第36話 抗う血脈と別れの欺瞞
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(レオン視点)
国王陛下への極秘謁見を終え、ドヴェルノン公爵領へ単身乗り込む決意を固めた、その翌日。それは唐突に訪れた。
ボーフォール侯爵邸の一室。レオンは、ドヴェルノン公爵家からの使者と対面していた。漆黒の装束を纏った、まるで闇そのもののような二人組。ラウル公爵の手駒であることは疑う余地もなかった。
「レオン殿、ご機嫌よう。覚えておいでですか? 本来のあなたは使用人などという立場の方ではなく、高貴なお血筋のお方なのですよ。ドウェルノン公爵家当主、ラウル様のお名前は、もうお忘れになりましたか?」
使者は、ラウル公爵の名を繰り返す。今になって、なぜ突然そのような事を言い出すのか?
「ここは暗いですね。明かりを増やしましょう」
胡乱げなレオンの表情を見て取った使者の一人が、会話の途中だというのに、手提げから小ぶりなランプを取り出した。黒く澱んだホヤで覆われた、禍々しい光を放つそれ。使者は何気ない仕草で、その禍々しい光をレオンに向けた。
(この光……!)
光を浴びた瞬間、レオンの心臓が激しく脈打った。かつて精神を塗り潰された、おぞましい感覚が鮮烈に蘇った。――封印されていたはずの、幼少期の記憶の断片が、否応なく脳裏に流れ込む。
叔父のラウルに傅き、ドウェルノン公爵家の暗部で、徹底的に過酷な訓練を施されていた日々。そういえば、毎日、あの闇のランプの光に照らされていた……。
「……ラウル公爵……私の、叔父……」
使者の顔に喜色が浮かぶ。
「そうです。少しでも思い出されましたか? あなたの真の主を……」
「主……? 私の主は、ヴィオレットお嬢様ですが……」
「そうではございません。あなた様の真の主は、ラウル・ドウェルノン公爵でございます。長年ドウェルノン家を離れた事で記憶が混濁しているようですな。さあ、このランプの光を、もっと良くみてください」
使者が闇リュミエールのホヤで覆われた魔法ランプの光で再度レオンを照らす。レオンの瞳の光が、急速に曇っていく。元々薄かった表情が、顔付きから完全に抜け落ちていく。
使者はレオンの反応を見て、満足げに口元を歪めた。
「ふむ、誰が真の主か思い出せたようですな。ヴィオレット・ボーフォール嬢は仮の主に過ぎません。では、ラウル様の望みをお伝えしましょう」
「レオン殿、ヴィオレット嬢をリシャール第二王子殿下に輿入れさせるよう、貴方には全力を尽くしていただきます。これは、仮の主であるヴィオレット嬢の望みでもありますよ。今まで同様、誠心誠意ヴィオレット嬢にお仕えし、望みを叶えて差し上げるのだ」
「……ヴィオレットお嬢様の望みこそが、私の望み……」
「そうです。憔悴しきっているヴィオレット嬢の気持ちが、リシャール殿下へと向かうよう貴方が導くのです。あの娘の未来は、王妃となること。よろしいですな?」
「ヴィオレットお嬢様の望みを叶えるのが、私の幸せ……」
「そのとおりです。真の主と仮の主、お二人の望みを叶えていただく。……ボーフォール侯爵令嬢は、ラウル公爵閣下にとって非常に価値のある存在ですが……この輿入れが成立しなかった場合、ヴィオレット嬢が……『不幸な運命を辿ることになる』可能性もございます。心しておくことです」
「……ヴィオレットお嬢様は……私が必ずお守りします」
レオンは白い手袋の中で力強く拳を握りしめた。
「良い心がけです。それでは……今後は屋敷の外で打ち合わせをいたしましょう」
二人組の使者は闇のランプをしまうと、奇妙な違和感を残して、来た時と同じ様に、唐突に帰って行った。
(……早速ボーフォール侯爵様に進言しなければ……)
レオンは足早に、侯爵の執務室へと向かった。
「失礼致します」
ノックをし、許可を得て執務室に入ったレオンは、早速アルマン侯爵に、先程のドウェルノン公爵家の使者がやって来てから、帰って行くまでの一部始終を報告した。
