしかしたら本当の貴族の家で育ったかもしれない。
カイとライにはもっと幸せになる未来があったのかもしれない。
「じゃあなんだ? そんなに取り戻したいほどの赤子を、雪の降る夜に置いてったのか?」
落ち着いたジェイクの声がダイナの背中を叩く。俯きそうになる顔を上げた。
「……もしかしたら引き取ってもらえて、孤児院よりは良い暮らしができるかも知れないと思ったのよ。それに孤児院に預けるより奥様にバレないんじゃないかと」
「だったら、丁寧に頼むべきじゃねえか。直接ドアを叩いて、真摯に乞うべきだろうが。まあそれもどうかと思うが。しかも夜ってのが最悪だろ。人気が少ない時間帯、しかも雪まで降った寒い日だ。見つからないでほしいって言ってるもんだろ」
ダイナの背筋がしゃんとした。
あの日、見つけられてよかった。あの屋敷だったからこそ、ダイナが出ていくその日だったからこそ、まだ元気な時に二人を見つけられたのだ。
それからジェイクは続ける。声量を落として、ディーナにだけ聞こえるように。
「——見殺しにしたようなもんだ。自分可愛さに、な」
「なんですって!?」
カッとなったディーナを宥めるようにジェイクは口調を和らげた。
「とまあ、色々言ったが、俺は警備隊として、双子の意思に従うべきと考えるね。もう自分の意見も言えない赤子じゃないんだ。なあ、どうする?」
話を振られた双子は、お互いに顔を見合わせた。
「どうするって言われてもさあ」
「んなの決まってんだろ! ジェイクだって知ってるくせに」
「いやいや、この女性の言うことには、お前たちは立派などこぞの伯爵様のご子息らしいぞ。ついていけば俺には想像もできないような、これまでがひっくり返るような暮らしができる」
普段のふざけた様子はなく真面目な顔で双子に問い、ジェイクはダイナを支えるように隣に立つ。
「ダイナもさあ、双子が大事なのはわかってる。わかってるが、こいつらももう十歳だ。自分で決められるさ、ダイナの息子だろう?」
そう言われるとダメとも言えず押し黙った。
見守るダイナたちの前で、双子はあっけらかんとディーナを指差す。
「あのね、僕らがあんたに付いて行くわけないだろ」
「僕たちのママは一人だけ」
「もちろん、今日初めて会ったあんたじゃないわけ」
口の悪さか、態度の悪さにか。
双子の攻撃に、ダイナもぎょっとしたほどだ。ディーナも怯んだように息を呑む。
「急に現れて、本当の母親だとか言われても何とも思えないわけ。これまでが幸せだから、ひっくり返る必要もないしさあ」
「ママがいて、大ママがいて、大パパも、一緒に暮らしてきた兄弟たちもいて。それにもしかしたらこれからパパが増えるかもしれないし。……まだまだこれからも楽しいことばっかりでしょ」
「こんな楽しくて面白いところ——ママから離れるなんて、冗談じゃないっての」
ふん、とふんぞり返った二人は、当然だとでも言うようで。
それを見たダイナは、泣き崩れた。
大事な双子はずっと幸せだったのだ。
「…………そう。良い、お母様だったのね…………私とは違って」
しばらく経った後、ディーナはそう呟いた。
後悔とも悲しみとも取れる固い表情のまま、ハンカチで目元を押さえた。
見ればディーナの目も涙で揺れていた。これまで会いに来なかったのは不誠実ではないかと思っていたが、何か理由があったのかもしれない。
「……私のことを……あなたたちを置いて行った私を恨むかしら」
「はあ? そんなの恨むわけないじゃん。そもそもあんたの顔すら知らなかったんだし。どうでもいいの」
「僕たちはママに育てられてとても幸せだから、むしろ感謝したいくらいかもね」
いっそ清々しいほど、一貫した態度を貫く二人を交互に見つめ、ディーナはふっと笑った。
憑き物が落ちたように、毒々しさは消えていた。
「……また会いにきてもいいかしら。ああ、別に連れて帰ろうだなんて思わないから。ただ成長を見たいのよ」
「あなたのことをカイとライが許すなら、私が言うことはないわ。たくさん注文してたくさん食べて行ってくれるお客さんとしてなら大歓迎よ」
今度は伯爵様と来れたらいい、とそんな希望を口にして、ディーナは店を出て行った。
奥から様子を伺っていた女将さんたちも近寄ってきてくれた。加勢が必要な時には出てきてくれるつもりだったのだろう、その心遣いに感謝をする。
とても長い一日だった。
見慣れた顔とようやく訪れた穏やかさに、ダイナは膝の力が抜けた。
それを支えたカイとライをぎゅうっと抱きしめた。
「カイとライは、私が絶対に幸せにするからね」
そんなダイナを双子が抱きしめ返した。
女将さんはボロボロと涙を溢し、ご主人は目頭を押さえて奥へ引っ込んでいく。
感動の大団円の最中、不服な声を上げたのはジェイクだった。
「ちょっと待て、ちょっと待て! ダイナ、この前の俺の話って覚えてるか??」
「……私の方が、カイとライのことを手放せないって……?」
おかげでこの五日間、随分と悩んだものだ。
でも今日、ディーナのおかげと言うべきか、ようやく報われた気がしている。
「いや、言った。言ったが!? じゃなくてその前! 俺がダイナのことを守ってやるって」
「ジェイクさんにはいつも守ってもらってるわ。今もそう」
隣でカイとライが笑った。
ダイナの唯一無二。彼らがいるからこれまで踏ん張ってこれた。前を向いてこられたのは全て彼らのおかげ。
その頭をジェイクが拳でぐりぐりしている。
「ダイナ、お願いだからよーく聞いてくれ」
そこでジェイクが一呼吸。
両肩を捕まえられては逃げることもできない。
「あのな、俺に! ダイナのことを、もちろんカイとライもろとも、幸せにさせてくれって言ってんの! 好きだから! あ、違うぞ、人としてという意味じゃなくて、恋愛的な意味で!」
「……私のことも、カイとライのことも……幸せに?」
「かならず」
覆うように力強く握りしめられた手は熱くて。
すっぽりと覆われた身体は温かくて。
気づいてしまえば、ぼあっと頬が赤く火照った。
「……え、あれ? あれ……? 好きってそういう!?」
狼狽え始めたダイナに気づいたジェイクが抱きしめ直す前に、双子によって引き離された。
今度は再び双子に抱きつかれることになる。
「ライ、まだダメだ!」
「わかってる! まだ僕たちだけのママでなきゃ!」
ダイナはドキドキした心の宥め方がわからないまま、ふわふわの亜麻色の髪におでこを埋めた。
今までどうして気づかなかったのか不思議でならない。
降り注ぐジェイクの熱視線と甦る腕の中の心地良さに、顔の熱は消えてくれない。
「おや、とうとう今日はご馳走かねえ!」
腕まくりをした女将さんが、ニコニコ顔で肩を叩いて行った。その手には「臨時休業」の看板が見える。
どうやら今日の夕食はご馳走になるようだ。
外堀から埋めていくタイプ。
素直になれない双子に認められるにはまだ時間はかかりそうです。
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