見つけた
むかし、貧乏長屋に一人の男がいた。
怠け者というほどでもないが、かといって働き者でもない。賭け事にのめり込むでもなく、酒に溺れていたわけでもないが、金とは縁が遠いようで、質素な暮らしを細々と続けていた。つまり、要領が悪かったのである。
ある晩のこと。
男はふと目を覚ました。胸の奥あたりが、すうっと冷えていくような妙な気配がしたのだ。そして、それは気のせいではなかった。
幽霊が布団の脇に座り、男を覗き込んでいたのである。
男は息を呑み、布団をぎゅっと握りしめた。声を上げようにも喉が凍りついたように動かず、口をパクパクさせるばかり。すると、幽霊のほうも驚いたように目を見開いた。
『あんた……もしかして、私が見えるのかい?』
男はよせばいいものを、つい首を横に振ってしまった。幽霊は口の端を吊り上げ、にたりと笑った。
『ようやく見つけた……』
その瞬間、ぞわりと頭のてっぺんからつま先まで寒気が走った。男は飛び起き、尻を引きずるようにして後ずさった。
「ひっ、ひ、人違いだ!」
男は喉を絞るようにして声を張り上げた。
「お、おれは見てのとおり貧乏だし、恨まれるようなことは、な、なにもしてないぞ! ほら、見てくれよ。あばらだって浮いちまってる!」
男は慌てて着物をめくり、やせこけた体を見せつけた。幽霊はゆらゆらと体を揺らしながら、薄気味悪く微笑んだ。
『そうじゃないよお。“私のことが見える”人間をようやく見つけたって言ったのさ』
「あ、ああ、そういう意味か……」
『そう、ずっと探してたんだよ』
「そ、それで……なんだ? 坊さんでも呼んで、お経読んでくれって?」
男が震える声で訊ねると、幽霊はゆっくり首を横に振った。
『違う、違う。まずはそうだねえ……金をやろう』
「え、金……?」
『そう。たとえば呉服屋の旦那。あいつはね、愛妻家ぶってるくせに、裏じゃ若い娘と浮気してんだよ。ちょいと脅してやれば、いくらかふんだくれるだろう。婿入りだから、奥さんには知られたくはないはずだからね』
という調子で、幽霊は次々と町の人々の秘密を語り始めた。長年幽霊としてさまよっていると、自然と人の裏話が耳に入ってくるらしい。
男は生まれてこのかた誰かを脅したことなど一度もなく、躊躇った。しかし幽霊に逆らうのも怖い。とりあえず言われたとおりにして、失敗すればあきらめてくれるだろう。どうせ自分にはうまくできっこないんだ――男はそう考え、おずおずと頷いた。
翌晩。男は飲み屋から出てきた呉服屋をこっそりつけ、意を決して声をかけた。
「あのう……」
「ひっ……なんだい、驚いたなあ。幽霊かと思ったよ。ははは」
「ええ、まあ……いや、違うんですけど」
「なんだ? 用がないなら行くよ」
「いや、その……浮気の件ですけど……」
「う、浮気……? はっ、人違いだろう」
一瞬だけ狼狽したものの、すぐに澄ました顔に戻る呉服屋。だが男が浮気相手の名をはじめ、その情事を事細かに語ると、その顔はみるみるうちに赤から真っ青に変わっていった。やがて震える手で財布を開き、中の金をすべて差し出すと、逃げるようにして暗がりの中へ消えていった。
その場に立ち尽くす男。罪悪感が胸をちくりと刺したが、次第に体の芯からじわじわと興奮が込み上げてきた。
――やった……やったぞ!
その日を境に、男は幽霊の囁く秘密をもとに町の者たちを脅して、金を巻き上げるようになった。ときには幽霊から隠し金の在り処を教えてもらい、盗みにまで手を染めることもあった。
懐はどんどん膨らみ、腹いっぱい飯を食えるようになると、ついでに着るものも新しくした。そうして、あっという間にそこそこの見てくれの男になった。
「ありがとな、幽霊。おかげで助かったよ」
ある夜、男は夜道を歩きながら、隣をふわりと漂う幽霊に言った。懐は潤い、毎晩のように飲み屋に通えるほどの余裕ができた。頬はほんのり赤く染まり、足取りは軽く、今にも地面から浮かび上がりそうだった。
『いいってことさ。すっかり血色も良くなったねえ。よかった、よかった。そうでなくちゃねえ』
幽霊はふわふわと漂いながら微笑んだ。
「ああ。本当に感謝してるよ。それで、何か礼がしたいんだがなあ……。そうだ、祠なんてどうだい? ほら、見晴らしのいい丘があるだろ」
『ああ、それなら――』
幽霊がふと動きを止め、口をつぐんだ。男は不思議に思い、立ち止まって首を傾げた。
『……嘘だろう、あいつだ』
「あいつ?」
幽霊がゆっくりと前方を指差した。
男がその指先を追うと、闇の中に一人の男が立っていた。その男もまた、足を止めてこちらをじっと見つめているようだ。
『あいつ……あいつ、あいつあいつあいつだ……見つけたぞお……!』
「お、おい、どうしたんだよ。ははは……」
幽霊のただならぬ様子に男はぞくりとし、おどけながら訊ねた。しかし、幽霊は返事もせず、ぶつぶつと呟き続ける。男が思わず一歩後ずさると、幽霊は男のほうへ振り返った。
『借りるよ』
「借りる? なにを――あっ」
次の瞬間、男は硬直した。まったく動けない――いや、正確には動いている。腕を回し、指を開いては閉じ、まるで体の感覚を確かめているような仕草。しかし、それは男の意志ではなかった。
「ああああああ!」
「うおおおおお!」
向かい合う二人の喉から、獣じみた咆哮が噴き上がった。そして次の瞬間、地を蹴り、同時に飛びかかった。
そこから先は……嗚呼、なんとも悍ましい獣畜生以下のしばき合い。拳が顔面を砕き、鼻を潰し、歯を飛ばし、唇を裂き、血と唾が霧のように舞う。指を眼窩に突っ込んで目玉をぐりぐりずるりとほじり出し、蹴り上げた足が金玉を潰し、肋骨を折れば、突き出た骨をぐいと掴んで皮膚を裂き、内臓を手掴みで引きずり出す。指を噛み千切って、ぷぷーっと吐き捨て、髪を掴んでは頭蓋を石に叩きつけ、地面に積もるは積もる、二人の血と肉と砕けた骨。
どっちがどっちのものやら、もはや判別できぬ惨状。どうやら憑依した側は痛みを感じぬらしく、一切のためらいがない。
では、その苦痛をまるごと引き受けているのは誰かというと、取り憑かれた二人。
まるで棺桶に閉じ込められたように、ドンドンドンドン! ドンドンドンドン! と肉の檻を内側から叩くが返事はなく、叫びも封じられ、実際にその喉奥から吐き出されるのは、血と怒りに燃えた雄叫びだけ。
腕が千切れ、脚がもげ、骨が砕け、身体がねじれ、ついにくたばった二人――もとい、ただの肉塊。
やがて、その屍からぬるりと抜け出したのは、四人の幽霊。ただし、そのうち二人は満ち足りたように微笑み、すうっと天へと昇っていく。
『いやあ、長年の因縁の相手をようやく倒せたよ。よかったよかった』
穏やかな声が夜空の高みから響いた。
残された二人の幽霊は、消えゆく先人たちを呆然と見送ったあと、互いにぎらりと目を光らせて睨み合ったのだった。