「セバスチャンからレオンに来客があったと聞いてから、何事かと心配しておったが、そういう事だったのか……ドウェルノンめ……許せぬ!」
「はい。実際に闇リュミエールのランプの光を浴びるまでは、その姿形が全く思い出せなかったのですが、あれはまさしくドウェルノン公爵家の精神を支配する禁忌の魔導具かと」
「そのような光を浴びて、よく無事であったな」
アルマン侯爵は、やや訝しんだ表情でレオンに尋ねる。
闇リュミエールの光は、レオンの精神に何ら影響を与えなかった。体に微かな違和感はあったが、精神が支配される感覚は皆無だった。
一瞬、レオンの視線は左手の白い手袋に移り、訥々と答える。
「どうやら、ドウェルノン公爵家から脱出した時、毒による仮死状態からの目覚めを経て以来、精神支配から抜け出し、私には効かなくなったようです……」
白手袋を外し、侯爵にかすかに残る傷跡を見せる。
左手の甲に深く刻まれていた洗脳の証であるおぞましい文様。目覚めた後、彼はその文様を、自らの手で血に塗れながらえぐり取った。二度とラウルに支配されないために。
毒による極限状態が、リュミエールとの共鳴性を高めると同時に、洗脳を司る魔力的な繋がりを断ち切ったのかもしれない。
「ラウル公爵は、私がまだ洗脳の影響下にあると誤解しているようです……この誤解を……利用できそうです。しばらくはお嬢様は安心でしょう。ですが、今まで以上に、常にお嬢様の身辺を警護される様、取り計らってください。あの二人の使者、恐るべき手練れの気配がしましたゆえ」
(奴らはよりによって、ヴィオレット様を、脅迫の道具にした……!)
レオンの内心に、再び激しい怒りの炎が燃え上がった。全身の血が沸騰するような感覚。この沸き立つ怒りを、先程奴らに悟らせない為に、どれ程苦労した事か。
「予定通りにドヴェルノン公爵家内部に潜入し、陰謀の決定的な証拠を押さえ、可能ならばラウルを捕縛します。そして、ヴィオレットお嬢様を完全に護るために、ドヴェルノン公爵家を内側から変えます。……その暁には……私にも叶えたき望みが、ございます……」
侯爵は、レオンの瑠璃色の瞳をじっと見据える。温かく、誇らしげな眼差しでその覚悟を受け止め、ゆっくりと頷いた。
夕刻。西の空が茜色に染まる頃、レオンはヴィオレットお嬢様の自室を訪れた。いつものように完璧な執事を装いながら、その心臓は激しく鼓動していた。これが、お嬢様と過ごす最後の時間になるかもしれない。
ヴィオレット様に真実を告げれば、きっと危険な目に遭わせたくないと言われるだろう。しかし、この任務は単身で行わなければならない。だから、真実を告げず、傍を離れる。
(お嬢様……どうか、お許しください……全ては、あなた様を護るため……あなた様の未来を守るため……この手で、奴らの闇を断ち切るため……私は進みます……)
お嬢様は、いつものように穏やかな笑顔でレオンを迎えてくれた。何も知らない、無垢な笑顔。その無邪気さが、彼の胸を締め付けた。
「お嬢様。申し上げたいことがございます」
レオンは、重大な任務のため、しばらくの間、ヴィオレット様の傍を離れる必要があることを告げた。事の重大さ故、詳細は伏せなければならない。己にしか成し遂げられない任務である、とだけ伝えた。
ヴィオレット様は、一瞬不安そうな表情を見せたものの、すぐに健気な笑顔を浮かべた。
「……そうなのですね。レオンでなければならない、大切な任務なのですね。寂しくなりますが、わたくしはレオンの無事を信じて、ずっと待っていますから。――どんなに時間がかかっても、必ず、必ず戻ってきてくださいませ」
ヴィオレット様の真っ直ぐな言葉が、レオンの心の奥深くに響いた。その言葉が、彼の胸を締め付け、それでも彼の決意をさらに強固なものにした。
「……必ず、お戻りいたします。お嬢様のお傍に」
レオンは、そう答えるのが精一杯だった。これ以上、ヴィオレット様の顔を見ていたら、決意が鈍ってしまう気がした。二人の間に、切なく、そして温かい沈黙が流れる。
それはあまりにも短い、けれど永遠にも感じられる別れの時間だった。




